第16話 ガバ勢と新たなる一日

 ルーキはぬかるみのような眠りから目を覚ました。


 まだ早朝の薄暗い室内。

 ぼんやりと見上げるシミだらけの天井が、昨日、RTAから帰って来てすぐ向かった酒場の色彩とわずかに重なり、その熱気を薄いシーツの内側に蘇らせる。


「……それでは、完走した感想ですが……」


 酒場に詰めかけた聴衆を前に、サグルマが口にしたお約束の第一声が、はっきりと耳に残っていた。


 約束通り、ルーキはサグルマの完走した感想の相方として人前に引っ張り出された。

 レイ一門が普段たむろっている事務所兼酒場の〈アリスが作ったブラウニー亭〉ではなく、サグルマの行きつけの小料理屋。満席のテーブルには酒と料理が絶え間なく運び込まれ、誰もがサグルマの話す冒険譚を待ちわびていた。


 列車で委員長にRTAの話をしたのは、図らずもいいリハーサルになった。

 おかげで言い淀むこともなく、サグルマとの細かいやり取りは覚えていないが、室内灯に照らし出された客の楽しげな顔だけはしっかり目の裏に残っている。


 一門がガバるたびに、席から飛ぶ「再走!」「再走して、どうぞ」のヤジ。


 サグルマが「皆様のためにいー」と言えば、「ヒエッ」「やめろ」「どうせフェイントだろ」からの、店の女将による「こんな料理をご用意しましたー」という失敗オリジナル料理の登場。

「本当にやるやつがあるか」「もう慣れた」「逆に美味く思えてきた」などの手馴れた対応が心地よい。


 最後は誰もが満足した顔で帰っていった。

 酒に酔い、話に酔い、英雄に酔う。

 あれが、一人前の走者による完走した感想。現代のヒロイックサーガだ。


「俺にもできんのかな、あんなの……」


 我知らずつぶやいたルーキは、ゆっくりとまぶたを閉じようとした。


 その時。


 天井板がずるりと横に動き、そこから白い顔がのぞく。


「ハァーイ、ルーキィー」

「うおおおおお!?」


 ルーキは驚きのあまりベッドから転げ落ちていた。

 ベッドの支柱からばきりといやな音がしたが、そんなこと気にする余裕もなく、床から天井をにらみつける。


 それは知った顔だった。


「サ、サクラ!?」

「どーも。おはようさんっす、ガバ兄さん」


 ルート0で共闘した忍者の少女は、天井板の隙間から微笑むと、リスのような身のこなしでするりと部屋の中に滑り落ちて来た。歩くたびに軋む安普請の床なのに、物音一つ立てない。


「な、何でおまえがここにいるんだ?」


 ルーキは目を白黒させながらたずねる。が、サクラはさも当然そうに部屋を見回し、


「はあー、きっっっったない部屋っすねえ。掃除とかちゃんとしてるんすか?」


 単身走者用の貸しアパートについてきた家具一式は、安っぽさを通り越して廃材寸前。加えて、たまった洗濯物に昨日ぶん投げたRTAの荷物が混ざり込んで、部屋は廃屋の一室になりかけている。


「いや、してないけどさ。そんなことわざわざ言いに来たのか? 朝から」

「まさか。ただ、ガバ兄さんにはサクラのRTA手伝ってもらう予定なんで、一応、色々見定めておこうと思ったっす。さ、日が昇ってから目が覚めたら、もう睡眠は十分な証拠っす。さっさと起きた起きた」

「わ、わかったよ」


 ルーキはのそりと起き上がると、さっきのワンアクションで傾いでしまったベッドに引っかけてあった着替えのシャツを取る。


「それにしても、よく俺の家がわかったな」

「忍者をなめないでほしいっすね。情報収集、攪乱、隠密行動は得意中の得意っすよ」

「なるほど。なかなかやるな」

「実は単にここの天井に住んでるだけなんすけどね」

「え? ……えーと、うそ?」

「ホントっす」

「いつからいた!?」

「二ヶ月くらい前っすかね。もちろん家賃なんて払ってないっすけど」


 眠気は綺麗に吹っ飛んだ。


 ※


「いやあ、世間は狭いっすねえ。まさか、同じアパートに住んでたとは」

「勝手に住み着くとかネズミか何かかよ……」

「隠形と経済的理由を組み合わせたまったく新しい修行なんすよ」

「やっぱ汚いわニンジャー……」


 着替えを終えたルーキは、サクラと並んで朝霧にかすむ大通りを歩いていた。


 RTA走者を中心としたこの街は、朝は早く夜は遅い。どの店もまだ開いていないような時間から、通りには走者の姿がちらほらとある。


 ルーキの足は自然と、街の名物、大看板へと向かっていた。

 そこには前日のRTAの結果が張り出されている。


 すでにたくさんの走者たちが集まり、指をさして自分の記録を確認したり、ライバルの活躍を見て歯噛みするなどの光景が見て取れた。


「兄さん、ルート0のスコアはないっすよ」

「わかってるよ。〈悪夢城〉は……あった。スコアは……と。うえ、あれでベストじゃないのかよ。本当にガバってたのか」


 参考として脇に書かれているベストスコアと今記録を見比べて、ルーキはうめいた。


「スタールッカーは……。あっちも参加者は一人か。ま、現地についた途端に始まったんだし、他が間に合うわけないか。あちらもベストじゃないが、それでも僅差……」


 突然のRTAでもそれだけのパフォーマンスを発揮できるのは、普段からその土地に馴染んでいる証拠だろう。ガチ勢とそれ以外の差が、そういう細かいところにも出ていた。


 不意に、ルーキのまわりで人々がざわついた。


 彼らが見ている先を目で追うと、霧の中から、異様な得物を担いだ一人の少女が抜け出てくるのがわかった。


「おい、あの大鎌って……」

「白い柄に白ずくめ。間違いないね」

「なら、あれがかの有名な“魔王喰い”か」


 走者たちが口々に彼女の見てくれを口にする中、ルーキだけは異なる呼びかけをした。


「委員長、おはよう!」

「ルーキ君、またそれですか? 人前ではちょっと恥ずかしいですよ」


 リズ・ティーゲルセイバー。その人だった。


「えっ、ガバお兄さん、大鎌の勇者の知り合いなんすか?」


 目を丸くするサクラに対し「元同級生なんだ」と短く話すと、ルーキは改めてリズの姿を見やった。


 白の肩出しタートルネックとホットパンツ。防塵用の外套。草や灌木が生い茂る土地でも気にせず進める厚手のニーソとブーツも前日と同じ。今すぐにでもRTAに飛んで行ける臨戦態勢だ。


 それに加えて一際目を引くのは、やはり背中の白い大鎌。

〈魔王喰い〉と呼ばれる、勇者というより死神が持っていそうな異端の武器だが、ティーゲルセイバー家はこれを代々受け継いでいるという。そもそも、この大きな牙のような得物が、ティーゲルセイバーの名前の由来というのがもっぱらの噂。


「ルーキ君、そちらの女の子は?」


 挨拶もそこそこに、リズがルーキの隣にいるサクラに目を向ける。

 忍者少女はシュタと気楽に手を上げ、


「どーも、サクラっす。はじめまして! イインチョーさん、もしかしてガチ勢の方ですか?」

「ああ、あなたがサクラさんですね。おはようございます。リズ・ティーゲルセイバーです。ウェイブ一門のご厄介になっています」

「ウェイブ一門! はえー、ガチ勢の最大勢力じゃないっすかあ。やっぱり勇者の家の人はそういうところ行くんですねえ。ガバ兄さんも見習って、どうぞ」

「レイ一門も最大勢力だぞ」

「ガバの最大勢力なんて迷惑なだけっスルルォ!?」

「まあまあ。二人とも、朝食はまだですか? よかったら一緒に行きませんか」


 リズがなだめながらそう提案すると、


「ソバがいいっす! かき揚げソバ!」

「ん。じゃ、俺、テンプラ=ソバ」


 走者であることは、すでに一つの共通点を持っているようなものだ。

 まるで以前からの顔馴染みが出会ったような流れで、朝食はソバに決まった。


 店こそ開いていないものの、今は、走者相手の屋台が通りを占拠する時間帯だった。

 ルーキたちが通称〈屋台通り〉に足を踏み入れると、パン、米、麺類、あらゆる地方料理のいい匂いが、路の左右から流れてきては腹の虫を誘う。


 適当なソバの屋台を見つけ、のれんをくぐる。


「場所あるっすかねー」

「おっ、空いてるじゃーん」

「空けてもらったんですよねえ……」


 先客たちが作ってくれたスペースに、三人で入り込む。

 座席はない。基本せっかちな走者相手のここでは、大半が立ち食いだ。自然と距離も近くなるが、そんな細かいことは誰も気にしない。


「サクラさんはニンジャーですよね」


 店のおやじに注文をしてから、リズがルーキを挟んで反対側にいるサクラに話しかける。


「ニンジャーじゃないっす。忍者っす」


 二人の会話はごく自然だ。恐らくは同世代で、平均より低い背丈も同様。

 そしてこれは余計なお世話だろうが、体型までいい勝負とくれば、自然と会話の距離感も近くなる気がした。


「すみません。レンジャーとごっちゃになってて。ルート0でのことはルーキ君から聞いてます」

「へえーっ。ちょっとガバ兄さん、どんなふうに言ったんすか? ちゃーんと活躍したところを伝えてくれたんでしょうね?」


 サクラが肘で小突いてくる。


「ああ。なんかトラウマ多くてすぐ震えだすって言っておいた」

「今度余計なこと言うと口を影縫いするぞ」


 ドスのきいた声だった。


「サクラさんは、レイ一門ではないですよね?」


 リズがまた話を振る。


「もちろんっす。あんなガバ一門とは何の関わり合いもないっすよ。ただ、RTA警察から情報収集やら伝令の依頼を受けて、たまたま会いに行くことはあるっすけどね」

「そうでしたか。お二人が珍しい組み合わせだったので」

「それはこっちの台詞っす。ガバのお兄さんと本当の勇者なんて、まず匂いからして別の生き物じゃないっすか」

「なに、ガチ勢の匂いなんかあるのか? どれ」


 参考までに匂いをかいでおこうとすると、リズは顔を赤らめて半歩後ずさった。


「ちょ、ちょっとルーキ君、やめてください、こんな人前で。まったくあなたという人は……」

「へー……」


 何やらサクラが目を細め、口元をニタリと歪める。


「まあ? ガバ勢のお兄さんにはわからんっすよ。二人きりの時にあんなに密着してたのに、サクラの匂いも気づかなかったでしょ?」

「へ?」

「……ルーキ君? 何の話です?」


 心なしか声の体感温度を五度ほど下げたリズが、笑顔のまま聞いてくる。


「ほらー、あの人気のない公園でえー、震えるサクラのか弱い体を最後まで温めてくれたじゃないすかー」

「RTAの話をしてるのか? 何だその変な言い回しは……」

「ルーキ君、温めるとは?」


 リズが追撃の質問をしてくる。


「こいつのこと背負ってたんだよ。崖渡る時に」

「それで、今度はサクラのRTAを手伝ってくれるって約束してくれたんすよねー」

「…………」


 ぐりぐりと肩を押し付けてくるサクラに、ルーキは顔をしかめた。さっきから挙動がおかしい。妙にべたべたしてくるというか。何を企んでいる?


「けど、サクラもか弱い女の子っすから、お相手のことはもっとよく知らないと……。まあ、一つ屋根の下で暮らしてますし、機会はいくらでもあるっす。今朝も眠たげなお兄さんを、起こしてあげましたしね。これから毎日してほしいっすか?」

「…………ほう。仲良しですか」


 ピリピリと空気が震える音がした。


「え? ええと、言ってることは間違ってないような……でもなんか変な感じな?」

「全然変じゃないっす。あ、ソバ来たっすよー。はいガバ兄さん、ハシどーぞっ」

「お、おう。ありがとな」

「…………」


 そうして、忙しなく朝食をとったのだが。

 ソバは熱々で、テンプラも揚げたてだったのに、右腕――リズの立っている側――にずっと鳥肌が立っていたことが、ルーキには何とも不思議でならなかった。


 ※


「ルーキ君、RTAに行きませんか」

「えっ」


 鋭く澄んだ目でリズがそう切り出したのは、三人仲良く屋台を後にした直後のことだった。


「RTA? え、えーと? いいんだけど、確か一人前になった俺と一緒に走るのが夢だとか言ってなかったか?」

「一人前になるまで一緒に走らないとは言ってません」

「あ、うん。確かに言ってないな……。じゃあ一応、レイ親父に聞いてからでいいか? 一門で何かやるなら、そっちを優先しないとまずいから」

「ええ、いいですよ」


 リズは生真面目な様子でうなずく。


「あー、ガバ兄さんが行くなら、サクラも一緒に行った方がいいっすねえ。ほら、前のRTAでは共に死闘を乗り越えた仲ですし。イインチョーさんとは初RTAなんでしょう?」


 ニタニタと笑いながらサクラが名乗りを上げる。ルーキは何だかイヤな予感がしたが、考えるよりリズの反応の方が早かった。


「はい。サクラさんも手伝ってくれると嬉しいです。三人くらいがちょうどいいチャートなので」


 微動だにせず言い切ったリズに、サクラは少し拍子抜けしたように目をぱちくりさせた。


「ちなみに、何のRTAなんだ?」


 ルーキがたずねると、リズは一枚のパンフレットを取り出して示した。

 そこに書かれていた文字を、そのまま読み上げる。


「コンバットドッジボール大会。参加者募集中……?」

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