第7話 ガバ勢と初めてのうまあじ

「親父ィ、まだ終わりじゃねえっすよ。野営の準備の前にこいつらの剥ぎ取りもしねえと……」


 近くで地面にしゃがんでいた走者の一人が、唇を尖らせてレイ親父に言った。


「わかってるよ。おまえら、さっさと始めんぞ」


 レイ親父がぱんぱんと手を叩くと、走者たちが「ういー」と疲れた声で動き出す。

 それを見たルーキは、疲れ切った身を起こしてサグルマに質問した。


「剥ぎ取りですか?」

「ああ。こいつらの死骸から使えるもんを剥ぎ取る。肉は食料になるし、牙や骨は開拓地か街の連中が買ってくれる。儲かった分は自分の懐に入れていい。剥ぎ取り用のナイフ持ってきてるな?」

「あ、はい。あります。やり方も、学校で習ったんで一応わかります」


 ルーキはバックパックから新品の解体ナイフを取り出して見せた。

 サグルマに説明されたとおり、RTAで得た物品は基本的に走者が自由に売買してよかった。というより、これが走者の収入の大部分を占めていた。


 RTAが聖戦であった時代は、開拓地や王都から報酬が出ることもあったが、今は何分走者の数自体が多いので、そういったことはほぼない。


 しかし、こうして開拓地の素材を各自が収集していくことで、走者だけでなく街や開拓地が潤う現状もあり、このWIN―WINの形態は好意的に定着しつつある。


(これも、レイ親父が作ったレイ・システムの一環だ)


 ルーキは疲れた体に気合を入れ直し、剥ぎ取りナイフを山犬の死骸に突き立てた。


 いくつか起こした焚火に照らされつつ、しばし、毛皮を剥がし肉を切り取る生々しい音が森を巡る。

 血の臭いが他の肉食動物を呼び寄せないか不安だったが、逆にここまで濃厚だと、警戒して誰も近寄ってこないようだった。


「そういえば、サグルマ兄貴」


 ルーキはふと、さっきの戦いで聞いた奇妙な音を思い出し、たずねる。


「刀を振り回してるレイ親父の近くで、ぴゅーん、とかいう変な音が鳴ってたみたいなんですが、あれは何ですか?」

「ああ。それなら親父が空振りした音だ」


 サグルマはあっさりと答えてきた。


「空振り? いや、ぴゅーんですよ? 普通はスカッとかブンッとかじゃ?」

「それは親父の得物に秘密がある」


 彼はにやりと笑って言う。


「あれはとあるRTAを走った時に手に入れた|邪聖(よこしまひじり)|剣(けん)のレプリカなんだが、模造品でもかなりの業物でな。気に入って、そのままもらってきたんだよ。“邪刀ジャトウヨイ”って名前までつけて。で、音の正体なんだが……あの刀、刀身に特殊な溝が彫ってあるんだ」

「溝?」

「ああ、風韻と呼ばれる特別な溝で、勢いよく刀を振ると、さっきの戦いみたいに笛の音のような音を立てる」

「なるほど……変わってますね」

「だが、本来の目的はそれじゃない。そもそもあの音は、思い切り空振りした時しか鳴らないものだしな。もっと別の用途がある」

「それは?」

「風を掴むんだよ」

「えっ」


 凄みのある言い回しに、ルーキは肩を打たれたように身じろぎした。あの気の抜ける「ぴゅーん」が?


「あの溝で風を受けると太刀筋が微妙にずれる。一度手ほどきしてもらったことがあるが、相手からは微妙に太刀筋が伸びてるように見えるんだ」

「太刀筋が伸びる……!?」

「おまえも剣を使うならわかるだろ。武器の戦いってのは間合いを見切ったら勝ちだ。だから腕の立つヤツほど、紙一重で攻撃を避けようとする。親父の剣はそこに刺さるんだ」


 想像以上に極悪な性質だった。咄嗟に、昨日の彼の戦う姿を思い浮かべる。


 …………。


「あの、そのわりには、昨日ぶんぶん外してたみたいですが……」


 サグルマは苦笑し、困ったように頭をかいた。


「まあ、あの人は大技に頼りがちだからな。兜割りで脳天かち割れば終わりだろって感じで、こまごました戦い方をしねえ」

「はあ……」

「耳元で聞くとあれけっこううるせえからな。獣なんかを怯ませられたりもするから、攻撃をミスってもまったく無意味なわけじゃねえ……と思うぜ」


 ルーキはどこかにいるレイ親父を目で探そうとしたが、暗くてよくわからなかった。


 と。


「ホイ」「ホイ」「ホイ」「ホイ」


 誰もが疲労困憊の中、耳をくすぐるように楽しげな二つの声が、交互に、リズミカルに流れてくる。

 ルーキが出所を探すと、走者の人だかりに目が留まった。


「うは、早ぇ……」

「相変わらず、山嵐姐さんたちの剥ぎ取りは見事だよなあ」


 走者たちが取り囲んでいるのは、青と赤の毛皮を着た二人の若い女性だった。


「ホイ、ホイ、ホイ、ホイ」

「ホラ、ホラ、ホラ、ホラ」


 彼女たちは歌うように声をかけ合いながら、鮮やかな手つきでモンスターを解体していく。まるで、あらかじめそこに切れ目が入っているかのようだ。

 ルーキはその二人を見て、四肢を重くしていた疲れが一気に吹き飛んだような気がした。


「オニヤマアラシの毛皮……?」


 RTAの教本に挿絵付きで載っていたのを覚えている。ヤマアラシとは名ばかりの、クマのような巨獣だ。


 隣にいたサグルマがふと顔を上げ、


「ああ、あの二人は狩人の村出身の走者だ。毛皮が蒼っぽいのが蒼嵐あおあらしで、赤っぽいのが紅嵐べにあらし。こういう解体作業が滅法上手い。あそこに集まってる連中は、手数料を払って彼女らに剥ぎ取りを頼んでるヤツらだな」

「へえ……狩人の村」


 訓練学校出の走者は決して多くない。ルタの街の走者の大部分は、方々から集まって来た生まれも育ちも様々な人々で、よって立つ戦闘技術にも統一感がないのが普通だ。


 二人がかぶっているオニヤマアラシの毛皮も、恐らくはRTAではなく、村の生業で得たものだろう。


「今日はいてくれて助かったぜ。たまにガチ勢のRTAに参加してるからな」

「え? ガチ勢の? ガチ勢なんですかあの二人?」

「ああ。元はガバ勢にいたが、めきめき腕を上げてな。とはいえ、こっちにもちょくちょく顔を出すし、RTA抜きで、二人で地下ダンジョンを散策してることもある。まあ、身軽な連中だ」

「そんなこともあるんですね……」


 ルーキは意外に思いながらうなずいた。


「どうした?」

「いや、ガチ勢とガバ勢って案外垣根が低いのかなって……」


 それを聞いたサグルマが噴き出す。


「そりゃそうだ! ガチ勢とガバ勢なんて、元々何の境目もねえ。世間でそう煽ってるから、俺らも何となく使ってるだけだよ。おまえも腕を上げたら、ちょっとガチ勢をのぞきに行ってみな。歓迎してくれるだろうよ」


 この時ルーキの頭に浮かんだのは、大列車のオープンデッキで見た同窓生たちの嘲笑――ではなく、星と交信し、平然と壁をすり抜けていく先輩ガチ走者の異形だった。


「……いや、兄貴。俺は、あの人たちと普通の走者には、けっこうはっきりした境目があると思うんだ……」

「お、おう……? えらくはっきり言うな。何かあったのか?」

「いえ、何も……」


 光のない目をした委員長が壁に消えていく光景を想像してしまったルーキは、咄嗟に頭を振って悪夢を霧散させた。


「俺、ちょっとあの人たちの剥ぎ取り見学してきます」

「おう。見て盗んでこい。でも話しかけて邪魔はするなよ? 命を受け取る作業ってのは、狩人にとっては、ある意味RTAそのものより重要だからな」


 ルーキは一匹の獲物を持ったまま、二人の女性走者のところに向かった。


 オニヤマアラシの耳付きのフードからのぞく顔は、ルーキと大差ないほど若く見えた。蒼嵐は朗らかで、紅嵐は気が強そうな顔立ち。どちらも、まだ少女と言っていい風貌だ。


 しかし剥き出しの二の腕や太ももには、目立たないながらもしっかりと筋肉がついており、何より解体用のナイフを握る手は、熟達の職人を思わせる優雅さで獲物の上を踊っていた。


「ホイ、ホイ」

「ホラ、ホラ」


 一人が獣を押さえ、もう一人がナイフを走らせる。すると次は役目を交替し、反対側からナイフを走らせる。掛け声以外、何の合図もないままそれを繰り返し、ヤマビコイヌはあっという間に市場で売られているような綺麗な部位に解体されてしまった。


「えぇ……」


 二人の手元が見える位置に座り、持ってきた獲物にナイフを走らせてみるが、獣毛や筋肉繊維に引っかかって何一つ滑らかにはいかなかった。


 ルーキが悪戦苦闘していると、紅嵐が気づいたようだった。

 作業中の一匹をあっさり分解すると、「ね、簡単でしょ?」とでも言うように、気の強そうなツリ目をにっこりと微笑ませてくる。ルーキはその笑顔に見とれそうになり、咄嗟に顔を伏せた。


「ハチミツくれたら、コツを教えてあげてもいいんだけどな~」


 紅嵐が独り言のように言った。


「なに? 姐さん。いきなりのゆうた?」


 隣にいた蒼嵐が思わずといった顔で聞いてくる。


「ハチミツは持ってないです」


 ルーキも独り言のように答えた。


「そう。じゃあ、また今度だね。狩人は常に正しい取り引きを望む。無償で何かを与えることはしないし、無償で何かを受け取ることもしない」

「うぃす……」


 彼女たちの横には、手間賃として受け取った素材の一部が山になっていた。


 ルーキは何とかして彼女たちを真似しようと、作業を見続けた。

 蒼嵐もそれに気づいたらしく、二人は少し笑って目配せすると、一度だけ、作業の一部――牙を引っこ抜くところを、ごくゆっくりとした動きで見せてくれた。


 ルーキはそれを見届けると、早速実践した。

 何本目かでコツがつかめて、綺麗に抜けた。


「お、やったな」


 気づくと、サグルマが隣に立っていた。


「は、はい。やりました。あの二人が教えてくれて……」


 ルーキがオニヤマアラシの二人の方を向くと、彼女たちはすでに作業を終え、離れたところで野営の準備に入っていた。

 何も言わずに教えてくれたことなど、もう覚えてもいないような顔だ。


 ルーキは頭を下げた。街に戻ったら、彼女たちを訪ねてハチミツを届けようと思った。


「……ん?」


 ふと、引っこ抜いた牙が、金色をしていることに気づく。

 それを見たサグルマはニヤリと笑い、


「お、ルーキ。運が良かったな。それはレア素材だ。開拓地に売れば結構な値段で引き取ってもらえるぞ」

「え、でもこいつを仕留めたのは俺じゃないんですけど、いいんですか?」

「ああ。あの乱戦じゃそんなのわからねえし、よほどの大物でなきゃ剥ぎ取ったヤツのものだよ」


 ルーキは牙についた血糊を丁寧に拭き取り、じっくりと見つめた。牙は焚火の明かりを受けて、黄金めいた輝きを彼に返してきた。


 走者はRTAを終えた後、そのルートを攻略した証に記念品トロフィーを持ち帰ることがある。

 それは貴重なものでも高価なものでもなくともよかったが、ルーキはこの牙を初RTAのトロフィーにしようと思った。


 記念すべき初戦闘に勝利し、狩人から剥ぎ取りの技を教わり、初めて素材をゲットできた。自分は確かに力不足の新人走者だが、それでもこうした一歩一歩が自分を目指す場所へと押し上げてくれるに違いない。


 この牙が、今、それを実感させてくれた。

 だから、これはとっておくのだ。


「嬉しいなら素直に喜んでいいんじゃねえか?」

「はい!」


 ルーキは拳を空に突き上げ、叫んでいた。


「うーまーあーじー!」

「うまあじ派はばかだな」


 サグルマはうまみ派だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る