第13話 ガバ勢と〈悪夢城〉
「見えてきたぞ。あれが〈悪夢城〉だ」
「はえー、大きい……」
木々の隙間から、切り立った岩塊の上に立つ巨大な城を見て、ルーキは間の抜けた感想をもらした。
こんな深い森の奥地にあるとは思えないほどの威容。大陸南部の“王”の居城が相手でも、並べてじっくり見比べなければどちらが上かは断言できないだろう。
「あれが、本当に昨日今日できたものだっていうのか……?」
ルーキの独り言に、サグルマが律儀に返事をする。
「そうだ。〈悪夢城〉は一晩で忽然と現れる。名前の通り悪い夢みたいにな……」
「サグルマ兄貴は、あそこに行ったことがあるんですか?」
「ちょっとだけな。まあ、古い知り合いがよく走ってるから、少し詳しいだけだが」
さらに近づいてみると、そこが〈悪夢城〉と呼ばれる理由がよくわかった気がした。
曇天を映したような重たい色合いと、押し黙った怪物のような雰囲気は序の口。
悪い夢のようだというのは、何よりもその混沌とした構造を端的に示す表現だった。
城というものは、権威を示す宮殿と、防衛用の砦の二種類あるが、当然ながら人が使うことを前提にしている。
目指す城にはそれがない。利便性や機能美の追求以前に、建物と建物は溶け合ったようにくっつき、乱立する尖塔の中頃から突き出した長い廊下は、その先で別の尖塔を吊り下げている。人の手の届かない高所にしか扉がない家屋に気づいた時はめまいさえ覚えた。
「物理法則が仕事してねえ……」
あえて言うなら、風邪を引いたときに見た夢を城の設計図として書き起こしたような有様。生身の人間が入り込んで元の形のまま出てこられる保証は、まるで感じなかった。
「さ、ちゃっちゃと終わらせちゃってほしいっす。他の開拓町は、別の走者たちが回るよう指示が出されてるはずなので、ガバ勢のみなさんは安心してここに集中していいっすよ」
サクラは気楽にそう言ったが、〈悪夢城〉を前に、一門は足を止めざるを得なくなる。
城が立っている岩塊と崖を結ぶ跳ね橋が上がっているのだ。
唯一の通路を自ら隠した〈悪夢城〉は、正に陸の孤島だった。崖下をのぞき込んではみたものの、立ち込めた濃霧が川のように流れていてとても見通せない。
「これ、どうすればいいんですか?」
ルーキがたずねると、レイ親父が親指で一方向を指しながら言った。
「この下を見てみろ新入り」
彼に言われるがまま、城側とは別の崖際にしゃがみこんで様子をうかがう。
こちらは少し霧が薄く、どうにか崖下まで降りていけそうな足場が見える。その先を目で辿ると、まるで誘い込むような細い道が、城を乗せている岩塊近くまで続いているのも発見できた。
「〈悪夢城〉は、上にある建物部分のことだけじゃねえ。土台の岩場も含めて、一つの城と考えるんだ」
レイ親父の落ち着いた口振りから、こちらが正しい踏破ルートだとわかった。
となると、せっかくここまで来たのに、崖を降りて大回りしなければならないわけだ。
(だけど……)
ルーキは再び跳ね橋を見つめ、慎重に距離を目測した。
いけそうに思える。
「レイ親父。俺のグラップルクローが届くかもしれません。ちょっと試してみていいですか?」
「なに? もしできれば大幅短縮だ。やってみろ」
一門の期待の視線を背中に浴びつつ、ルーキはグラップルクローを射出した。一度目は弾かれてしまったが、それでもぎりぎり射程距離内だとわかった。狙いすました二射目で咬合部を橋の裏側に食いつかせる。
「やりますめぇ!」
「ナカナカヤルジャナイ!」
走者たちからやんややんやと喝采が上がる。レイ親父も上機嫌で、
「こいつは便利なヤツが入ったもんだな。よーし、新入り。中に入って橋を降ろすレバーを探せ。もう一人連れて行けるか?」
「軽い人なら大丈夫そうですが……」
「なら、そこの草。こいつにくっついてけ。この中じゃおまえが一番軽そうだ。ダンジョンRTA上がりなら、地図書きは得意だろ」
いきなり指名されたサクラは顔をしかめ、
「えぇー、またっすかあ? サクラの仕事はそちらさんに指示を伝えるだけのはずなんすけど。あと草呼ばわりはやめてくださいよお。きょうび、
ぶつぶつもんくを言いながら、サクラが断り一つ入れず、当然の権利のようにルーキの背中によじ登ってくる。
「あーっ、これはサクラの慎ましく愛らしい胸がお兄さんの背中に当たっちゃってるっすねえ。城の中で二人きりになるとはいえ、変な気起こさないでくださいっすよお~?」
「おっ、そうだな」
「雑ゥ!」
ルーキは魔導モーターを起動させて崖を渡った。
無事跳ね橋の裏側に取りついた後、グラップルクローの解除と射出を繰り返しながら徐々に登っていき、跳ね橋の頂上へとたどり着く。
「へー、まるでRTAみたいな動きっすね」
「RTAだよ!」
頂上部から内部をそっとのぞく。
庭園があるようだが、生き物の気配はない。
「ほら、RTAならさっさと行くっす」
「チャート持ってないんだから仕方ないだろ。おい、やめろ押すな!」
サクラに押し出される形で、ルーキは跳ね橋を滑り降りた。
勢いのついた彼が無様に転がるのに対し、一方のサクラは臨戦態勢を維持したまま綺麗に停止する。
噴水のある美しい庭園が、ルーキたちの前に広がっていた。
しかし、植えられた花々に色はなく、置かれた彫像はどれも多数の生物をごちゃ混ぜにしたような歪な形をしている。ここでは単なるオブジェさえ、まっとうな姿ではいられないらしい。
「気味悪い場所だ」
「住んだら三日で病気になりそうっすね。さっさとレバーを探しましょう」
城全体に悪い空気が充満して、こちらの感覚にふたをしてくるようだった。跳ね橋のレバーを探したいのはやまやまだが、迂闊に歩き回るのも危険。どう動くべきか、ルーキが思案した時、
「ここはサクラの出番っすね」
サクラは薄っぺらい胸を張ると、手で複雑な印を切った。
「忍法朧分身!」
ぼわんと煙が立ち、そこから四人のサクラが飛び出て来る。
「なっ……増殖した!?」
「いやな言い方っすねえ……。忍者の術を見るのは初めてっすか? これは朧分身と言って、一時的に実体の有る分身を作り出す術っす。あっ、今、一人くらい持ち帰ってもばれへんかとか思ったっすかあ~? やらしーんだー」
「おっ、そうだな」
「それしか言えんのかこのガバ! もういいっす。散開!」
彼女が叫ぶや、サクラの分身は一斉にあちこちに駆け出す。
残った本体は懐から紙と筆ペンを取り出し、何やら書きつけ始めた。
「それは……まさか地図か?」
「そうっす。分身の視界はこっちで確認できてますから、これで一気に周辺の様子がわかるっす」
それを聞いてルーキは耳を疑った。
「四人分の視界を一人で? 頭の中どうなってるんだ」
「慣れっすね。まあ痛覚とかも共有しちゃってるんで、一斉にやられるとヤバいっすけどね。実質、体力五分割みたいなもんっす」
「しかも地図書くの早いな」
「この程度、ダンジョン系走者なら基本っすよ。ガチ勢は寝ながらでも地図書きするっす」
「ヒェ……」
ほどなくして分身の一体がレバーの位置を探り当てる。錆び付いていて分身一人では動かせなかったため、サクラ全員とルーキの力を合わせてどうにか作動させた。
まるで城自身があげた悲鳴のような轟音の元、橋は下りた。
レイ親父たちが意気揚々と渡ってくる。
「よーし、よくやったぞルーキ―と小娘! このまま一気に玉座まで乗り込んで、ボスの首を取っちまおうぜ」
「え……。大丈夫なんですか? この城、かなり複雑な形してるっていうか、迷路みたいな感じしますけど……」
ルーキが不安になってたずねると、レイ親父は胸を張った。
「ああ。だが、その分抜け道や隠しルートも多い。なーに、俺に任せろ。必要なチャートはちゃーんと頭に入ってる」
「ホントっすかねえ……?」
サクラが疑わし気な眼を向けると、
「たとえばだな」と、レイ親父は突然、庭園の休憩場の短い石段に邪刀を振り下ろした。
「おおっ!?」
ルーキは思わず歓声を上げた。あっさり砕けた階段の下から、布袋に入った宝石が出てきたのだ。
「カネーッ! 宝石っす! 見つけたっす! 誰にも渡さないっす! これで大金持ちっす!」
宝石に飛びつき頬ずりするサクラに、
「そいつは城が消滅する時に一緒に消えちまうから、持って帰れないぜ。ここに住んでる金物好きとの取引に使える程度だ」
「ぬあ!?」
「こんなふうに、隠しものの在処もわかってるんだ。んで、あっちにはボスを倒すのに有効なお宝が隠されてる。わかったらみんな俺にみんなついてこい!」
『ホイ!』
一門は喜び勇んでレイ親父の後に続いた。ルーキと、それから未練がましく宝石袋を胸に抱いたサクラも、もちろんそれについていく。
庭園の休憩所というと、だいたいが屋根と椅子だけの簡素なものだが、ここは違っていた。四方をしっかりと壁に囲われており、さらに、入り口がどこにもない謎の建物と結合している。
レイ親父が壁に邪刀を叩きつけると壁はあっさりと崩れ、その奥の隠し通路を晒した。
「おおっ! 本当にあった!」
「さすが我らの父!」
期待に胸を膨らませる一門がさらに奥へと進むと、意外に長い通路の端に、宝箱が三つも並んでいた。
色めき立つ一門を前に、レイ親父は得意げに鼻を鳴らし、真ん中の宝箱に手を置いた。
「慌てるな。三つのうち一つは
彼は宝箱を開けた。
「あっ……」
宝箱はミミックだった!
「何でそこで間違えるんだよガバ親父イイイイイイイイイイイ!」
「やめろぉ! 本当にヤメロォ!」
牙を生やした宝箱が、狭い通路をゴムまりのように跳ねながら一門に襲いかかる。
「カネー」
「ボーリョク」
大勢でいたためろくに身動きが取れず、さらに油断しきっていたこともあって、たちまち数人が噛みつかれて悲鳴を上げた。
「ここじゃ勝負にならねえ、庭まで逃げろ! 急げ!」
サグルマが叫び、ルーキたちは一目散に逃げだした。
「このクソ野郎がッ!」
庭園に戻った直後、追いかけて来たミミックをレイ親父の刃が壁ごと貫いた。
中から紫色の体液が滴り、獰猛な宝箱はようやく動きを止める。
「いやな予感はしてたんすよ……」
げんなりした顔で言うサクラは無傷で済んでいるが、他の走者たちは大なり小なり傷を作っていた。ミミックに噛みつかれただけでなく、逃げ出す際に転んだり壁ですりむいたりしたからだ。
「ぼくは、あまりRTAが得意ではありません。それだけは言いたかった」
「言い訳はいいから親父、止血、止血! アンタが一番血みどろなんだよ!」
とくかく、全員でけが人の手当てを始めた、その時だった。
ルーキはふと、何かがものすごい勢いで跳ね橋を渡ってくるのを“風”として感じた。
「!?」
彼が仲間に注意を促そうとした時には、その存在はもう目の前を疾風のように通過していた。
「ムッ!?」
しかしその通り過ぎた何かは、こちらに気づいたように、人の声を発して戻ってくる。
なぜか後ろ向きに。
こちらの間近まで来て、彼は――人だった――ようやく振り向いた。
「おお、親父殿ではないか!」
「あん? おまえは……バーモント――悪夢狩りの一族か!」
レイ親父に悪夢狩りと呼ばれたその男は、豹のように鋭い目を細めて野生的に笑ってみせた。
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