第120話 ガバ勢とこずみっくパーティー

 ユリノワール通学六日目。

 今日を乗り切れば明日は初の休日だが、RTAをしにきているルーキにとっては曜日など何の関係もない。


 朝からアトランディア家のノッカーを叩き、エルカを呼び出す。


「ごきげんようルーキ」

「おはよう。なんか最近お嬢さんは特にご機嫌麗しい感じだな?」

「な、何をおっしゃいますの。さ、早く行きましょう」


 つんと澄ました彼女をつれ、ユメミクサの一礼に見送られて学院へ向かう。


 通学途中、ワインレッドの制服の生徒が増えてくると、自然とエルカに向けられる視線も多くなるのはいつものこと。特に下級生たちからはため息交じりの熱視線を向けられており、彼女が学年を代表する生徒であることを改めて認識させられる。


 下町にいるときは本当にポンコツなのだが。


 正門を通ったところで、彼女が突然「きゃっ」と体を揺らがした。


「おっと」


 ルーキは咄嗟に転びそうになった彼女を支える。


「大丈夫か?」

「え、ええ……。ありがとう」


 エルカが短く礼を言うと、周囲で「ああ^~」という感嘆の息が渦巻いた。

 彼女もそれに気づいたのだろう、さっと顔を逸らし、


「も、もう大丈夫ですわ。手をお離しになってくれて結構よ」

「いや待て! どこ行く気だ!?」


 ルーキは手を掴んだまま叫んだ。


 エルカは背中から光の翼を生やし、天に昇って行こうとしていた。


「まあルーキったら困った人……。人前で目立つことはしないようにとあれほど言っておいたのに……」

「(目立ってるのは)おまえじゃい!」


 そうしてエルカはルーキをぶら下げたまま校舎二階の窓から教室に入っていった。



 委員長のチャートによれば、この六日目から要注意女子たちとの偶発的なエンカウントは大きく減少する。本格的に興味が失せるというわけだ。以降は、彼女たちの縄張りで派手なことをしない限り、大手を振って評価値を伸ばしていける。


 午前中の授業を無難に消化(文系+2 理系+2 開拓+20)。


 昼休みは食堂に向かい、委員長、ミサリ、ジェニルファー、ロレッタと昼食を採る(流行+2 容姿+2 デリカシー+2)。さらにロコからの頼みで寮の修理の手伝い(体力+2 性格+5)。


 放課後は自習室でカミュからねっとりと勉強を教えてもらう(文系+5 理系+5 容姿+2 流行+5)。


 このリズムが委員長チャートにおけるスタンダードだ。


 ちなみに、カミュと利用している自習室は最近いつもほぼ満席なのだが、ルーキたちが行くとなぜかちょうどいいスペースが自習室のど真ん中に空いており、そこを利用させてもらっている。


 そして勉強が終わると運動場へ移動。他の生徒たちも同じタイミングで一区切りついたらしく、ぞろぞろと自習室を出ていく風景が常態化していた。


「なんか今日は賑やかだな」

「はあっ、ひいっ……しょ、しょうなのぉ……?」


 ゆっくりジョギングするルーキの隣で、カミュがひいひい言いながら走っている。


 息も絶え絶えなのは相変わらずだが、走るフォームはそれほど乱れていないし、あごも上がっていない。少しずつだが疲れに耐性がついてきたのかもしれない。


 そんな成長を間近で確認しつつ、ルーキは今一度運動場を見回した。


 運動クラブがそれぞれの場所で活動しているのは当然として、トラックの周囲には制服を着たままの生徒たちの姿もやけに多い。


(妙だな……何かイベントでもあるのか?)


 運動場脇で膝を抱えてちょこんと座っているリズを見やる。

 彼女も怪訝そうに周囲を見回しており、それがなおさら予想外の事態を印象付けさせた。チャートは上手く軌道に乗ったはずなのに、何だというのか?


「こういう時にニンジャーがいてくれると理由を調べられそうなんだが……」


 そうつぶやいた時だった。ルーキとカミュのジョギングに、無言のまま一つの影が加わる。そちらを振り向いて驚いた。


「あれっ、ロコ?」


 それは運動服姿のロコだった。


「……何?」と、どこかぶっきらぼうに聞いてくる彼に、「いや、それはこっちの台詞だけど……」という言葉を返したルーキは、そっぽを向くように走り続ける親友がつぶやく次の声を聞いた。


「別に、僕が一緒に走ったっていいでしょ。最近運動してなかったから。それだけ」

「そ、そう? まあ、職人は力仕事はあっても走ったりはしないだろうけど……」


 さらに。


「おい、何をしているルーキ! さてはウォーミングアップだな!? おれも交ぜろ!」


 どこからともなくエイチが校庭に駆け出てきて集団に加わった。


「何でおまえまで来るんだよ!」

「貴様この後に何の運動をするつもりだ!? さてはこっそり三人用のコンドジトレーニングをするつもりだろう! だがそれは遊びにすぎん! 四人以上の試合形式こそが最良であり、また最高の鍛錬になるということを肝に銘じろ!」

「聞けよ!」


 ふと気づけば、周囲の様子がおかしくなっている。生徒たちがトラックのぎりぎりにまで接近しているのだ。まるで何かの鑑賞会のように。


「揃ったわ……ユリノワール・ビッグ・フォーが……!」

「貴び……貴びングですわ」

「けれどこうして見ると、真ん中の人だけオーラがないわね」

「ルーキさんのガバオーラが見えないの? そんなんじゃ甘いわ」

「逆に言うと、ルーキさんは人前では見せないポイントで他の三人を堕としたということではなくて?」

「人前では見せないポイント……!? それってつまり……ゴクリ……!」


 意味不明な会話が聞こえてくるが、それ以上にルーキを驚かせたのは――。


「GO! GO! カミュ! カミュ is GOD!」

「なっ……!? あれは!?」


 華やかで統制の取れた声援が響く。深みのある臙脂色のユニフォームに身を包み、黄色いぽんぽんを一糸乱れぬ動きではためかせるのは、聖ユリノワールが誇るチアガールたちだ。


「がんばれ、がんばれ!」


 その中でも小さい体を精一杯使い、一際懸命にエールを送っているショートカットの少女がルーキの目を引いた。


「あ、あれは確か……いや名前は忘れちまったけど……!」


 チャートに書かれた要注意人物の一人だ。

 しかし本来、彼女たちチアクラブはユリノワールで最も伝統あるクリケットクラブのすぐ横で練習しているはず。


(なぜここに!? まずい。彼女の気を引く評価値はもう満たしちまってる……!)


 慄然とするルーキは、今、自分の足が向かっている先を見てさらに驚愕を強めた。

 トラックのコーナー外縁をなめるように埋め尽くすスケッチブックの群れ。椅子に座って一心不乱に木炭を走らせる少女たちの姿がある。


「び、美術クラブ……!? バカなッ……! 今はコンクールに向けて美術室で製作の真っ最中のはず……!」


 ルーキたちが前を通り過ぎると、全員がスッと双眼鏡を取り出し、遠くまでこちらを目で追ってくる。


 その中にクリーム色の長い髪をした少女が一人。芸術家肌というか、どこか神秘的な雰囲気を纏い、他の誰よりも静かに、しかし他の誰よりも素早く木炭を動かしている。


 彼女もまた近づいてはいけない相手の一人。彼女の場合は特に引きこもり傾向が強く、美術室に行かなければ決して出会うことはなかったはずなのに。


「なぜ出てきたんだ!? 何だってんだ、これは……!?」


 答えをたずねるようにリズを見る。しかし、彼女もまた同じものをルーキに求める視線を送ってきていた。彼女すら状況を把握できていないのだ。


「はぁ、はぁっ……! んん……っ。ルーキ……ちょっと休憩しない? 僕もそろそろ疲れてきたよ……」

「もうやらぁ……らめぇ……ひぬ、ひんじゃうよぉ……」


 気がつけばスタミナのないロコも疲れが見え始めており、カミュに至っては死にかけだ。運動場の雰囲気もおかしいし、このへんで引き上げるべきか――とルーキが考えた直後、柳眉を逆立てたエイチの声が結論をまぜっかえした。


「何だ貴様ら根性のない! そんなことでこの男とコンドジができると思うな! おれが鍛え直してやる! もっと手足を動かせ!」

「わあっ!? ル、ルーキ助けて!」

「ひいんっ! やだあっ、ルーキじゃなきゃ、ひぎぃ、やだあっ」


 エイチに小突き回されて、運動苦手勢が悲鳴を上げ始める。と、同時に。


「……ッッッ!?」


 ルーキは気づいた。


 周囲の女子たちの様子がさらにおかしい。まるで水を打ったように静まり返り、その華やかな容姿を黒一色に塗り固めて、目だけを爛々と光らせている……そんな不気味な印象を抱かせるというのに、一見彼女たちには何の変化も起こっていない。


 それはまるで、彼女たちの内側だけが別の生き物に置き換わってしまったかのようで……。


「何だこれは……何だってんだ!? 委員長ですら理解できてないこの状況……! 俺か!? 俺が何かガバったのか!? どこで!? 何もわかんねえ! だ、誰か……こ、この地にまします我らが父よ! どうか俺にその知恵と力と運を授けたまえ!」


 ※


 群衆が一つの生き物のように鼓動する運動場の様子を、サクラは学院長室から見つめていた。


 数々のトロフィーを収めた棚に左右から圧迫される室内。その圧力がもっとも集中しているように思える執務机は、しかし、一切物怖じしない堂々とした佇まいを室内に放射している。


 それは黒檀製という最高級品質の矜持か、それとも、これを使ってきた歴代の人々の信念と品性が乗り移ったものなのか。何とはなしに机の表面を指先で撫で、薄埃さえ乗っていないことに妙に納得してしまったサクラは、窓際に立つ細い影が静かに笑いながら「始まったわね」とつぶやくのを聞いた。


「ええ、学院長」とうなずいたのは、影から半歩引いて外を眺めるローズ・ティーゲルセイバー。


「十五年前のセカンドコンタクトから沈静化していた事態が、リリリーナの出現からわずか二年でここまで至り、さらにここ数日での激変……。委員会が黙っていませんね」


 と続けた彼女に、権威の象徴たる大きな帽子を頭に載せた聖ユリノワール学院長は、肩を小さく揺すって忍び笑いをもらすと、「老人たちには蛇の抜け殻を渡しておけばいいわ。勘付かれた時には我々はすでに龍へと脱皮している」という酷薄な声を周囲に広げた。


「すべては腐界文書を元に作られたズーレのシナリオ通り、かしら?」


 そう問いかけたのは、窓脇の影に潜むように立つ銀髪の軍医。再び学院長の背中が笑うのを確かめてから、サクラは執務机の上に置かれた薄い本に目を向ける。


 自分が届けたこの『ロコカミに割り込みたい! ~いけないエイチ先生~』を、学院長は手に取りもしなかった。表題を一瞥しただけで何もかもを見通した気配すらあった。


「目を塞いでいた古い価値観を取り去る時なのよ」


 学院長は歌うように言った。


「彼女たちはずっと、古いものに囚われ続けてきた。古い物語、古い音楽、古い絵画……。それらが今も素晴らしいものであり続けているということを、正しく感じ取るための学びをしてきた。確かに、その蓄積は必要よ。けれどね、自分自身がアンティークになっていてはいけないのよ。過去を賛美し、愛でるだけではなく、それらを受けて、新たに生み出す者にならなければ」


 説法じみてきた言葉を聞き流しながら、サクラは再び窓の外を見やる。


 トラックの上には、校内で起きつつある異変の首謀者を知らず、ただ戸惑い続けるガバ勢がいる。――どこで間違った? どこでガバった? コンナハズジャナイノニィ! そんなことを思い悩んでいるに違いないが、ここからどんな合図を送ったところで彼に届くはずもなく、また、そうするつもりもない。


「渡された絵具は自由に混ぜていいの。配合のセオリーを無視して、せっかくの色を台無しにしてしまってもいい。カリギュラとは違うのよ。真に閉ざされた者は、それを想像することさえ封じられている。彼女たちはもっと脳を自由にしなければ。もっと飛躍させなければ……」


 説法を続けていた彼女は、おもむろに大きな帽子を取る。

 ぞわりと、白髪交じりの灰髪から翼が立ち上がった。


「脳に、翼を持たなければならない」


 一対だけなら愛らしい天使の翼にも見えただろうが、羽虫の群れに似て群生する無数のそれは、ただただ異形の装飾として彼女の頭を飾り、見る者を不安に陥れる。


 急に肌寒くなった首元をさすろうとしたサクラの耳に、軍医の言葉が聞こえた。


「一応釘を刺しておくと、その先にスタールッカーはいないわよ」


 学院長はわずかに彼女を向き、微笑んだ。


「あれは飛躍などではなく超越。彼女は翼すら必要としなかった。それゆえに行ってはいけないところまで飛び出てしまった。わたしたちはそこまでは望まない。もっと人間的な視野が持てればそれでいいの」

「人間的ね……」


 軍医が学院長の頭部に目を向け、否定的に笑った時だった。


「失礼します、学院長? どうしたのですか? 扉が開いていますけど……」


 扉のところから声がした。高等部二年二組の副担任をしているセシルが不思議そうに室内をのぞき込んでくる。


 そして「ひっ!?」と硬直した。彼女の視線の先には、学院長と、その頭部の翼がある。


 ざわり、翼が一斉に揺れた。


「見ぃぃぃたぁぁぁぁなあああ……」


 悪鬼のような顔で振り返りながら吐き落とされた声に、セシルは「ぴぎゃああああ!」と悲鳴を上げて倒れた。……いや、倒れる直前、気絶した彼女をローズが抱き留めた。


「あら~、間一髪セ~フ~」

「あらら、やりすぎてしまいましたね。てへぺろ!」

「学院長、やめたらそういうの。その子真面目なんだから、目が覚めたら、重大な秘密を知ってしまったって真剣に悩むわよ」

「大丈夫よ。翼は隠しておくし、疑われないよう帽子も取っておくわ。夢でも見たと思うでしょう」


 ソファーの上に運ばれ、ローズに膝枕されるセシルを見ながら、学院長は直前の表情などウソのように朗らかに微笑んだ。サクラはひそかに嘆息し、


(まったくこのBBAたちは……)


「あら? 忍者さん、今何か考えたかしら? 言いたいことがあったらおっしゃって。あなた方とわたしの仲ですもの」

「……いえ、こちらからは何も。ところで、学校内偵の報告はしたし、ブツも届けたことですし、そろそろ帰っていいっすかね」

「あら。これからみんなでこのウ=ス異本の鑑賞会をしようと思っていたのだけれど。想像力が豊かになったのはいいとして、闇同人の後輩たちがどれくらい腕を上げたのかじっくり吟味しなきゃ。あなたもどう?」

「あー……自分、そういうのノーマルなんで」

「あら~。そういう子ほど~堕ちた時にいい顔するのよ~。その弱みにつけ込んで~ぐへへ~する薄い本きぼんぬ~」

「やめなさいってあなたたち……。忍者さん、ご苦労様。これ以上この人たちに付き合わなくていいわよ」


 頭痛をこらえるように言った軍医の台詞を言質に、サクラはさっさと天井裏に逃げ込んだ。


 学院内部の教育改革だか権力闘争だか知らないが、首謀者は裏でほくそえむばかりで忙しくなるのは宮仕えの下っ端ばかり。


 おまけにRTAの真っ最中に……と愚痴るほど初心でもなく、サクラは学院長がこのタイミングをずっと待っていたことを知っている。


 すべての材料が揃うこの稀有な瞬間、この、己の尻尾をくわえて卵を囲う大蛇は、静かに、子供たちが眠る殻をつつき始めた。


 学院長にローズ・ティーゲルセイバー、おまけにRTA研究所の軍医まで絡んだ大異変だ。RTAをただ完走しようとしていた人々は、この地殻変動に右往左往するしかない。チャートを張れるブレインがいいんちょさん一人では、実質的な上位互換であるローズの動きを見抜くことさえできないだろう。いわんや、あのガバ兄さんをや。


 自分はどうなる? と束の間考えたサクラは、高みの見物と右往左往サイドの両方に片足ずつ突っ込んだ我が身の不安定さを意識せずにわらっていた。


 陰謀に立ち向かうには分が悪すぎ、かといって弱者側を完全に切り捨てるのも後味が悪すぎる。両方の悪い所を押し付けられた気しかせず、結局は貧乏くじだ。


 そろそろ特別手当が三倍は出ないと、ケイブ警部補の顔面を問答無用でぶん殴りそうだ。こういう時こそ、あの人をからかって鬱憤を少しでも晴らすべきだろう。


 そんなことを考えつつ、サクラは次のスケジュールへと意識を向け直した。

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