第2話 ガバ勢と突然のRTA

 ルーキはカウンター奥の一室に案内されていた。


 扉を絞めれば酒場の騒音はある程度遮断される。部屋の隅のテーブルにつかされたところで、ルーキはようやく室内を見回す余裕を得た。


 壁一面を覆う大きな世界地図が張り出され、ハシゴに上った職員が赤いインクでそこに何かを書き込んでいる。


 ――ルート1・16・45。新チャート模索中。

 ――ルート8・24・51。硫酸注意。荷物要再点検。重量警戒……。


 どうやら、開拓地と直近のRTAのスコアのようだ。


 他にも、各開拓地でのモンスター分布や物価の最新情報、現地までの大鉄道の運行時間、定期船や騎空船きくうせんの発着時間など、チャート作りに必要な膨大な量の情報が紙に書いてあちこちに張りつけられていた。


「ごちゃごちゃしてるけど、応接室なんてシャレたものないから我慢してね」


 受付嬢の言葉にルーキは恐縮して手を振り、


「いや、すごいところだと思います。みんな何をしてるんですか?」

「ここは走者のみんなが集めてきた情報を精査してるところ。親父さんはガバ勢とか言われてるけど、チャート作りでは町でも一二を争う凄腕よ。ただ現地であんまりチャートを見ないからミスが多くなってるだけ」

「親父は無類のオリジナルチャートオリチャー好きだからなあ……」


 受付嬢の言葉に、サグルマは頭をかいて苦笑いする。

 RTAの基本原則は計画チャート堅守であり、唐突に思いついた作戦が上手くいくことは極めてまれだ。


 ふと、部屋上部に備え付けられた伝声管から奇妙な音が聞こえてきた。イントロらしき短い音が終わった直後、人の声で、


『《おにィ! ケン↓》』

「……???」


 あまりにも意味不明すぎて、ルーキは目をぱちくりさせた。

 伝声管から聞こえると同時に、酒場の人々も一斉に同じ言葉を叫んだようだったが……。


「何です、今の? 何かの合言葉?」

「ああ、今のは定期的に店内に流れるジングルだ。今日はオニケンか」


 どうや一門ではおなじみのものだったらしく、サグルマはそっけなく答えた。


「何を言っているかは深く考えなくていい。問題は間隔だ」

「間隔?」

「必ず三十分おきに鳴る。時間はRTAにおいて極めて重要なファクターだ。俺たちは常に時間の感覚を持っていなければならない。その体感を、さっきの音で叩き込む。楽しく飲んでる時の三十分はどんな感じで、実は食事代までトランプで巻き上げられちまった時の三十分はどう感じるのか……。それをしっかり知っておくことで、実戦でも感覚で時を知ることができるのさ」

「なるほど……!」


 想像以上に深い理由だった。なんか発音が面白かったとか、そんな感想を抱いている場合ではなかった。


「で、まず聞いておくが、おまえは何が得意なんだ?」

「え、ええと……」


 ルーキはたじろいだ。

 何が得意か。昔から苦手な質問だ。RTA訓練学校の成績は中の下。一人前の走者を前に、何を得意と言い張れる?


「紹介状に何か書いてないの?」


 口ごもっていると、受付嬢が横から助け船を出してくれた。


「こんな戦闘Bとかアイテム管理Cとかしか書いてない紙切れで何がわかるんだよ。知りたいのは、どんな動きをするかってことだ。接近戦なのか、遠距離戦なのか。腕前の良し悪しは現場で見せてもらうから、今は問題じゃねえ」


 サグルマの返事にルーキははっとなって、すぐに答えを返した。


「それなら、グラップルクローを使って剣で突っ込んでいくのは、そこそこ、性に合ってるんじゃないかと思います」

「グラップルクロー? ああ、あのワギャンの頭みてえなのがついてる鉤縄か」

「あらやだサグルマ兄さん、伏字の使い方とか知らないの?」


 受付嬢が指摘すると、サグルマはばつが悪そうに頭をかき、


「……まあ、それでぶっ飛んでいくのが得意と。なかなか面白い戦法じゃねえか。それさえわかりゃいいんだ。俺たちのRTAパーティーはだいたいいつも寄せ集めだからな」


 ガチ勢は緻密なチーム編成と的確な指示によって精密に戦うが、ガバ勢はその限りではないらしい。


「あの、俺からもいいですか……?」


 ルーキは小さく挙手した。


「何だ?」

「レイ親父は、もうあの酒場に?」


 目で酒場の方を示して聞く。


「いや、まだ来てない。もしかして、レイ親父を見たことがないのか?」

「はい。実は。学校は全寮制で街に出ることは制限されてたし、教本に載ってたレイ親父の肖像画はまんじゅうのアイコンだったんで……」

「確かに、親父さんは絵描きの前で何時間も大人しく座ってるような人じゃないわね」

「走者はだいたいそうだな」


 受付嬢とサグルマはくすりと笑いあった。


「会ったらきっと驚くんじゃないからしら」

「そうだな。まあ、そろそろ店に顔出す頃だと思うんだが……」


 サグルマが肩をほぐすように動かしながら、酒場へ続く扉を見やった時だった。


「おい、“ルート0”で壊滅事案だ。手の空いてるヤツはいるか!?」


 喧騒の大部分をシャットアウトする扉すら突き抜けて、資料室にまで大音声が響き渡る。


「親父!?」

「えっ!?」


 サグルマの驚きに引っ張られ、ルーキは思わず椅子から立ち上がっていた。

 今のがレイ親父なのだろうか? しかし声は野太いどころか妙に高く細く、まるで……。


「ルーキ、いきなりだがRTAだ! おい、大列車の発車時刻は?」


 続くルーキの思考は、緊急性を帯びたサグルマの声に一気に吹き散らされる。受付嬢の落ち着いた声が素早く応じるのが聞こえた。


「一番早いので十八分後。親父さんならまずこれに飛び乗るわね」

「聞いたなルーキ。支度できるならすぐにして駅に向かえ。遅れたら大ガバだぞ!」

「は、はいっす!」


 大半の状況が不明ながら、ルーキはすぐさま応じた。


 訓練学校のように、何時何分からカリキュラムが始まるんじゃない。人間の世界は突発的に奪われ、走者は電撃的にそれを奪還する。

 これが世界の現実であり、走者の日常。


 その中に組み込まれたことを実感したルーキに浮かんだのは、理不尽さや焦りではなく充実感だった。

 将来のためだとか、万一に備えてとかではなく、今のために、今、行動する。

 目的と行動と結果が最短距離で結ばれ、自分が何をしているかが確かな手応えとして伝わる。それが嬉しい。


(やってやる。まずはこの乗車に、必ず間に合わせる!)


 ごった返す酒場側出口からではなく、事務所の勝手口から外へと出されたルーキは、自分の荷物を取りに行くべく、裏通りのボロアパートへと喜び勇んで駆けだした。

 

 ※


 カンカンカンカン!

 駅員が発車を知らせる鐘を盛大に鳴らす。


「列車に乗り込めェーッ!!」


 先に到達した走者の一人が叫ぶと、続く人々も飛びつくようにして列車に駆け込んでいく。しかし、広場のようなホームには、まだまだ多くの乗客たちが列車目掛けて全力ダッシュしていた。


「ガバッたあああああああああああああああ!!!」


 その有象無象の一人となったルーキは絶叫する。


「荷物をちょっと確認しようとしたのが命取りになった! そもそも店から十八分って普通にシビアな足切り設定だったァー!!」


 RTA心得ひとつ。RTAには余裕をもって臨むこと。体調不良などもってのほか。睡眠不足、事前の水分の取りすぎ、トイレに行ってないなどの準備不足も許されない。


 全力疾走に揺れる視界の中で、発車時刻を大時計で確認した車掌が、車掌室へと姿を消すのがわかった。間に合わない客は普通に置き去りにされる。それがルタの街の掟だ。


「クソッ! ギリギリ間に合わせて――!?」


 左腕に装着したグラップルクローに意識を向けたルーキは、次の瞬間、目の前の柱の陰から現れた一人の少女に目を剥くことになった。


「うおわあ!?」

「きゃあっ! 何ですの!?」


 あわや正面衝突、というところで、少女の両肩を軽く押しやるようにして自分の軌道をそらし、何とか激突の回避に成功する。


 良家のお嬢様を思わせる清楚なワンピースに、ウエーブのかかったきらびやかな金髪。顔立ちは端正の一言に尽きるものの、それに目を奪われたのは一瞬だけ。

 ワンピースに刺繍された懐中時計と天秤のデザインに、半ば強制的に視線を引き寄せられたルーキは、走る足を止めないまま痛恨の悲鳴を上げていた。


「げえーっ!? エルカ・アトランディア嬢!?」


 個人的も面識もないが、この街では有名人。

 走者にとって一番の鬼門。再走裁判所の判事――の娘だ。


「何ですのあなた! 発車間際のこんなタイミングで走っているなんて、さてはガバ勢ですわね! 再走! 再走ですわ!」


 激突は避けられたとはいえ驚かされたことに変わりはなく、少女は両拳を振り上げて怒りだした。


「すいません、許してください! 後で反省文提出しますから!」

「ん? 今何でもするって言いましたわね!?」

「言ってないだろォ!?」


 遠ざかりながら叫ぶ。しかし。


 デッデッデデデデ! カーン! デデデ! デッデッデデデデ! カーン! デデデ!


 ついに発車予告ベルが、発車の演奏に変わってしまった。


「おいてかないでー!」

「俺たちがまだだあー!」


 あちこちから悲痛な叫びが上がる。だが、それで発車を遅らせてくれる開拓鉄道会社ではない。

 今のニアミスが速度を乱し、間に合うかどうかはさらに微妙になった。

 しかし、まだ何とか……。


「はーい、ごめんなさいっす」

「!?」


 緊張感のない声が風と共に体の横を通り過ぎ、ルーキをぎょっとさせる。


 人だ。小柄な、またも女の子だ。


 丈の短い和装にマフラー姿。上半身はまったくブレていないのに、足の動きが目に留まらないほど素早い疾駆は、東方を発祥とする独特のスタイルをルーキに叫ばせた。


「ニンジャー!?」

「む。ニンジャーじゃないっす。ニンジャっす。レンジャーみたいに言わないでほしいっす、乗車ガバのお兄さん」


 栗色の髪をボブカットにした忍者少女は、肩越しに振り向いて不服そうに唇を尖らせた。


「何がガバだ。そっちだって遅刻しかけてるじゃないか!」

「はい?」


 彼女はニヤリと笑い、

「ギリギリ間に合うのはガバとは言わないんすよ、お兄さん!」


 そう言うなり、ドンッと力強く地面を蹴ってさらに加速。先を走っていた走者たちをごぼう抜きにし、そのまま列車に飛び乗ってしまう。

 得意げな顔をちらりと向け、小さく手を振ったのを最後に、彼女は扉を開けて中へと消えてしまった。


 デッデッデデデデ! カーン! デデデ!


「うぐっ!」


 発車の演奏は二度目のサビを迎えていた。もう間に合わないと知った走者たちが次々と走るのをやめていく中、それでもルーキは速度を緩めなかった。


 ここで折れるわけにはいかない。


 ガバに負けない。

 走ることを諦めない。

 自分がこの程度だなんて見限らない。


 まだ初日にせよ、


「俺はもうレイ一門だああああああっ!」


 目測する。列車と自分の距離。ギリギリ射程距離内!


 左腕を思い切り伸ばして、グラップルクローを射出。

 直進する怪獣の頭部のような咬合部は、最長二十六メートルのワイヤーを限界まで伸ばしたその先で、列車最後尾に取り付けられたバルコニーの手すりにかろうじて噛みついた。


「行けえっ!」


 魔電モーターの強力な回転がワイヤーを巻き取り、ルーキの体を矢のように弾き飛ばす。

 すでに立ち止まっている走者たちを一気に追い抜き、その数秒後――。


《イクゾー!》

《ホイ!》


 車掌と副車掌の息の合った乗車案内を聞いたルーキは、確かに、大列車の壁にしがみついていた。


「間に合った……」


 遠ざかる駅では、ぎりぎり間に合わなかった走者たちが地団太を踏んでがなり立てている。が、それらも列車の駆動音と風を切る音に呑み込まれ、すぐに聞こえなくなった。


 あっという間に原生林一色になった風景を見つめながら、ルーキはようやく安堵の息を吐く。


 ふと、乗り遅れた彼らのことを考え、血の気が引いた。

 遅刻した彼らは、次の列車に乗れば先行隊に追いつけるのだろうか? それとも、もうここで彼らのRTAは終わってしまうのだろうか?


 RTAは伝統的に、規制なしの自由参加で行われる。

 走者は町中に溢れている。

 自分は世界に一人しかいない。しかし、RTAの世界はこのただ一人の自分を特別視してはくれない。


 列車はどこまでも時刻通り、未来の勇者たちを平然と置き去りにして走る。

 いつか自分も、その無力感、孤独感を味わうことになるのだろうか?

 わからないし、わかりたくもない。


 命拾いさせてくれたグラップルクローをひと撫ですると、ルーキは深呼吸をして車内に入った。

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