第11話 ガバ勢とレイ親父の実力

 青黒い宵闇に呑まれつつあるマッカの町に、ルーキは一人立っていた。


 周囲の暗さに目は慣れているものの、見通せない暗闇の質量はどんどん増えていっている。

 今を逃せば、今日中の勝負は無理になるだろう。

 タイムが記録されないルート0でも、RTA走者は習性として速さを求める。明日へは持ち越せない。決戦は今だ。


「んで、なあんで伝令役のサクラまで駆り出されてるんすかねえ……」


 ふと屋根の方から降ってきた声に、ルーキは声だけを返した。


「夜目が利くからだろ? これが早く終われば、それだけ例の〈城〉にも早く行けるわけだし、いいじゃないか」

「まあ、そうっすけどー。遅れたら怒られるのに、早くしても特にメリットないんすよねえ。ああ不平等。こうなったら今度、ガバ勢のお兄さんにもサクラのRTAを手伝ってもらうっすからね?」

「俺、RTA初心者だけど、それでもいいのか?」

「あー、いいっすいいっす。予備の回避盾として逃げ回ってくれれば。それでサクラの被弾が少しでも減れば御の字なんで」

「……ああ、肉壁か。まあ、いいけどさ」

「へえ……。嫌がらないんすね?」


 意外そうに言うサクラに、


「だって、サクラのRTAはそれが普通なんだろ? で、そんな危険な役回りだからトラウマも多いわけだ。そっちがいつもやってることを、俺は怖いからヤだなんて言えるかよ。あと、場数踏みたいしな」

「へえ、へえー」

「何だよ」

「いやいや、お兄さん意外と……」


 感心したように言いかけた声が、突如低いトーンに切り替わった。


「来たみたいっす」


 戸惑いを挟む必要もなく、ルーキは身構えた。


 家屋の瓦礫の切れ目から巨大な何かがやってくる。

 サソリだ。一時的にサソーリアンという名前を付けられた、今回の獲物。


「よし、こっちに来い」


 ルーキは敵の気を引くために、ショートソードの鞘を叩いて音を鳴らした。


 ――囮役。レイ親父が待ち構える絶好の奇襲ポイントまでの誘導が、ルーキの今夜の役目だった。


 彼自身が志願した。

 無謀さからでも目立ちたいからでもなかった。単独の敵から逃げ回るのに対し、グラップルクローを使えるルーキは誰よりも適任だと、自他が認識していたからだ。


 万が一のサポートとしてニンジャもつけられ、恐らくは盤石。

 敵の攻撃方法はあくまで原始的な肉弾だ。落ち着いてやれば、できないことはないはずだった。


 ルーキの兆発に対し、サソーリアンの反応は劇的と言えた。

 それまでの探るような歩速から一気に加速する。


「うおお、けっこう速え!」


 ルーキはすぐさまグラップルクローを射出し、離れた家屋の柱に噛みつかせた。彼が吹き飛んだすぐ後を、サソーリアンの巨大なハサミが通過する。相手を捕まえるどころか、骨ごと割り砕きそうな剣呑な攻撃だ。


 距離を開けると、サソーリアンは再び鈍い動きに戻った。八本の太い脚を波のようにうごめかせ、足踏みのような奇妙な行動を取る。


「何をしてるんだ? 来いよ!」


 ルーキは再び鞘を叩いた。サソーリアンの動きが再び追跡へと切り替わる。

 こいつも人と同様、いやそれ以上に夜目が利かないのかもしれない。


「それなら、油断さえしなきゃ、誘導はしやすい部類かもな……!」


 待ち伏せのポイントは、町で一番高い時計塔の前。

 そこには一門が大急ぎで掘った落とし穴があり、サソーリアンがハマって身動きが取れなくなったところを、屋根で待ち伏せるレイ親父が必殺の一撃で仕留める手はずになっている。


 ガバ勢総がかりの作戦だ。楽しんでいる場合ではないと知っていても、大役を任されたルーキの胸は高鳴る。


 が、待ち伏せ地点までもう少しというところで、異変は起きた。

 グラップルクローで曲がり角を大きく左折したルーキは、自分がサソーリアンとの距離を空けすぎた失敗を即座に悟った。


 慌てて引き返したが、アルテリオル式防御質に守られた巨体はすでに元の場所にはなかった。明らかに今までとは違う反応に、背筋が焦りの熱を持つ。


「逃げられたか……?」


 ルーキは慌てて鞘を叩いたが、周囲に変化はない。いや、敵の気配こそないが、いつの間にか周囲はすでに夜と変わらない暗さで、自分のすぐまわりさえ目視できないようになっていた。


 屋根の上のサクラを仰ぎ見る。首を横に振る仕草が、星空を切り取ったシルエットで確認できた。彼女にも敵が見えていない。


 まずい。闇夜での遭遇戦は、一発の威力がある分あちらが有利。

 作戦を続行するか、中断して一門のところに戻るか。


 諦めたくない。そんな頑なな気持ちが、ルーキの足を縛った時。


「後ろっす!」


 悲鳴のようなサクラの警告と、火を付けて撃ち出された数本のクナイが地面に刺さり、巨大生物の姿を浮かび上がらせたのはほぼ同時のことだった。


 予測していた方向とは真逆からの奇襲。敵は直線でこちらを追うのをやめ、迂回するように動いていたのだ。


 死角を突かれたルーキが振り向いた時には、サソーリアンはすでに攻撃態勢に入っていた。

 たかが虫。単純な行動しか取れないと、どこかで甘く見た。その結果がこれ。


(死ぬっ……!?)


 その時、ルーキの左腕は思考の伴わない反応を見せた。

 グラップルクローをノールックで射出。崩れかけた家屋を最後まで支えていた柱に噛みつかせると、それを一気に引き倒す。


 倒壊する瓦礫に気づき、思わずびくりと身をすくませたサソーリアンの反応の良さが、結果的にルーキの命を救うことになった。


 素早く身を翻したルーキの目の前で、モンスターは轟音と共に瓦礫の下敷きになって消えた。


「げほっ、ごほっ」


 立ち上る粉塵から慌てて逃げ出した先には、火のついたクナイを明かり代わりにするサクラの姿があった。


「やるじゃないっすか。もうダメかと思ったっすよ」

「あ、ああ……」


 ルーキは左腕のグラップルクローに目を落とした。

 サクラは素直に感心しているようだが、ルーキは不可解な心持ちだった。


 動けたはずがないのだ。さっきのタイミングでは。

 あれが何事もない普段の状態なら、できなくもなかった。だが、さっきの奇襲は完全に虚を突かれ、動作も二手以上遅らされていた。詰みだ。


 どうして自分は動けたのか、これがわからない。


「しかし、サソーリアンが生き埋めになっちまったな……」


 ルーキは複雑な心境で瓦礫の山を見つめた。自分の役目はあくまでも誘導だ。果たしてこれは作戦として成功なのかどうか。粉塵の暗闇のせいでほとんど何も見えない。


「さすがに死んだんじゃないっすかねえ」

「だといいけど」


 ルーキが答えた直後だった。


 暗闇からその巨体が突き出てくるのに、瞬きほどの間もないと感じられた。

 恐らくは粉塵に隠れて、すでにぎりぎりまで接近していたのだろう。そこの際を見極め、一気に飛び出してきた。ただのでかい虫には回らない知恵、天性の狩人のそれに違いなかった。


 今度こそ、ルーキにはグラップルクローを構える時間すらなかった。かろうじて、サクラをかばうように、彼女の前に腕をわずかに持ち上げられただけ。


 しかしその同瞬。迫るサソリに覆い尽くされていく視界の端で、彼は星空の一部が黒く欠けるのを見た。


 星明かりに白刃がきらめく。


 レイ親父!


 待ち伏せ場所にいるはずの彼がどうしてここにいるのかを考える猶予はなかった。

 屋根から音もなく跳躍したレイ親父は、サソーリアン目掛けて真っ直ぐ飛び込んでくる。


 だが、サソーリアンの動きは想像以上に素早い。一旦落とし穴に落とすのも、この動きを封じるためだった。動いているこいつを、翼もない人間が高所から狙うのは、いくらレイ親父の実力をもってしても難しい――。


 ピュウウウッ!


 これまでで一番甲高い笛の音が鳴った。

 邪刀が奏でる空振りの証。

 奇襲は失敗だ。


 そう思えたが。


「やっぱりな」


 レイ親父の不敵な声が、のんびりとルーキの耳に届いた。

 それを聞くだけの時間的余裕が自分に残されていたことに気づき、ルーキは愕然と前を見つめる。


 なぜか、サソーリアンは動きを止めていた。


「レイ親父、これは……?」


 彼は刀を気楽に肩に載せ、


「普通、サソリってのは空気の振動を全身で感知して獲物を探してるんだが、こいつはアルテリオル式防御質が関係してるのかは知らんが、脚にその器官が集中してるらしい」


 ルーキはサソリの不思議な足踏みを思い出す。まさか、たったあれだけで、彼はサソーリアンの感覚器の特徴を見抜いたのか。というか、レイ親父は最初からついてきていた?


「しかも、最初の魔法攻撃の時、それから、さっき新入りが瓦礫を倒した時、後ろから二番目の足を保護するように不自然にたたんだ。恐らく、そこがこいつの一番デリケートな“耳”なんだろうぜ。だから、そこに特大の高周波をぶち込んでやったわけだ」


 レイ親父が邪刀を誇示するように見せた。

 説明を受けて、改めて不動となった怪物を見やる。

 まぶたも表情もないからわかりにくいことこの上もないが、


「つまり今、サソーリアンは気絶してるってわけですか?」

「そういうこった」


 言って、レイ親父はサソリの背中に上った。騎士の鎧よりも分厚そうな装甲の指を這わせ、何かを探っていく。


「サソリはいい虫だ。死んだ後は空で一番真っ赤な星に生まれ変わって、俺たちの夜道を照らしてくれる」


 鋭い気合と共に、逆手に持った邪刀を一息に甲殻の隙間に突き込む。

 悲鳴も何もない。けれど。

 切っ先はこれまであらゆる攻撃を弾いてきたアルテリオル式防御質を容易に突き抜け、彼の命に届いたようだった。

 

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