第107話 ガバ勢と好きとか嫌いとかの話

 大抵がそうであるように、ルーキにとってその日は、〈アリスが作ったブラウニー亭〉にたどり着くまで何事もない一日だった。


「うぽつでーす」

「オッツオッツ」

「オッツダルヴァ」


 挨拶をし、挨拶を返されながら、ルーキはふと、店内に奇妙な空気が充満していることに気づいて、注意深くあたりを見回した。


「エッッッ……!?」


 いつもなら親が愛用している一番奥のテーブルに、白い髪をした制服姿の美少女が座っている。

 どう見ても未成年だが、愛くるしい小顔の前には空の徳利が数本転がり、天ぷらを載せた大皿も大部分が空きになっている。


「な……な……!?」


 ルーキは目を白黒させた。


 その制服姿の美少女は。

 レイ親父にそっくりだったのだ。


「50ゲトズザー」


 ルーキが硬直していると、謎の挨拶を口にしながらサグルマが来店した。


「サ、サグルマ兄貴!」

「おうルーキか。もつカレ――うぽつ」

「おはようございますそれより! あ、あれを……」

「あん?」


 ルーキは震える指先で店の隅にいる女生徒を示した。

 サグルマは目を見張り、


「エッッッッ!? な、何やってんですか親父ィ!?」

「おー、サグルマか。ちょっとチャートのことで話あっから、こっち来い」


 美少女が――というかやはりレイ親父だった人物が、手を振って彼を呼び寄せる。

 サグルマは戸惑う足取りで席に近づき、


「ど、ど、どど、どうしたんですかい、その格好は……!?」

「あー、これか? 洗ってねえ着流しが増えたから、まとめて洗濯屋に持ってったら、店の軒先で泥水ひっかけられてよ。そいつが最後の一着だったもんで、店から借りてきた。っつーか、店員が汚した詫びにくれた。まあ、何で水兵の格好かは知らねえけどな」


 レイ親父はからから笑いながら事情を説明する。


「ちと首のあたりは窮屈だがな。下は丈が短くて悪くねえかもな。いちいち尻端折りしなくて済むのは楽だぜ」


 立ち上がってそう言うと、スカートの裾を摘まんでひらひらさせる。


「見え……じゃなかった! まずいでさあ親父!」

「何だよ。別にいつもと大して変わらねえだろうが」


 確かに、レイ親父は着流しの裾を思い切り持ち上げている時はある。走ったり運動する時に邪魔になるからだ。そうなると太ももの付け根近くまでが露わになり、今よりももっと目の毒なのだが、今回はそれとはまったく別のポジ性を持っていた。


「そりゃ、丈の長さで言やあそうかもしれませんが……」と歯切れ悪く返すサグルマの弱腰にも、そういった葛藤が表れている。


 毒を持つ者こそ、華やかなものなのだ。「じゃあ適当に着替えてくるわ」とか言われて上下ジャージになったら、誰も幸せになれない。


 他のガバ勢たちもさぞ浮足立っているだろうと思いきや、ふと、ルーキの耳に意外な言葉が入ってくる。


「何だよありゃあ。がっかりだぜ……」

「媚びすぎだろ。やめてもらいたいぜ」

「硬派な親父だからついてきたのになー。俺もなー」


(あ、あれっ?)


 ルーキは慌てた。


 近くのテーブルから聞こえてくる先輩ガバ勢からの声は、失望と落胆を多く含んでいた。確かに今日のレイ親父は、気のせいかもしれないが、いつもより2%くらい女の子説が強くなっている。このままでは、一門解散の危機まであった。


 何とかフォローしなければ……と、ルーキが目まぐるしく頭を回転させたその時。


「わーい、入り口は出口ら」


 一門最年少――だがRTA歴はルーキより上――のタムラーが店にやってきた。

 彼はすぐにレイ親父に気づき、歓声を上げる。


「あーっ、レイ親父さんJKなのらー! カワイイのらー!」


 瞬間。


「ヌヌッ!」「ヌッ!」「ヌッ!」「ヌワィ!」


 それまで各テーブルで自由に飲み食いしていた一門走者たちが、次々にテーブルに突っ伏しだした。

 そんなことにまるで気づかず、レイ親父は、興奮して駆け寄ってきたタムラーにしかめっ面を返す。


「何がJKだよ。水兵だろ」

「そうだけどそうじゃないのら。短いスカートもカワイイのらー」

「あぁん? くだらねえ。俺にはわかんねえよ、そういうのは」

「紺のハイソックスもはいてるのら? ニーソじゃないのら? それも――」

「タムラァ!」


 ベテランの一人が突然立ち上がり、まくし立てるタムラーの首を引っ掴むと「親父、ちょっと失礼!」と言って、彼を引き連れたままルーキのすぐそばまで退避してきた。

 小声で話しているのがそのまま聞こえてくる。


「バカ野郎、おまえそんなはっきり見たままのこと言うんじゃねえよおまえ……!」

「? どうしてらー?」

「見ろ」


 そう言って、目線で店内を示す。


「ヌッ」「ヌヌッ」「ハァー、ハァー、ヌッ……」


 走者たちが倒れ伏す現象はいまだに続いていた。


「み、みんな死んでいくのら!?」

「あれはな、親父の姿を直視しないことで耐えてきた精神が限界に達して、ほよの先に進む前に自分から気絶していってるんだよ」

「のらっ!?」


 さっきまでレイ親父の服装に不満を口にしていたはずの一門走者たちも、「ヌヌッ」と白目を剥いて倒れていっている。つまり彼らの陰口は、正気を保つための自分への欺瞞だったのだ。


 しかしその壮絶な努力も、タムラーの純粋な感想によって破られてしまった。

 もはや一門に抗える者はおらず、死して屍拾う者なし状態。ルーキはぞっとした。


 にもかかわらず、


「あっ、おい、新入り。てめえ!」

「えっ!?」


 いきなりレイ親父がこっちに歩いてくる。


 行きつけの洗濯屋の店主が何を企んだかは定かではないが、スカートの丈は極めて短い。加えてレイ親父はずかずかと大股で歩くので、その裾は常に危険な領域に踊っている。


 周囲の一門が立ったまま白目を剥く中、レイ親父がルーキの眼前に来た。


 幼い少女と見まごう顔立ちに違わず、背丈も相応に低い。近づくとどうしても見下ろす形になってしまうのが恐れ多く、ルーキは思わずお辞儀をするように姿勢を低くして、その第一声を聞く。


「おう新人よう。おまえ、この間のランペイジで俺を囮に使ってくれたらしいじゃねえか、ええっ? あの後の実地調査の時に、案内人の一人が言ってたぞ」

「うっ!? そ、それは……! サ、サマヨエルゥ……」


 ルーキは、約束通り下調べパーティに参加してくれた精霊人の笑顔を思い浮かべる。


「後から来た連中に混じってたのかと思ったら、第一陣にいやがったとはなあ……!」


 あの時、自分はソーラに奇襲される親父を囮にし、敵の背後を襲撃する作戦を選択した。

 それは偶然にも、同時に構えていたガチ勢たちと同じ作戦であり、さらにもしルーキが親父に危機を知らせていたらすべてがご破算になるところであったのだが、一門の長である大人物を一方的に“利用”したという事実は揺るがない。


 親父の手がぬっと伸びてくる。

 ルーキが思わず目を閉じ、「セッ、センセンシャル――」と謝ろうした直後。


 ぺちっ、という柔らかい痛みが額を弾いた。


 はっとして目を開けると、軽くデコピンした姿勢のままレイ親父がアルカイックスマイルを浮かべていた。


「へっ。てめえも少しはサマになってきたじゃねえか。その調子でいけや」

「ほヌっ……!」

「ルーキも死んだのら……」


 ルーキも死んだ。


 ……と、ここまでなら〈アリスが作ったブラウニー亭〉のさほど特別でもない、いつもの様子だった。


 今回の“事態”が発生したのは、ルーキが崩れ落ちたそのすぐ後。


 忙しない足音が数歩分、店の戸口のすぐ外から聞こえた直後、扉が乱暴に押し開かれる。


「ルーキが来ているはずです! 隠すとためになりませんわよ、すぐお出しなさい!」


 高圧的に放たれた声に、一門全員が一か所を指さした。

 つまり、制服姿のレイ親父に(脳)殺されかけていたルーキを。


「エ、エルカお嬢さん!?」


 霧散しかけていた思考が、ユリノワール女学院の制服を着た本当のJK、エルカ・アトランディアの怒りの眼差しを前に、一気に集合する。


「ルーキ、大変ですわ! 大変なんですわ!」

「うおおお!?」


 どしどしと店の床を踏み鳴らしながら迫るエルカに、ルーキはその勢い分だけ店の端へと後退させられた。

 ちなみに、彼女のスカート裾もそれなりに短く、怒気交じりの歩幅もいつもよりはるかに大きかったのだが、その周辺に視線を集中できる余裕はなかった。


「このままではわたくし、大変なことになってしまいますわ! ルーキならそんなわたくしを放っておきませんわよね!? 助けてくださいますよね!?」

「な、何があったんだ!?」


 ルーキはまず詳細をたずねようとした。が。


「ん? 今何があっても君を守るって言いましたわね!?」

「“何”くらいしか言ってねえよ!」

「とにかく、ハイかYESか喜んでと言いなさい! 話はそれからします!」

「ああ逃れられない!」


 ルーキは助けを求めるように、店にいる先輩たちに視線を向けた。

 ここがガバ勢の本拠地。まわりは全員味方のはずだ。しかし、


「新入り、何とかしろ(そしてこっちを巻き込むな)」

「おまえ、それくらい一人でできないとか恥ずかしくないのかよ(そしてこっちを巻き込むな)」

「女の子一人の頼みも聞けないの? そんなんじゃ甘いよ(そしてこっちを巻き込むな)」


 あんのじょう。レイ親父以下、全員がすげない反応を返してきた。

 ガバ勢は権力に弱いのだ。特に再走事案を司る再走裁判所は、ガバを宿業として背負った一門にはどうしても逃げ切れない天敵と言える。


 さらにはこちらからすでに一メートルほど間合いを広げており、ルーキには逃げ込む場所すら残されていなかった。


「は、はい……。何とかします……」

「その言葉が聞きたかったのです。さすがはルーキですわ」


 エルカはそれまでの圧力を解き、柔らかな笑みを浮かべて言った。

 冤罪はこうして生まれるのかもしれない、とルーキは思った。


「……で、今度は一体どうしたってんだよ。また街に犯罪者でも潜り込んだのか?」


 一旦状況を立て直すため、ルーキは近くの空席にエルカを座らせる。


 さっきの勢いから一転、何やらしょんぼりした様子で肩を落としたエルカは、周囲の聞き耳を気にするように視線を巡らせた。

 関わり合いになりたくない一門は、全員が離れた席に移動している。


 それを確認し終わると、エルカは祈るようにこすり合わせていた手を強く握り、ようやく口を開いた。


「このままではわたくし、顔も知らない男性と婚約させられますの……」

「何……!? 政略結婚ってやつか……?」


 想像以上に大事で、ルーキの声も思わず沈む。

 再走裁判所の上級判事を祖父に持つエルカは、ほとんど貴族のような存在だ。そういった風習があっても不思議はない。


 エルカはうなずき、


「御爺様が古くから懇意にしておられる方がいて、その方の孫にあたる男性が大変優秀で、さらにわたくしと同い年ということで興味を持たれて……」


 そこからとんとん拍子に話が進んでしまったらしい。

 そこにエルカの意思が入り込む余地はなかった。……というか、一度の話し合いの中で決まってしまったことらしく、異論をはさむ人物自体がその場にいなかったというのが正しいようだ。


「そうか……。エルカは当然、イヤなんだよな」

「……! え、ええ。“当然!”イヤですわ」

「だよな。顔も何も知らない相手なんて、誰だってイヤだぜ」


 ルーキは同意したものの、それから渋面して天井を仰いだ。


「だけど、これってエルカお嬢さんちの内々の事なんだろ? 何の力もない一般人の俺に一体何ができるか……」

「ん? 今、君のためなら死ねるっておっしゃいましたね?」

「言ったかな!? 多分言ってないと思うんだけど!」


 するとエルカはまたしてもニヤリと笑い、


「――ユメミクサ」

「はい」

「うおう!?」


 ルーキは悲鳴を上げた。エルカの背後から影が、すう、と分離したのだ。少なくとも、ルーキにはそう見えた。


「脅かすなよサクラ! いるなら普通にいろ!」


 物静かで従順そうな面差しのメイド少女に苦情を述べると、彼女は頬にかかっていた遅れ髪を指一本ですっと整え、感情の動かない顔のまま唇を開く。


「女の子の名前を言い間違えるのはいけませんと、以前申し上げたと思いますルーキ。わたしはサクラという方ではなく、ユメミクサです。それに、最初からお嬢様の後ろにおりました」

「そうですわ。まわりがちゃんと見えていないなんて、走者失格ですわよ」


 二人から非難され、ルーキはうっとうめく。


「まあ確かに、気づいたらエルカお嬢さんが視界を埋めてたけどさ……」

「なっ……? ま、まあルーキったら、こんなところでなんて人! わたくししか目に入らなかったなんて、そんな……!」


 エルカは突然頬を両手で押さえると身悶えし始めた。


「そ、そういうことなら、今のガバは咎めないことにしましょう。か、勘違いしないでくださいまし。決して理由があったらガバっていいということではありませんことよ。今回だけは特別。恩赦ですわ! ま、まあ、もしやり直したいという真摯な心掛けがあるのなら、今の台詞だけでも再走を……」

「お嬢様」

「そうでしたわ。本題でしたわ」


 有能メイドのおかげでポンコツから瞬時に立ち直ったエルカは、わざとらしく咳払いをしてから、不敵な笑みを浮かべてきた。


「今回のことに関して、わたくしに秘策がありましてよルーキ。あなたはただそれに従ってくれればいいのです」

「マジかよ。そんなら力になれるな」


 身を乗り出したルーキに、エルカは嬉しそうに微笑んで話を続ける。


「実はその殿方、近々わたくしが通う学校――聖ユリノワール女学院に短期転入してくるのです」

「あれ? あそこって、女子校じゃなかったのか?」


 驚いてたずねると、彼女は澄ました顔で、


「実はわが校には、全体のレベルアップを図るために男子の入学も許可しようという動きがありますの。とはいえ、これは二十年以上前から議論の段階で止まっておりまして、今はごくわずかな男子を一時的に受け入れて生徒たちの様子を見る、という形でお茶を濁していますけれど……」

「へえ……その制度を使うってことか。でも何で学校に? エルカと会いたければ普通に会える立場なんだろ? そいつは」

「その方の実力を計るためですわ。ユリノワールは各カリキュラムにおいて細かく評価がつけられますので、そこで話通りの人物かどうか、御爺様は見極めようとしているのです」

「ははあ……」


 いくら知己の孫とはいえ、無条件に娘とくっつけるわけではないということだ。そのあたりは上級判事らしい冷静さと言える。


「つまり、そこであちらの方が十分な成績を残せなければ、この話はなかったことになるというわけですわ」

「確かにそうなるな」


 アトランディア家において現役の判事である祖父の決定は絶対的なのだろう。ならば、その絶対的な権力自身に婚約話を破棄してもらおうという腹。それならば誰も文句は言えない。


 しかし、そうなると、エルカの依頼はその男のテストを邪魔しろということになる。彼女の立場には同情するが、結果を残そうと努力する男を裏からこっそり狙い撃ちにするのは、あまり気乗りしない話だった。


「ということでルーキにもユリノワール女学院に短期編入してもらい、お相手の方を圧倒的に上回っていただきますわ」

「えっ!?」

「その方がどこの馬の骨ともわからないガバ走者に負けたとあれば、噂ほどの人物ではないことが確定的に明らか。御爺様もお考えを改めてくれることでしょう。も、もしかするとルーキの方に興味を……あ、いえ何でも。おほん、もちろん入学費用や手続き等はこちらで受け持ちますわ。制服もすでにご用意しておりますの。ユメミクサ」

「どうぞ、ルーキ」


 ユメミクサが、どこからともなくワインレッドのブレザーを取り出し、押し付けてくる。

 もちろん、スカートではなくちゃんとズボン付属だ。


「ちょ、ちょっと待って! んな金持ちのお嬢さんだらけの学校に俺が行くのか!?」

「もちろん、わたくしもおりますわ。で、でも、いくらわたくしとあなたの仲でも、あんまり馴れ馴れしくしないでくださいね。一緒に帰って友達に噂とかされたら恥ずかしいですし……」

「(噂を流してるのは)おまえじゃい!」


 ぽっと頬を赤らめるエルカに何を言っても、もはや聞こえていないようだった。


「ではルーキ。可及的速やかにエルカお嬢様を婚約者候補の魔の手からお救いできるよう、恋も勉強も運動も頑張ってください。お嬢様命名、RTAルート〈ときめきユリノワル〉。はい、よーいスタート、でございます」


 無感情のユメミクサの台詞が、ルーキをただただ絶句させた。

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