第126話 ガバ勢と女々しい野郎の唄

「あっ……そこそこ。そこっす。んぁ~」


 ベッドの上で鼻にかかった声を出すサクラにまたがり、ルーキは四苦八苦していた。


「はぁ~ん。……ん? なに手抜いてんすか? もっと腰を入れるっす」

「わかった、わかったよ……」


 サクラの腰の後ろに置いた親指を、体重をかけて押し込む。


「いたたっ! 今度は強すぎっすよ! まったくこの程度の指圧もできないっすかガバ兄さんは!」

「悪かったな」


 うつ伏せになったサクラの上から指圧することしばし。朝早くに天井から降ってきてマッサージしろと要求された時は面食らったが、学園RTAで何かひどく疲れていたらしい彼女の体は、確かにあちこちが凝り固まっているようではあった。


「ま、今回もすげー助けられたから、この程度の礼はやぶさかじゃねえけど……」

「そっすそっす。あんまり表に出てないだけでサクラすごーく働いたっすからね。ああ~生き返るわあ~……。あ、そろそろいいっすよ。気が晴れたんで」

「気が晴れた? まあ、もういいってんなら俺は〈アリスが作ったブラウニー亭〉行くけど」


 サクラは勝手に占領したルーキのベッドに顔を埋めたまま手をぱたぱたと振り、「ちょっと休んだら合流するっす」とだけ返して静かになった。


 自分の寝床に帰ればいいのに、それすら億劫らしい。


 もっとも、気疲れしたという意味ではルーキも激しく同意だった。戦闘よりもコミュニケーションに重点を置いたRTAは、今後の課題としてよく勉強しておくべきだろう。

〈クソゲー川の事件〉や〈イワシの名探偵〉といった頭脳労働が必要なルートは、これまで参加しなかっただけで山のようにある。いつでもそれに対応できるようにしておかなければ、とても一人前の走者とは言えない。


 ※


 サクラを部屋に残し、レイ一門のたまり場に向かったルーキは、中からありえない声を聞いた気がして、慌てて店内に駆け込んでいた。


「おはようございま……す……!?」


 そこにはあんのじょう――。


「ここがあの男のハウスね!」

「いかにもゴロツキどもが集まってそうな酒場……。ルーキ先輩を探して迷い込むロコ様。何も起きないはずがなく……」

「リーナナナナナ!?」

「Nの数まで不安定にしてんじゃないわよ!」


 ばんとテーブルを叩いて席を立ったのは制服姿のブラックリリーナ。すぐ隣にはマシロことホワイトリリーナもいる。さらに「あっ、おはようございます。こっちです、こっち」と朗らかに手を振ってくるのは、シスター服のミサリだ。


「な、何で三人がここに!?」


 ルーキが慌てて彼女らの席に駆け寄ると、


「やっと来たわねルーキ先輩!」

「初来店……ども……」


 と相も変わらずバイザーを装着した二人が挑発的に反応するのに対し、


「はい。来てしまいました」


 ミサリは頬を赤らめ、どこか幸せそうに微笑む。


「三人はどういう集まりなんだっけ?」


 受付嬢がトレイにジュースを載せ、にこにこと笑いながら席に近づいてきた。


「あたしたちはルーキ先輩がこのあいだまで通っていたユリノワールの生徒よ。下町に来ることなんて滅多にないんだけど、シスターがルーキ先輩に会いに行くっていうからついてきたの!」

「シスターの危険が危ない……」


「あらあら」と、受付嬢はルーキに目をやり、


「新人君って、いつも小さい女の子と一緒にいるわよね」

「何ですかその言い方!? サクラか委員長がいるだけでしょう!?」


 うろたえるルーキのことなど気にも留めず、ジュースをストローですすったブラックリリーナがうそぶくのが聞こえる。


「下町ってもっと汚くてひどいところかと思ってたけど、なかなかいいとこじゃない。ガバ一門も思ったより親切だし」

「年頃の美少女ばっかりで襲われるかと思ったけど、テーブル空けてくれて、ジュースもおごってくれた……」


 ルーキは店内を見回し、先輩走者たちに頭を下げた。


「すいません。俺の客が世話になって……」

「いいってことよ」

「こんな子供に欲情するほど落ちぶれてねーしな」

「ゆっくりしていってね!」

「ね? みんないい人たちよ!」


 なぜか誇らしげに言うブラックリリーナ。それはこっちの台詞だろと思いつつ、ルーキはようやく空いていた椅子に座る余裕を得た。


「……で、シスターが俺に何か話があるって?」

「シスターじゃなくてもあるわよ!」


 どん、とテーブルを叩いて本題を遮ったのはまたしてもブラックリリーナ。


「いきなり学院からいなくなるってどういうことなの!? ロコ先輩もカミュ先輩もいなくなって、みんな男子カプロスに苦しんでいるのよ! このままじゃエイチ先生が一人二役やらなきゃいけなくなるわ!」


「二役って何だよ……」とぼやきつつも、「突然いなくなったのは悪かったけどさ」などと付け足してしまったのは、まがりなりにも寂しがってくれたことがちょっぴり嬉しかったからだ。なぜかおもちゃを見つけた猫のような顔でテーブルを見てくる受付嬢のことは一旦視線から外し、話を続ける。


「ロコは違うけど、俺は元々エルカお嬢さんとカミュの婚約を解消するためにいたからな。何かあの話、コンテストの後でいきなり立ち消えになったから、普通にお役御免だよ」

「……エルカ先輩、あれからずっと全身まっ白になってるのに……?」


 ホワイトリリーナからのバイザー越しの冷たい視線を受け、ルーキは少し困惑しつつ、


「ま、まあ、疲れたんだろ。そのうちカラーも戻るさ。……い、いや、一応、今度屋敷に様子を見に行くよ……。あ、明日にでも」

「……まあそれでいいわ。ほんとに見てられないくらい白いんだから。あっ、そうだ。カミュ様のことなんだけど……」

「ん? あの後何かあったのか?」


 新たに出てきた話題に、ルーキは身を乗り出して食いついた。コンテスト乱入事件の後、突然現れた色黒の綺麗なメイドさんから強烈なボディブローを受けて回収されたカミュについては、エルカからも何も聞かされていない。


「あの時のメイド、マリアンナっていうらしいんだけど、カミュ様のお世話係だったんだって。それで、カミュ様がお爺様のフェルディナンド様を怒らせたみたいで、強制的に家に連れてかれちゃったみたいよ」

「一体何が原因だったんだろうな……?」


 あの場にエルカの祖父であるグスタフがいたことも後に判明している。待っていた二人が訪れたちょうどその時に、あの乱入男騒ぎは起きていたわけだ。


「カミュが人質にされたことと関係あんのかな?」

「貴族の中には騎士の流れをくむ家も多い……。騎士はまず隙を見せただけで重罪……。その証拠に、カミュ様はあれから、マリアンナと二人きりで修行の旅に出されたという情報……」


 ホワイトリリーナがつぶやき、ルーキは思わずうめいていた。


「可哀想すぎない? カミュは体も弱いのに」


「ところがね」とブラックが話を引き取り、「カミュ様大喜びでついていったそうなのよ」という意外な結末へと繋いだ。


「へえ……あいつ、強くなりたがってたしな」


 修行の旅というのは、フェルディナンドからすれば罰のつもりだったのだろう。それを喜んで受けるということは、今までのカミュではなくなったということだ。

 その変化は、ユリノワールで起こったのかもしれない。自分と特訓していた数日の間に。


(だったらいいな)


 好きな人にカッコつけるための努力が実ったとも言えるし、こちらとしても手助けしたかいがある。そもそも、それくらいの収穫がなければ、今回、ただただ祖父の意向に振り回されたカミュがあまりにも可愛そうではないか。


「結局、いろいろ丸く収まったのかな」


 ルーキがまとめるように言うと、


「……まあ、あたしも題材の幅を広げられたからルーキ先輩には感謝してるけど……」

「…………偏ったとも言う…………」


 リリリーナも一応さっきまでの矛を収めてくれた。


 それを見計らって、ルーキは「それで、シスターの話って?」と本題を再掲する。


 さっきから聖母のような微笑みを浮かべる彼女に、どことなく違和感を抱いたのはその直後だった。

 考えてみれば、ここには女もいるが男も多い。男性に対してイカれ――変な先入観のある彼女にとっては、迂闊に立ち入れない場所。年下のリリリーナがいるならなおさらだ。


 しかし今日の彼女は、かつないほど艶めいた笑顔を、ずっとルーキに向け続けている。変な小言は一切なしだ。


 ミサリはうなずくようにしながら出し抜けに言った。


「心の準備ができましたので、お父さんにお伝えしに来ました」

「…………? 何?」


 今、何か奇妙な単語を聞いたような気がする。


「お父さん……? って言ったのか?」

「はい。ルーキお父さん」

「えっ……」


 それは……あのカプコンの第一位発表直前、呼びかけられた言葉だったかもしれない。あまりにも素っ頓狂で、思わず記憶にすらとどまらなかった言葉。そして彼女はどこか熱で赤くなったような眼差しを、真っ直ぐにルーキに向けて告げる。


「わたし、お母さんになる覚悟ができました」

「モッ!!!???」


 危うく心停止しかけたルーキは、店内が「えぇ……」とざわめくのを聞いて思わず身じろぎした。が、ミサリはそんなこと気にも留めず、


「口だけでなく他の様々な穴から男汁を注ぎ込まれて取り乱してしまいましたが、よくよく考えてみれば、わたしもルーキさんもウルスラ様から薫陶を受けた者同士。これはきっと運命のお導きだったのです。わたしも、子を産み、育てる時が来たのですわ」


 一層赤くなった片頬をおさえつつ、ミサリは熱っぽいため息を吐いた。


「ちょ、ちょっと待って……!? そ、それって、あのRTA会議室での話だよな!? ただ単に転びそうになったのを受け止めただけだよな? リリリーナもあの場にいたろ!?」

「ジュースおかわり! 特級茶葉で頼むわ!」

「ずずずずっ、ぷはー。今日もいいペンキ……ぽーぽー、ぽぽぺぽー」

「いきなり上映会再現はやめろ繰り返す上映会再現はやめろ!」


 ルーキが何を言っても、リリリーナは知らん顔だ。ついでに言えば、ミサリも全然こっちの話を聞いていない。


「ですから、このように男性の多いこのような店に来ることもできました。もうわたしの中には新たな命が宿っているのですから、何の心配もいらないんです。ルーキお父さん、二人で……いえ三人で幸せな家庭を築きましょうね? ぽっ……」

「宿ってないよかなりの超絶高確率で宿ってない! ミサリ落ち着いて、一旦ローズさんあたりに相談しよう!」


 何とか打開策を見出そうとしたルーキだが、そこに受付嬢の声が割って入った。


「えーっ、新人君それはちょっとないわ。この子の想像妊娠だっていうの? あのね新人君、女の子とはやればできるの。安全なのは男同士だけだから」

「受付嬢さん自分の発言に責任もってくれますか!?」


 しかし、周囲からも受付嬢に賛同する声が上がる。


「後輩!? 教会関係者相手はまずいですよ!?」

「ミッショナリーポジション以外も強要したの? 人間のクズがこの野郎……」

「責任取ってじゅうべえ走れ!(鬼畜)」

「ち、違うんですよ! 彼女は勘違いを……!」


 ルーキは慌てて隣席の走者たちに詰め寄ったが、彼らは意外にも冷静な小声で、


「んなことはわかってる」

「おまえんとこに来る女だし……(察し)」

「本気で言ってるわけじゃねえよ。大丈夫だって、安心しろよ」

「よ、よかった。それじゃあ……!」


 思わずほっとするルーキだが、


「じゃけん、オレらに関わりのないところで解決しましょうねー」

「開拓地で手一杯なのにこっちの事情も考えてよ。こんなんじゃRTAになんないよー」

「上流階級とかお嬢様学校とかふざけんな(声だけ迫真)!」

「そんなー!」


 ガバ勢は権威や金持ちに弱い。はっきりわかる。もっとも、今回は確かにこちらの個人的な都合であって、一門が手を貸してくれるいわれなどないのは確かだが。


「へえー、ガバ一門ってみんな女性に優しいのね」

「わたしたちにも親切……偉い……」


 リリリーナが口々に言うのに対し、ルーキたちから距離を置きたい一門走者たちは口々にうそぶいた。


「当然だぜ。オレたちは紳士だかんな」

「だからこそ無責任な劣情を催した新人が頭に来ますよ! 学生の本分は勉強だルルォ!?」

「制服着てるような子供に手ぇ出してんじゃねえよバァカ!」


 と、その時、店の入り口に一つの人影が現れる。


「おう、朝からにぎやかだな。何かいいことでもあったのか。こっちはまた打ち水引っかけられてよぉ……」

「あーっ、レイ親父さん夏服JCなのらー! サマーセーター可愛いのらー」


『ヌッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!11111』


 これじゃいつもと変わらないわね。(母なる声)


 ――その後、ルーキは再び学院に赴き、ローズとユリノワール学院長の力を借りることで、どうにかミサリを説得できた。


 しかしこれをきっかけに、〈アリスが作ったブラウニー亭〉は、安全に下町情緒が楽しめる場所としてユリノワールの生徒たちに広まってしまい、それからしばらくの間、制服を着た少女たちが頻繁に出入りするようになる。


 ルーキはそのつど学院に呼び出され、生徒たちの状況について詳しく報告を求められるようになった上に、その行き帰りの途中で生徒や教師たちから頻繁に絡まれるようになってしまったのだった……。


 彼の、聖ユリノワール女学院を舞台にしたRTA〈ときめきユリノワル〉の完走した感想は、いつもだいたいこのあたりで終わる。

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