第119話 ガバ勢とロコカミ

「んじゃ、ここの数式が解ける人は? んー、そこの男子君。どう?」

「はい。答えは33・4です」

「おっ。しっかり勉強してきてるじゃないか。ナカナカヤルジャナイ」

(しゃあっ)


 クラスメイトからも感心の眼差しを受けつつ着席したルーキは、胸中でこっそりガッツポーズを取った。


 ユリノワール通学は、早くも五日目に入っていた。


 危機的イベント多すぎな初日、敵であるはずのカミュと同盟を結んだ激動の二日目をすぎ、委員長の凍てつく波動によるルーキの行動管理もあって三日目四日目は徐々に周囲の熱気もトーンダウン。本日五日目で、カミュとの勉強の成果が出始め、授業中の基本的な設問にも答えられるようになっていた。(理系+10)


 それもこれも、学校の勉強についてよく理解しているカミュのアドバイスあってこそだ。

 教師が生徒に、何を身に着けてほしがっているか。そして教科書も、生徒に何を求めているか。彼にはそれがよく見えている。


 もっとも、ユリノワールは、身に着けたものを使ってさらなる難問を解かせるところまでやるので、そこはまだ手付かずではあるが……。


 ※


 昼休み。

 普段はまったく使われておらず、学校の怪談の温床にもなっている男子トイレから出てきたルーキは、突然背後に張りついた薄い気配にふと眉根を寄せた。


「調子よさそうっすねえ……」


 サクラの声だった。


「おかげさんでな」と、振り返りもせずに返事しつつ、ロコとの用事を済ませるために学生寮へと足を向ける。


「ようやく委員長のチャートに戻れた感じだ。それに、自分の今の評価値とかエルカお嬢さんの爆弾の状況とかもサクラが逐一教えてくれるから、すげえ助かってる。ありがとな」


 気配の体温がわずかに上がるような感覚があったが、すぐに冷静な声が返ってくる。


「それなんすけど、ちょっと上手くいきすぎてないっすかねぇ?」

「何?」

「初日と二日目……あれだけ大騒ぎをしたのに、三日目と四日目、潮が引くように熱が冷めていったのが奇妙っす」

「飽きたんじゃないのか?」

「まさか。センパイは珍獣っすよ? しかもよく動く」

「ち……んんっ(咳払い)! ええと、サクラからは探れないのか?」

「ん? 今、何の数が足りないって言おうとしたっすか?」

「何も言おうとしてない! で! どうなんですかねえ!?」


 強く問いかけると、サクラはやや申し訳なさそうな空気を漂わせ、


「こっちもちょっと別件の割り込みがありましてね。センパイ周辺を調べるので手一杯なんすよ……。まあ、具体的に怪しい箇所があるなら、ピンポイントで調べるくらいはできると思うっすが……」

「……そうか。色々やってもらって申し訳ないけど、その時は頼む」

「はいっす」


 花の匂いが濃くなったと思ったら、気配は消えていた。

 エルカの近辺警護にRTAの情報収集、それに別件も加わったというのなら目を回す多忙さだ。さらに、彼女には学生としての顔もある。さっきはああ言ったが、こちらから調査のリクエストを追加するのは気が引けた。


 この状況の変化は、自分で調べないといけないか――そう思った時だ。


「ね、ね。どう思います?」

「ユリノワール大三角形……。ルキロコなのか……ルキカミなのか……それが問題ですわね」

(何だ?)


 寮へと続く小路の脇にあるベンチから、ひそひそと話し合う声が聞こえてくる。

 こっそり近づけば、数人の生徒たちがわずかに赤い顔を寄せ合って何やら密談をしていた。


「ルキロコなんて昔の話よ。最近のロコ様の様子をまだご覧になってないの? ジャケットは腰に巻いて、腕まくりをして、ネクタイも緩めて、とってもワイルドなんだから」

「へえっ、意外……」

「可愛い振りしてあの方わりとやるものですわね……。ということはロコルキも十分あり得ると……」

(何だ? ロコロコとかルキコロ様とか……)


 謎の単語の意味はわからないが、彼女のたちの話題にあるロコのスタイルの変化は最近のことだ。

 何しろ現場作業が増えたので、どんどんラフな職人スタイルに近づいてきている。もっとも、ルーキからすればそれが本来の彼の姿だが。


「ふっふっふ……。甘いわね皆様。ロコルキとかルキカミとか……」


 謎の会合に新たな参入者があった。


「何ですって?」

「戦争でもしに来たのかしら?」


「ふふ……。まあそうおっしゃらないで。あなた方が話しているのはいわゆる公式。呼び名の順序を入れ替えたところで、そんなもの単なるバリエーションに過ぎないのよ。我々の自由な想像力は、新たなカプを創造するべき段階にある……!」

「な、何ィ!?」

「何なのそれは!?」


 何やら盛り上がった、その時だった。


「あのっ……! 超時空要塞ルーキさんですよね?」

「ほぼ違うけど!?」


 背後から声をかけられ、ルーキは慌てて振り返った。その声を聞かれたか、


「なにやつ!?」

「きゃあ本人ですわ!」

「聞かれましたわ! ずらかりますわよ!」


 ベンチに集まっていた少女たちが下っ端みたいな捨て台詞を残して逃げていく音を背中で受けつつ、ルーキは呼びかけてきた相手を注視する。


 黒縁ぐるぐる眼鏡をかけた、ひょろりとした少女だった。ところどころが寝ぐせのように跳ねた長い黒髪のせいか、全体的に光を吸い取って薄暗く見える。


「なんとか要塞じゃなくて、俺は普通のルーキだ。そっちは?」と問い返すと、

「わ、わたし、一組のクニーガ・ビブリオーンですっ。こ、こ、これ、読んでください。二晩で仕上げましたっ!」


 と言って手紙――ではなく、大きな封筒を押し付けた彼女は、「ご、ごきげんよう!」の一言を残し、危なっかしい走りで逃げていってしまった。


「仕上げた……?」


 ずしりと重い封筒に何か質量以上のものが加わっているような気分を味わいつつ、ふと彼女が名乗った名前に引っかかるものを感じてチャート表を取り出す。


「クニーガ・ビブリオーン……! あ、あった!」


 委員長がピックアップした要注意人物の一人。

 しかし、これは……!?


「図書委員会所属……。活動範囲は、第一から第三図書館。自宅通いだから、寮付近には一切出没しない……だと? ちょっと待て、じゃあ何でここに!?」


 彼女から受け取った封筒の中身を確認する。


「原稿用紙だと……?」


 読んでみる。


「だめだよるーきもうすぐじゅぎょうがはじまっちゃうとろこはいったのだがるーきはごういんに……何だこの怪文書!?」


 ぎょっとしてぺらぺら用紙をめくってみるが、あらゆるページが改行なしにびっしり書き込まれている。

 その圧迫感からは、余白を節約したいという気持ちより、改行する間すら惜しんで脳から滲み出る情景をキャッチし、出力し続けたとでもいうような執念を感じた。


 二晩で仕上げたというのは、この文章量を書ききったということか。

 何か極めて異端的なオーラが、紙束から立ち上っている気がした。


「…………」


 ルーキは無言のまま原稿用紙を封筒にしまった。


 この怪文書はおいておくとして、今気にするべきはクニーガの謎だ。

 図書室がテリトリーの彼女が、なぜここにまで出没したのか。委員長のチャートが絶対とは言わないが、勇者の血を引く彼女の観察眼は「予知」にすら近いということを、ルーキは身をもって知っている。だとすると……。


「テリトリーが変化しているのか……? だとしたら、なぜ……?」


 困惑と共につぶやいたルーキの耳に、「おーい、こっちこっちー」という声が当たった。


 顔を振り向ければ、寮の入り口で女子二名と並んで手を振るロコの姿がある。

 とりあえず、今は当初の目的を果たすのが先か。学校内でのこちらの評判は、エルカお嬢さんの導火線の長さに直に影響する。


「きょ、今日はお願いします」

「お二人に会えて光栄ですっ」


 寮生二人は目の奥に花の――特にバラの花の形に似た光をぎらつかせながら、ルーキとロコを自室に案内した。


 ベッドの足がぐらついていたのと、扉の立て付けが少し悪くなっていただけだ。

 ロコは、ぱぱぱっと修理してしまった。


「今回は出番なかったな」


 ルーキのつぶやきにロコが「そうだね」と相槌を打つと、


「そ、そんなことありません! 二人はいつも一緒でないと!」

「そうっ! 目が幸せ!」


 ゴオォォ……と女子たちが色めき立ち、ロコを「ひっ」と驚かせた。


 そんなやりとりを聞きつつ、ルーキは修理のために移動させた家具を戻そうとして、ふと、ぼろぼろのウサギのぬいぐるみに目を止めた。


「これ、だいぶ年季が入ってるな」

「あっ、それは……」


 女の子の一人がルーキの手からそれを持ち上げた。彼女はそれを胸に抱きつつ、


「こ、これがないと眠れないんです。小さい頃からずっと一緒で……」

「見てください。昔の噛み跡とか残ってるんですよ」


 もう一人がくすくす笑いながら、糸で修繕された傷口を指さす。「やめてよっ」と顔を赤くしてルームメイトに文句を言う少女をなだめようと、ルーキは気楽な声で、


「そういや、ロコにも噛み癖あったよな」

「は!?」


 ロコが赤面しながら素っ頓狂な声を上げた。


「ほら、訓練学校の初めの頃そうだったろ。朝、寝ぼけて俺に噛みついてきたりしてたじゃん。甘噛みだったけど」

「したけど! 何で今そういうこと言うの!?」

「へ?」

『………………』


 ルーキは気づいた。

 さっきまで言い合っていた女子二人から表情が消えている――と思いきや、口元だけがニタリと笑みの形になる。


「甘噛み……ロコ様がルーキ様に噛み跡……ロコ噛み……。ロコ……カミ……。ロコカミ……?」

「ロコカミ……? ロコカミ……! ロコ、カミュ! そんなことが!? いいえ……これが……脳に翼を生やすということ……! 公式ではないからこそ無制限に論理を展開し……メタ領域であらゆる活動が……たとえ公式が何かの結論を出しても……脳の翼はあらゆる制約を無視して自由な世界を羽ばたき続ける……フヒヒッ!」


「何か言ってる!」

「ルーキが悪いんだよ! じゃ、じゃあ作業は終わったから帰るね! いこうルーキ!」


 ロコに腕を取られ、ルーキは寮から逃げ出した。


 小走りに廊下を進みながら、ルーキは、さっきの部屋から何か色のない靄が廊下へと這い出して来るのを見た気がした。


 それはやがて隣の部屋へ、また隣の部屋へと忍び込んでいき、やがてルーキたちが出口へと至った時、寮全体を呑み込んだ。


 そして……それから……。


 ……何も起こらなかった。


 直前と直後で何も変わらず。何も動かず。

 寮は静かに、その上品な佇まいを維持し続けた……。

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