第113話 ガバ勢とコンドジ魔王再び
「というわけで、今日からしばらくの間、体育はドッジボールをしてもらう。ドッジボールの経験者は?」
箱詰めにされた「銘菓ピヨコ」のように綺麗に整列して座る生徒たちの中で、手を挙げたのはルーキとリズだけだった。
「うちでは全然やらないスポーツだから~。だから特別講師に来てもらったのよ~」
ローズが朗らかに笑いながら言う。
「そうか。だがルールは簡単だ。相手にボールをぶつける。ぶつけられたらコートの外に出る。外からボールを敵に当てられたら復活できる。そうして相手チームを全滅させれば勝ちだ」
「まあ怖いわ」
「痛そう……」
エイチの説明に、女子たちから不安の声が持ち上がる。それを聞いた彼は、
「ふん……。こんなもの赤子の知育にもならんお遊戯だ。危険などどこにもない。だが、おれが教える以上、投球フォームとキャッチぐらいは基礎を押さえてもらおう。よしルーキ! 前に出ろ! おれと模範演技だ!」
ものすごく嬉しそうにこちらを指名してきたエイチと距離を置いて向き合う。
「フッ……。まさか、こんなところでおまえと会えるとはな。運命の悪戯はコートの外でもよく働くらしい」
「……コンドジの魔王だったおまえが、どういう風の吹き回しだ?」
ルーキがたずねると、エイチは整った顔立ちに苦渋を滲ませ遠くを見る。
「再攻撃のための軍資金を集めていたところに、バイトの話が流れてきてな。正直、ドッジボールなどコンドジからあらゆる魅力を削ぎ落した出涸らしのカスでしかないが、背に腹は代えられん。もしかすると、ここから新たなコンドジファイターが生まれるかもしれんしな」
「すげー地道な話だな……」
魔王がこの様子なら、あの開拓地はしばらく安泰だろう。
「だが! おれはあの時から……コートの上でおまえと身も心も一つに溶けあったあの瞬間から! 再び会うことを願わなかった日は一日たりともない!」
「エッッッッ!」
即座にお嬢様方に電流走る。
「ど、どういうことでしょう?」
「まさかあの二人はそういう……?」
「やったわ。発言者、闘球体育教師。投稿時間……」
沸き起こる私語の内容に戦慄し、ルーキは慌てて言い返した。
「変な言い方はよせ! 要はコンバットドッジボールの試合で必殺シュートを撃ちあったってだけだろ!」
「だからそう言っただろうが!」
「言ってねえけど!?」
エイチは長い前髪をすっと払い、「フッ」と笑った。女子たちから思わず「キャッ」という黄色い悲鳴が上がるほどのイケメンポーズだが、
「こんな話はどうでもいいのだ。今! ここで! おれとの辻バトルを受けてもらうぞルーキ!」
中身はやっぱり純度100パーセントのコンドジバカだ。
その態度を見かねたローズからも苦情が入る。
「あら~? エイチ先生、そういうのは困るわ~」
「フンッ、ファイターでもないヤツは黙っていろ! これは戦士同士の神聖な――」
「はい?」
「えっ……」
ローズの表情には何の変化もなかった。しかし、何かが変わった。十代のおねーさんにしか見えないローズの顔の皮膚の下で、凶暴な怪物が薄目を開いたかのように。
「エ、エイチ。あの人は委員長のカッチャマだ。ちゃんと授業をやるんだッ」
ルーキが慌てて撤回を促すと、エイチも顔を青くして、
「な……!? あ、あの冷血女の母親だと!? あいつは人から生まれた存在だったのか!?」
「は?」
ゴォォ……。
行儀よく体育座りしているリズからも尖った眼差しを向けられ、エイチは完全に凍りついた。自分がいかに凄惨に“処刑”されたか、忘れられるはずもないだろう。
「わ、わかった。おれもバカではない。こんなところでは死ねない。と、とりあえず、キャッチボールはするぞ、ルーキ。素人の前だからと言って手を抜くなよ」
「お、おう。そういうとこはちゃんとしてんのな」
二つの凍れる炎に見つめられながらルーキとエイチはボールを投げ合った。
久しぶりに見たが、やはり美しいフォームだった。一切力を込めずとも、そのフォーム自体がエネルギーを生み出しているのがわかる。
女子たちからも、いつしかため息が漏れ始めていた。
ダンスに詳しくない者でも、均整の取れたプロポーションとその洗練された一挙手一投足の美しさは自然とわかる。
それと同様に、エイチの動きは実戦的でありながらある種の芸術の域に達していた。
筋肉の一筋に至るまで無駄のないフォームに、それを追う長い髪。放たれたボールが描く水平線にすら、少女たちは魅了されていく。
(あっ、これは……)
悪くない傾向だとルーキは思った。さっきの各方面に危険な騒動は、エイチのおかげですでに忘れられつつある。
このままいけば、果てしなく脱線したチャートの軌道を修正できるかもしれない。
(それはそれとして……)
と、エイチのフォームを正面から見ながら、ルーキはあることを思い出した。
先日の〈ランペイジ〉のラスト、ソーラとの決戦。
かりうを投げつけたあの時も、体にほとんど力が入らなかった。それでも一応あれだけの遠投ができたのは、コンドジの経験、果ては、エイチとの深夜の特訓があったからかもしれない。
「おい。何をニヤニヤしている?」
エイチが怪訝そうに聞いてくる。
「いや……。何事も経験だと思ってさ」
「フン。そうだな。おれも鬱屈した日々のおかげで、かつて失ったものの尊さを知ることができた。もっともこれは、おまえが、おれに、取り戻させてくれたからこそ言えることだがな。そうでなければ、おれは今も腐り続けていた。――よし、もういいだろう。シュートとキャッチはこんなものだ。腕と肩ではなく全身で投げ、受ける時は腕ではなく胸と腹を使え。これさえ覚えておけば、ケガをすることはまずない。あと顔は狙うなよ」
『はーい』
お嬢様たちから明るい返事が届く。
「最後に、これは体育とは関係ないが、ドッジボールの……いや、コンバットドッジボールの神髄を見せておく。ここまでやれとは言わないが、おまえたちが使うこのボールがどんな可能性を秘めているか、知っておくといい」
エイチが、ザッと足を肩幅に開いた。
「一球ずつだ。ルーキ。ここの娘たちにドッジボールの真の形を見せつける」
「えっ、ちょ、ちょっと待てエイチ。俺はコンドジの練習とか全然……」
「言い訳はボールから聞く。安心しろ。こんな緩んだ環境では必殺シュートの威力もたかが知れている。魂で放つものだからな。――では、おれから行くぞ!」
振りかぶり、踏み込み、引き絞った全身の筋肉を一気に解き放つ。
空間を押しのけるようにして振り下ろされた長い腕から、極光を帯びたボールが一直線にルーキの体のど真ん中へと迫った。
絶好のキャッチコース。相手を倒すためではなく、ただ届けるためのシュート。
「ぐううっ!」
捕る、というよりも、ただ飛び込んできた相手を抱き留めるようにして、ルーキはそれを受け止めた。運動靴の摩擦力が負け、数メートル後ろに押し出されながらも、ボールは離さない。
真っ直ぐ。あまりにも純粋で雑念のない、強い球だった。これが、今のエイチの気持ちなのだろう。
生徒たちからどよめきが起こった。
「い、っつう……! じゃあ今度は俺からだ。いくぞ!」
「来いルーキ!」
ルーキも渾身の力で投げ返す。狙いは相手のど真ん中。取りにくい球はいらない。相手に勝ちたいという気持ちを伝えるための一投。
バシッ! と空気が震える音がして、エイチはそれをキャッチした。
ルーキと違い、一歩たりともその場から動かない、どっしりとした捕球だった。
「フン……。シュートフォーム、タイミング……確かに以前から何も成長していない。練習していないというのは本当のようだな」
エイチはボールを掻き抱いたまま、笑うように言った。
「だが……想いの総量は増えている。貴様のこれまでの経験や感情が、必殺シュートにさらなる重みを与えているのだ。フンッ、どうやら心はちゃんと磨いていたようだな……!」
「RTAの腕もな」
ルーキもニヤリと笑った。
「は~い。みんな、二人に拍手~」
ローズが明るい声で促すと、それまで静まり返っていた生徒たちから、割れるような拍手が沸き起こった。
彼女たちが見たのは、単なる球技のデモンストレーションではない。二人の男が、言葉よりも混じりけのないもので語り合った。そういうものだった。
一方、エルカはドヤオーラによってとうとう空中浮遊していた。
※
体育の授業が終わってすぐ後。拠点としている空き教室で、ルーキとリズは肩を並べて、サクラから届けられていた密書を見つめていた。
紙面にはこうある。
運動+55
根性+60
「……あ、あの、委員長……」
ルーキは恐る恐るリズの顔色を窺った。
目立つことはしない。空気となってフェードアウトし、状況が落ち着いてから本気を出す。それが〈ときめきユリノワル〉のチャートの基本骨子。
しかし、必殺シュートの交換が、平穏な生活を送るお嬢様たちにかつてない衝撃をもたらしたのは確実。あの後エイチが「成績だと? おまえは満点に決まってるだろ! いい加減にしろ!」と公言してしまったのも一因だろう。
このRTAで使われる数値は、評価された値だ。他人からどう思われているか。それに尽きる。必ずしも実態を反映していなくともよい。
この爆上げ値にともない、すでに出会いイベントが発生しそうな人物が数名浮上していた。
これはいくら委員長でも激怒不可避――。
「はあ……。まあ、仕方ありません。あれだけ役者が揃っていては、経験を積んだガチ勢でもない限り評価値の上昇は抑えられなかったでしょう」
かと思われたが、ため息と共に空気を伝わった言葉は、優しさに満ちていた。
「い、委員長ッ!?」
「ひとまず、今日の授業はこれで終わりです。放課後フェーズに移りましょうか。何か予定は?」
「ミサリから校舎の施設を案内してもらうことになってる。あ……あと、完走した感想をやりに、いくつかのクラブに……」
是非を問うようにちらりと目線を向けると、委員長は再びため息をつき、
「……。今日だけですからね」
「委員長おおおおお!」
ルーキは感謝でorzした。
いつも寛大なリズだが、それにも増して今日は――というか、体育が終わったばかりの今は心が広い。何かいいことでもあったのかもしれない。
二人で教室から出ると、体育の時に見かけた隣のクラスの女子とばったり出くわした。
大人しそうな少女は「あっ」と驚いて口に手を当てると、ルーキとリズを交互に見つめ、次に薄暗い空き教室を見つめ、最後にもう一度ルーキとリズを見から、ぼっと赤くなり「は、早すぎます……」という言葉を残して逃げていった。
「……何だ?」
「何でしょうね♪ 何か勘違いさせてしまったようですね♪」
見れば、リズはなぜか、シワを伸ばすみたいにジャケットを撫でたり、特に乱れてもいなかったスカートの裾を手でいそいそと直すフリをしている。
「勘違いって?」
「知らない♪」
気味悪いくらい上機嫌なリズに首を傾げながら、ルーキは教室に戻った。
そこには、シスター服に着替えたミサリやジェニルファーたちが待っている。
初日の授業が終わり、放課後フェーズ。これを乗り切れば、ようやく初日が終わる。
しかしもちろん、そこでも何も起こらないわけがなく……。
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