第102話 ガバ勢と破壊精霊を破壊する者たち

 絶叫と共に身を震わせたソーラが、背中に飛びついた走者全員を振り落とす。


「効いただろ!?」


 しっかりと剣を握ったまま着地したルーキは、こちらを見降ろすソーラの双眸が激しい怒りに満ちていることをはっきりと感じとった。

 つまり、ダメージはあったということだ。


 しかし、その直後。青白い衝撃膜が、破壊精霊の巨躯を中心に膨張する。


「ルーキ君!」


〈魔王喰い〉を構えたリズが、ルーキの体を押しのけるように前に出た瞬間、空間が爆裂した。


「うわあああああっ!!」


 すぐ耳元で弾けるような強烈な放電音を最後に、蒼白の圧壊力が音と景色を呑み込んでルーキをその場から弾き飛ばす。


 床を転がり、壁際にまで押いやられてようやく止まりはしたものの、全身の毛穴に針を刺されたような激しい痛みの後に、手足の神経の大部分を断線させられたような麻痺状態が襲ってくる。


 雷撃だ。それも極めて強力な。

 たった一撃でこのダメージ!


 だが、鈍い意識を繋ぎ止めながら、ルーキはそれでも自分はマシな方だとすぐに気づいた。


 盾となって一緒に吹き飛ばされ、今、とっさに抱きかかえているリズは、意識こそぎりぎり保っているようだが、薄く開いた目の焦点は合わず、ぐったりしたまま時折電気的な痙攣を繰り返している。


 そばにいるサクラとカークは、ひっくり返ったまま動かない。

 リズが守ってくれなかったら、今の一発で完全にノックアウトだった。


「他の……走者は……!?」


 共に奇襲をしかけた仲間たちもみな、壁際に吹き飛ばされていた。

 何とか起き上がろうとしている者もいたが、体の動きは極めて鈍重だった。


 ジジッ、とスパークする音にぞっとしてソーラに向き直れば、妖魔たちの長い祈りの果てに顕現した破壊精霊は、今にも第二波を撃とうと膨大な紫電を体に這わせている。


「二発は……耐えられねえぞ……!!」


 自らを鼓舞すように吐き捨て、立ち上がろうとしたルーキだが、ソーラの力を宿した武器はどこかへ吹き飛び、体の神経もほとんど意識を失ったまま。

 次の攻撃に対して打つ手がない。


 腹をくくった、その時だった。


 …………コケコケ…………コケコケコケコケ…………。

 ワワン……ワンワン……ワンワンワン…………。


 何かが、聞こえてきた。


「……!? な、何だ!?」


 ルーキは音の出所を探し、目を室内に走らせた。


 ……ニャーロット…………ワンソン…………ニャーロット……ワンソン……!


 誰の姿もそこにはない。

 しかし声は確かに、天井を走り、床を滑り、ルーキのすぐ耳元をかすめ、この空間内を駆け巡っている。


「誰か……誰かいる! この部屋の……いや、この世界の裏側に誰かがッッ!」


 ルーキがそう叫ばずにはいられなかった、次の瞬間!


「show time!!!」


 ガラスを突き破るような音を立てて、何者かが虚空から飛び出してきた。


 本日一度目のショータイ!


「イヌガミ流奥義……!!」


 超高速の柴犬(黒)が無数のX字を描きながらソーラの周囲を飛び回る。

 鳴り響く打撃音は遅れてやってきた。間断なく続くその中に、ソーラの苦悶の叫びが混じる。


「か、帰ってきたッ!〈悪夢狩り〉の一族がッッ!!」


 ブレーメンの襲撃隊はこれまで異空間に閉じ込められていた鬱憤を晴らすかのように、祭壇の間を縦横無尽に飛び回った。


 ヴォーーーー!!!!


 ソーラが身をよじって吠えた。


「やったぜ! 投稿者、新人完走者。投稿時間、なな時十四分――」


 すごい早口で無理矢理勝利宣言しようとしたルーキの顔を、白い輝きが照らす。


 ソーラの体をこれまでにない柔らかな光が包んでいた。一族がボコボコにした損壊箇所が、みるみるうちに再生していく。


「は、破壊精霊のくせに回復魔法も使うなんて……ずるいぞ!!!」


 光が走った。

 指向性を持つ雷光が周囲を飛び交う一族を執拗に追いかけ、撃ち落していく。


「こ、こんな……!」


 黒柴たちが散発的に反撃をしても、ソーラの傷はたちまち癒えてしまう。風や水を斬りつけているのと同じ。

 破壊精霊とはそういうものだった。風害であり、水害であり、雷害であり、土害であり、炎害なのだった。


「こんな馬鹿な……!」


 ルーキは絶望的なうめきをこぼした。


 彼らなら、ガチ勢でも特別異質な〈悪夢狩り〉のメンバーなら、対抗できると信じていた。力が有り余って世界から飛び出してしまうことはあっても、完走できないなんてことありえないと思っていた。しかし、そうはならなかった。そうならないことが、この世には有り得たのだ。


 彼らにどうにかできないものが、自分にどうにかできるはずもない。

 回転の止まりかけた頭を必死に動かそうとしても、目の前の現実は重すぎる。

 さすがに、これは、どうしようもないと。


 しかし。


「ルーキ……君……」


 ルーキの腕の中で、リズがシャツを掴んでいた。

 途絶えた意識の中で吐き出したうわ言のようだった。


「……委員長……!」


 ルーキはほとんど力の入らない手を、彼女の手の上に覆いかぶせる。彼女のほのかな体温が冷え切った手の中を温めた。


「そうだな……」


 このわずかだが動かせる体は、リズが自分の身を挺して残してくれたものだ。

 ならば、最後の悪足掻きをする義務が、自分にはある。

 走者として。彼女のリーダーとして。


 ルーキはふと、リズの手の位置に何か硬いものがあることに気づいた。

 奇妙に思って、自分のシャツの中に手を突っ込む。


「――!!」


 そこにあったのは――。


「ここでこれを見つけるのも……何かの“兆し”かよ!」


 兆しを幸運に変えられるかどうかは、その人次第。

 ルーキは力の入らない腕でリズをそっと床に横たえると、ソーラに向かって身構えた。


「こいつは確かにとんでもねえバケモノだ……。妖魔たちが憧れて、走者たちが必死に阻止する理由もわかる……」


 今も戦っている一族は、また一つ、また一つと負う傷を増やしていく。

 対するソーラはほぼ無傷。


「圧倒的だ。新人の俺にはどうすることもできない……。しかし!」


 半身に構え、片足を持ち上げる。

 腕にも足にも十分な力は入らない。バランスを取るだけでも精一杯だ。しかし、それでも、腕を振り、足を振り下ろす体の動きの中から渾身の運動エネルギーを絞り出す。


「異郷の毒ならどうだソーラッ!! これが走者の――ガバ勢の意地だあああああああああああああッ!」


 彼は投擲した。


 真四角の立方体――かりうのケース。


 このRTAを始めた直後、ある少女から渡された毒薬。


 執念のみを封じ込めたケースは、投擲者の意志とは真逆に、敵意のまったくない、素直な放物線を描いてソーラの巨体へと迫る。


 巨大な口が、ごおと突風を吹いた。

 家屋を薙ぎ倒すような豪風だった。人間の手のひらに収まってしまうほど小さなケースは、その中で簡単に軌道を失い舞い上がる。


(ダメ……か――!!)


 ルーキの歪めた目が、明後日の方向に飛んでいくかりうを追う。


 ソーラが放つ光を受けて、一度きらりと輝いたケースを、


 天井からスッと突き出た白い小さな手が、包み込んだ。


「――――――!!!!!」


 そのピンクの色彩は、死闘の間に、場違いな大輪の花を咲かせる。


「スター――……」


 端正な顔立ち。抱けば折れてしまいそうな華奢な体つき。

 戦いにはまるで不向きな、普段着のような長衣。

 そして何より、この世の何も映していないような、大きく、茫洋とした瞳――!


「ルッカアアアアアアー!!!!!????」


 彼女が逆さまに、天井から落ちてくる!


 轟音が衝撃となって祭壇の間を――いや、神殿自体を揺らした。


 グググ……ウゥゥゥゥゥウ……。


 ソーラは部屋の床に叩き伏せられていた。

 あの桃色髪の少女が、人差し指と小指で作った輪の中を簡単に通過してしまいそうな細腕一本で、竜と悪魔を足して引かないソーラの巨大な頭部を床に押さえつけているなんて、誰が信じられるだろう。


 だが、それが現実。


 スタールッカーは相手に触れることさえせず、ただ手のひらをかざすだけで、ソーラの動きを封じていた。彼女の体を光源としてゆるやかに明滅する赤い輝きに目を奪われたルーキは、背後からの「サイコキネシスです……!」の声に咄嗟に振り向く。


「委員長! 大丈夫なのか!?」


 大鎌の柄を支えに立つリズに慌てて駆け寄り、肩を貸した。


「それで、サイコキネシスって?」

「ものに触れずに物体を動かす力です。スタールッカーは、サイキッカーなんですよ」

「そうだったのか……。しかし、〈悪夢狩り〉でさえ止められなかったソーラを止めちまうってのは、何と言うか……やっぱ規格外だな」


 それは台風や津波を一か所に閉じ込めておくようなものだ。

 リズは微笑し、スタールッカーを見つめ直した。


「そして、それだけではないようです」

「何?」


 ルーキもつられて彼女を見る。


 オオオ……グオオオオ……!


「何だ、ありゃ……!」


 ソーラの体が徐々に床に沈み始めていた。床に押し潰そうとしているのではない。現にフロアのタイルにはヒビ一つ入っていない。しかし同時に、何かが軋むような音も聞こえてくるのだ。


 ルーキは、それと似た音をついさっき聞いていた。

 オニガミたちがこことは異なる場所から飛び出してきた、あの時に。


「まさか、こことは別の次元にソーラを追い出そうとしているのか!」


 ガアアアアアアアアアアア!!!


 ソーラが竜そのものの怒声を放って暴れ出す。しかし、六本の手足はほとんど持ち上がらず、頭部に仁王立ちするスタールッカーには届かない。

 それでも、この精霊には七本目の手足、尻尾があった。


 陸に打ち上げられた魚のように何度も床を叩いて室内を激震させると、ソーラの尻尾がスタールッカー目がけて走る。


 彼女のサイコキネシスもそこまではカバーできなかったのか、その動きは俊敏の一言だった。リズを支えて立つルーキに何ができるわけもなく、彼が目を見開いて見つめる中、それはスタールッカーを容赦なく弾き飛ば――。


「!?」


 ――さ、ない!


 重轟音と共に弾き飛ばされたのは、ソーラの尻尾の方だった。

 分厚い鱗に刻まれた刀創から青白い霧を吹き出しながら、打ち払われて怯んだ大蛇の首のように部屋の隅まで押し返される。


 ルーキは、その迎撃地点に立つ人影を見た。

 尻尾から噴霧された青白い光の中、威嚇的な構えで、より濃密な蒼の闘気を立ち上らせる、その人こそ。


「――レイ親父ッ!!!」


「よってたかってやりたい放題やってくれたなあオイ!? 人が一生懸命タイム縮めようと努力してるってのにてめえら人間じゃねえ! もう許さねえからなあ!!?」


 肩に担いだ愛刀の「邪刀・宵」が、その怒気に呼応するように青白い炎を宿した。途中で手にした破壊精霊の剣の力を、「宵」に移しているのだ。


 現時点で最高の破壊力と、最高の使い手。

 最後の決戦で姫君を守る守護者として、これほど相応しい人物はいない。


 レイ親父は肩越しにスタールッカーを振り返り、その何を考えているのかわからない淡泊な顔に告げた。


「おい小娘。さっさと始末をつけちまおうぜ」


 すう、と身の丈サイズの大太刀を横八双に構える。


「ここは誰も通さねえからよ」


 スタールッカーはそれをしばらく見つめた後、まるですべてを任せたみたいに、ソーラへと意識を向けた。

 その時、外の廊下から無数の足音が押し寄せる。


「な、何をしているきさまらー!」

「ソーラ様の目覚めの一時を邪魔するなどと……許さん!」


 神殿に詰めていた悪霊神官たちだ。あの円と四角形が描かれた奇妙な仮面の下で、猛烈な怒りを放っている。その後ろには、他のモンスターたちの姿もある。戦闘の騒ぎを聞きつけて集まってきたらしい。


「排除しろ!」


 怒号と共に、一斉に室内に雪崩れ込んで来る。

 が。


「破動剣!!」


 空間を波紋のように広がる一薙ぎが、敵の群れを押し返した。


「今の技は……!? サグルマ兄貴!?」


 ルーキが振り返ってみれば、そこには案の定、不定形の霊剣を構えた頼れるガバ勢の兄貴分の姿があった。


「おらガバ勢! ちんたらやってんじゃねえぞ! 全員で親父をフォローだ!」


 別方向から、その土間声に応える声。


「オレ様曰く、ガチ勢も総力を挙げてスタールッカーを援護するぞ! ヤツらの祈りなんぞよりもオレ様たちの祈祷力の方が上だということを思い知らせてやれ! あと、バーニングシティはいつでも新規走者を受付中だ!」

「わたしは遠慮しておきます」


 サグルマに続き、ガチ勢たちも復活して、モンスターの群れへと立ち向かっていく。


「ルーキよォ……!」


 その軽い呼びかけに、ルーキは背後を振り返る。そこには、麻痺状態から立ち直ったカークと、サクラが立っている。


「このRTA、崖から落ちたり歌を歌ったり、色々あったけどよォ……。最後はずいぶんシンプルになったじゃねえか……!」


 ルーキは好戦的に笑ってうなずいた。


「ああ、そうだカーク。ここで後ろケツを守りきれれば俺たちの勝ちだ!」


 サクラが歩み寄り、いつの間にか回収していたらしいショートソードを、何を言うでもなく差し出してくる。ルーキはそれを笑顔で受け取り、リズともうなずき合う。


「よーし、俺たちも行くぞ!」

「最後の最後だ。やってやるぜえ!」


《クリフトン!!》


『ヌワスーーーーーーッ!!』


 ルーキとカークは揃って断末魔の悲鳴を上げた。


「ちょっと男子ィィィ!? サクラさん、そこのお調子者二人引きずっていって! わたしが前に出て時間を稼ぎます!」

「了解っす――って、あれ!? いいんちょさん、二人とも無事っすよ!?」

『えっ』


 委員長だけでなく、胸に手を当てて倒れる準備をしていたルーキとカークもピタッと停止し、自身の無事に驚く。


「案ずるな、我に付き従う精鋭たちよ!! ヤツらの攻撃などもはや我らには効かぬ!」


 光り輝くような姫騎士の凛声が、ルーキたちを圧した。


「行こう、祖国の子らよ! 栄光の日がやって来た! 武器を取れ! 隊列を組め! 進もう! ヤツらの血が畑のうねを満たすまで!」


 まごうことなき戦乙女となったプリムの歌うような言葉の波が、力となって体に染み込んで来る。事実、ルーキは自分の体が未知の力に守護されている力強さを感じた。

 サクラが唖然として叫ぶ。


「プリムの“王戦の凱歌”っす! 全能力強化、全状態異常無効化の奥の手――しかし……!」

「ムッキー!!」

「うぎゃっ、うぎゃー!!」

「見ての通り、慣れてない人はプリムのパワーに侵食されてお猿さんになってしまうっす!」


 しかしプリムは爛々と目を輝かせたまま、グレートソードを高く掲げる。


「兵に余計な理性などいらぬ! 総身を勇気と闘志で埋め尽くすのみ! さあ我が戦車となり戦場を駆け巡るのだ! いざゆけボウケンソウシャー!!」

「ムキムキー!」

「サルゥー!!」


 プリムを乗せる二人一組の騎馬となり、ルーキとカークは戦場へと飛び込んでいった。

 

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