第12話 ガバ勢と〈悪路走り〉

「おおレイ殿、このたびは何とお礼を申し上げればいいか……!」


 荒らされた町の中央広場で、町長と思しき老人が、外見上は孫ほども歳が離れていそうなレイ親父の手を取って何度も頭を下げた。


「いいってことよ。それより町長、けが人や病人は? 薬が足りてないなら必要な分だけ置いていくぜ」


 走者特有の実務優先を見せつつ、彼の表情は穏やかだ。


 モンスターを一掃した後、レイ親父率いる一門は朝を待ってこれ以上の襲撃はないと判断し、町人たちを緊急避難場所から呼び戻した。


 レイ親父は開拓民の間でも人気で、町長と向き合う今も町の子供たちに取り囲まれ、着流しの袖を掴まれたり、手を握られたり、肩によじ登られたりしている。


「ありがとうございます。何人か体調を崩している者がおります」


 町長の説明を受けたレイ親父がすぐに指示し、大きな荷物を背負った走者たちが、救援物資を配り始める。


 その様子を見ながら、ルーキは奇妙なことに気づいた。

 今、この町は初めてレスキューされたように見える。しかしこっちは道中で大ガバをしでかし到着はだいぶ遅れたはず。これまで別の走者はここを訪れなかったのだろうか?


「おや、あなたは一門の新人さんですかな?」


 不思議に思っていると、レイ親父との話を終えた町長が、慇懃に微笑みながらすぐそばに立っていた。


「はい。昨日、じゃなくて一昨日初めて一門に入りましたルーキです」


 ルーキが頭を下げると町長は少し驚いたように、


「おや、一門の方のわりに丁寧なお人だ。何か考え込まれているようでしたが、気になる事でも?」


 心中をあっさり見抜かれたルーキは、素直にさっきの疑問を投げかけていた。

 すると、


「ええ、確かに今回もあなた方が一番乗りですよ。いつも大変助かっております」

「でも俺たち、半日は遅れてるはずなんですが、他の走者たちは?」


 それを聞いた町長はほっほっと朗らかな笑い声を上げる。


「なるほど。道中大層なガバをなさったとお思いなのですな。しかしそれは大きな勘違いなのです。わたしでよければお話しましょう。なぜあなた方が一番なのか。そして――」


 彼は、レイ親父をちらりと見て、


「ここの住民にとってレイ親父殿がどういう人であるか」

「はい。是非」


 願ってもない申し出に、すぐさまうなずくルーキ。町長に勧められるまま、切株の椅子に腰掛けたところで、彼の話は始まった。


「あなた方が一番なのには、何のカラクリもありません。ここら一帯を回ってくれる走者というのが、ひどく少ないからです」


 しょっぱなからルーキは困惑する。


「少ない……ですか?」

「ええ。ここまでの道のりはどうでしたか。面倒な敵が多かったり、森や地下道など厄介な地形ばかりではなかったですかな?」


 首肯する。


「普通の走者であれば、チャート作りの段階からそういう場所は避けます。しかし、この町の周辺はそんな地形ばかり。結果としてほとんどの走者が、この付近を通ろうとはしないのです」

「ルート0は毎回状況が違うって聞きましたけど……」

「確かに。しかし地形はそうそう変わりませんし、ある程度のモンスターの偏りは知られています。よほどの初心者でもない限り、もっと見晴らしのいい平野や街道のあるコースを選ぶでしょう。進行のスピードが速ければ、それだけ多くの町や村を救えます」


 町長の言う通りだった。

 では、なぜレイ親父はわざわざこんな困難な道を選んだのか?


「〈悪路走り〉という言葉をご存知でしょうか?」

「いえ……」

「厄介な地形や、面倒で不人気な開拓地をあえて走る者たちのことです。あの方は、そういった場所に住んでいる我らが、いつもRTAで後回しにされることを知っていて、優先して見て回ってくださるのです」

「――!」


 走者も人である以上、開拓地に得手不得手がある。

 走りにくい土地や難しい土地は避ける反面、ストレスが少ない土地、好タイムが出しやすい土地、世間の注目度が高い土地は、人気が高い。


 それはおかしなことではない、とルーキは思っていた。


 走者が増えたとはいえ、開拓地は広く、モンスターの襲撃は頻繁だ。人手はいつだって足りない。難しいルートは、できる誰かが走ればいい。そう思っていた。

 しかしレイ親父は、楽々ここまで走ってきたわけではない。厄介な道が好きなマゾだったわけでもない。散々ガバり、悪態をついて、やっとここにたどり着いたのだ。


 ここにも開拓民がいるから。

 むしろ、こういう場所にいる開拓民こそが、もっとも助けを必要としていると知っているから。


「誰かがやってくれるだろう」ではなく「なら自分がやる」という信念。


 思わずレイ親父に目を向ける。


 一門が物資を開拓民たちに配る中、彼は子供たちにせがまれ、ギターを弾きだしていた。早さを尊ぶ走者がやりそうもない時間の浪費。それは確かだろう。

 牧歌的というか、何だかぐだぐだなRTAを体現したような、とりとめのない、やるせない気分になるメロディが流れ出す。


「チャートを間違えた~♪」


 歌詞までひどい。しかし、子供たちは大喜びで一緒に歌っている。


「チャートの見るところを間違えた~♪」


 RTAは見世物化している。その世界的な傾向は間違いない。

 ルーキ自身、その潮流に臆面もなく身を置く一人だ。RTAで名を上げようとする者、人気者になろうとする者、それを足掛かりに別の商売を始めようとする者、たくさんいる。その流れはきっともう誰にも止めることはできない。


 だけど、あの人は違う。

 ガチ勢とガバ勢が分かれる前の、古い勇者の流れ。それを引き継いで、純粋に人を助けるためのRTAを続けている。

 レイ親父は、古き良き英雄の時代の生き残りなのだ。


 ルーキと同じものを眺めていた町長はにこりと笑い、再び穏やかな声で話した。


「あの方は、悪路の走り方を熟知している。道中、多くのガバがあったと言いますが、それは誰でもそうなるのです。むしろ彼でなければリカバーにもっと長い時間がかかっていたでしょう。ルート0をチャート通りに走れる走者などいません。実際、あなた方は驚くほど迅速にこの町を救ってくれたのですよ」


 もう彼の言葉を疑う理由はなかった。うなずくルーキに、町長はもう一つの話を加える。


「あの方がリカバリーに優れる理由、おわかりですか?」

「いえ……。何か秘密があるんですか?」

「ええ。あの方は、走者の誰よりもガバに慣れているのです」

「ええと……それは、いいことなんでしょうか?」

「もちろんです」


 戸惑い気味のルーキに対し、町長は誇らしげにうなずいてみせた。


「走者には皆共通の弱点があります。急がなければ、チャートを守らなければ、という意識です。人は生来からして、うまくやろう、いいところを見せようとする生き物です。しかしそんな気持ちが強ければ強いほど、ガバった際の動揺は大きくなる」


 ルーキはうなずく。


 ルタの街では各ルートのタイム上位陣が張り出されており、人々からは英雄として扱われる。

 さらにその中でも一位の地位は別格。街を歩けば誰もが振り返り、羨望と尊敬を視線とつぶやきに乗せる。武具を扱う店なら、自分のところの商品を格安ないし無料で譲ってでも使ってもらいたがるし、飲食だってタダになりうる。教えを乞おうとする者も少なくない。当然、異性にももてる。


 速い走者というのは、それ以外の凡百とは住む世界が違うのだ。

 速く走りたくない走者などいない。


「“その人の本性を知りたければガバを与えよ”という古くからの格言があるように、ガバった直後の走者は、一人の人間としての中身を晒します。持っていた知識も技も忘れ去り、もっとも弱い状態に陥ってしまう。ベテラン走者でさえ、この一瞬の崩壊で命を落とすのです」

「……!」


 町長の穏やかな口調にじっとりとした響きが混じり、ルーキを身じろぎさせる。この老人は、かつてRTAをしていて、その光景を目の当たりにしたのではないかと思わされた。


「しかしレイ親父殿は、人が必ずRTAでガバを犯すことを知っています。たとえ難しいことなど何一つないようなタイミングであってもガバりうると、長年の経験から熟知しているのです。だからいざガバっても動揺を最小限に抑え、次善策を立てられる」

「確かに……」


 普段からガバガバだからこそ、ガバとガチに差がない。ガバに慣れている。

 レイ親父は予想外のできごとに荒れることはあっても、パニックを起こしたことは一度もなかった。むしろガバった直後、すぐに対策を立てようとしている。その良し悪しは別としても。


「そしてその姿は、周囲の走者にもよい影響を与えます。親父殿がガバることで、他の者たちもガバがごくありふれたもの、我が身に必ず起こるもの、そして何より、対処可能なものだと自然と理解するのです。必要以上に恐れなければ、ガバによる精神的ダメージは最小に抑えられます。ガバを誤差と言い切る図太さこそが、RTAを安全に完走する何よりの秘訣と言えるでしょうな」

「!」


 それを聞いたルーキは、反射的に自分の左腕――グラップルクローを掴んでいた。


(そういう、ことなのか……?)


 昨晩サソーリアンにやられかけた時、咄嗟の反応ができたのはそういうことなのか。


 背後を取られたのは最悪のガバだった。

 囮という大事な役目をミスった動揺も、今思えば足元が震えるほどに大きい。

 しかし、あの後すぐに対応できたのは、町長が言うように、レイ親父の姿を見て自然と学んでいたからなのか。


「もちろん、それをすべて計算でやるほど器用な方ではないでしょう。すべては親父殿の人柄と立ち振る舞いが偶然と生み出したもの。しかしその効果は、走者として、決して侮ってはいけないものとなるでしょう」


 ルーキは素直にうなずいた。

 すごいのかそうでないのか、とらえどころのない人だが、開拓民からこれほど慕われるレイ親父が、単なるドジな走者のはずもない。

 彼の周りになぜ人が集まるのか、少しわかった気がした。


 と。


「親父、大変だ!」


 町の外を見に行っていたらしい走者が、血相を変えて戻って来た。

 ルーキは思わず立ち上がり、物資を配っていた走者たちも作業の手を止めて振り返る。


「何事だ!」

「進行ルートの下見に行ってみたら、チャートの道がねえんです! でっかい池になってて……」

「池だと?」


 一門が大急ぎで現場に向かってみると、確かに言われた通りの巨大な池が横たわり、行く手を塞いでいる。

 一番の悲鳴を上げたのはサクラだった。


「ちょ、ちょっと何すかこれ!? この先に〈城〉があるんすよ! これじゃ渡れないじゃないっすか!」

「これ、水たまりです」


 ついてきていた開拓民の一人が言った。


「最近、地崩れか何かで森の地形が変わったみたいで、大雨が降るとここらに池みたいに大きな水たまりができるんです。水が引くには、二、三日は待たないと……」

「はあーっ、これだからガバ勢のクズ運は。森の地形なんてそうそう変わらないっすよ。なのにどうしてこんな都合悪いことばっか引き当てるんっすかねえ。つっかえ! ほんとつっか……ぅええええっ!?」

「ふおお!?」


 サクラが吹っ飛んできて、ルーキの顔面に直撃する。

 彼女の襟首を片手で掴んで投げ飛ばしたのは、レイ親父だ。

 水たまりを前に立ち尽くす一門に対し、彼は超然と言い放つ。


「この程度でがたがた騒ぐんじゃねえよ走者のくせによォ! おい、そこらへんの木で丸太作れ。何本か浮かべりゃ橋代わりになる。すぐに始めるぞ!」

『ホイ!』


 レイ親父の指示を受けて早速散開し、手ごろな木を切り倒し始める走者たち。

 彼らの目には疑いも戸惑いもない。


 道がなくなるなんて、本来なら再走案件になりうるトラブルだ。しかしレイ親父は怯みもしない。そしてそれに付き従う一門も、彼を信じている。


 ガバ勢は、確かに個々のタイムは大したものではないかもしれない。

 しかし、そのしぶとさにおいては、恐らく他のどんな集団にも勝る強さがある。

 ルーキはこの時、そう確信した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る