RTAにガバ一門の栄光あれ!
伊瀬ネキセ
第1話 ガバ勢と一人の新人
――この門をくぐる者、汝一切の幸運を捨てよ。
門に深く刻まれた銘文を目で読み上げたルーキは、生唾と緊張を一緒に腹の底へと飲み落とすと、自らを鼓舞する独り言をつぶやいた。
「ついにこの日が来たんだ。俺はやる。必ず、一人前の走者になってやる」
中肉中背、黒髪黒目。十六歳の春に相応しい風が、バックパックを背負った背中を軽く押してくれる気がした。
※
世は、超開拓時代最盛期。
数十年前まで南方大陸のごく一部にしか居住域のなかった人類は、人口の増加、あるいは十分な開拓技術の醸成が閾値を超えたある日を境に、ホウセンカの種のように爆発的に世界に広まった。
しかし、広大すぎる世界に対し、文明の耐久値および補給線は必ずしも盤石なものではなかった。
一度は開拓に成功したものの、すぐに現地生物や怪物たちに追いやられる日々。
人類の生存圏は一向に広がりを見せられずにいた。
しかし、後に勇者と呼ばれる者たちを中心に人々が結束したことで転機が訪れる。
奪い、奪われの循環の中でどうにか開拓地に“人類の世界”を根づかせることに成功。だが、それも一時の平和に過ぎず、いまだに外敵との戦いは巡る季節のように続いている。
敵の襲撃に即応、迅速に現場に急行し、魔王を打ち倒す社会的システムが必要とされた。
その結果生まれたのが、RTA――Rescue & Tactical Approach(ガバガバ英語)である。
綿密なチャートを構築、実践し、敵性勢力の要所と頭を最短時間および最小戦力で撃滅する。
それに従事する勇者たちは、戦場を高速で駆け抜ける姿から、いつしか“走者”と呼ばれるようになり、子供たちの将来なりたいものランキングの第二位を獲得するに至っていた(一位は弁護士)。
RTA。それは人類の時代を支える、尊い偉業なのである。
※
「ごめんくださ――」
門の先にある事務所の扉をそっと開けたルーキは、噴き出すように溢れ出た騒音に思わず首をすくめていた。
酒場を兼ねた一階受付は、朝だというのに大勢の客が詰めかけていた。
純粋な人間種に混じり、獣人やその他よくわからない生物までがテーブルを囲んで騒いでいる。
ただの酔客ではない。恐らくは全員が走者。
ここルタの街では知らぬ者などいないRTAの生きる伝説、レイ親父を中心とした一派――レイ一門。自分もまたそこに加わる胸の高鳴りを感じたルーキは、意を決して再度挨拶を放り込んだ。
「ごめんください。今日からお世話になります、新人のルーキです!」
かなり大声を出したつもりだったが、店の中から反応が返ってくることはなかった。
RTA訓練学校の卒業証と、RTA警察および再走裁判所からの紹介状を持った手が、行き先を失ったように力なく揺れる。
騒音があまりにも大きすぎるのだ。もはや、怒鳴り合わなければ同席した相手の声すら聞き取れそうもないほどに、うるさい。
「すいません! ルーキですけど! 新人の!」
ありったけの声を放ったがそれでもダメ。
出鼻をくじかれる。予定では、もっと普通に話を聞いてもらえるはずだったのに。
(出直すべきか? いや、ここで“再走”なんてありえないだろ……)
走者を気取った言葉遣いを頭に走らせていると、突然後ろから野太い声がかかった。
「おう、兄ちゃん。そこどいてくれるかい」
ルーキははっとして振り向いた。
大柄な一人の男が立っていた。
赤い総髪に精悍な顔つきの、二十代半ばほどの男だった。左目に眼帯をしており、その表情は穏やかながらも染みつくような強者の風格がある。一目で一角の走者とわかる佇まいだ。
「す、すみません」
ルーキは店の入り口を塞いでいたことに気づき、慌てて横に退避した。通行のブロックは走者に対して大変失礼にあたる。
「ありがとよ」
見ず知らずのこちらに律儀に礼を述べると、男は咎めの言葉の一つもなく目の前を通り過ぎようとした。
ルーキははっとなった。これはチャンスだ。この距離なら声は十分に届く。
RTA心得ひとつ。走者たるもの、チャンスは積極的に利用しなければならない。
しかしふたつ。走者たるもの、チャンスに浮かれて注意を怠ってはならない。
ルーキは失礼のないよう丁寧に切り出した。
「あの、すみません。俺、ルーキって言います。今日からここでお世話になる新人で――あ、これ、紹介状です。連絡とか、行ってませんか?」
紹介状を差し出し、一息に伝える。
隻眼の男は少し驚いたように目を見開き、
「なに新人? そんな話は聞いちゃいねえが……。まあいいか。ちょっと来な」
「はい!」
内心「よし!」とガッツポーズを取りながら、ルーキは男につれられ人込みの奥に隠れていた受付までやって来た。
カウンター奥にいる綺麗な女性は、隻眼の男を見ると柔和に微笑み、
「あらサグルマ兄さんいらっしゃい。料理の注文なら、ウエイトレスの女の子に言ってね」
「そうじゃねえよ。こいつが今日からうちに加わる新人だって言ってるんだ。ほら、紹介状だとさ。何か聞いてないか?」
男に肩を押し出される形で、ルーキは女性と顔を突き合わせた。
初対面なら気後れする距離感だが、そうしなければ会話ができないほど騒がしかった。一拍遅れて、隻眼の顔も寄ってくる。
「新人? RTA警察からの紹介状? ここがそんなかっちりした組織だとは知らなかったわ。てっきり親父さんの尻を追いかける人たちのたまり場だとばかり」
「新規走者をどうにかして管理したいんだろ。俺だって元は流れ者だ。こいつの素性なんて気にしねえよ。だが、わかることは多い方が親父に説明しやすい」
受付の女性は軽く肩をすくめ、
「わかったわ。調べてみる……。って、ここにあったわ。研究所でやってるガバセンサーの人体実験依頼と同じ日に来たのね。そっちの方が気になってて目がいかなかったみたい」
「よくそれで窓口ができるな。狸の置物でももう少し働きそうなもんだが」
隻眼の男――サグルマという名前らしい――は呆れたように嘆息すると、受付嬢から手渡された手紙の封を切った。書類とこちらを行き来する二人の視線が、ルーキの緊張を高めていく。
「ふうん。RTA学校から来たのね」
「学校? 最近はそんなもんがあるのか」
「やあねサグルマ兄さん、知らないの? ここ数年でできたのよ。元々は開拓産業の一環で、開拓民に自衛手段を教える学校だったんだけど、流行りに応じて形を変えたの。卒業生たちは、町の酔っぱらいが突然走者になるよりずっと優秀よ」
「ほー。それも“レイ・システム”の一端か……」
何気ないサグルマの言葉に滲んだ感慨に、ルーキはあることを察した。
(この人、古参だ)
レイ・システム前、ともすれば勇者が現存した時代の生き残り。見た目は若々しいが、この街に住む以上、外見は年齢を計る有効な指標にはならない。
偶然とはいえ、想像以上にすごい人に声をかけてしまったかもしれない。
ちなみにレイ・システムとは、伝説の走者レイが作り出したとされるRTA環境だ。その大部分は自然発生的――つまり意図しない恩恵だという見方も多いが、町の人々が口を揃えて語るところに真実は現れる。
すなわち。
レイ親父がすごいのは、RTAを一般人ができるようにしたことだ。である。
元々RTAとは、勇者が世界を救う尊い戦いから派生したものであるため、参加の敷居は果てしなく高かった(敷居警察出動中……)。
求められるものはあまりに多く、そしてこれは人類の悪習ともいうべきものなのだが、人々は勇者たちに助けられることに慣れすぎ、その行為に大したありがたみを感じなくなってしまっていた。
やって当然、できて当然。逆に少しでも失敗すれば非難の矢面に立たされる空気感で新規走者が増えるはずもなく、神聖性があだになって金銭的な報酬もろくに出ないとなれば、時代を支えるはずのRTAのシステムは先細りの一途をたどるしかなかった。
それを変えたのがレイ親父。
彼自身凄腕の走者ではあったが、
しかし、普通なら非難の対象にすらなりうるそれを、彼は自ら面白おかしく、酒場でみなに話して聞かせた。俗にいう「完走した感想」の起源だ。
ギターを片手に、効果音をつけたり、小芝居を挟んだりの英雄譚は大盛況で、彼が寄った酒場には、連日連夜猫が通る隙間もないほど人が詰め寄せたという。(なお、悪名高い「みさなまのためにぃ~」も当時から存在したらしい)
この日以来、ある考えが町に発生した。
走者はガバってもいい。
むしろガバった方が面白い。
これは当時、極めて画期的なものの見方だった。
これを機に、走者の間口は一気に広がる。
RTAは決して勇者のみに許される聖戦ではなくなった。
誰もがそこに参入でき、協力でき、そして物語を語り、あるいは聞くことができた。
それは逆説的に、みんなで協力して世界を救うという、古の時代の思想を蘇らせたのだった。
しかし――。
「この案内書を見るに、訓練学校の卒業生は、能力や適性に応じて適切な走者集団に紹介されるってことらしいわ。で、彼はここを紹介された」
「能力? ってことは……」
サグルマの目がこちらを向く。
「ねえあなた、親父さんとここの人たちが何て呼ばれてるか知ってるの?」
受付嬢から直に問われ、ルーキはにわかに身を硬くした。
レイ親父と彼のシンパたちは、こう呼ばれている。
ガバ勢。
町の一部からは、RTAを汚しているとまで言われる存在だ。
批判する彼らの多くは、かつての勇者の聖戦と直系となる“ガチ勢”の信奉者。RTAから神聖性を奪い、大衆化させ、多くのガバ勢を生み出した。走者の質を著しく低下させた。レイ親父はそんな非難を浴びることもある。
訓練学校のクラスメイトにも、そういう思想の人間はいた。彼らの陰口を奥歯で一度噛み殺してから、ルーキはしっかりと受付嬢の目を見返して答えた。
「もちろんわかってます。俺が走者としてダメダメのダメだってことも」
だからこそ、学校もここくらいしか紹介先を選べなかった。
卒業時の成績は、真ん中よりも下だ。
しかし。
「でも、たとえ俺の成績がどんなであっても、卒業したらここに来るつもりでした。俺、レイ親父に憧れてるんです! ガバっても諦めない姿勢とか、安易に再走の判断をしない意志の強さとかに! 俺もそういうRTA走者になりたいんです!」
「あっ……」
「えーと、それはな……」
二人が何かを言いかけたが、訓練学校二年間で溜め続けた意志を吐き出すように、ルーキは言葉を続けた。
「俺は、証明したい。これまでどんだけガバガバでダメな人生だったとしても、頑張ればちゃんといっぱしの走者になれるってことを。一人前の人間になれるってことを。そのために俺は、ここに来たんです」
「ほう……」
サグルマが感心したようにあごを撫でた。
「誰だって失敗することはある」
「そう? わたし失敗しないけど」
すぐに横合いから口をはさむ受付嬢にサグルマは指を向け、
「アホぬかせ。おまえは失敗を認めないだけだろうが。いいか? この世でガバったことのないヤツなんていない。みんな大きな失敗をしでかしてる。それがないのは、ある一種類の人間だけだ」
「その一種類って誰よ?」
「本気で勝負したことがねえヤツさ」
ニヤリと笑ったサグルマは、ばん、とルーキの背中を叩いた。
慰めというには強すぎ、励ましというには熱のこもった、大きな手のひらだった。
「なるほどルーキ、おまえは人生のガバをリカバーしたいってわけだ。大変結構じゃねえか。ガバは必然。リカバーはRTAの華だ。ここで経験を積んで一人前になった走者は山ほどいる。まずは親父のケツにくっついて、色んなRTAに参加することだ」
「は、はい!」
「おっと、名乗りが遅れたな。俺はサグルマ・イクってモンだ。これからよろしくな」
「よろしくお願いします、サグルマ兄貴!!」
ルーキは勢いよく頭を下げた。
ここからすべてが始まる。
一人前の走者になるため。
取りこぼしてきた後悔をすべて拾い直すための戦い。
「ただ、なんだ。これだけは覚えておいた方がいいと思うんだが」
ふと、サグルマが歯切れ悪く言った。ルーキは奇妙に思い、顔を上げる。
「俺たちはあれだ。RTA中はとても忙しい。とにかく時間に追われる仕事だからな。ガバ勢でもタイムはほしい」
「はあ……」
「つうわけで、RTAに出会いを求めるのは間違ってるから、期待するなよ」
「へ?」
受付嬢が横から気楽に微笑み、
「そうそう。完走に関係なきゃ、たとえ現地の美人さんを超カッコよく助けても、名乗る間もなく次の町へダッシュ。走者っていうのは、そういう生き物だからね。サグルマ兄さんもそれでどれだけよさそうな話を逃してきたことか」
「……とにかく、そういうわけだ。そっちの努力だけはやるだけ無駄だから、最初から諦めた方がいいぞ」
「あっ……はい……。それは別に……いいと……思います」
別に最初から期待していた部分ではなかったはずなのに。
返せた言葉はなぜか弱々しかった。
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