第124話 ガバ勢と駄・カッポー(2/2)

《実況の追尾タックルです。休憩を挟んで気力も体力も充実、それでは後半戦いってみましょおおおおおおおおおおおおおおお!》


 ウニョラアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!


「は~い。みんな準備はいいかな~。いよいよベスト3の発表で~す。第三位は~?」


 ぉぉぉぉぉぉおおおおおおお↑↑↑……!


「ルーキ君とカミュ君で~す」


 トッピロキイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!


《きた! ルキカミ来たわ! これで勝つる!》

《ルキカミはワシらが育てた……》

《おーっと、リリリーナのお二人が興奮しております。これは何か仕掛けたかー!? クニーガさん、リリリーナとルキカミの関係はいかがでしょう?》

《ルキカミ本はカミュさんが初登校した日の放課後にはすでに出回っています。つまり、リリリーナはあの運動場での濃厚なハードプレイ以前からお二人を知っていたということでしょう。一次情報への積極的な取材は彼女たちの真骨頂と言えます。ちなみに、今朝も突発コピー本が出回っていました。リリリリーナがルキカミ推しはのは公然の秘密と言えます》

《ぎりぎりまでの布教活動は扇動者の鑑といったところでしょうか!? くだんのお二人に注目です!》


 ※


「今度は俺とカミュかよ……」


 弱り顔で席を立ったルーキは、隣席で考える人みたいなポーズを取っているロコの異変に気付いた。


「ロ、ロコ? どうした? 気分でも悪いのか?」


 するとロコは目だけをぎょろりと動かし、


「いや……気分は悪くないよルーキ……。早く行ってきなよ。彼が待ってるよ……」

「う、うん……」


 聞いているだけで息苦しくなる声に背中を押され、ルーキは壇上へと登った。

 先に待機していたカミュが、不安げに歩み寄ってくる。彼としても、このコンテストが予想外の方向に進んでいることを懸念しているのだろう。


 二人で不安がっていてもしょうがない。ルーキが励ますようにうなずくと、彼は少し安心したように首を縦に振り返してきた。


 するとなぜか、ああ^~と、客席から腐った桃みたいなため息が押し寄せてくる。

 何が起こっているのか、コレガワカラナイ。ハハハハハハ!(ヤケクソ殿下)


「お二人ともおめでとう~。早速だけどカー君は、ルー君のことどう思ってるの?」


 ローズがおっとりした様子で問いかけた。カミュは若干気後れしながらも、


「ルーキは男の中の男だ。自分にとっての不都合をすべて押して、貧弱なボクを鍛えてくれている。そんな彼を、ボクは心から尊敬しているよ。彼の課すメニューはハードだけれど、それはボクのためを思ってのことだ。彼の言うことならボクは何でも聞く覚悟だよ」


「ん?」「ん?」「ん?」「今」「今」「ん?」「今」「ん?」「ん?」「今」


 会場から謎の声援が飛んでくる中、同じ質問がルーキにも向けられた。


「カミュこそ男として大事なものを一本持ってると思います」


「エッッッッッ!」「やだルーキさんもう満足させられちゃったの?」「リバースが公式に!?」


 なぜか客席が色めき立つが、かまわず続ける。


「俺は駆け出し走者としていろんな人たちと競ってきました。みんな鋼みたいなメンタルをして、それこそが走るために一番重要な基礎体力だって気づいたんです。カミュは体力はないけど、熱意はその人たちと同様、相当なもんだと思います。俺もカミュにたくさん教えてもらってるから、その恩返しができればと思ってます」

「は~い。とっても清々しい関係ですね~。両想いかしら~? ここでコメント紹介しま~す。『自習室での勉強効率がゼロになった』『グラウンドでの運動効率がゼロになった』『そしてわたしも消えよう。永遠に』。あら~。みんな無になっていくわ~。無とは一体うごごご~。お二人ともありがとうございました~。では次の発表に進みま~す」


 ルーキはカミュと「今はやれるだけのことをしよう」と確かめあうような笑みを交わし、ステージを降りた。


 その時ふと気づく。


 自分とカミュがエルカを巡って争っている、という表向きの事情は学院内に出回っているはずだ。

 だが、それらに言及するコメントは一切なかった。ローズからもだ。


 刺激に飢えすぎて荒唐無稽な噂にも問答無用で飛びつくお嬢様たちが、それについて興味を示さないとは思えない。

 自重しているのだろうか? いや、もはやこの学院においてその単語は息、してない。


(まさか、眼中にないなんてことは……)


 もしそうなら、自分とエルカの組み合わせが一位なんて絶対にありえない。

 しかしここで何を思い悩もうと、投票はすでに終わっている。じたばたしても始まらない。今できることはただ待つのみなのだ……!


 席に戻ると、ロコの周辺一帯が数センチ地面に向かってヘコむほどの重圧がかかっていた。


「ロ、ロコ!? マジでどうした!?」

「静かにルーキ……。集中したいんだ」


 彼は祈るように、ただそう言い返した。


 ※


《突発的に始まりましたこの聖ユリノワール女学院カップルコンテストですが、発表も残すところあと二つとなりました。ここまででも甲乙つけがたい優良カップルばかりですが、これ以上となると数はかなり絞られてきます。クニーガさん、予測はできそうですか?》

《ある程度はできます。が、まだ油断してはいけません……! 慎重に……心を揺らすことなく……冷静に……結果を待ちましょう!》

《おーっと、クニーガさんのこの異様な緊張感は何でしょうか? できれば自分の趣味よりも仕事を優先してほしいですが……!? ローズ先生に注目です!》


「みんな覚悟はいいかな~? いくよ~第二位は~?」


 ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお↑↑↑……!


「第二位はルーキ君とロコ君~!」


 ユワッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!


《ユワッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!》

《今度はクニーガさんが咆えたあーっ! 実況席のテーブルに足をかけて文学少女らしからぬ喜びようです! クニーガさん、思いの丈をどうぞ!》

《これがユリノワールのコタエだ! 歴史が違うんだよ! ルキカミなんて所詮ここ数日に始まったあっっっっっっっっさい関係にすぎません! ルキロコにはこの学院以前からの膨大な蓄積がある! 息の合ったコンビネーションやさりげない気遣い……その距離感にさえ、二人が積み重ねてきた時間が感じられるんです! これはもう夫婦! 墓の下まで添い遂げた二人が蘇って再びイチャコラしてるようなもの! ルキカミとかいう新参者に勝ててわたしは満足ですね! わたしがこれまで校内にばらまいた作品たちも喜んでいますよっっっ!!!》

《どうしてこんなになるまでほっといたんだ!? 露骨なライバル意識がダダ洩れです! 生徒の中にクニーガさんの理性を拾った方はいませんか!? しかしこれもまた表現者の正当なエネルギー源なのかもしれません! ルキカミ推しのリリリーナさん、いかがでしょう!?》

《ぐぬぬ……勝ったと思うなよ……》

《あと少し時間さえあれば……ルキロコとかいうくそ古ぼけたジャンルエスタブリッシュメントなんて駆逐できたのに……!》

《見事なぐぬぬ顔です! これは発禁クラスの次回作に期待ですねぇ!》


 ※


「よし、よしッッッッッッ!!!!!!!!!」

「うわあ!? いきなりどうしたロコ!?」


 第二位の発表と同時に全身を震わせて叫んだロコに驚き、ルーキは席から転げ落ちそうになった。


「え? なにルーキ? どうしたの? そんなことより、早くステージに行こうよ。ほらほら」


 ロコはすべての重力を解き放ったかのようにきらきらと輝きながら微笑み、ルーキの手を取って引っ張った。


 壇上に上がると割れんばかりの歓声が出迎え、ロコは少し頬を赤くしながら手を振っている。

 人前に出るのがあまり得意ではない彼の意外な態度に驚きつつ、


(ひょっとして俺、何か勘違いしてたのか?)


 ルーキはそう思った。


 このイベントは、別に恋人同士のみを対象にしているわけではないのかもしれない。そもそも、ほぼ女子しかいない学校でカップルなんて探しようがないじゃないか。


 バディ、相棒、そうしたものも含めて、お似合いの二人組を称える、これはそういうイベントだったのかもしれない。きっとそうだ。

 そしてロコは、とっくにそのことに気づいていて、こうして喜んでくれているのだ。と。


「へへっ……! なるほど、そういうことなら遠慮はいらないな!」


 ルーキは、いまだにこちらの手を掴み続けているロコの手をぐっと握り返すと、高々と掲げて見せた。


「えっ、ル、ルーキ……?」

「何驚いてんだロコ! 俺は嬉しいぜ、みんなからこう認めてもらえてな!」

「ルーキ……そんな……いいの……僕で……?」

「当たり前だろ! おまえこそいいのかよ俺で!」

「いっ……いいよ……いいよぉ……! ルーキがいいんだよぉぉ……!」


 ヒャッハアアアアアアアアアアアアアアアア……! と盛り上がる歓声に、ルーキは大きく手を振り返し続けた。


 ※


《生徒たちの何人かが興奮のあまり保健室に運ばれましたところでインタビューです。ルーキさんもさっきまでとはだいぶ態度が違うようですが、クニーガさん?》

《当たり前ですよおおおおおおおおおお? だってルーキ様が唯一認めているのがロコ様なわけですからあああああああああああ? 手なんか握っちゃってえええええええええええええええ? ルキカミとは違いますよねえええええええええええ、あははははははああああああああああああああ……》

《うっざ! つまみ出してよこいつ!》

《心が醜い女はちょっと勝ったくらいですぐ調子ぶっこく……》

《リリリーナが激おこですが、確かにクニーガさんの態度は危険です! 長机に突っ伏して、へらへら笑いながらヨダレを垂れ流しております。これは自らの脳内麻薬でキマってしまったか? 壇上ではローズ先生が質問しています!》


「ルー君は、ロコ君のことどう思う~?」


「こいつがいなきゃ、今日まで生きてませんよ。俺は」


《あひい!?》

《あーっと、クニーガさんが反応しています。これはご家族には見せられない! ルーキさんの答えは短いながらも信頼のこもったもの。カミュさんの時とはちょっと違う、どこか砕けた口調からもそれが読み取れます。ロコさんの方は?》


「僕は、ルーキに本当にたくさんのものをもらいました。彼は僕にとって、ここにいる理由みたいなものです。僕は本当に、心から、彼に出会えてよかったと思います……」


《あっ、あっ、らめえええええええええっ……》

《えー……ただ今、大変お聞き苦しい音声が流れましたこと、実況席としてお詫びいたします。クニーガさんが失神してビクンビクンしておりますので、解説はゲストのリリリーナにお願いします》

《所詮この程度の女よね。ブラックリリーナ推参!》

《普段は気取って分厚いハードカバー読んでても、本当に体がほしいのは薄い本だよなあ? ホワイトリリーナ見参……》

《リリリーナさん、お二人から見てルキロコは?》

《悔しいけれど、そこのキメアヘ女の言う通りルキロコには確かな歴史があるわ。RTA走者と技師として、お互いの存在を正に命がけで確かめ合っている。あたしたちが最初に見たのもルキロコ。扉を開いてくれた二人だということを、忘れるわけにはいかないわ》

《ルーキ様とロコ様は二つで一つの双神……それは揺るぎない》

《ルキカミ派としてもリスペクトに値するということでしょうか?》

《ええ。ただし、最低限だけどね。ルキカミが超えていく敵という点において強さを認めるってだけ。あたしたちにはこれからがあるわ。傷だらけの鳥から生まれた卵には傷一つない。それが命であり、ジャンルの変遷というものよ》

《すべては今から始まる……》

《これは深い! 深いような気がします! しらんけど!》


「お二人ともありがとうございました~。遠慮のない間柄っていいわ~」


《ステージ上ではルキロコが万雷の拍手に包まれ降壇していくところです。そして会場が……だんだんと静かになってきました。いよいよ、第一位の発表です……! しかしこうなると、残りはアレしかないか……?》

《そう考えるのは早計と言えるでしょう》

《クニーガさん!? 解説のクニーガさんが復活です。先ほどとはうってかわってまるで女賢者のような落ち着きぶり。しかし早計とは?》

《ここまでの流れを見て、ジャンルに大いに偏りがあることを再確認すべきでしょう》

《確かに……ユリノワール全然関係ありません! 男子のみ! この学院で開催する意味とは!?》

《ユリノワールの生徒たちが自分の意志で選んだ……そこなのです、今回のカプコンで重要なのは。今、わたしたちは限りなく自由という状態に近い。既存の価値観に囚われない投票も十分に有り得ます》

《今のわたしたちが何を一位に選んだのか、逆にわたしたちだからこそ予測できないということでしょうか……!?》

《そうです。わたしたちは決める側でありつつも、結果によって決められる――自分たちが何者であるかを暴かれる立場になったのです。確かに、わたしの中にも大きな候補が一つあります。しかしすでにランクインしているカプのリバースがないとは言えない。そして真のダークホースの可能性を、わたしは決して捨て去ることができない……!》

《王道なのか……それとも、別の隠された想いが目を覚ますのか……? ついに第一位の発表です!》


「みんなマチカネタゾ~? それではいよいよ、第一位~!」


 ふぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお↑↑↑……!


 ※


 これで第一位が決まる。ここで自分とエルカが一位を取れなければ、このRTAは極めて詰みに近い状態になる。


 いや、RTAだけではない。エルカとカミュの未来もだ。

 再走はできない。走者も、開拓地で失われた命を蘇らせることはできない。それと同じ。


 ルーキは委員長を見た。彼女は天命を待つように静かにうなずいた。

 ロコを見た。何か、目にハートみたいな光を浮かべてこっちを見ているだけだった。

 エルカを見る。彼女はそれまでと変わらず、すっと背筋を伸ばしてその時を待っていた。


 RTA心得一つ。チャートを定め、心を定めよ。

 すでに勝ちまでの過程を見極めたのだから、後はそれに専心するのみ。何かが起こってもガタガタ言うな!


「第一位はああああ~~~~~?」


 おおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ↑!!!


 運命が決まる……!


 十分な溜めを置いて、ローズは朗らかに言った。


「やっぱりこれだね~。第一位は、ルーキ君と、エルカ・アトランディアさん~!」


 瞬間。

 会場の一角から蝶に似た虹色の巨大なはねが広がった。


 ※


《王道! 王道でしたあああああああ! ユリノワールが選んだのは王道をゆく騎士と姫の物語いいいいいいいいッッッ!! そして何だこの虹色の翅はああああああああ!?》

《絶光蝶である!》

《オ・ノーレ!》

《世界オワタ……》


《あっ、収まりました! えー、何でしょうか。何かエルカさんのいるあたりから発生したようにも見えますが……目の錯覚だったようです。それはそれとして、クニーガさん! 第一位はルーキさんとエルカさんでした! やはり来た! 大本命中の大本命! 我々が愛したのは、やはり古き良き価値だったということでしょうか!?》

《いえ。わたしは違う見解をしたいと思います。確かに、ルーキさんとエルカさんは他のカプと比べればこれといって目新しいものはありません。しかし……見てください。選ばれた彼女を。そしてそれを見つめる客席のみんなの様子を!》

《おーっとこれは!? エルカさん、背中に残った小さな絶光蝶を羽ばたかせながら、何事もないようなすまし顔で壇上へと飛んでいくところです! それを、客席の生徒たちが生暖かい目で見送ります! 待ってください、この優しげな顔は一体!?》

《エルカ先輩すっごい喜んでる! 何かあたしもちょっと嬉しくなるわ!》

《先輩の喜びが伝わってくる……》

《つまり、そういうことです。普段は物静かで優雅なエルカさんが、ああまで露骨に喜ぶところを、我々は見たことがありますか? 彼女があそこまで赤裸々になったのはルーキさんが来たその日から。そんな彼女がカップルコンテストで一位を取れないなんて、そんな悲劇を誰が見たいというのでしょうか》

《た、確かにそんな悲劇、誰も望んではいない! それでは……!?》

《誰もが、彼女のあの姿を見たかった。彼女を祝福したかった。その強い意志の元、一票を投じたのです。これは古典だとか当世だとか攻めとか受けとか関係なく、みんなが乙女のハートを守った結果なのです……!》

《何という……何という美しい結末でしょうか!? これがユリノワールの心だったのですね!? 一人の乙女が心から喜ぶ顔が見たい、ただそれだけ! そこに推しの違いなどありゃしねえだろうが! しかし実況席は誰一人として第一位に投票していませーん!》

《何でそういうこと言うの?》

《ああっと、クニーガさんが素で怒った!? 一方壇上では……エルカさんが無事着陸しました。おーっとそこから、今度は突然バスターソードを振り回し始めたぞ!?》

《超究武神覇斬ですね。喜びが抑え切れないのでしょう》

《すっごい嬉しい時に無駄にパンチしたくなるのわかるわ》

《剣の振りクッソ速……やめたらお嬢様》

《終わるまで待ちましょう……。終了です。ではお二人のインタビューです。エルカさんはスピーチの上手さでも知られます。これは必聴ですよ!》


 ※


「繋がった……! チャートが!」


 第一位の結果を客席で聞いたルーキは、全身から絞り出すように息を吐き出した。


 後はエルカが優勝のスピーチをグスタフ・アトランディアに聞かせるだけ。本人がこの会場に来ているかどうかは、ここからでは確認しきれないが、こちらとしてはやるべきことをやるしかない。


 ステージ上のエルカがバスターソードを振り回す横で、ローズがにこにこと手招きしてくる。立ち上がろうとしたルーキに、ふと、すぐ隣で背筋を伸ばして座るリズが声をかけた。


「ここがわたしたちの仕上げです。頑張ってくださいね」

「おう。任せろ」

「“演技”とはいえ、エルカさんのパートナーの“フリ”をしなければいけないわけですから。“お芝居”と悟られないよう、上手に“役”に“なりきって”ください。“ウソ”が苦手ですからね。あなたは……」

「えっ……う、うん……」


 何やら似たような意味の部分を繰り返し強調してくる彼女に違和感はあったものの、うなずいて前を横切る。


「――さん」

「え?」


 不意に呼び止められてルーキは足を止めた。

 そこにはシスター服のミサリがいた。彼女はひどく穏やかな表情と声で、こちらを見つめている。


 奇妙なのは、ミサリが今、こっちのことを何と呼び止めたかだった。名前以外の何かで呼ばれたような気もしたが、よほど理解できないものだったのか、頭が覚えていない。


「しっかりとエルカさんをサポートしてあげてくださいね」


 満ち足りた声がルーキの耳をくすぐった。若い男女が近づくことを特に咎めもしない。彼女の中で何かが変わったのかもしれない。

 うなずいて、壇上へと向かう。


 客席からの弾けるような歓声が押し寄せる中、演舞を終えたエルカが、ステージの中央とも端とも言えない中途半端な位置に立っていた。


「どうした、エルカお嬢さん?」

「ええ。少し足がすくんでしまって」


 冗談めいた口調ではあったが、半分は真実だったのかもしれない。少し上目遣いになりながら、


「みんなの前までエスコートしてくださいますか?」

「ああ。……っつっても、どうすりゃいい?」

「フフッ……わたくしの手を取って横にいてくれればいいですわ」

「それならお安い御用だ」


 ルーキが手を差し出すと、エルカが上から手を重ねるように触れてきた。

 会場からの歓声がため息に変わる中、二人で前へと出る。


「わたくしたち、とうとうここまで来ましたわね」


 客席を見つめながら言うエルカに、ルーキも視線を倣う。


「そうだな。だが、走者は完走するまで油断しない」

「結構ですわ。ここからが本番。わたくしのスピーチを御爺様に……スピーチ……」


 スピーチ……と三度繰り返したエルカがそれきり固まったのを不審に思い、ルーキは彼女の顔を確かめた。

 ドバーッと滝のような汗が流れている。


「お、お嬢さん? どうした……!?」


 ぎょっとしたルーキがたずねると、彼女は震え声で言った。


「ル、ルーキ……。さっきちょっと喜んだ拍子に、す、スピーチの内容……忘れてしまいましたわ……」

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