第111話 ガバ勢とシスター・プリンセス

 ルーキはミサリにつれられ、学院の食堂へと向かっていた。


 後ろにはすぐ隣には委員長。彼女も一時入学という点ではルーキと同じなため、ミサリが一緒に来ないかと誘ったのだ。


 そんなルーキたちの後ろには、二年二組のお嬢様たちがぞろぞろと続き、少し距離を空けた位置に、何やら「フッ……」と優越感に浸って微笑むエルカ。

 ちなみにサクラは彼女の出現と同時に姿を消していた。


 ――知り合った女子からの評判が下がると、エルカお嬢さんは爆発する。


 サクラがもたらした追加情報により、いきなり周囲との関係を断つのはまずいとの判断が下され、とりあえず登校初日は流れに身を任せることになった。


 これは、初手オリチャーという一門ですらためらうような暴挙(ただし親はやる)。


 しかし、これから徐々にフェードアウトしていけば、正常なチャートに戻ることは可能。つまりこれは、極めて長期のリカバーと言えるだろう。


 RTA心得ひとつ。急ガバ回れ。ガバを性急に取り戻そうとしてはいけない。RTAは己の焦りや苛立ちとの戦いでもある。じっくり時間をかけて巻き返していくのだ。


「ミサリは昼休みもシスターの格好なんだな」


 気持ちを入れ替えたルーキは、気楽に彼女に話しかけた。生まれも育ちも金ぴかのお嬢様たちの中で、恐らく庶民の出であるミサリは特に気兼ねなく話せる相手だ。


 ちなみに、委員長のチャートにはこうした日常会話における方針も記されている。


 女子への受け答えは、大きく分けて三パターン。

 その一。相手の意見に賛同し、褒めたり、感心したりする。

 その二。毒にも薬にもならない無難な話をする。

 その三。限りなくアウトだが、ワンチャン大ホームランかもしれない発言をする。


 空気となるために取るべき方針は、その二だ。一応、最小限のその一も許可されている。ただし、その三は厳禁。アウトもホームランも今は必要ない。


「ええ。お昼にはお祈りの時間もありますし、着替える余裕のある時はいつもこうしています」

「何か大変だな。俺なんか普段はもっとゆるい恰好してるから、正直この制服着るのも一苦労したよ。特にこのネクタイとかさ。これ、何のために首からぶら下がってるの? って感じだよ」


 ミサリはくすりと笑い、


「でも、タイにおかしなところはありませんよ。よく似合っていると思います」

「ははは……ありがとな。まあ、ネクタイは天井裏に住んでる忍者がやってくれたんだけど……」


 ビシッ。


「……?」


 何か痛みのようなものを感じて、ミサリから視線を反対側に向けると、委員長が何やら冷たい目でこちらを見ていた。


 ビシビシ当たっているのは、彼女の目から飛んでくる何か非物質的な圧力だ。「何か?」と、まるで機先を制するように聞いてくるリズに、ルーキは「い、いや別に……」と言葉を濁すしかない。


「そういえばルーキさんは聖堂教会についてご存知だとか……」


 今度はミサリから話題を振ってくる。


「ああ。ほんのちょっとな。すげー大雑把な教えと、聖印の切り方くらい。こういうやつ」


 ルーキが指先でさっさっと空を切って見せると、


「えっ……」


 ミサリが瞠目し、足を止めた。まわりの生徒たちも何事かと立ち止まる。


「ルーキさん。い、今の、もう一度やってみてくてくれませんか……?」

「へ……? な、何か違ったか? 悪いけど、かなりテキトーだから……」


 ルーキはもう一度聖印を切る。


「やっぱり!」


 ミサリが上げた大声に、急に立ち止まって何事かと様子をうかがっていたクラスメイトたちも目を丸くした。


「ルーキさん、そのやり方は〈ウルスラの印〉です! 一体どこでそれを!?」


 詰め寄ってくるミサリに、ルーキは慌てて答える。


「お、俺の田舎に、何か剣二本持った高性能ばあちゃんがよく来てて、その人が教えてくれたんだよ。俺らは“教会のばあちゃん”って呼んでて本当の名前は知らないんだけど」

「その人ですルーキさん! 聖堂教会の守護聖人の一人、ウルスラブレイズ・デッドソード様です!」

「すっげー強そう!?」

「その人から何を!? 何を教わったのですか!?」


 ミサリは人が変わったように大声でまくし立ててくる。


「い、いやあ、教わったってほどのものじゃないんだ。みんな、教会のばあちゃんが持ってきてくれる都会のお菓子とか玩具がほしくて、大人は新しい農業のやり方とかにしか興味なかったから……。とりあえず、よく食ってよく寝てみんな健康で仲良くしてれば神様もハッピーってことぐらいかな……」

「素晴らしいです! それこそウルスラ様の唱える〈大きな船〉の教えですルーキさん!」

「えぇ……? そ、そうなの? いや全然わからんけど」


 ルーキが頭を掻くと、ミサリはきらりと目を輝かせ、


「〈大きな船〉とは、教会の定める様々な行いをせずとも、お互いに助け合い、善良な日々を感謝と共に過ごすことで、死後も神様からの祝福が得られるという考え方のことです。それに対し、教会に喜捨をし、伝統に即した課題をこなさなければ神様に助けてもらえない、というのが〈小さな船〉と呼ばれるものなのです。何を隠そう、わたしはこの〈大きな船〉の考え方に憧れて聖堂教会のメンバーとなったのです。まだウルスラ様には一度もお会いできていないのですが!」


 すごい早口で言い切った後で、少女はさらにはっと目を見開いた。


「まさかルーキさんは、〈大きな船〉の教えを元に走者を……!?」

「え? い、いや違うよ。俺はレイ親父に憧れて……」

「ああ! 何ということでしょう! 神よ……。このような素晴らしい方を、わたしの前にお連れくださるとは……」


 廊下の窓に向かって天に祈り始めてしまったミサリには、すでにルーキの声は届いていそうもなかった。しかも都合よく窓からオーロラのように光が差し込んでくる。


 一方、彼女の背後では、


「守護聖人ですって……」

「ルーキさんは聖騎士や神殿騎士ということ……?」

「じゃあ、神聖な力ディヴァイン・パゥワでエルカさんを汚らわしい異界のモンスターから守っているって噂も本当だった……!?」


 などという声が湧き上がってくる。


 その隣では、エルカがこちらに背を向けるような姿勢で立っており、長い金髪の奥にはオーラによって描かれた「悦」の文字がはっきりと浮かび上がっていた。


「……ハッ!?」


 不穏な空気を感じてルーキが慌てて振り向くと、にっこり笑ったリズがいた。


「何ですか? ばかばかルーキ君」

「い、委員長……」

「何か? ばかばかルーキ君。いっぱい仲良くなれて楽しそうですね。あ、さっきのチャートは返してくださいね。いらなさそうなので」

「ま、待って委員長! わざとじゃないんです! 普通の世間話をしようとして……こんな大事になるなんてイワナ……思わなかったんです!」


 踵を返そうとするリズの手を掴んで引き留める。


「…………」


 リズは一応立ち止まってはくれたが、尻尾を掴まれた犬みたいにじーとこちらを見つめてくるだけでそれ以上の反応を示してくれない。その眼は「もっと何か言え」と物語っていたが、ルーキにはもう「許してください。何でもしますから!」ぐらいしか思いつかなかった。しかし、さすがに何でもはできないので、これは言えない。


「ほう……まだ余裕がある気でいるんですね。あなたは」


 そんなこちらの胸の内を見透かしたように、委員長の口の端がわずかに持ち上がり、ルーキの手をみしりと握り返してきた、その時。


「ふ、不道徳ですルーキさんっっっ!!!」


 悲鳴のような大声が、ルーキの頭を右から左へ揺さぶっていった。

 残響を追い出すように頭を振ってそちらに振り向いてみれば、祈りの形に組んだ両手をぎゅっと胸に押し当てたミサリが、怒りとも悲しみともつかない顔でこちらを見つめている。


「ウルスラ様から薫陶を受けたあなたともあろう人が……! 女性の体をみだりに触るなんて! 不道徳すぎますっ!」

「ファッ!?」


 ルーキは思わずリズから手を離そうとしたが、がっちり巻きついた彼女の指は離れずにそのままくっついてくる。

 それを見てミサリは顔を真っ赤に、大声で叫んだ。


「リ、リズさんもっ! そ、そんな強く手を繋いだら……に……妊娠してしまいますよっっっ!!」

『えええ!?』


 ルーキだけでなくリズにも衝撃が走った。


「あー……あのう、ルーキさん」


 ジェニルファーが申し訳なさそうに横から口を出す。


「シスターって、道徳観念が前時代のお姫様っていうか、どこで教わってきたかわかんないくらいこじれているの。保健体育の点数いつも悪いし……」

「えぇ……? いや、だって教会の仕事であちこち回ってたって言ってたぞ? さすがに、今のはないんじゃないかと……」

「そうね。アマゾネス村とか、メイデンガーデンブルグってとこに行ってたそうよ。どういうところなのかは知らないけれど……」


 それを聞いて、リズはミサリに顔を向けた。


「あの、ミサリさん。別に、手を握った程度でそういうことは起こりませんよ。そんな簡単に赤ちゃんができたら、そこら中妊婦さんだらけでしょう?」

「そんなことわからないではありませんか! それにリズさんは、そこから飛びつき腕ひしぎ逆十字固めをしようとしていました! そんなふうに密着してしまったら、二人目の赤ちゃんもできてしまうに違いありませんっ!」

「んぐっ……!?」


 委員長が痛いところを突かれたように口ごもる横で、ジェニルファーがさらに言う。


「おまけに異様にカンが鋭くて人の次の行動を言い当てられるから、余計に自分の言うことは正しいと思い込んじゃってるの」

「腕ひしぎ……?」


 ルーキがリズにたずねると、彼女はさっと顔をそらし、


「な、何のことかわかりませんね。と、とにかく! この場を何とか切り抜けましょう。でないと本当にチャートが崩壊しますよ!」


 しかし彼女の危惧が現実になることはなかった。

 とうとう想像力が限界を超えたミサリが、両目をぐるぐるさせながら本人もその場でぐるぐる回り出し、盛大にぶっ倒れたからだ。


 一応、ぎりぎりでルーキが受け止めたものの、彼女は完全に気を失っていた。ただ、この場合はその方が好都合だっただろう。もし意識があったなら、ルーキの腕の中で憤死していた可能性すらあった。


 しかしこうして、新たな噂が少女たちの間を駆け巡ることになる。


〈エルカさんの守護騎士は、シスター・ミサリの憧れの人だった……!?〉

〈エルカさんとシスター・ミサリの対立くる!?〉

〈エルカさんの守護騎士、すでに別の女性と契りを結んだ可能性も……!〉


 何にせよ、ルーキはもう一種類の厄介な爆弾をこのRTAで抱えたのだった。

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