第117話 ガバ勢とトゥルー・カミュ・ストーリー
「手っ取り早い話さ」
こちらを心配するエルカに、ルーキは薄く笑って告げた。
「男が男を呼び出す理由は一つしかない。こりゃ、相手は単なるお坊ちゃんじゃないな」
屋敷に来る前に花屋で花を買っていくよう助言してくれたのは天井裏のサクラ。それが功を奏したかエルカは朝から機嫌がよく、次に起こった決闘状めいたこの手紙の到来は、物事がスムーズに進んでいることをルーキに予感させた。
何事も直接対決が一番早い。
午前中の授業を、委員長のチャートに従い極力静かに過ごし、昼休みにそっと教室を抜け出す。
学院を取り巻く花の香を押しのけ、肌にまとわりつくわずかな緊張感が懐かしい。
RTA訓練学校はその性質上、粗暴な連中が多い。ケンカは日常茶飯事。そして、たとえかなわないとわかっていても、踏みつけられてじっと耐えているだけの人間は決して多くない。その時の気持ちを思い出す。
果たして、こんな上品な学院でそんなことが起こるかどうかは別として、だ。
御殿のような体育館を裏回ると、周囲からの視線を遮る日陰特有の湿めっぽさが肌に重なってくる。
――一人の男が、いた。
こちらに対して斜に構えるように立つ彼は、背はすらりと高く、煌びやかな長い金髪を襟足で結んだ、上品な男だった。
目は切れ長、鼻筋はすっきりとして、顔の造作は彫刻めいた整いを見せている。
浮かぶ微笑は不敵であると同時に、すでに何かを掴んだ男の自信をも漂わせていた。親から与えらえたものではなく、己で掴んだ何かを。
第一印象は、手強い、それに尽きた。
「君がルーキかい?」
エルカの婚約者となる男は、体をわずかにこちらに向け、聞いてきた。
その動作一つ一つに、丹念に染み込まされた品の良さが見て取れる。それでいて柔弱さはない。少なくとも、メンタルに関しては。
「そうだ。そっちは、カミュ・ロキシナ・スパダだな?」
ルーキが答えて問い返すと、彼は「フッ」と風雅に笑い、
「おーい、カミュ君。ルーキ君という人が来たよ」
「え?」
意外な言葉を、そばに生えた一本の木に投げかけた。
そこには――。
「やっ、やあ……。は、初めまして……」
木の陰から恐々と顔を出す、小さな少年の姿があった。
「じゃあ、用事も済んだからぼくはこれで」
「あっ、うん。突然頼んで悪かったね。どうもありがとう……」
手強そうな男は振り返りもせず、去っていった。
「………………」
ルーキはしばし呆然としてから、改めて木の陰から現れた人物を見やる。
小さい。リズやサクラに匹敵するほど小柄だ。男子用制服サイズの下限を下回ってしまったのか、指先がジャケットの袖口からかろうじてはみ出るレベル。
紫がかった暗い色の髪までサイズ違いということはないだろうが、長く伸びて片目を隠しがちにしている。それが余計に彼を気弱に見せた。
その幼い顔立ちは性別を未分化の段階にとどめており、怖いくらいに整った形もあって、少年よりは少女に近い印象だった。
「カミュ……ロキシナ・スパダ……か?」
「うっ、うん……。ボクがそうだ」
カミュはおずおずとうなずいた。
「さっきのヤツは?」
「彼はたまたまそのへんにいた一般通過ユリノワール男子コスプレイヤーだ。もう出てこないだろう」
「……何でここに?」
「そ、それは、君が怖そうな人だったら困るから……。ひ、一人で来いと言っておきながらこちらが二人だった不誠実は詫びよう。すまない」
「ああ、うん……それはいいんだけどよ……」
ルーキはやはり信じがたく、再度カミュを見つめた。
どれだけ目を凝らしても、何の力も感じられない。
凝視されることに慣れていないのか、うつむきがちにじっと耐えるようなカミュを、外見だけで判断しようとは思わない。
リズだってサクラだって、それ以外の強靭な走者にしても、華奢な人物は多い。そうした人々をたくさん見てきた。
だからこそわかる。カミュが、見た目通りの少年であることを。
さっきの一般通過レイヤーの方がはるかに強者感があった。
「それで、俺に何の用だ?」
「ヒッ……お、怒ってるのかい? 怒ってるよね……? 急に呼び出したりなんかして……」
ビクゥと身を縮こまらせたカミュに、ルーキは何だか悪いことをした気分になりつつ、
「い、いや、怒ってるわけじゃない。こんなんで怒るかよ。ただ、思ってたのと用向きが違うっぽかったから……」
ど派手な宣戦布告、あるいは単刀直入のリアルファイトまで視野に入れていたルーキだが、この相手にそれはどう考えても、ない。
カミュはためらうように胸の前で手をもじもじさせた後、こう切り出した。
「ボクがエルカ・アトランディアさんの婚約者になるかもしれないって話は知っているね?」
「ああ。そっちは、俺がそれを阻止するために入学したって話も知ってそうだな。手紙をくれたってことは、そういうことだろ?」
カミュはうなずき、
「仄聞させてもらったからね。ここに呼び出したのはもちろんその件でだ」
彼は何度かためらった後、息を吸って言った。
「君と同盟を結びたい」
「えっ、同盟……?」
ルーキは目を見張った。
「うん。ボクだって今回の話は突然だった。そして、はっきり言おう。困っているんだ。こんな大事なことをおじいちゃんにいきなり決められて」
「なに……?」
カミュはふっくらとした頬を赤くし、ルーキをキッと見据えてきた。
「こんなボクにだって……気になる人はいる……! 好きでもない人と突然くっつけられたら、困る!」
「…………! おお……!」
勇敢とも評せる眼差しに、ルーキは思わず感嘆の声を上げていた。
「つまり、俺たちの計画に参加してくれるってことか?」
「そうとも! 話が早くて助かるよ。さすがはエルカさんが盾として選んだ人だ」
カミュも花がふわっと開くような微笑みを浮かべる。心なしか、周囲に小さな光の粒が舞い散っているようでもある。
ルーキはほっと胸を撫で下ろし、
「そうかぁ、助かったぜ……! 正直、運動と開拓地のことはまだしも、普通の勉強に関してはさっぱりちゃんだったからな。そっちが協力してくれるってんなら、このRTA何とかなりそうだ」
するとカミュは「あっ」とうめいて顔をしかめ、言い出しにくそうに返してきた。
「ル、ルーキ……。あっ、ルーキと呼んでいいかい?」
「? もちろんいいけど」
「同盟は結びたいけれど……出来レースには、できない。ボクは手加減できない」
「なに?」
カミュは袖に埋もれた両手を胸のあたりに押し付け、ぞいの構えを取ると、
「言っただろう? ボクにも気になる人がいると。ボクはその人の前で、無様な姿は晒せないんだ。だからわざと悪い成績を取ることは……できない」
「……!」
「す、すまない。ボクのワガママだ……。けれど、これだけは……。あの人をがっかりさせることだけは……したくないんだ。ただの一度だって……」
うなだれるカミュに対し、ルーキは「いや」と笑った。
「それは男の子なら当然のことだぜ。カミュ」
「ル、ルーキ……!?」
「俺も甘えが過ぎた。こんなんじゃ、あの人に合わせる顔がない」
頭を掻きながら自省すると、カミュは少し前のめりになり、
「ルーキにもいるのかい? カッコつけたい相手が」
「ああ。いるよ。絶対に無様なところを見せられない人が」
少年の顔が再びぱあっと華やいだ。
「そっ、そうか! やはりそうだよな! 男としていいところを見せたいよな!」
「まったくだ。たとえそれが、やせ我慢でもさ」
「そうだよ! その通りだよルーキ! ああ、そうか、君もそうだったか!」
ルーキが同意すると、カミュは小躍りするように身を震わせる。
「そういうわけだから、ルーキには実力でボクに勝ってもらうしかない。自分で言うのも何だけど、結構大変だと思う。ボクは運動はダメだけど勉強だけは得意だから……」
「そうなのか。反対に俺は、勉強が全然なんだよ……」
「だ、だったら、ボクに手伝わせてくれ。これでも、イトコの家庭教師を何度もやって、人に教えるコツは掴んでいるつもりだ」
カミュの申し出にルーキは目を丸くし、
「マジかよ!? じゃあ、代わりに運動に関しては俺が協力するぜ。とにかく体を動かしてれば上達していくからな」
「えっ、本当かい!? いいのかい? そんな敵に塩を送るような真似をして……」
「いいところ見せたいんだろ? その人に。やっぱできなかったことができるようになるってのは……成長だと思うからさ」
「……ッ! 君って人は……!」
小さな少年は感極まったように言葉を詰まらせた。
「それに、そんなすぐに俺を追い越す気でいるのか? 俺だってガバ勢だけど走者だぜ。そう簡単には負けないよ」
「あっ、そっかぁ。あはははっ!」
「へへ……」
カミュにつられて笑ったルーキは、彼に近づいて同盟の証――握手をしようとした。
気配で何となく察したのだろう。カミュも、木を背にしたまま、右手の袖を少し持ち上げようとする。
と。
「うお!?」
人のつま先を引っかけるためだけに生まれてきたような草に、ルーキは見事に足をとられた。つんのめってカミュの方へと倒れ込みそうになる。
「えっ、ル、ルー――!」
どん、と特に何の伝説もないただの木に手を突き、かろうじて激突を防ぐ。
「あっぶな! 悪い。大丈夫かカミュ――」
限界まで背中を木に押し付けていたカミュは、驚きのあまり目に涙を溜めてルーキを見上げたまま固まっていたが、やがてずるずるとその場に座り込んでしまった。
「お、おーいカミュ?」
完全に放心状態らしく、倒れかけたルーキが慌てて支えようとすると、
パキッ、と小さな音が、離れた場所から聞こえた。
「ん?」
そこには。
『………………ッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
手の中で鉛筆をへし折った、リリリーナの二人がいた。
二人はスケッチブックを持っており、彼女たちがしゃがみ込んだそばに珍しい形の花が一本だけ咲いている。その写生をしていたようだが、顔は完全にこちらを向いており――。
「キターーーーーーーーーーーーーーー!」
「シャアーーーーーーーーーーーーーー!」
「あっ、こら……」
ルーキは二人を押さえようとしたがダメだった。
リリリーナは猛然とスケッチブックに何かを描き込みながら走り去っていった。
「しまった。逃がしたか……。カミュとの同盟はバレたかな、こりゃ……」
しかし、こちらは裏取引をしたけではない。ただ堂々と競おうという約束を交わしたにすぎない。何も後ろめたいことがないという点で、カミュの提案は限りなくベストに近かったのかもしれない。
「カミュは……目を覚ましそうもないな。保健室まで背負っていくか……」
この気の小ささもできれば改善してやりたいな、とルーキはお節介なことを思った。
思っている余裕があった。この時は、まだ。
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