第125話 ガバ勢と夏色デスサイズ★青春白書

「ファッ!? スピーチの内容を忘れた!?」


 ルーキの悲鳴にエルカは涙目でうなずいた。


「さっき、ほんのちょっぴりだけほっとした拍子に……」

「そりゃあんだけすれば多少はね!?」


 ゴキゲンな蝶になったり魔晄中毒者になったりしているうちに記憶をぽろぽろさせていったのだろう。


「ア、アンチョコとかはないのかよ?」

「そんな無粋なもの用意してきませんでしたわ」


 エルカは泣きそうな顔になりながら、


「ど、どうしましょう……? そ、そうですわ。再走……再走すればなかったことに……すべて夢に! そしてわたくしは温かい今朝のベッドの中で目覚めるのですわ……」

「お、落ち着け! おまえは現実から逃げようとしている! この程度のガバで動揺するレイ一門じゃない。そ、そうだ。俺がカプコンを完走した感想で時間を稼ぐから、その間に短いコメントでいいから作り直すんだっ!」

「で、でもそれではお爺様にちゃんと届くかどうか……」


 まだ不安に揺れているエルカの目を、ルーキは真っ直ぐに見つめた。


「大丈夫だ。エルカお嬢さんならできる。スピーチは得意なんだろ? 俺は信じてる」

「……っ! わ、わかりましたわ。ルーキが作ってくれたチャンスを、必ず活かします」


 二人がうなずき合った時だった。

 突然、背後から突風のような衝撃波が来た。


「うおおおう!?」

「きゃああっ!」

「あら~?」


 ステージ上にいたルーキ、エルカ、ローズが客席まで吹っ飛ばされる。


「く……ぉのッ……!」


 空中で態勢を整え、腕を伸ばしてすぐ隣にいるエルカをキャッチ。そのまま何とか軟着陸する。


「大丈夫かお嬢さん!?」

「え、ええルーキ。平気よ、ありがとう」

「何が起こったんだ?」


 ルーキは騒然とする客席の中から特設ステージをにらみつけた。

 そこには――。


「全員動くんじゃねえ! こいつがどうなってもいいのか!?」

「た、助けてぇ! 誰かぁ!」


 大声を張り上げる男と、そいつに囚われ、首元にナイフを突きつけられているカミュの姿があった。


「何っ!?」


 ルーキは驚愕の声を抑えきれなかった。

 なぜなら。カミュと一緒にいる男を知っていたのだ。それは――。


「一般通過男子制服コスプレイヤー!?」


 体育館裏でカミュの代役としてルーキを待っていた、あの貴族然とした男。一目で手強いと感じたその人物は、かつての上品さをかなぐり捨てた粗暴な表情と声で怒鳴り散らした。


「よくもこのオレを入学テストで落としてくれたな! 世間知らずのメスガキ学校のくせによォ! 入学したら毎日一人ずつ校舎裏に呼び出して食い散らかしてやろうと思ってたのに、全部台無しだぜ! それに何だこのクソイベントはァ!? まともなカップルいねーじゃねえか脳みそにウジわいてんのかてめえらァ!?」


 ※


「これはどういうことかしら?」


 柔らかな地声に針の鋭さを忍ばせ、学院長は窓の外の光景にそう発言した。

 思わず部屋の隅にいる軍医に目を向けたサクラは、彼女が完全に聞き流しているのを確かめてから億劫そうに返事をする。


「えー……。それこっちに言ってるんすか? こっちはインテリジェンス専門で、ああいう輩は学院の警備の担当じゃないっすかねえ」

「……そうね。うちの警備は何をしていたのかしら」

「会場の隅で、カミルキの横断幕を全員で掲げて呆然としているのがそうじゃない?」


 軍医がぽつりと言い、学院長に「全員減給しなきゃ(使命感)」と深いため息をつかせた。


「んで、あの目立ちたがり屋は何なんすかね?」

「あれはベルナール・ミドルワイヤーという男です」


 学院長の即答にサクラは眉をひそめた。


「お知り合いで?」

「ちょうどルーキさんたちと同時期に短期入学の試験を受けにきた少年よ。受験の時からうちの男子用制服を着てくる大胆不敵さだったけれど、そうするだけあって成績は極めて優秀だったわ。ただ……人品骨柄に卑しいものを感じてわたしが落としたの」

「なるほど……。あの暴言を聞く限り、学院長の予想通りってとこすかね。学力試験を通過していることは本人が一番理解してるでしょうから、ブチギレて殴り込んでくるのも道理っちゃ道理すが」

「ミドルワイヤーって、確か隣街の豪商よね? うちも少しだけ取り引きしたことあるけど」


 軍医が豊かな胸を下から支えるように腕を組み、声を割り込ませてくる。


「そっすね。ま、よくある成金っす。外見は着飾れても中身までは金じゃ買えない。ホントの金持ちって連中は、金儲けする側にはいなくて、そいつらに金儲けさせるシステムの中にいるっすから。一時の好景気で謎の万能感に包まれた商家のお坊ちゃんが、世間知らずのお嬢様相手にハーレムでも作りに来たんすかねえ?」


 サクラは吐き捨てるように言いながら、客席の一部に目を向ける。

 抱き留めたエルカお嬢さんを降ろした彼が、ステージに対して何かの動きを見せようとしていた。


 ※


「委員長、ローズさん……」


 いまだに何かをわめき続けている一般通過レイヤーの声に潜ませ、ルーキはリズとローズに呼びかけた。


「何なんでしょうね。あれは?」

「死にたいのかしら~」


 凝然と固まる生徒たちの中で、ここだけは無風だ。

 いや、よく見れば、競技用ボールを指の上でくるくる回しているエイチ、ローズ先生子飼いの〈乙女の嗜みクラブ〉らしき集団も、この状況下を屁とも思っていない様子。どこかにいるサクラもそうだろう。


 何の目的かはわからないが、壇上の彼がほぼ最悪の時期にこの学院に乱入したことは間違いない。


「とにかく、カミュを助けてやらないと――」


 ルーキが小さく提案した時、ステージ上からまたしても突風が押し寄せ、声を途切れさせた。


「こそこそしゃべってんじゃねえよクソが! テメェ、知ってんぞ! この女みてえなガキのダチか何かだろ!? なんでテメェらみたいな出来損ないが合格でオレが不合格なんだよクソクソのクソが!」


 男は何かの道具らしきものを手にしている。突風はあそこから生み出されているようだ。殺傷能力はないが、人を遠ざけるには十分といったところか。


「こんなクソムカつく学校からはさっさとおさらばしたいが、気が変わった。ちょっと楽しませてもらうぜ。そうだな……ステージの上で裸になって踊ってもらうかな。まず誰にやってもらうか……おい、ルーキとかいう男の隣にいる緑髪のチビ眼鏡! まずはおまえがやれ。そんな貧相な裸見ても全然嬉しくねえけど、そいつと話した罰だ」

「…………」


 名指しされた委員長は眉一つ動かさず、束の間ステージを見上げていたが、やおら歩き出した。


「委員長……」とルーキが思わず呼びかけると、


「……もしかして心配してくれてるんですか?」

「それはむしろ失礼だろ。俺、このへんに立ってればいいかな?」

「フフ……。左にもう二歩動いておいてください」

「了解」


 リズがステージに上がると、男の不満げな声が出迎えた。


「あ? 何だそのすました顔。甘やかされたメスガキの分際でオレが怖くねえってか? あーあ、なんかすげえムカついた。裸踊りはやめだ。そうだ、おまえそこでションベンしろよ。犬みたいにさ。上手にできたら許してやるよ!」


 男はゲラゲラと笑ったが、委員長は表情一つ変えず、ずんずん進んでいく。


「はあ? おい、何こっち来てんだよ。そこで止まれ!」


 彼女は止まらない。


「テメェ、ナメてんのか!? 死ねよ!」


 男はアイテムをかざす。局所的な突風がステージ上の設備を揺さぶるが、リズはまるで風の隙間を歩くかのように平然と近づいていった。


 空気を裂く音がした。

 どこからともなく飛来し、ステージ上に突き立ったのは、巨獣の牙を連想させる大鎌〈魔王喰い〉だった。ルーキはそれが、何かに呼び寄せられるように学院のはるか外から飛んでくるのをはっきり見ていた。


「なっ、な……!?」


 男が取り乱すのも無理はない。いきなりとんでもなく物騒な刃物が、小柄な女子と自分の直線上に突き刺さったのだ。おまけに頼りのアイテムも、人質も、一切通用しない。


 リズがさらに近づく。距離はもう残り二メートルほど。


「テメェ、こいつがどうなってもいいのか!?」


 すでに恐怖で声も出ないカミュののど元に改めてナイフを突きつけ、男は何とか彼女を止めようとする。

 だがやはりリズの歩みは止まらず、その手が〈魔王喰い〉に伸びようとした。


 ――それは本能的なものだ。いくら人質がいようと、巨大で凶悪な凶器を前に、人は無防備ではいられない。たとえどれほど矮小な武器であったとしても、身を守るために、恐怖から逃れるために、敵に向けて突きつけずにはいられない。


「それを拾うんじゃねえよ!」


 男はナイフの切っ先を、カミュから委員長へと向けた。


 瞬間。


「拾ってませんよ」


 委員長はそれまでの歩幅を一切変えることなく、しかし、男との二メートルを刹那のうちにゼロにしていた。


 どん、と踏み込む音。正確には、男のつま先を踏み潰す音。

 もちろん、相手を逃がさないために。


 弧月のような軌道を描いて繰り出された拳が、男の側頭部にめり込んだ。


 最小の力で相手を無力化するあごへの一撃ではなく、こめかみ狙いの殴打でもなく、何でもない箇所にブローを叩き込んだ。彼の頭部に、最大限の苦痛と衝撃を加えるためのように。


 悲鳴はその壮絶な打撃音。

 ルーキは、男の体が足首をその場に残したまま真横に薙ぎ倒される幻覚を見た。


「きゃあーっ」


 代わりに女の子のような悲鳴を上げてステージ外へと投げ出されたのはカミュだ。

 ルーキは委員長と打ち合わせした場所から足の指一本分ずらす必要すらなく、降ってきた彼を受け止める。


「大丈夫か、カミュ?」

「ル、ルーキィ……こ、怖かったよぉぉぉ!!」


 カミュがむせび泣きながら抱き着いてくる。「は?」という棘のある声がどこかから小さく聞こえた気がしたが、ルーキは、何事もなかったかのように〈魔王喰い〉を肩に担ぎ、ステージを降りてくる委員長へと懸念の目を向けた。


「委員長、その人……天に召される感じですかね……」


 ステージの縁からボロ雑巾のように垂れ下がる男は、もはや命を感じさせない姿をしている。しかし委員長は殴った方の手を軽く振り、


「いいえ。思い切りぶん殴りましたけど、直前でラストヒールかけておきましたから。生きてはいますよ。生きてはね……」

「サンキュー、委員長。やっぱここでの札人(物騒な言葉を使わない一門の鑑)はちょっとな」

「ええ。神聖な学び舎ですからね。わたしも多少スッとできましたし、彼には感謝してますよ」


 リズがそう言った時だった。


「ざけんじゃねえよ……っざけんなァァァ! オレをコケにしやがってゴミクズどもがよおおおおおおおお!」


 いつの間にか息を吹き返した男が絶叫していた。


「うおらあああああああああ!」


 ナイフを滅茶苦茶に振り回しながらルーキに向かって突進してくる。

 ほとんど狂乱状態だ。こぼれそうなほど目を見開き、口の端から泡が飛び散っている。


「ル、ルーキィ!」


 恐怖したカミュがすがりついてくる。

 そんな不自由な状況で、ルーキは無言のまま、無造作に足を振り上げた。


 激しく振り回される男の手の下側から入り込んだつま先が、ナイフの柄を叩き上げ、明後日の方向へとすっ飛ばす。


「えっ……」


 男はようやく我に返った様子で、空っぽになった自分の手を呆然と見つめる。


 彼の背後にいた委員長が、空から降ってきたナイフを人差し指と中指だけではっしと受け止めた時にはもう、ルーキは男の眼前に踏み込んでいた。


 以前この相手を手強いと感じたのは、学院生活全般を基準にしての話だ。彼の方が勉強ができただろうし、スポーツに関しても上手かったかもしれない。

 だが、殊、実戦ということになれば。


「細い」


 カミュを抱きかかえたまま、平手の裏側で男の横っ面を軽くはたく。ラストヒール発動直後でHPは残り1。たとえ寝ぼけた蝉が頭の横に当たっても一撃でKOする脆さもあって、男は今度こそ完全に崩れ落ちた。


「おっと!」


 一応、頭から落ちないように制服を掴み上げ、直後に殺到した女性警備員たちに引き渡す。

 会場から割れんばかりの拍手が響き渡ったのはこの時だった。


「超魔神英雄伝ルーキさん実はホントにすごかった!?」

「さすが、ほよコマンドー外伝すごいよルーキさんだわ!」

「こちら葛飾ルタ区聖ユリノワール女学院前派出所さん素敵!」

「長い長いどんどん長くなってる! あと最終的に俺がいない!」


 叫んだルーキは、ふと、すぐ目の前でカミュが熱烈な視線を自分に注いでいることに気づいた。彼は萌え袖を胸のあたりに当てて、ぷるぷる震えながら、


「す、すごいよおルーキ! リズさんのあのパンチに耐えた男を……たった一発で……!」

「え? いやいや、あれは残りHP1で……」


 言いかけたルーキの横からローズがひょこっと顔を出し、


「だってルー君、あの〈ランペイジ〉の完走者だもの~。走り切るだけでもすごいのに、あの土地の魔王と直に戦って生還した子があんなのに負けるわけないのよ~」

「は、はふぁぁぁぁぁ……」


 カミュの目から射出される流星群がばしばしと顔に当たり、ルーキは顔をしかめた。「決めたよ……」という覚悟を伴ったつぶやきを聞いたのはその直後。


「ルーキ……! ボクの屋敷に来てくれ! そこでボクと一緒に暮らしてくれ!」

「なっ……!?」と、声を裏返したのは、そばにいたロコだった。

「今わかった! ボクが男になるには、君の存在が必要不可欠だ! ボクの屋敷に来て、常にボクを鍛えてほしい! もちろん束縛なんかしない。RTAも自由に行ってくれていい! そうだ、RTAにかかる費用はすべてうちがもつよ! 生活費や衣服はもちろん、ほしいものがあるのなら何でも買ってあげる! パトロンってやつだよ。名のある走者にはパトロンがつきものさ。君はそれに値する!」

「パ、パトロン!?」


 ルーキは目を剥いた。

 熱烈な支援者がいる走者の話は聞いたことがある。彼らにはもちろん支援されるだけの人気があり、そして何より腕前がある。


「完走した感想ができる会場も用意するよ! 社交界にも君のことを紹介したい。もちろん、ルーキがお望みなら下町でも場所を確保する! お店だろうと、公園だろうと、貸し切りにできるよ!」


「そ、そいつはすごい……!」と浮かれかけたルーキの腕が、ぐいっと引っ張られた。


「ダメだよルーキ! そんなところに行くなんて!」

「ロコ!?」

「ルーキはあのアパートにいなきゃダメ! 研究所だって遠くなっちゃうじゃないか!」

「そ、それはそうだけど、別に行けないってわけじゃないし……」

「ダメったらダメ! とにかく、カミュの家だけはダメ!」

「頼むよルーキ! ボクの家に来てくれ! ボクを男にしてくれ!」


 ルーキを使った綱引きが始まってしまった。

 ああ^~という汚いおっさんみたいな声が周囲から聞こえる中、ルーキはただただ困惑するしかない。


 ※


「すっかり遅くなってしまったな」


 年老いた外貌とは裏腹に、城砦のように落ち着いた声をため息の中に混ぜた老紳士は、すぐ隣に立った旧友にちらと視線を送る。

 紳士帽の位置をわずかに直した旧友は、使い古したステッキで準備運動のように石畳を軽く叩くと、咳払いと共に目線を返してきた。


「仕方あるまい。我々が一歩街を歩くだけでも方々に許可が必要になるからな。偉くなったのか囚人になったのかいまだにわからんよ」


 フェルディナンドは若い頃から何一つ変わらない軽口を叩きつつ、浅黒い肌の若いメイドを引き連れて歩き出した。

 グスタフも老執事を伴ってそれに続く。


 聖ユリノワール女学院の艶姿はいつも通りだ。石畳、校舎、木々、空気にさえも、瑞々しく若々しい女性たちの息吹が紛れ込んでいる。


 男が長居できる場所ではないな、と胸中で苦笑しつつ、「ああ^~」という何だか汚いおっさんみたいな声が運動場の方から流れてくることに気づく。


「何だろうな? ちょっと行ってみるか」というフェルディナンドの好奇心を咎めるには約四十年遅く、グスタフは、いつも気分で向きを変える友人の背中を追った。


「ひょっとすると、カミュがエルカお嬢さんに大々的な告白をしていたりしてな。あれはお嬢さんがだいぶ気に入ったらしい。最初は渋っていた登校を、最近では朝一で出ていっているそうだ」

「そうか。エルカも似たようなものだ」


 運動場には多くの生徒たちが出ていた。何かの催し事をしているらしい。

 そこで何かが起こっていた。


「来てくれ、ルーキ!」

「ダメだよ、ルーキ!」


 少年二人が左右から一人の少年の腕を引っ張っている。片方はカミュ・ロキシナ・スパダだ。もう一人は知らないが、どちらも大した力はないのか、中央にいる少年――ルーキというのか?――は困惑した顔を浮かべるばかりで痛がってはいない。


「何をしてるんだ、うちの孫は? 告白というわけではなさそうだが」

「わからん」


 フェルディナンドと首を傾げていると、カミュがこちらに気づいた。


「あっ、おじいちゃん! いいところに!」


 彼はルーキ少年の腕を両手でしっかりと掴んだまま、声を大にして、


「おじいちゃんからも言って! ボクが少年から“男”になるためには、どうしても彼が必要なんだ! 彼の立派な“男”の部分が……彼がほしいんだよ!」


 その時、父兄に電流走る。


『…………』


 しばしの沈黙ののち、フェルディナンドが言った。


「なあグスタフ……」

「何だ」

「ほよはいかんよな?」

「いかんでしょ」


 フェルディナンドは「うむ……」と唸った。


「申し訳ありません。わたくしが至らぬばかりに……」


 浅黒い肌の美しいメイドが深々と頭を下げる。


「いや、おまえがあれに献身的に尽くしてくれていることは知っている。間違えたのはきっとわたしの方なのだ。甘やかしすぎた。マリアンナ、すまないが、灸を据えてからここにつれてきてくれ」

「よろしいのですか?」

「ああ。キツいのを頼む」


 豊かな黒いポニーテイルを揺らしながら、マリアンナがカミュへと歩き出す。ほっそりした指を黒革のグローブで覆い、軽く握り込んだだけで、彼女の肢体すべてが数ミリ引き締まったように見えた。


「あっ、マ、マリアンナ! 君からもお願いしてほしい! 彼をうちに――」

「お坊ちゃん。失礼します」


 ドズゥ! と空気を震わせるようにマリアンナの拳がカミュの脾腹にめり込んだ。


「ぐぶぅぅ!?」

「しゃあっ、ショタ腹パン!」

「涙とヨダレ、死んだ魚の目、ヨシ!ΦωΦ でも鼻水は勘弁ですわ!」

「なんで?(威圧)」


 流行りの言葉なのか、グスタフに理解できないことを口々に叫ぶ生徒たちに一礼すると、マリアンナはノビたカミュを肩に担いで戻ってきた。


「足を運ばせてすまんなグスタフ。エルカさんとの話はなかったことにしてくれ」

「わかった」

「では、帰らせてもらう。カミュを鍛え直さなければいけないのでな」


 そう言うと、マリアンナと共にフェルディナンドは元来た道を引き返して行った。


「我々も帰るか」とグスタフが踵を返しかけると、「お嬢様のことは見なくてよろしいのですか?」という執事の声が足に絡みついた。


 グスタフは、多数の生徒に混じってぽかんとこちらを見ている孫娘をちらと見た。何が起きたかわからず呆気に取られている彼女の手が、何かにすがるように無意識的に小さく伸ばされているのを確認し、その先に誰がいるのかも目視する。


 ……そういえば、エルカを毎日迎えに来ている友人がいるのだったか。こちらは朝早くの出勤で、面識はおろか名前さえも聞きそびれていたが、もしや……。


「--何も心配はいらんよ。あれも、何もできない子供ではない」


 納得する気配を向けてきた執事にそれ以上は告げず、彼は静かに正門へと歩き出した。



 エンディングNo:6 そして少年は荒野へと消ゆ(カミュ・ロキシナ・スパダ)


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