第121話 ガバ勢とラブ+ガバ
休日になった。
異次元のお嬢様学校通いで疲れ切った体と精神を休める貴重な休息タイムだが、委員長のチャートによると、ここでの努力は平日よりも評価値を多く稼げるらしい。
目に見える努力は人を感動させるが、見えないところで行われた努力の成果は、より驚きをもって人々に受け入れられるものだ。
男子三日会わざれば刮目して見よ、というわけである。
「家で自習なんかするタイプじゃ、まったくないんだが……」
“稼ぎ”と言われれば黙々と取り組むのが走者という生き物だ。普段はチャート作り程度でしか出番のない机にテキスト類を広げる。
不意に、扉がノックされた。
「はい?」
まだ朝の早い時間帯だ。誰かが訪ねてくるとも思えないが――と思って扉を開けたルーキは、意外な人物がそこに立っていることに目を丸くした。
「えへへ……来ちゃった、センパイ」
「サクラ……?」
思わず天井を振り仰ぎ、改めて目の前の制服姿のサクラを見つめながら、ぽつりと言う。
「何で入り口から来てんだ?」
「何でそういうことしか言えないっすかねえ……。それに、天井から後輩に降ってきてほしいフェチとかちょっと特殊な趣味すぎて理解できないっす」
「毎日やってるんですが、それは」
ルーキのぼやきを無視して、サクラはルーキの脇をすり抜けて部屋の中に入ってくる。
「自習結構っすねえ。でも、可愛い後輩がいた方が断然捗るっすよ。はい差し入れ」
「こ、これは……?」
「後輩からのお弁当っすよ~。食べてくださいね、セーンパイ?」
「う、うぐぅ!? わ、わかった。ありがとよ……」
「ほう……。だいぶ効いてるみたいすね。やはり下級生に対して特別な憧れが……」
「やめないか! それより、そんなとこに座って何する気だ?」
無遠慮にベッドに腰掛けた制服少女にルーキは怪訝な目を向ける。
「勉強手伝ってくれるにしても、内容的にはこっちの方が上級生だし、進んでるはずだが……」
すると彼女は片手に持ったテキストをひらひらさせ、
「暗記科目っすよ。こういうのは学年関係ないっすからねえ。忍者は歴史強いっすよ? あと、一人でやるより、一問一答の方が楽しく覚えられるっす。ガバ勢は大事な稼ぎでも“飽きた”とか言って投げ出す人ばっかすからねえ……」
「そ、そんなこと無ゾ。で、でも、せっかくだし頼もうかな……」
ルーキが床に座ると、サクラはニヤニヤ笑いながらこちらを見下ろしてきた。
「それからぁ、正解ごとにご褒美としてセンパイ五段活用のどれかで褒めてあげるっす。センパイ、セーンパイ、センパ~イ、センパイっ、センパイ……ってな感じで。どうすか? 嬉しいっすよね?」
「…………。い、いや、あの、そ、そういうのいいから」
「ちなみに間違ったら、こうっす。センパイ……何やってるんですかまずいですよ!」
「いきなり汚い声出すのは心臓に悪いからやめろ繰り返すいきなり汚い声出すのは心臓に悪いからやめろ」
「完璧な声帯模写に何てことを……」
そんなこんなで変なボーナスも付けられつつ、午前中はサクラとの勉強に費やした。彼女が歴史に強いのは何となく納得だ。何というか、裏からすべてを見ている……そんな気がするのだ。
「……んじゃ、サクラはそろそろ帰るっす」
弁当を食べ終えたサクラは、敵の接近を聞きつけた小動物のようにぴくりと顔を上げると、突然そんなことを言い出した。てっきり午後も居座るものだと思っていたが、午前中だけでもだいぶ捗らせてもらったので、そこは素直に「そうか。ありがとな」と礼を言っておく。
「午後も頑張ってくださいっすね」
そう言って彼女は天井へと消えた。
「帰りはそっちなんだ……」
呆れてつぶやいたルーキが、少し間をおいてから勉強を再開しようとすると、扉がまたノックされた。
「今日は客が多いな。はーい?」
扉を開けると、メイド服のユメミクサが立っていた。
「えぇ……」
「何でしょうか。その反応は。わたしの顔に何か?」
無感情の能面面で問いかけてくる彼女の横には、なぜか制服姿のエルカまでいる。ルーキはすまし顔のユメミクサに頭を下げ、
「な、何ていうか……。お疲れ様……」
「はあ。それはどうも」
彼女がねぎらいの言葉を素直に受け取るのとほぼ同じタイミングで、傍らのエルカが「コホン」とわざとらしい咳払いをした。
「ル、ルーキのことですから、きっと慣れない自宅学習のせいで疲れているでしょう? 休日の午後くらい息抜きしてもいいのではありませんこと?」
「え? ああ、まあ、確かに午前中に勉強はしてたけど……」
ユメミクサをチラ見するが、当然、彼女は素知らぬ顔だ。
「わたくしが勉強に疲れた時にいつも行っている場所がありますの。せっかくだからあなたも一緒にどうかしら? まあ無理にとは言いませんけれど」
さりげなく、かつ、そっけなく言ってふいっと顔を背けてから、チラララララと高速眼球運動でこちらを見てくる。
いつもの強制市中引き回しと何が違うのかわからないが、ここは爆弾岩のことも考えて受けておくのが正解だろう。ユメミクサのもの言いたげな眼差しに、そんなに心配しなくともこれくらいの選択肢でガバらんよ、と目で返すと、ルーキは「わかった。じゃあ行くか」の返事で受けて、外に出ようとした。
「……コホン」
エルカが咳払いした。
「ん?」
「コホンコホン」
「何だ? 今日は埃っぽいのか?」
ユメミクサの肩が嘆息するように微粒子サイズで上下するのと同時に、エルカからの疑うような声が鳴った。
「ルーキ、その格好で行くつもりですの?」
「えっ? いつもの格好だけど……」
「なんて人! わたくしの格好を見て何とも思わないのですか?」
「何で休日なのに制服着てるんですか?」
「それは制服デー……いいからあなたも制服を着て来なさい! 直ちに! はい再走!」
ルーキは部屋に押し戻され、扉まで閉められてしまった。
「一体何なんだ……? 何で正しい返事をしたのに再走させられるんだよ……」
仕方なしに制服に着替え、再スタートすることになる。
普段のそぞろ歩きは下町がメインだが今日は違った。ルーキを引き連れたエルカが向かった先は高級住宅街。下町商店街の騒々しさとは180度異なる、整然としたストリートが真っ直ぐに伸びていた。
高そうな服に身を包んだ人々に混じって、山の手の学校制服を着た若者たちもちらほらいる。何か大きな荷物を持ち歩いているところを見ると、休日も学校で何らかのクラブ活動をしていたのかもしれない。
「なるほどな……。ま、確かにいつもの服じゃ、ここには来にくいな。制服ってのはこういう時に便利かもな」
制服だけはハイソサエティなルーキが合点しながらつぶやくと、なぜかユメミクサから呆れたような眼差しを向けられた。
「あらっ、あれは聖ユリノワールのエルカさんじゃなくて?」
ふと、道の端からそんな声が聞こえた。
目を向ければ、少し年上と思しき女性が二人、カフェのテーブルを挟んでこちらを見ている。
「今日もお綺麗ね……。あら、隣の男性は……」
「同じ制服? えっ、まさか。あの噂は本当だったの?」
「噂って?」
「みんなには内緒よ。今、聖ユリノワール女学院では、エルカお嬢さんを巡って熾烈な争いが繰り広げられているの」
「まあ素敵! ではあれって、制服デートなのではなくて?」
羨望の感情を含んだひそひそ話が周囲から漏れ出てくる。
ブゥーン……。
「ルーキ。お嬢様が阿修羅閃空で行ってしまいましたので早く追いかけてください」
「何でだよ!?」
「色即是空……空即是色」
ブゥーン……。
「あ、戻られたのでもういいです」
「その移動方法はまずいですよ! それ例の一族のやつだろ!? 何で使えるんだよ!」
「聞いた話によると、アトランディア家はバーモント家と遠い血縁関係にまったくないとか全然ないとか……」
「その話いる!?」
「もう、二人とも騒々しいですわよ。さあ、着きましたわ」
振り返ったエルカの先にあるのは、綺麗な公園だった。
広々とした敷地内には、ペンキも剥げてなければ赤錆びも浮いていないぴかぴかの遊具が、ルーキの知らないものまで含めて多数設置されている。
品のよさそうな子供たちが遊ぶそばを通り抜けながら、エルカは柔らかく目を細めた。
「ここに二人で来るのも久しぶりですわね、ルーキ」
「えっ? 俺は初めてだけど?」
「小さい頃はよく一緒に遊んだのに、いつからかしら。お互い距離を取るようになってしまったのは……」
「えっ、えっ?」
「けれどワガママはいけませんわね。あなたの立場を考えれば、いつまでも子供のように無邪気ではいられませんものね……」
「……ハッ!?」
ルーキは気づいた。
公園のベンチから、ユリノワールの制服を着た少女たちがこちらを陶然と見つめている。
「本当は幼馴染なのに、成長と共に主人と従者の立場になってしまった二人……」
「そんな二人が幼い頃を偲んで訪れるこの公園……ああ^~……モッ!」
そしてエルカの金髪はかかと近くまで伸びており、手には獣っぽい槍が握られていた。
「ルーキ……」
不意にエルカが振り返る。手の槍は消え、髪の長さも元に戻った彼女は、どこか気恥ずかしそうに肩をもじもじさせながら言ってきた。
「か、感謝は、してますのよ。本当に約束通り学院に来てくれて、勉強もスポーツも頑張ってくれて……。おかげで、何もかもうまくいってますわ」
「そ、そうか……? 何か、昨日の校庭の様子を見るとそうでもないような気もするんだけど……」
ひょっとしてエルカは、実は、学校で起きてることが何も目に入っていないのだろうか?
そんな不安をユメミクサに目で問いかけるが、返ってくるのは「わたしは何も知りません」とでも言うような淡泊な無表情だけだった。
(まあ、お嬢さんがうまくいってると思ってるなら、それはそれでいいか……)
爆弾処理は今RTAをスムーズにクリアする重要なポイントの一つだ。
「正直言って、こんなにしっかりと学生をしてくれるとは思っていませんでしたの」
再び歩き出しながら彼女は言う。ルーキは苦笑いしつつ、
「仲間に恵まれたよ。ただ、どうにもしっくりこない部分もあってな……」
「あら。それは?」
ルーキは頭を掻きながら、
「うーん、何かこう、いつもよりガバガバというか、集中できてないというか……」
「ル、ルーキもそうでしたの? 実はわたくしも、普段の学校生活よりほんのちょっとだけ落ち着きがないというか、わたくしの本気はこの程度ではないというか……。って、まさか、ルーキがそうなのって……!」
「やっぱ普段の切った張ったとは違うからかな……。危機感みたいなものが足りてないっていうか、どこか緩んでるところが……」
「そ、そんな、ルーキったら……。RTAに身が入らないくらいわたくしのことが気になるなんて……なんて人! け、けれど特別に再走は許しますわ。今回だけは特別に」
「ん? お嬢さん今、何か言った?」
「あらルーキ。今、何かおっしゃいまして?」
『……?』
ルーキはしばらくエルカと見つめ合った後、
「……ま、それはそれとしてだ。結局、全部俺が悪いから言い訳にもならないけど、今後のことも考えてちゃんとRTA環境に適応してくからさ。もうちょっと時間くれよな」
「こ、今後のことまで考えて……ですの!? い、い、いィですゎよ……? じ、時間なんて……慌てる必要はまったくありませんわ……。御爺様も忙しそうですし、もっと時間をかけて、学院に馴染んでいけばいいのです……」
しゅぽしゅぽと蒸気を上げるエルカにこれまでの不手際の許しを得たルーキは、その日の午後を上流住宅地でまったりと過ごした。(流行+15 容姿+15 デリカシー+10)
※
その日の夕刻。
春風に舞う蝶のように上機嫌で屋敷に戻ったエルカは、帰宅直後と思しき祖父のグスタフとエントランスでばったり出会った。
「エルカか。おかえり」
〈法廷の白山羊〉というあだ名の元となった豊かな髭のグスタフは、老人斑が多く浮き出た年相応の顔の中で唯一若者に匹敵する力強い瞳をエルカに向け、言ってくる。
「御爺様! おかえりなさいませ。エルカもただ今戻りましたわ」
恭しく一礼した彼女に、グスタフは石化したような目元の筋肉をわずかに緩ませ、
「最近、機嫌がいいようだな。使用人たちから聞いている」
「ま、まあっ、そんな……」
エルカは思わず頬を押さえた。毎朝彼と共に登校し、同じ教室で過ごす。クラブ活動こそ別々だが、帰り道はまた一緒なのでそれくらいは許してもいい。むしろ、離れている瞬間こそ再会をマチカネル楽しい時間となる……そんな思いを、まさか読み取ってくる相手がいるとは。
完璧に隠しているつもりだったが、長年仕えてきた者たちの目を欺くには不十分だったようだ。反省しつつも、エルカは表情を緩めたまま、祖父の言葉を否定しなかった。
「なるほど……」とグスタフがつぶやくのが聞こえた。
「エルカはカミュという少年を気に入ったか」
「えっ!!!!!????」
エルカは硬直した。すぐ隣で、ユメミクサが緊張したように小さく息を吸ったのがわかった。
「お、御爺様……それは……」
あたふたと言いかけるが、グスタフはそれをただ恥じらっていると見たらしく、
「もう少し時間を置くつもりだったが、おまえが気に入ったのなら、わしもそろそろ直に確かめねばなるまい。近いうちに学院に行かせてもらおう」
「…………!!!!!」
そう告げると、グスタフは老執事に促され、忙しそうに自室に戻っていった。
残されたエルカは青い顔のまま固まっていたが、やがて広いエントランスに叫び声を響かせた。
「ルーキえもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!! 何とかしてくださいましいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
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