第108話 ガバ勢とときめきユリノワル
「ホントに来ちまったなあ……」
「そうですね」
ルーキは傍らのメイド少女と共に、白い花びらの散る石畳の上に立っていた。
まるで異世界に降り立ったかのような、強烈な場違い感。
ご立派な校門から赤レンガの校舎までの道には、ワインレッドの高級な制服に身を包んだ少女ばかりが楚々と歩き、ルーキが知る雑草のごった煮のようなルタの街の大通りとは隔世の感がある。
吹く風すら気品を含み、花の香りらしき甘ったるい匂いが鼻先で渦を巻く。屋台から漂う料理の匂いと走者の装備品の臭いが混ざり合った下界とは、吸っている空気からして別物のようだ。
そんな乙女の聖域に、彼女らとよく似た制服の男が一人。しかもそれが自分だという違和感は、近くを通り過ぎるたびに百パーセント中の百パーセントの少女たちが一度は向けてくる好奇の眼差しを受けるたびに、無限に大きくなっていった。
隣にユメミクサがいてくれるからまだこの程度の扱いで済んでいる。
もし、いかにも貴族付のメイド姿をしている彼女がいなければ、不審な男が侵入したとして即座にユリノワール警察が駆けつけているだろう。
しかし、朝からわざわざアパートまで迎えに来てくれた彼女も、校舎への通路を前に、「では、これで」という一言を残してさっと後退しようする。
「えっ、もう行っちまうのか?」
「はい。わたしの役目は、ルーキをここまで案内することですから」
ユメミクサは静かな表情をぴくりとも動かさずに言い、無感情の瞳をこちらの視線と重ね合わせてきた。
「それとも、校内にまでわたしを引き込んで、おいよせってやれやれ参ったなぁついて来るなって言ってるのに強引についてきちゃうんだもんなぁったくこれじゃ目立っちまうよやれやれっておい弁当ぐらいで一人で食えるよあーんしろってやめろよはずかしいわーったわーったよあーんすればいいんだろやれやれったくしょうがねえなあoh yeah……。がしたいんですか?」
「長い長い長い! あと、やれやれったくしょうがねえな言い過ぎだろそいつ!」
「しかしちょっと待ってください。下町の学校ならいざ知らず、ここは生粋のお嬢様方が通う山の手の一流校。使用人など珍しくもありません。逆に、自律と規律を重んじる校内にそれを連れてきたとなれば、それはもう、一人では歩くこともままならない子供であることを公言しているも同然です。もっとも、そうした蔑まれる眼差しが超☆エキサイティンでたまらない、ゾクゾクする、ヌッ、とおっしゃるのであれば、つまらないメイドですが、どうぞわたくしめをご自由にお使いください」
「わかった! 俺がいかに世間知らずだったか完全に把握したよ! もうここまでで十分だ。すごい助かった! ありがとナス!」
「えっ。諦めるのですか?」
「そこまで言われて食い下がれるヤツいんの!? ここからは一人で行くよ」
「それでは」
スカートの端を摘まんで優雅に一礼すると、ユメミクサは正門から出ていった。
「さて……。んじゃあ、行くかよ……!」
聖ユリノワール女学院。
エルカ・アトランディア他、上流階級の子女ばかりが通う、超絶お嬢様学校だ。
ルーキは本当に、こ ん な と こ ろ に来ることになってしまった。
しかも、話を受けた翌日だ。
(せめて制服のサイズがガバガバなら、それを理由に時間稼ぎができたかもしれないが……)
ユメミクサが調達してくれたらしい男子用制服は、ルーキの体格に微粒子レベルでジャストフィットしていた。まあ、サクラとはいつも一緒にいるし、彼女の忍者アイをもってすれば寸法の目測など朝飯前だったのだろうが……。
しかし、自分だって走者のはしくれだ。ここは開拓地でも何でもないが、走れと言われたら走り切ってみせるしかない。
「まずは教員室、だったよな……」
これといって特別な行動でもなく、ごく普通の挨拶をするだけ。そこからクラスへと案内される流れは、RTA訓練学校と似たようなものだろう。
そしてそこから、ルーキの二度目の学校生活が始まるのだ。
金(持ち)! 暴力(的に清潔)! エレガントックス! って感じで……。
「ホントにできんのかなあ……」
「あの、もし……?」
結局なかなか前に進めない背中に声をかけられ、ルーキは見咎められた不審者の挙動で背後を振り向いていた。
そこに、愛らしい少女が一人立っていた。
ハニーブラウンの柔らかそうなロングウェーブヘアに、少し大人びた顔立ち。垂れ目がちの優しげな双眸が、一目で彼女の人となりを伝えている。
身長はエルカと同じくらいか。普段、年齢的に見ても小柄なサクラやリズが近くにいるせいか、ルーキからすると少し高めにも感じられるが、ユリノワールの生徒たちは食ってるものが違うのか、これくらいが普通なようだった。
そして、やはりエルカがそうであるように他の部分の発育もよい。この少女は特に。
しかし、ルーキが目を見張ったのはそれが理由ではなかった。
質素で暗色の
いわゆるシスターの格好を、彼女がしていたからだ。
(何で学校にシスターがいるんだ……?)
面食らったまま動けないルーキに、少女は遠慮がちに聞く。
「あなたはもしや、編入生のルーキさんではありませんか?」
「えっ……。そ、そう。そうなんだ。俺のこと知ってるのか?」
へどもどと肯定すると、少女は朗らかに微笑み、手を祈りの形に組む。
「ああよかった。あなたを教員室に案内するよう言われていたのです。わたしはミサリ。ルーキさんが編入されるクラスのクラス長を務めております。今日からよろしくお願いしますね」
「あっ、ああ、こちらこそよろしく。あれ、ミサリはここの生徒なのか? シスターの格好してるけど……」
「ええ。ちょうど朝の御祈りを終えたところです。授業が始まる前には制服に着替えますわ。さあ、こちらへ」
優しく促され、ルーキはミサリの後について校舎に入った。
彼女のおかげだろうか。周囲から向けられる視線の総量は変わらなかったが、疑念めいた気配はだいぶ和らいだ。
それだけではない。さっきまで気負って強張っていた自分の体が、何となくほぐれている。二言三言交わしただけで緊張を解いてしまうのは、神に仕える者特有の性質だろう。
最初に出会った生徒が彼女であったことは僥倖だった。
「す、すごいな……」
校内もまた豪奢にして瀟洒。基本的な構造こそRTA訓練学校と変わらないが、床は分厚いカーペットが敷かれ、天井や壁に汚れ一つないとくれば、それはもう似て非なるものと言わざるを得ない。
「すぐに見慣れてしまいますよ」
廊下を歩きながらミサリはくすくすと笑う。きょろきょろしていたルーキは苦笑して、
「悪い。育ちが雑なもんで……。多分、色々と目につくことをすると思うけど、勘弁してくれよな」
「勘弁だなんて、そんなふうに思う必要はありませんよ。わたしもここに来る前は世界のあちこちで活動していましたから。ルーキさんとそんなに感覚は違わないはずです」
「へえっ、そうなんだ。その格好って、やっぱり王都の聖堂教会の?」
「はい。あら……ルーキさんは教会をご存知なんですね。ルタの街の方々にはあまり馴染みがないと思っていましたのに」
「俺も生まれはここじゃないんだ。王都の方の田舎。だから聖堂教会についてもちょっとだけ知ってる」
「まあ、本当ですか? それは嬉しいです。あっと――」
言葉の途中でミサリが足を止めた。どうやら教員室に着いたようだ。
「お話は後でゆっくりとしましょう。ひとまず、先生方へのご挨拶を」
「ああ。色々ありがとなミサリ」
「いいえ。これもクラス長の、そして聖堂に仕える者の務めですわ」
少女は上品に微笑んで廊下を歩いていった。
ほんの少しだけほっとする。全員がエルカみたいな少女だったらどうしようかと思っていたが、普通に親切な人もいるようだ。
考えてみればクレリックタワーを一緒に冒険したジェニルファーやロレッタもここの生徒だ。彼女たちが普通に暮らせる以上、ここがそこまで下町とかけ離れた場所であるはずもない。
少しばかり緊張しすぎていたか。
どんな場所だろうとこれはRTAで、こちらは走者。
なら走者らしくせっかちに行かせてもらう。
扉を開ける直前でノックが必要だと気づき、精一杯行儀よく扉を叩きながらルーキは教員室に入った。
「あら~! ルー君、いらっしゃ~い」
生徒の格好をした、ローズ・ティーゲルセイバーがいた。
スッ……とルーキは扉を閉めようとした。しかし。
ガシィ!
「ヒ!?」
閉じようとした扉の隙間から、手首を掴まれる。
細くか弱い指先であるにもかかわらず、強靭な蛇に巻きつかれているような異様な感覚がルーキを襲った。
言うまでもなく、蛇というのはあの細長い体すべてが筋肉である。捕らえられた獲物は、窒息はもちろん、全身の骨を粉々にされることも珍しくない。
「あら~? どうして逃げるの~?」
扉の隙間から、ローズの微笑む片目がルーキを見据えた。
「い、いや、そ、そんなつもりは……。すいません、ちょっとびっくりして、思わず……」
「あ~っ、わかった。エンカキャンセルでしょ。わかる~。ルー君ってばすっかり走者の習性が染みついちゃって~。でもここはダンジョンじゃないから、そういうことはしなくていいのよ~」
童女のように笑いながら、ローズは扉を開けてルーキを中へと招いた。
相変わらず異様に若々しいカッチャマだ。制服を着て生徒の中に紛れ込んでも違和感がない。……いや、違和感だけはするだろうが。
(そういや、ローズさんはここで教員やってるんだったっけ……)
しかも〈淑女の嗜みクラブ〉という課外活動も行っており、それによってジェニルファーという修羅が、最低一人は誕生している。
(そりゃ、教員室にいても不思議はないよな)
教員室は落ち着いた空気に包まれていた。RTA訓練学校のそれの騒々しさとは雲泥の差。みなてきぱきと仕事をこなしてはいるものの、そこに余計な雑音は存在しない。
また、女子校だからなのか、ぱっと見男性教師は皆無だった。しかも、いずれも美人の女教師ばかりだ。きっとみな貴族かそれに類する人々なのだろう、とルーキはぼんやり考えた。
「ここでちょっと待っててねー」
ルーキは教員室の一角にある応接スペースへと通される。
それ一つの値段でルーキの住むアパートが買えそうなソファーに座り、ようやく人心地ついた。
「まさか、ローズさんと最初に会うとは……」
〈アーマードフロンティア〉ばりの異郷に放り込まれた自分としては、知っている人が一人でも多いのはありがたい。またしてもなぜか生徒の制服を着ているのが少し気がかりだが、まあ委員長のカッチャマならこちらの素性も知っているし、これは思ったよりもすんなり事が運ぶかも……。
「こらっ、そこの男子。何をぶつぶつ言ってるんですか!?」
「うわあ!? センセンシャル!!」
飛び上がったルーキが、ソファーのすぐ横に目をやると。
「ああ、すいません。まさかそこまで驚くと思っていなかったので……」
「えっ……」
そこには、申し訳なさそうに微笑する――リズが立っていた。
「い、いいん、ちょ……?」
「ええ。委員長です」
「なっ……なん……で……?」
彼女はいつもの白装束でも、以前一度だけ見た私服でもなく、ユリノワールの制服を着ていた。もちろん、大鎌も背負っていない。
「ルーキ君が何やら変わったRTAをしていると聞いて、ちょっと様子を見に来ました。まあ、体験入学というやつです」
「えっ!? ま、マ!? 委員長がいてくれるのか!? やったーッ!」
地獄で委員長に会った心持ちで、ルーキは歓声を上げていた。
リズはちょっと顔を赤くして頬に手をやりつつ、
「そ、そんなに素直に喜ばれると照れますよ……」
「いや喜ぶよ。ここって下手な開拓地より勝手がわからない場所だし、仲間が一人でもいてくれたら心強い。それにしても、よく俺がここにいるってわかったな。昨日の今日だぜ? この話が来たのって。制服まで用意して……さすがはガチ勢の情報収集能力ってとこか」
すると彼女は少し困った顔になり、
「実はわたし、以前、ユリノワールに入学する話があったんですよ。ルタの街でトップクラスの教育が受けられる場所であることは間違いないですから。ただ、まあその……わたし、お嬢様っていう感じじゃないでしょう? 他の人たちとも水が合わなさそうだったので、結局あの訓練学校にしたわけです」
「へえ……。確かに、最初に会った時から委員長はお嬢様って感じじゃなかったな。委員長って感じだったよ。でも……」
ルーキは制服姿の委員長をまじまじと見る。
制服の着こなしに不自然なところはなく、ネクタイの締め方もお手本のようにきっちりしている。他の生徒たちも服装は整っているが、彼女はその性格や印象も手伝ってより規律的に見えた。
「今の方がまさに委員長って感じだ……。…………ん?」
ルーキはふと、委員長の足元に目が行った。
いつも白っぽい格好の彼女にしては珍しく、黒タイツをはいている。
「……!?」
リズの体は非常にスマートだ。あんな棒みたいに細い腕や脚のどこからあの力が生まれてくるのかと常々疑問だったのだが。
普段は白の膨張色のせいで曖昧だったラインが、光を吸うような黒タイツのおかげではっきりと見て取れる。
全体的にほっそりした脚ではあるものの、決して棒のように一直線ではない。
太ももには確かに厚みがあり、そこから膝にかけてなだらかに締まっていき、またふくらはぎに向けて柔らかく膨らんで、細い足首へと続いていた。
別に、おかしなところは何もない。人の体として当然の肉付き。
「………………」
なのだが、なぜかその絶妙なラインが気になって目が離せなくなる。
「? ルーキ君? 何見てるんですか?」
「ハッ!? い、いや、何でも……」
リズはきょとんとしていたが、自分の足元を見下ろし、ふと何かに気づいたように、
「へえ……。もしかしてルーキ君、これ気になるんですか?」
頬を少し赤らめながら妖艶に微笑み、太ももから下に向けて白い指を這わせる。
「い、いや、その……」
「こういうところは、横や後ろから見る方がいいんですよ……」
そう言って、リズはわずかに姿勢を入れ替えた。
「…………ッッッ!?」
整地厨の主人に仕えるニーソマ……健全な騎士曰く、脚は膝やスネといった硬い部分が前に出ている構造上、正面から見るとシャープさが際立つ。だが、横、あるいは後ろから鑑賞することによりその表情は一変、ふっくらした焼き立てのパンのような柔らかな曲線が前面に押し出され、もう一つの姿を我々に見せてくれるのである! これを、「鋭く柔らかくそしてかぐわしい」と呼ぶ!
「い、いいんちょ……」
「いいんですよ、もっと近くで見ても。なんならさわってみますか……?」
そう言ってルーキの隣に音もなく座ると、ただでさえ短いスカートをさらに押し上げるように足を組んできた。
と。
「朝の学校でなぁにやってるんすかねえ……」
あきれ果てたような、ちょっと怒っているような、そんな声が、リズとは逆側から聞こえてきた。
驚いて振り向くと、そこには聞き知った声の持ち主がそのままいた。
「サ、サクラ!?」
「そっすね」
ただ一つ予想外だったのは、その少女――サクラもユリノワールの制服を着ていたことか。
「さ、さっき屋敷に帰ったんじゃなかったのか?」
「帰った? 何のことかわからないすけど、もしあのボロアパートを御屋敷と呼んでいるなら、兄さんにしては悪くないセンスっすね」
「とぼけちゃってぇ……。それで、サクラまで何でここに?」
「ナニやってるのは兄さんでは? ま、サクラは元々ここの生徒っすよ」
「そんなバカな!? …………いや待て」
驚愕してすぐ、ルーキは気づく。
相変わらず理由は不明だがサクラはエルカに付いているのだ。
さっきのユメミクサの話によると、学校に使用人をつれてくるのはNG。ならば、別の姿で彼女の近辺に潜む必要があるのかもしれない。
まあ、RTA中はどうしているのか、とか、いつもガバ一門のところにおるやんなどの疑問は尽きないものの、そのへんはRTA警察の組織力でカバーしているのだろう。
「ま……兄さんがこんなところに迷い込んだと小耳にはさんで、様子を見に来てあげたっすよ」
「すっとぼけ」
「人の台詞の後にへんな注釈入れないでほしいっす。フッ……それより、どすか? 制服姿のサクラ、可愛いっすよね。可愛いって言え」
言って、手を後ろに組んで肩をもじもじさせ、あざとい視線を向けてくる。
「うーん。何か、普段のイメージが強いからな……。変装中って感じ?」
「は? 完全にコスプレ状態の兄さんがそゆこと言うすか?」
「そりゃ俺はそうなるだろ! 生まれも育ちも完全に田舎だぞ!? こんな高級な肌触りの服、着たこともないわ!」
「はー。その程度のコメントしかできんとは、何ともオシャレのしがいのない兄さんっすねえ。しーかーしー……?」
サクラはニヤリと笑うと、小首を傾げるようにシナを作りながらルーキに顔を近づけた。
「セ・ン・パ・イ」
「ヘアッッッ!!?」
身じろぎして顔を離したルーキに、サクラは勝ち誇った様子でくすくす笑う。
「おんやあ? 何すかねえ、その反応? もしかしてぇ……憧れとかあったんすか? 訓練学校時代にはそういうのなくてぇ……」
「ち、違うゾ。そういうの無ゾ!」
「うそつけ絶対憧れてたゾ。しょーがないっすねえ……。このRTAだけの特殊呼び方っすよ? ルーキ、セン、パイ?」
「ぐふっ!?」
「あらあら楽しそうねー」
「そうね。若いっていいわ」
悲鳴を上げたルーキに、戻ってきたローズの声と、もう一つ別の声が重なった。
ルーキをぎょっとさせたのは、それがまた知らない声でなかったことだ。
弾かれるように顔を向けて見れば、にこにこ笑うローズの隣に、RTA研究所の所長である軍医が立っていた。
ここに来てまた顔見知りの登場。
何だこれは。
どうすればいいのだ?
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