第10話 ガバ勢と襲われた町

「こりゃひどいっすねえ……」


 木の陰に潜みながら、夕焼け色に染まる開拓町の様子を見つめていたルーキは、すぐ隣で屈んで隠れる少女の言葉に、一言一句同じ印象を抱いた。


 ルート0開拓町、マッカ。


 開拓地といっても、漆喰とレンガで作られた、わりとしっかりした家屋が並んでいる。万全の状態なら、ルーキが住んでいる裏通りよりもよほど小綺麗に見えたことだろう。


 しかし今、民家は大部分が半壊し、火で焼失したもの多数。地面には施設や家財道具の破片が散乱しており、完全にゴーストタウンと化していた。


(これが、開拓地の現実……)


 ルーキは硬い生唾を苦労して飲み込んだ。


 初RTAだ何だと半ば浮かれていたが、ここには踏みにじられた平穏が確かにあった。

 苦労して積み上げた生活を壊され、たとえ走者が解放したとしても、また一から立て直さなければいけない気持ちの重さはどれほどか。


 しかも襲撃は今回で終わりではなく、次も必ずやってくる。

 気軽に救うだの何だのと口にはできない、厳しい現実が前の前に広がっていた。


「とはいえ、住民の避難はとっくに完了してるし、ここはさっき伝えた〈城〉に直行してほしいところなんすけどねえ……」


 ちらりと向けられた忍者少女の視線の先には、ふんと鼻を鳴らすレイ親父の仏頂面がある。


「ダメだ。まずはここを掃除して、住民を戻す。最初にそう言ったはずだ。RTA警察が人のチャートに口出しするんじゃねえ」


 何とか一歩エンカの襲撃を乗り切ったレイ一門。しかしガバ運からか、不幸にも黒塗りの矢尻に毒らされてしまう(あんのじょう)。そこに現れた忍者少女が言い渡した、RTA警察の通達とは……。


 一門への強制再走、

 ではなく。


 ――ルート0上に突如出現した〈城〉への、迅速かつ的確なRTA。


 この〈城〉は〈悪夢城〉とも呼ばれ、様々な開拓地の一角に突然現れる、極めて怪異なルートだという。

 今回はルート0上にその予兆があり、その発生を確認したルタの街が、急遽、一番近くにいたレイ一門に踏破を依頼してきたというわけだ。


「いやあ、サクラは使い走りなんでそれでもいいっすけど、お上には逆らわない方がいいんじゃないっすかねえ。ただでさえ、ガバ勢は再走裁判所からもにらまれてるんですし?」


 うそぶく少女――サクラに対しレイ親父は、


「ほっとけ小娘。ここが終われば行くっつってるだろ。今度余計なことを言うと、ヤマネコの群れに放り込むぞ」

「…………」


“また”不毛な言い合いが始まるかと思いきや、少女がぴたりと口を閉ざしたので、ルーキは不思議に思って彼女の顔を見た。


 ぴと。わしっ。ぷるぷる。


「……何で俺にくっつくんだ?」

「くっついてないっすよ」

「震えてるぞ。寒いのか?」

「震えてないっすよ」


 サクラはそう言い張っているものの、どこからどうみてもルーキの服を掴んでいるし、ぷるぷる震えている。


「ひょっとしてヤマネコ嫌いなのか?」

はぎゃhageぁーっ!」

「うべっ!?」


 いわれなき頭突きがルーキのわき腹に刺さった。


「はあー……はあー……。ガバの兄さん。二度とその忌まわしい生き物の名前をサクラに言わないでください。いいっすね?」

「な、何だよ突然。言わないけどさ……。サグルマの兄貴、レイ親父は一体何を言ったんです?」


 困り顔のルーキがよそに助けを求めると、サグルマは苦笑し、


「多分こいつは、普段はダンジョン系を中心に活動してる走者なんだろ。あっちの方じゃ、人を食いちぎるほど凶暴なヤマネコがいて、かなりのトラウマを生んでるって聞いたことあるぜ。あ、悪ィ、言っちまった」

「はぎゃーっ!」

「おぼぉ!? 俺が言ったんじゃないのにィ!」

「おい、おまえらちょっと静かにしろ。今何か町の方で動いた」


 レイ親父の声を聞き、その場にいた走者全員が一斉に音を殺して町を凝視する。ルーキもサクラの頭を腹に刺したままそちらを見た。

 家々の瓦礫の隙間に蠢く、無数の影。


「親父……! ありゃあ、グレートマンティスですぜ……!」

「ああ、わかってる」


 サグルマの声に普段と違う驚きがこもっているのを、ルーキは確かに聞き分けた。


 グレートマンティス。

 その名の通り、大きな図体を持つカマキリ型のモンスターだ。頭部の高さはゆうに人間の背丈を超えており、ごつごつした鎌は断頭台の刃めいた凶悪さを誇示している。


 だが、特筆すべきはその見た目よりも――。


「サグルマ兄貴、グレートマンティスって確か……」

「ああ、知ってるのかルーキ。あれは目撃例さえ稀なクソレアモンスターだ。街の研究家たちが血眼になって探してる。どうしてこんなところにたむろってんだかな……」

「で、でも、もしかしてこれってラッキーなんじゃ? 倒せば相当のうまあじなんじゃないですか? レア素材とか、そういうので」

「うまあじ派はばかだな。何にもねえよ。残念だが」

「えっ?」


 サグルマのすげない答えに、ルーキは目を丸くした。


「剥ぎ取れる素材はねえし、そもそも死んだ直後から猛烈な速度で腐敗するから記念品トロフィーにもなりゃしねえ。完走した感想で話しても冗談だと思われる。存在がレアなだけで、出会っても何一つ嬉しくねえまずみモンスターなんだよ、あれは」

「えぇ……」


 絶句するルーキの前で、サグルマはレイ親父を見て苦笑した。


「どういうわけだか、この人と走ってると悪い意味でレアな体験はよくある。滅多にいねえクソ強敵だとか、会うはずのねえ面倒な敵だとかな。商店街の福引券は当たるどころかもらえることすら滅多にないのに、変なものほど引き寄せるんだ」

「あれは店のオヤジが悪いんだ。普通、もっとくれるだろ福引券。ただのオマケじゃねえかあんなの」


 レイ親父が不満げに唇を尖らせて言ってくる。


 一方。


 ぴとっ。わしっ。ぷるぷるぷる、とルーキにしがみついて震えだす人物が一人。


「……もしかしてカマキリもトラウマなのか?」


 呆れたようにたずねると、少女はうつむけていた顔をがばっと上げて目を血走らせた。


「ダンジョン系RTAは敵がマジに危険なんすよ! 自分からガバっていくお兄さんに、ガバらなくても再走させられる悲しみの何がわかるっていうんすか!」

「わ、悪かったよ……」


 謝りつつ、ルーキは改めて町を徘徊するモンスターを見やった。


 モンスターに関してはRTA教本をほとんど丸ごと暗記している自信があったが、それでもグレートマンティスに対する情報はほとんどが空欄だった。

 生態、習性、戦法、どれもはっきりしない未知の相手。事前調査がキモになるRTAにおいて、不明な敵ほど怖いものはない。


 学校でなら決して正面からぶつかってはならないと教わるところ。サクラのトラウマではないが、ここはかなり慎重に戦わないと――。


「まあ、相手が何だろうとやることは変わりねえ。行くぞ、おまえら!」

『ホイ!』

「えっ、ちょっ……」


 ルーキが声を上げた時には、もうレイ親父と走者たちは一斉に森から飛び出していた。

 ほとんど情報のない相手に、いくらなんでも無謀すぎる。

 せめて正面突破ではなく、群れから孤立している個体を全員で狙うなり作戦を立てるべきなのに。


 彼らに遅れて駆け出たルーキは、その迂闊さを思わず呪いかけた。


 しかし。


「ひとつ!」


 滑るような疾駆と共に打ち放った薙ぎの一閃が、巨大なカマキリの胴体を割る。


「ふたつ!」


 切り返しの逆袈裟が、襲いかかる別個体の大鎌を斬り飛ばす。


「みっつ!」


 強烈な踏み込みに勢いを得た大上段からの振り下ろしが、三匹目の頭部を両断。


「へっ、甘ちゃんが!」


 レイ親父が大きく血振りをして、邪刀についたカマキリの体液を地面に三日月形に打ちつけた瞬間、三匹のモンスターははじめて自分たちが死んだことに気づいたように、地面に倒れ伏した。


「えぇ!? ツヨイ!?」


 ルーキは驚きの声を上げていた。

 刀をぶんぶん振りながらヤマイヌを追い回していた時とはまるで別人のような身のこなし。見れば、他の走者たちも絶妙なコンビネーションで敵に襲い掛かり、圧倒している。


「レベリングは十分すぎるくらいにやったからな」


 サグルマがそう言いつつ、防御不能の霊刀で新たな一匹を斬り倒した。


「それだけじゃない……!」


 ルーキは目を見開き、畏れるようにつぶやく。


 先輩走者たちにの動きに、一切の迷いがない。未知の敵を相手に、まったく臆することなく全力で攻勢に出ていることが、この戦果を生んでいる。


 RTA走者にとって情報は命綱だ。相手の強さが不明なら、まずは慎重に攻めかかるのが定石。戦いは命の取り合いなのだから、間違ってもhipのyouは厳禁のはず。


「しかし……!」


 彼らには功を焦る様子も、恐怖に駆られて破れかぶれで飛び出した気配もない。

 ただただ先手必勝。敵が本気を出す前に仕留めてしまえば何も問題はないという、大胆不敵な奇襲の理論の実践だった。

 しかし何よりすごいのは、それをあそこまで迷いなく実行する精神的な強さ。


「怖くないのか……ガバが!」


 相手の強さを読み間違えれば、どんな惨事になるかわからない。一気にチャート崩壊まであるというのに。


「ガバの兄さん、後ろっす!」


 屋根の上から響いたサクラの声に反応し、ルーキは振り向きながらその場を飛びのいた。

 半壊した家屋の瓦礫にまぎれるように、異様な何かがそこにいた。


「グレートマンティス……じゃない、何だこいつ……!?」


 サソリだった。しかも、背中の上で手足を伸ばして寝転がれるほどに巨大な。

 サソリ型のモンスターは何種類か知っているが、これは……。


「みんな気をつけて! 見たことのないサソリが出ました!」


 特筆すべきは、全身が油膜のような七色の色彩に覆われていること。虹のように鮮やかではないものの、どこか生物離れした色味を帯びている。


「大方、ここらのボスってとこだろ! でかいだけならいい的だ。飛び道具で仕留めろ!」


 レイ親父が指示するや、火力支援していた後衛たちが一気に攻撃を仕掛ける。


「サソリはいい虫なんだよ!」

「じゃあ死ね!」


 爆炎と轟音が、家屋の残骸ごとサソリを押しつぶす。

 一匹に集中させる火力としては十分すぎるほどの圧殺。

 にもかかわらず、サソリの巨体は粉塵を押しのけるようにしてそこから飛び出してきた。


「そいつ、何かおかしいぞ! 全員散れ! 先にカマキリを片付ける! サグルマ、ヤツの牽制を頼む!」

「はいさァ!」


 再度レイ親父の指示が飛び、ルーキたちはひとまずグレートマンティスの討伐を優先させる。


 グレートマンティスは思ったほど強くはなく、生き残りもすぐに逃げていった。

 慎重に戦っていれば、ここまでスムーズにはいかなかっただろう。難敵のサソリが残っていることを考えれば、最初に突撃を仕掛けたレイ親父の判断は恐ろしく適切だった。


 雑魚を一掃後、一門は速やかに頭目の元へと集合する。

 あのサソリの強さはグレートマンティスの比ではない。今もサグルマが霊刀で攻撃して注意を引きつけているが、防御不能のはずの斬撃に対してダメージを受けている様子はなかった。


「これは一旦町から離れて、ちゃんと対策を立てないといけない相手なんじゃないのか……」


 事前の情報が何もないことに加えて、あの防御力。このまま押し勝てる相手にも見えず、大掛かりな立て直しが必要に思える。ルーキのその不安は、しかし、集まった高弟たちによってすぐに霧散した。


「火焔魔法、ほぼ効果なし」

「矢弾、ほぼ効果なし」

「ハンマー、ほぼ効果なしだよ」

「氷結魔法、ほぼ効果なしです」


 ルーキはぎょっとした。

 みなグレートマンティスと戦っていたはずなのに、次々に情報が報告されていく。何より驚きなのは、伝達される内容は絶望的なものばかりだというのに、誰一人として焦りの表情を見せていないことだ。


 そうしてどんどん情報が積み上がっていき、


「こっちの攻撃に対し、“ほぼ”効果なしか。なるほどな……」


 最後の報告を聞き終えたレイ親父は、この状況下でなぜか愉快そうに口元を歪めた。


「こりゃあ、“アルテリオル式防御質”だな」


 全員がざわめいた。

 ルーキは自分の足元で、片膝をつく姿勢でしゃがんでいるサクラに小声でたずねた。


「アルテリオル式って、確か引き算のことだよな……?」

「そうっすよ」

「引き算の障壁って、どういうことだ?」

「はあー。ガバのお兄さんはガバ勢の中でもさらに知識ガバなんすねえ。アルテリオル式防御質は、防御値を下回るものはダメージをほぼ通さない性質のことっす。あの虫を倒したかったらちまちま削るのは論外で、それこそ脚の一本ぐらい一撃でふっ飛ばせるくらいの重たい攻撃が必要ってことっすよ」

「……!」


 想像以上にヤバいモンスターだった。

 サソリの装甲は見るからに分厚く強固。そしてそれが伊達ではないことも、すでに結論が出ている。


「この中に、そんだけの力があるヤツは……」


 レイ親父は沈黙する一門を見回し、凄みのある笑みを見せた。


「俺だけだろうな」

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