第6話 ガバ勢と退魔の神剣

 何かが間違っていると思った。


 間違っているのはこんなところにいる自分か。敵か。それとも木々の切れ目からこぼれ見える斜陽の光か。


 どうしてだ? 確か、今日はもっとずっと先まで歩いて、歩き狩りをするはずなのに。どうして、駅からほとんど離れていないような場所で、日が傾くまで、延々と戦っているんだ?


「行ったぞルーキ!」


 サグルマの警告に首を振り向ければ、飛び込んでくる山犬の頭が視界のすべてを埋めた。


「うおお!」


 間一髪のとこで、首筋に迫る牙をのけぞり回避。そのまま離脱しようとする後ろ姿に、ルーキはすかさず左腕を向けた。


「逃がすか……!」


 グラップルクローを射出。咬合部がヤマビコイヌの後ろ足にかじりつき、逃げ去る四肢空回りさせる。


「クォラアアッ!」


 そこから魔導モーターを全開。高速で巻き取られるワイヤーを腕で下から押し上げることで角度をつけ、敵を一本釣りにする。


 引き寄せられて飛んでくるヤマビコイヌの胴体に空中で組み付くと、そのまま心臓部にショートソードの先端をねじり込んだ。

 濡れた何かが裂ける感触が、指へと響く。


「はあ、はあ、ぜえ、ぜえ……。死んでたまるか。俺はどんなガバからも生き延びるんだッ……。そう約束した……!」


 着地して意識せずにひとりごち、敵の死体を投げ捨てる。


 グラップルクローを使った格闘戦は命綱だ。訓練学校の二年間――いや、一年半をこれに費やした。ベテラン走者相手に得意技だと言い張る自信はなくとも、実戦で通用することがわかって、ルーキは心からほっとしていた。――はじめのうちは。


「どうしてこうなった……?」


 体から浮き上がりかけた21グラムの何かを内側に引き戻し、ルーキは朦朧とする視界を回した。

 そこらじゅうに山犬の死骸がごろごろ転がっている。そのうちの何体を自分が仕留めたかなどもう覚えてもいない。


 額にはりついた汗を拭おうとすると、今度は仕留めた獣の血糊がついた。手も足も、返り血でべっとりだった。


 もはやレベリングではない。こんなのは、ただの死闘だ。


 それでも山犬が戦いをやめないのは、殺された仲間への怒りではなく、血の臭いで制御不能の興奮状態に陥っているからだった。


 誰もこの戦場の主導権を握れていない。

 その事実に、ルーキは悲鳴のような声を上げていた。


「サグルマ兄貴ィ!」

「どうした!」

「レイ親父はこの状況を予想済みだったんですよね!? この戦いを即座に終わらせる方法があるから、ヤマビコイヌでレベリングしてるんですよね! プランBがあるんですよね!?」

「ねえよんなもん! さっき終わらねえって本人が叫んでただろが!」

「じゃあ、もしかしてこれガバなんですか!?」

「何言ってやがる! こんなもん誤差だ誤差! とにかく生き延びろ! また来るぞ!」

「てゅわああああああああああ!! これが本場のガバだっていうのかああああああ!」


 横合いから飛びかかって来たヤマイヌを、サグルマと手分けして仕留める。


 また一段と濃くなった血の臭いの中で、ルーキは絶望がにじり寄るのを確かに感じた。

 勢いで押し切れるかと思った戦いは完全に泥沼状態に陥り、一門は疲労の極致にある。

 このままでは総崩れの時間の問題。ただ一人の走者をのぞいて。


「待てこらクソ犬!」


 レイ親父だ。背中の大太刀を振り回して、逃げる山犬を追い回している。


「斬首!」


 ぴゅーん。


「何であんな元気なんだあの人。ずっと前衛で戦い続けてるよな……? しかも空振りするたびに変な音してるし……もうわけが、わからねえ……」


 そうこうしているうちに、恐れていたことが起こった。とうとう前衛のラインが完全に崩壊し、山犬たちが後衛までなだれ込む。


「カネー」

「ボーリョク」


 魔法使いらしき二人が速攻で尻を噛まれ、謎の悲鳴を上げる。


 もう一門に踏みこらえる体力はない。

 誰かが逃げ出せば、走者たちは一気に潰走するだろう。物資喪失、負傷者多数。その先に再走の二文字がちらついたルーキの脳裏を、しかし、変わらず張りのあるレイ親父の怒声が押し流した。


「久々の本走でなまってるヤツがいるな、しかたねえ。おいサグルマ! 一旦仕切り直すから例のヤツ頼むぜ!」

「はいさァ!」


 一門の長からの直々の要請に、サグルマが腰に差していた長太刀に手をかける。

 鯉口からこぼれた青白い粒子を目の当たりにし、ルーキは眉をひそめた。


「破動剣いくぞ! 全員ビビんなよ!」


 大音声を響かせると、サグルマは全身を捻るようにして太刀を鞘走らせた。


「え、ちょ、兄貴うわあああああ何の光ィ!?」


 ルーキは悲鳴を上げた。

 サグルマはこちらが刃の範囲にいる状態のまま、刀を横薙ぎに振り切ったのだ。

 冷たい風の感触が、胴を輪切りにして通り過ぎる。


 しかし次の瞬間。


「ギャアッ!」

「オォン!」


 波紋のように周囲に広がった斬閃は、一門の陣形に深く入り込んでいたヤマビコイヌたちだけを一斉に斬り飛ばした。


 真横で一太刀を浴びたルーキはもちろん、広がった斬撃の範囲内にいた走者、草木すら傷ついてはいない。


「ありがとよサグルマ! おら、おまえら、今のうちに体勢を立て直せ! あっちもそろそろ限界のはずだ!」


 レイ親父は屈託のない笑顔でそう叫ぶと、大太刀を肩に再び敵中に飛び込んでいった。


「サグルマ兄貴、今のは……!?」


 ルーキは太刀筋が通過した自分の腹を抑えながら、サグルマに問いかけていた。

 彼が持つ長太刀は、刀身から青白いオーラを蒸気のように立ち上らせていた。よくよく見るとオーラ自体が刀身を成しており、物質的な刀が存在していないようですらあった。


 サグルマはそんな不思議な刃を鞘に戻しつつ、


「こいつは、破動剣っつってな。我が家に代々伝わる月と風の魔剣だ。本来は一振りの御霊刀だったんだが、あまりにも強力すぎるせいで使いこなせる人間がいなくて、三本に分けられた。これはそのうちの一本。敵意のある妖物のみを見分けて斬りつけることができるって代物だ」

「マジですか!? すげえ……!」

「乱戦では無類の威力を発揮する……と言いたいところだが、さっきみたいな大技は日に一度くらいしか使えなくてな。しかも刀自体が霊的な物質でできてるから、敵の攻撃を受け止めることもできねえ。ま、逆に相手がこれを防ぐこともできねえんだがな」


 あっさり説明されたが、とんでもない逸品だった。やはり凄腕の走者となると愛用品も曰く付きのものになるのか。

 こんな裏技をこの窮地まで平然と隠していたなんて、人が悪いと言うか、胆が太いというか。


「カネッ!」

「ボーリョク!」

「セエエエエエ――!」

「やめないか!」


 サグルマの大一閃のおかげで盛り返した一門は、そこから最後の力を振り絞った反撃に出た。


「もう終わりだ! 氏ね!」


 ぴゅーん。

 ぴゅーん。


 レイ親父の謎の音も、サグルマの一撃で正気に戻ったヤマビコイヌたちの怖気を誘ったらしい。彼らがとうとう尻尾を巻いて逃げ出したのは、それから間もなくのことだった。


「よっしゃー、稼ぎ終了ー! もうやらねえからなこんなこと!」


 浅葱色の着流しを血染めにしたレイ親父が、華奢な両腕を思い切り持ち上げて叫んでいる。その声に、他の走者たちの顔からもようやく安堵の笑顔がこぼれた。


 ルーキも、ショートソードを手放して後ろにひっくり返った。


 すでにあたりは真っ暗だった。

 これ以上進むのは無理だ。ここで野宿するしかない。

 駅からまだ数キロと離れていない、こんな近場で。


 何という特大ガバ。他のRTAチームは、きっともっと先まで進んでしまったことだろう。タイムはスコア化されないとはいえ、順位ははっきりと公表される。ガチ勢見習いたちがそれを見て何と言うか。


 しかしルーキには、そんな大ガバも、戦闘終盤には驚くほど手早く敵を処理できるようになっていた自分の技前も、これが初めての戦いだった感慨も、何一つ頭には残っていなかった。


「俺は生き延びた……。本場のガバから、生き残ったんだあ……!」


 吸い込めばえずきそうな血臭すら気にならず、あるのはただ、生き残った喜びと絶望的な状況からの解放感だけ。


 なるほど確かに……。


 今なら、すべてが誤差だった。

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