第5話 初めてのレベリング

 ルート0は、RTA走者の中でもっとも身近であると同時に、もっとも管理できない開拓地と言われている。


 通常、開拓地は、「魔王」格を中心とした敵勢力によって襲撃される。

 狙われる町の位置や範囲も、いつもだいたい同じである。だからほぼすべてのRTAにおいて、基本的なゴールはそのボスを叩き潰すことにある。


 しかしルート0には、そういったパターンが通用しなかった。

 明確なボスはおらず、狙われる町や、襲われる範囲も毎回異なるため、大雑把な攻略チャートしか組み立てられず、タイムスコアも定まらずにいる。


 結果としてルート0は、これまで培ってきた技術や教訓を統合して実践する、走者たちの練習場のような意味合いを持つようになっていた。


「これって、ある意味、入門テストみたいなもんだよな……」


 ここで大ガバをしでかせば、それがそのまま第一印象になる。

 まわりに迷惑をかければ最悪、破門、ということもありえる気がした。


 森は静かに風のさざめきだけを伝えている。

 走者たちは無駄口を叩かず、淡々と前進を続けていた。出発前の騒がしさが嘘のようだ。


 サグルマと共に最後尾を歩くルーキの前で、他より一回り大きなバックパックが揺れている。

 中に入っているのは彼らの備品ではなく、開拓民用の食料や医薬品だ。


 走者たちには、敵性勢力の速やかな撃破の他に、もう一つ大きな役目がある。

 それがこの緊急救援物資の運搬。

 もちろんこれだけでは足りないから、本格的な支援は走者が敵を一掃して安全を確保した後、ルタの街から行われることになるが。


 急斜面では後ろからバックパックを手で支えてやりつつ、ルーキは、すぐ隣を歩くサグルマに問いかけた。


「あの、サグルマ兄貴。この先のチャートはどうなってるんですか?」

「ああ、おまえ、チャート持ってないんだったな。ほら、やるよ」


 サグルマはチャート表を渡してくれた。

 初めて見る、プロの走者が作ったチャートだ。

 ルーキが学生時代に作ったものとは違い、活版印刷で刷られている。心が躍った。


(ルート0で最初にすることは……やっぱりレベリングか)


 RTAを始めて真っ先に行われることと言えば、十人中八人の走者がこの「レベリング」と答えるだろう。


(標的は、シロボウシ、テツアリ、ジェルフィッシュ、のいずれか……。ルート0は敵の分布もはっきりしないのに、所要時間に拾得物まで、さすがよく調べてある……)


 レベリングとは、その開拓地に体を順応させる、RTAでも特に重要な行為である。

 どんな凄腕の走者でも、このレベリングを欠かすことはほぼ不可能。なぜなら、土地によって強さの概念はまちまちで、単なる腕力の時もあれば、ドッジボールやテニスのようなスポーツが価値のすべてであったり、あるいは麻雀やトランプといったテーブルゲームの巧拙しか強さと認められない開拓地も世界にはあるからだ。


 レベリングは二種類あり、次の目的地までに現れた敵を倒していく「歩き狩り」と、特定の敵が現れる地点で敵を狩りつくす「定点狩り」だ。

 今回の場合は、やはりモンスター分布が一定でないことから、恐らく「歩き狩り」が妥当だろう。


「歩き狩り」ならレベリングしながら開拓町に近づけるので、早めに一息つけるという利点もある。初めて本走をする初心者にはありがたい。


 チャートの先を読むと、今日中にいくつかの難所を越え、明日の昼間には最初の開拓町にたどり着けることになっていた。

 と。


 ――ウウウウウ……。


 ルーキが風の中にその唸り声を聞いた瞬間、周囲の誰もが、同時に一方向に顔を向けた。

 薄く溶かした緊張が、四方を埋めている。


 ここは教師たちによって管理された訓練の場ではないことを、ルーキははっきりと自覚した。

 風のないタイミングでの葉音、見知らぬ臭い、あらゆるものに注意を払わなければ、タイムどころか命ごとロスすることになる――怪物たちにとっての狩り場。


 はじめは、茂みから一匹の大きな山犬が現れた、と思った。

 しかし、唸り声はこだまするようにあちこちから聞こえだし、ルーキはすぐにその正体に思い至った。


「こいつらは、確か」


 ヤマビコイヌ、と呼ばれるモンスターだった。

 森に棲息する好戦的かつ獰猛なモンスターで、集団で行動する上に、ピンチに陥ると遠吠えによって次々と別の群れを呼び寄せる厄介者だ。


「こいつはまずいな」


 サグルマがつぶやき、ルーキもうなずいた。


「ええ、こいつら、一度戦い始めるとキリがないです。チャートにもないし、レイ親父も無視して突っ切るんじゃないですかね。最初の段階ならまだ逃げ切れる可能性が――」

「いや、そこじゃない」

「え?」

「まわりを見てみろ」


 ルーキは一瞬、ヤマビコイヌたちに完全包囲されているのかと思って慄然とした。しかし、周囲を目視し、異変は敵側ではなく味方側に起こっていることだと知る。


「『  』? 『  』だと?」

「ウウウ……『  』ッ!! 『  』ゥゥゥッ!」


 走者たちが頭を抱え、何やら言葉にならない不気味なうめき声を上げている。歪んだ双眸にぎらついた輝きを宿し、口の端からよだれを垂らしている者さえいた。明らかにまともではない。


「サ、サグルマ兄貴。みんな、どうしたんですか!? まさか他の敵からの精神攻撃を!?」


 精神攻撃マインドシークしてくるモンスターの存在は、教本で覚えた範囲でも二十を下らない。彼らの厄介な点は、同士討ちを誘発することだ。


 ざっと見た限り、半数近くの走者が頭を抱えている。

 彼らがもし錯乱して敵味方を誤認したら――その結果を想像して青ざめるルーキの耳に、苦しげなサグルマの声が届いた。


「それも違う。いいかルーキ。RTA走者は…………イヌが嫌いだ」

「へっ?」


 唐突すぎる言葉に、ルーキは目をしばたかせる。しかしサグルマはこちらの反応に気づいた様子もなく、片手で顔半分を覆いながら続けた。


「イエイヌはいい。あれだけ賢く誠実な生き物は他にいない。だが、ヤマイヌはダメだ。ヤツらは群がり、俊敏で、ずる賢く、極めて悪質なハンターだ。一匹が噛みつけば、調子に乗って他も一気に噛みついてくる。視界の外からいきなりぶっ飛んでくるし、道は塞ぐし、おまけに攻撃しようとすると当然の権利のように離れていく。そうやって俺たちからベストタイムを奪っていくんだ。俺も三日前に潰されたぞクソッタレが!」

「お、落ち着いてください兄貴! それはマジに嫌いって話で、いまのみんなの状態とは関係ないことじゃ……」

「いや、何も不思議なことはねえぜルーキ。走者の中には、ヤツらを嫌悪するあまり、イヌという存在自体を認識から消し去ってしまった者さえいる。脳自体が、ヤツらの存在を容認できなくなってやがるのさ」

「えぇ!?」


 ルーキは改めて走者たちを見つめた。


「何だ? 何かいるのか? 見えない! 俺にはなーんにも見えない!」

「『  』なんているわけないだろ! いい加減にしろ!」

「遅延行為はやめろ繰り返す遅延行為はやめろ!」


 サグルマの言う通りだった。彼らは確かに、イヌという存在に対して病的な拒絶反応を見せている。

 つまり未知のモンスターに攻撃されているのではなく、自らのトラウマによって勝手に|ステータス異常(とんらん)にかかっているのだ。


 ルーキは思わず天を仰ぎたくなった。スタールッカーではないが、ガバ勢にもRTAによって精神を歪められてしまった人々がいたなんて。


 こんな状態では後退も前進もできそうにない。ヤマビコイヌ相手なら、さっさと立ち去るのが賢明だというのに。


 が、そんな時。


「ハッ、何やってんだおまえら」


 走者たちを一斉に振り向かせる笑い声が、飄々と響き渡った。


(レイ親父!)


 ルーキはその雄姿を確かに見た。

 地面から盛り上がった木の根に片足を乗せ、動揺する一門を見回した彼の顔は不敵そのもの。それだけで浮足立っていた走者たちの何割かが冷静さを取り戻したのがわかる。


(この状況にも動じないなんて、さすがレイ親父!)

「予定とは違うけどこいつらでいいや。最初の町に着く前に、ここで一気にレベリングするぞ!」

「ええ!?」


 ルーキの驚愕が届いた様子もなく、レイ親父が一瞬の早業で背中の大太刀を引き抜くと、それに呼応して一門の走者たちも一斉に武器を手に走り出した。


(本当にこいつらでレベリングをするつもりなのか、レイ親父は……!)


 ルーキは信じられない思いだった。


 走者のレベリングは、通常の鍛錬とは違う。

 鍛錬ならば手強い相手と戦って己を磨いていくが、走者は、倒すのに時間がかからず、危険性が低く、そこそこの経験になる、すなわち、うまあじな相手を見極めて戦うのだ。


 これらはその時のチャートや事前調査の精度によって常に変化するため、狩り場の選定はRTAにおいて特に難しい判断とされている。間違っても「こいつらでいいや」程度で選んでいいものではない。


 ヤマビコイヌは長期戦必須の相手。戦いが長引けば味方の動きも鈍り、危険度は加速度的に上がっていく。どう考えてもレベリングには不向きの相手。ベテランのレイ親父が、それを知らないはずがないのに。


(それとも、何か秘策があるのか?)


 ルーキが救いを求めるように前を見た時、


「死ねやあああァ! このクソゲロゴミクズ下等生物のフンカスがァ!」

「アアアアアアアアア! 死ね死ね死ね死ね死ね! ああああああああああ!」


 発狂した走者たちが、語彙を失いながらもヤマビコイヌに襲いかかる。

 餌と見なしたはずの獲物の異常な迫力に、今度は怪物たちが浮足立つ番だった。そこにつけこみ乱戦状態に持ち込むと、走者たちは次々に敵を仕留めていく。


「うまあじ!」

「うーまーみー!」

「うまあじ派はばかだな」

「時代はうまテイスト!」


 圧倒的だ。ヤマビコイヌも弱いモンスターではないはずだが、一門の勢いが強すぎる。


 特に強力なのは、自らのガバの記憶によって発狂している面々だった。理性のタガが外れたように暴れ回り、敵を怖気づかせている。

 戦いにおいてはビビった方が負ける。その意味で、彼らの狂態は極めて効果的だった。


「まさか、これを読んでレベリングを始めたのか、レイ親父は……!」


 もしさっきの状態のまま振り切ろうとすれば、万一追撃された場合、逃げ腰で防御もろくにできず損害を被っていたかもしれない。

 しかし、逆に敵に立ち向かわせることで、レイ親父はパニックを攻撃バフにすり替えたのだ。


 延々と敵を呼び寄せるヤマビコイヌも考えようによっては、その場から動かず、つまり、標的を探す時間を省いてレベリングできるちょうどいい相手ともとれる。

 この戦いは、やむにやまれぬ措置であり、同時にあの瞬間の最善手でもあったのだ。


 RTA心得ひとつ。RTAは決してチャート通りにはいかない。常に不測の事態に備えておくべし。


「あの一瞬でそこまで考えていたなんて……」


 きっと、ヤマビコイヌとの長期戦を強制的に打ち切る奥の手も隠しているに違いない。

 まさに、ベテラン走者の持つアドリブ力!


「やっぱすげえよ、レイ親父は……! よーし、俺も頑張らないと……!」


 腰に提げたRTA警察推奨の初心者用ショートソードを引き抜く。これとグラップルクローを組み合わせれば、迅速かつ極めて立体的な格闘戦を仕掛けられる。


「待てルーキ、おまえは俺と物資のガードに回れ」

「え……でも」

「焦るなよ。今暴れてる連中はすぐにバテる。その時支えるのが俺たちの仕事だ」

「! 了解です!」


 ルーキは素直に後方に下がった。


 乱戦の主力はレイ親父を中心とした近接武器を操る集団。彼らが前で壁になってくれるおかげで、飛び道具を持った後衛が安全に支援できている。


 物資運搬係はさらに後ろにいる。今のところ敵からの攻撃はないが、支援物質の喪失は、RTAの目的を半分を失うも同然。いわば最終防衛ライン。決して新人だから安全な場所に回されたわけではない。


 それでも、グラップルクローの発射ボタンをなぞる指は、最前線への突入を望むように震えた。


 初RTAで初めての戦闘なのだ。

 しかも、レイ親父が神がかった采配を見せてくれた。

 みんなと一緒に戦いたい。

 憧れのレイ親父と一緒に戦いたい。


 ルーキは深呼吸する。


 ……やはり今はダメだ。

 自分一人が不用意に飛び込めば、こちらの陣形を乱すことになる。


 レイ親父のアドリブを台無しにしてしまう。

 ならばせめてと思い、大太刀を振るって暴れるレイ親父を見つめた。


 教本を眺めているだけでは決してわからない、彼の生の戦いを目に焼き付けようとした。


 そして。

 ざっと――三時間後。


「うぎゃあああああ、終わらねえええええええええええええ!! 誰だこんなところでレベリングしようって言ったヤツはあああああああああああああああ!!!」

親父あんたじゃい!』


 ルタの街を代表するガバ勢、レイ一門は、夜が迫りつつある森の中で、地獄の泥沼に腰まで浸かっていた。

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