第9話 ガバ勢と出口の魔

 十倍ウォークによって危険地帯を抜けたガバ勢一行は、地下道に入っていた。


 天然のものではなく、ルート0が開拓される際に掘られたトンネルで、ここを抜ければ最初の町マッカまでもう少し。


 ただこの地下道、人間が完全に管理できているというわけではなく、何が潜んでいるかは未知数だった。薄暗い森から、真に暗いダンジョンへの進入とあって、否が応でも緊張の度合いは増す。


 ルーキは各人が用意しているカンテラを持ち上げ、周囲の闇を押し払いながら進んだ。

 工具で掘っただけの武骨なトンネルだ。落盤防止の木枠もだいぶ古く、最近整備の手が入ったような形跡もない。開拓地で暮らす人々は、こんな危険な場所を使っているのだろうか?


「わっ」


 誰かが悲鳴を上げると、全員が身構える。


「悪い、ただのネズミだ」


 岩陰から飛び出してきたらしい。ルーキは安堵の息を吐いて、歩みを再開した。


 十倍ウォークの疲労に加えてこの暗闇への強い警戒は、精神力を確実に削っていた。後方に控えている自分がそうなのだから、先頭を行くレイ親父たちの心理的疲労はさら大きいだろう。


 RTA心得ひとつ。集中力は短期間でメリハリをつけて発揮するべし。

 長い時間集中しようとすると、人は自分がとうに集中できていないことにも気づかなくなり、結果としてすべての時間において隙を晒すことになる。


 幸いなことに、敵との遭遇もなく地下道は終わった。

 通路の奥に、瑞々しい陽光が降り注いでいる。


「わーい、出口ら」


 ルーキがほっと胸をなでおろす傍らを、軽快な声が駆け抜けていった。


 子供だ。背丈はルーキの三分の二くらいしかない。


 走者に年齢制限はない。訓練学校を卒業してからすぐに参入したルーキだが、十六歳というのは、叩き上げの古参走者たちからすれば若すぎる歳でもなかった。

 しかしその常識と照らし合わせても、今走り抜けていった少年は、明らかに幼く見えた。


 こんな小さい子も参加しているのか、それとも、見た目ほど子供ではないのか――緊張から解放され、ルーキが弛緩した頭にそんな思考を流した瞬間だった。


「よせ、タムラー!」


 隊列の先頭付近まで走った彼を、突然、レイ親父が蹴り飛ばした。


「のらッ!?」


 かなり本気の蹴りだったらしく、タムラーと呼ばれた少年は吹っ飛んで豪快に地面を滑っていく。


 しかし、真にルーキを驚愕させたのはその次の一瞬だった。


 トトッ、と乾いた音を立てて地下道の砂地に数本の矢が突き立つ。


 レイ親父の細い肢体が揺らぎ、どっと後ろに倒れ込んだのは、そのすぐ後。

 洞窟外から差し込む光の中に、濃い色の飛沫が散ったのが見えた気がした。


「敵襲だああああ!!」


 誰かの叫び声が、気を抜いていたルーキの耳を強く引っ掻いた。


「引っ張り込め!」


 盾を構えた前衛役の走者たちが洞窟外へと突進するのに合わせ、ルーキはサグルマたちと協力して、倒れたレイ親父とタムラー少年をどうにか岩陰に引っ張む。


「親父さん、親父さん!」


 タムラー少年が、泣きそうな顔でレイ親父を揺さぶった。

 レイ親父がこの少年を蹴り飛ばしたのは、あの矢の奇襲を察知したからだ。そうしなければ、彼は確実に首か心臓を射貫かれていただろう。


 レイ親父は無事だろうか。どこを射られた?


「揺するんじゃねえ、ちょっとかすっただけだ!」


 彼はしがみつくタムラーを押しのけて上体を起こした。腕には細い血の筋が流れていたが、本人が言う通りかすり傷のようだ。


「ごめんなさいなのら、親父さん。ぼく、出口らと思って嬉しくなって……」


 タムラーがしゅんとした様子で言う。


「ダンジョンや森の出口ってのは、絶好の奇襲ポイントだって教えただろうが」


 レイ親父の口調はむすっとしていたが、責める響きはなかった。うつむくタムラーに、サグルマが諭すように続ける。


「暗いところから明るいところに出る瞬間、人は目がくらんでものが見えにくくなる。その一瞬を狙って待ち伏せしてくるヤツは多い。特に悪知恵の働くゴブリンみたいなのはな。出口付近は特に注意しろ。それまでの緊張が解けて、一番気が緩むタイミングだ」


 その話を隣で聞きながら、ルーキはどきりとした。


 一歩エンカの法則だ。


 どこかに入った直後、あるいは、どこかから出た直後の奇襲。


 さっきまでの自分は、タムラー少年に負けないくらい油断していた。

 人は、注意力が薄まった瞬間にもっとも死ぬ。


 危険なダンジョンからようやく出られた時。

 冒険から帰ったら恋人に求婚しようと、甘い夢を決意した時。

 仲間に一杯おごると約束し、その店をどこにしようかふと考えた時。

 今生き延びること以外に気を取られた時、いともたやすく死ぬのだ。


(射られていたのは俺かもしれなかった)


 ぞっとしながら胸中でつぶやく。学校で何度も習った知識だった。しかし、ついさっきまでそれを完全に失念していた。

 知っているのと身についているのは、全然違う。咄嗟にその行動に移れないのなら、何も知らないのと何も変わらない。


 心身ともに冷えていく一方で、レイ親父の咄嗟の判断に脱帽する。

 あの奇襲のさなか、自分の身を最低限守りつつ仲間も助けてみせた。


(やっぱり、レイ親父はすごい)


 少し前に「オリチャー発動!」と叫んで錯乱状態になっていたのは、恐らく何かの見間違いだったのだろう。

 改めて、憧憬と畏怖を込めてレイ親父を見やる。


 彼の緑色の顔を。


 緑色の。


「ん?」

「ん?」

『んんっ?』


 そして誰もが――そしてレイ親父本人も、その異変に今初めて気づいた。


ポジだーッ!!」


 一同が、変色した彼の顔に向かって叫んだ。

 ルーキは咄嗟に、洞窟の砂地に刺さった矢をにらみつけた。あれはきっと毒矢だったのだ。


「どうした? 親父に何かあったのか!?」


 洞窟外に飛び出ていった走者たちが戻ってくる。


「親父が毒った」

「なに!?」


 サグルマの説明に、みな一様に顔を青ざめさせる。


「ごめんなさいなのらああああああああ!」

「うるせえ! 毒ぐらいでがたがた騒ぐんじゃねえ!」


 泣きながら再び飛びついてきたタムラーをサグルマに向かって投げ飛ばすと、レイ親父は、べっと緑色の唾を吐き出した。


「こんなもん毒消しがあれば一発で治るだろうが! 誰か持ってるだろ。くれよ」


 しかし、なぜか動く者はいない。


「それが、親父……」


 タムラーを抱えたまま、サグルマが苦々しい顔で口を開く。


「誰も毒消し草を持ってねえんです」

「え? なんで?」

「覚えてないんですか。今回の荷物を準備してる時に、親父が『こんな序盤で毒るヤツなんかおらんやろ! そんな運のないヤツにRTA走る資格ないわガハハ!』つって、誰も用意しなかったんですよ」

「あ……」


 レイ親父はあんぐりと口を開けて数秒間固まった。周囲の走者たちも一様にうつむいているところを見るに、どうやら事実らしい。


「うせやろ!?」


 ルーキが叫ぶと、一門はますます視線を明後日の方に向ける。


 RTAでは余分な荷物を持って行く余裕はない。荷物はできるだけ軽くするのが鉄則だし、支援物資も運ばなければならないからだ。


 だが、今回のこれはそうしたやむにやまれぬ事情があったわけではない。

 慢心、油断、いや、そんな言葉すらもったいなく思えるほどのショボい理由。


(っていうか、門のところに『一切の幸運を捨てよ』って書いてあるじゃねえか! 実は誰も読んでないのかよあれ!?)


 ルーキが一人頭を抱える中、レイ親父は緑の顔のまま慌てたように言った。


「ま、まあ待て。落ち着け。じゃあ、あれだ。後続隊の女医に頼もう。元軍医の。あいつなら何でも治せる。今回も来てるよな?」

「あの人が現地に入るのは明日以降ですよ。おまけに有料です。俺たちゃまだ最初の町にもたどり着いてないから、一文無しですよ」


 即座に却下され、レイ親父は弱気になり、


「だ、だったら……毒矢を放ったヤツらなら解毒剤も当然持ってるよね? 誰かドロップしなかったんですか?」

「全員すげえ勢いで逃げて行きました。どこに向かったかもわかんねえです」


 しーん。

 とうとう全員が押し黙ってしまった。


「ぺっ、こんなもんどうってことねえや!」


 レイ親父は突然膝を叩いて立ち上がると、そんなことを言い出した。


「二歩ごとに一ダメージ受けるくらいだろ、こんな毒。我慢しながら町にたどり着けばいいんだよ! ね? そうだよね!?」

「かわい子ぶってもダメですよ親父! 今日まだあと二万歩は歩くんですよ!? そこらの魔王だって消し飛んじまう!」

「バカ野郎お前俺は毒に勝つぞお前!」

「もう足元ふらついてる(ガバコン)じゃないですか!」

「これはおまえ……そう、罠だよ! そこに罠とかありそうだったから避けただけだよ!」

「誰が信じるか!」


 弟子と師匠でぎゃあぎゃあ言い合う中、


「こうなったらもう、支援物資の中の医薬品を使うしか……」


 そうつぶやくように言った走者の一人に、レイ親父はすぐさま鋭い双眸を向けた。


「この程度で支援物資に手を出すんじゃねえ。そいつは走者のもんじゃない。開拓民のもんだ。俺たちは任されてそれを運んでる。それを忘れるな」

「変なとこで律儀なんだから……! ここであんたが倒れたら再走ですよ!?」

「再走なんかしねえよ! 何があっても続行だ!」


 互いに譲らず、にっちもさっちもいかない状況になりかけた時だった。


「待ってください!」


 割り込んだ声に対し、走者たちは一斉に出所へと振り向いた。


 発言したのは、ルーキ。


 した。してしまった。このある意味の修羅場に、新人である自分が。

 レイ親父と門弟たちはきょとんとした顔を向け、首を傾げた。


「ん? 誰だ? 見ねえ顔だな」


 ルーキははっとなる。そうだ。今まで、全然挨拶できていなかったんだ。思わず鼻白むが、サグルマがすぐに救いの手を入れてくれる。


「すんません親父。こいつはルーキっていって、昨日入った新人です。いきなりRTAが始まっちまって、紹介が遅れてました」

「おう、そうだったのか。うちは色んなヤツがいたりいなかったりするから、いちいち気にしなかったぜ。で、何だ? 見ての通りちょっと立て込んでるんだよ。クズ運なマヌケが序盤から毒ったせいでな」


 レイ親父が投げやりに言うのに対し、


「そ、それなんですけど……俺、今思い出したことがあって」


 ルーキは緊張で胸の鼓動を早くしながら、背負っていたリュックを降ろした。中を忙しない手つきで漁る。


「俺、今回のチャートとか全然わかんなかったから、RTA警察が推奨してるテストラン用の荷物を持って来たんです。だから――」


 あるはずだ。出発前に確認したはずだ。そのせいで遅刻しそうになったんだから。この状況でやっぱりありませんでしたは、第一印象として最低をぶち抜いて地底に届く。


 初対面で言うはずだった言葉を全部頭からこぼしながら、ルーキは荷物をまさぐった。

 そして――あった! 右手で掴んだものを、みなの前にかざす。


「毒消し草です!」

『うおおおおおおおお!?』


 たかが毒消し草一つで、財宝を見つけたような盛り上がりだった。


「使ってください」

「ありがとよ新入り。こいつは貸しにしておくぜ」


 受け取った草をモシャると、レイ親父の緑の顔色は、みるみるうちに元の色白さを取り戻していった。

 一門の走者たちが一斉にルーキの肩をバシバシ叩き始める。


「やるじゃねえか新入り!」

「災い転じてガバとなすか! 一門にあるまじき機転の良さだ!」

「それじゃ転じてねえ! よーし、おまえのあだ名は今日からポジケシな!」

「いてて、それはちょっと……ルーキでいいです……。今後ともヨロシク……」


 ごく普通の毒消し草を持っていただけでここまで持ち上げられるのは何とも気恥ずかしかったが、図らずも遅れた分を補ってあまりある好意的な自己紹介になったらしい。


(それにしても……)


 喜ぶのもほどほどにして、再出発の準備に入った一門を見ながら、ルーキはふと冷静になって思う。


 レイ親父の実力は確かだ。だが運は極めて悪くもある。

 判断は素早かった。しかし当然の権利のように間違った。

 意志の強さだって一級品だ。けれども部分部分で見れば、ものすごくズサンでいい加減。


 つまり、何が言いたいかというと――。


「すごいんだかすごくないんだか、全然わからない人っすねえ」

「うん、そう、正にそれ…………って、なにいいいいィッ!?」


 咄嗟に同意してしまった後で、ルーキはその場から飛びのいた。


「どうした? ルーキ」


 サグルマたちが振り向き、怪訝そうな顔になる。彼らにも見えただろう。


「お、おまえは……」


 ルーキは頬をひくつかせた。さっきまで、絶対にいなかった人物が、いつの間にかすぐ隣に立っていたのだ。

 だが、知っている。ルーキは一度だけ、会ったことがある。


「どーも、ガバ勢のみなさん。RTA警察からの通達っす!」


 シュタ! と気楽に手を挙げ、振り返った一門を不敵に見返す、その人物は。


「ニンジャー!?」


 駅でルーキを軽々追い抜いていった、あのニンジャの少女だった。

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