第十一話 北の大地
北に進むにつれ、街道脇に避けられた雪の壁は高くなり、今では馬車の背丈を超え始めている。
それにモートンを出た時は晴れていた天候も、崩れ始めており、反り立つ雪の壁の上空には、白い雪が降るのがチラリと見えた。
「雪が降り始めてる。ここは除雪した雪の壁があるから、まだ風が当たらないだけマシだけど……。新たに積もってるところもあるんだろうな。ううぅ、寒い」
僕が生まれ育ったアグドラファンは、比較的暖かい土地だったので、滅多に雪が降ることもなかった。なので、正直、今の寒さは防寒着を着込んでいても、身体に染みこむような寒さできつい。
上空の様子を睨みながら歩いていた僕に、馬車を操作していたベルンハルトさんから、緊張した声が発せられた。
「ロルフ君、前方で雪の壁が崩れているのを発見! 停車するため減速する! 後続が追突しないようすぐに連絡を頼む。停車後、ヴァネッサに魔法で雪をどかしてもらうつもりだから、冒険者諸君には小休止だと伝えてくれ」
すぐに視界を街道の先に向ける。うっすらと雪の壁が崩れているのが見て取れた。
「分かりました! すぐに連絡をします!」
ベルンハルトさんの指示を受け、後方に走り出した僕は、トレッドさんの姿を見つけると、大きな声で叫んだ。
「トレッドさん! 停車です! 停車! 前方に雪の壁が崩れた個所を発見! 追突に注意!」
「おぉ! 承知した。すぐに伝令を走らせる!」
トレッドさんが周囲にいた冒険者たちに目線を送ると、何名かが後続の馬車に向かって駆け出していく。伝令の冒険者から、ベルンハルトさんの指示を聞いた後続の馬車が次々に停車していき、あっという間に輸送隊の馬車が事故もなく停車したという報告が返ってきた。
「停車完了っと。雪の壁が崩れてるらしいが、これから雪を避けるのか?」
「いえ、ヴァネッサさんが魔法で雪を避けるので、皆さんには小休止するよう言われてます」
「小休止か。だったら、少しでも外にいる連中に暖をとらせたいところだが」
「ですね。僕も温まりたいと思ってました――」
トレッドさんと話し合っていると、馬車の屋根に防寒着で着膨れしたヴァネッサさんの姿が見えた。
「うー寒い。これだから北は嫌なのよねー。はいはい、今から前方の雪を魔法で押しのけるから、後ろの人たちは気を付けてねー」
次の瞬間、ヴァネッサさんの杖が光ると、前方の景色が歪み、崩れて道を塞いでいる雪が左右に避けられていく。
「ひぇー、ずいぶんと簡単に道を作ってくれるなぁ。雪を避けるだけでも数時間はかかると思ってたんだがな。さすが王国一の魔法の使い手、青の大魔術師様ってところか」
同じ場所から魔法による除雪を見ていたトレッドさんから、ヴァネッサさんへの賛嘆の声が漏れた。
「はい、これでわたしの仕事は終わり、ロルフちゃーん、今からエルサちゃんとナグーニャちゃんが温かい飲み物を配るから配布のお手伝いよろしくー」
ヴァネッサさんは、それだけ言い残すといそいそと馬車の中に戻っていく。代わりに馬車からエルサさんとナグーニャが姿を現した。手には温かい物を保温できる大きな容器を抱えている。
「ロルフ君、寒い中ご苦労様。温かい飲み物だよ」
エルサさんが湯気の立ち昇る温かい飲み物を容器からコップに注いで渡してくれる。コップの中の飲み物を一気に飲み干すと、冷え切った身体に熱が拡がって温かくなるのを感じた。
「ふぅ、エルサさんありがとう。生き返ったよ」
「ロルフ君、ずっと外で歩いてるし、身体冷えてるでしょ。もう一杯飲む?」
外を歩いていた僕を心配して、エルサさんが何度も声をかけてくれてたけど、今の一杯で十分に温まった。
「大丈夫ですよ。僕も配布を手伝います。まだ、馬車の中に容器は残ってますよね?」
「う、うん」
「トレッドさんも、配布を手伝ってもらっていいですか?」
「おうよ。温かい飲み物は助かる」
エルサさんたちと協力して、温かい飲み物を小休止中の輸送隊の人たちに配ることにした。
「ふぅ、助かるぜ」
「ずっと、外だったから温まるぅー」
「嬢ちゃん、ありがとな」
「これぐらいしかできませんけど」
「そっちの小さな嬢ちゃんもありがとうよ」
「どういたしましてー。ナグーニャもお仕事できて嬉しいよー」
温かい飲み物が行き渡ると、飲み物を片手に携帯食料を食べる人たちの姿があちこちに見られた。寒い中、雪道をずっと歩いているため、いつもより空腹を感じてる人が多いようだ。
「ロルフも食っとけよ。寒さってやつは、いつも以上に体力を奪っていくからな」
みんなの様子を見ていた僕に、携帯食料を口にしていたトレッドさんがポーチから出した別の携帯食料を差し出してくる。
好意で勧めてくれてるし、断るのも悪い感じに取られるから、頂くとするか。
「ありがとうございます」
携帯食料の包み紙を破ると、中身を一枚取り出し頬張る。
「今日はまだ進むんだろ?」
「はい、まだ初日ですし、天候の崩れも酷くないので、できるだけ進む予定だそうです」
「まぁ、それがいい。天候が崩れたら予定距離以下しか進めない可能性もあるわけだしな。進める時に進んでおいた方がいい。さすがはベルンハルト殿だな」
地元の冒険者のまとめ役であるトレッドさんの意見は、ベルンハルトさんにも事細かに伝えてある。初日であることもあり、今のところベルンハルトさんの指示に対する不満は出ていない。
「ロルフ、トレッド、おかわりいるー? まだ、飲み物あるよー」
トレッドさんと今後のことを話し込んでいると、カワイイ防寒着をしっかり着込んだナグーニャが、大きな保温の容器を両手で持って姿を現す。ナグーニャは飲み物の配布のお手伝いを未だにしてくれていた。
「もらおうかな」
「すまんな。オレももう一杯もらおう」
「あーい! どうぞー」
差し出したコップに向かって、ナグーニャが慎重に容器から飲み物を注ぐ。注ぎ終えると、上手くできたのが嬉しかったようで、ニッコリと笑みを浮かべた。
「ナグーニャ、ありがとう。上手くできたね」
「お手伝いできて、偉いな。うちの坊主どもも嬢ちゃんくらい手伝いをしてくれるといいんだがなー。うちのクソガキどもは文句しか言わん」
「ナグーニャはお仕事大好きー! 今度はあっちの人たちに勧めてくるー。リズィーも行くよー」
「わふう」
保温容器を何個か背負ったリズィーを連れ、ナグーニャはまた別の人たちの集まっているところへ向かった。その様子を目で追って見ていたトレッドさんが、微笑んだ様子を見せた。
「それにしても、出発前から気になってたが……。冒険商人には、あんな小さな嬢ちゃんも所属してるんだな」
「ナグーニャのことですか?」
「ああ、どう見ても成人前の子だろ?」
精霊樹の森でさまよってる以前の記憶が一切ないナグーニャであるため、正確な年齢は分からない。でも、容姿から見ても成人前であることは確実だった。
本来なら、街で暮らす予定だったが本人からの強い申し出で、ベルンハルトさんたちが養育者となり、僕らと一緒に旅をしている。
「ええ、そうですよ。でも、とても優秀なメンバーの一人です。ベルンハルトさんたちが養育者をしていいと名乗り出た子ですしね」
僕の言葉に、トレッドさんの顔が固まった。
「は⁉ つまり、それってあの子はベルンハルト殿の――」
「養女ですね」
「ベルちゃんの養女であって、わたしの娘でもあるから、よろしくねー」
僕たちの話を馬車から聞いてたと思われるヴァネッサさんが、窓から顔を出して手を振っていた。
「ヴァネッサ殿の娘⁉ つまりそれって――二人が結婚したってことか?」
「トレッド殿、それは違うぞ。ヴァネッサとは籍を入れてないし、連名でナグーニャの養育者になっているだけだ」
小休止中に、前方の雪の様子を確認しに行っていて、馬車に戻ってきたベルンハルトさんが、即座に訂正をする。
「もぅ、ベルちゃんも往生際が悪いわねー。はぁー、この寂しさは娘に埋めてもらうしかないわねー。ナグーニャちゃん、戻ってきてー。ママを慰めてー!」
馬車の窓から叫んだヴァネッサさんの声に気付いたナグーニャが、元気よく返事を返す。
「はーい。ヴァネッサママが寂しくて呼んでるから、ナグーニャは戻るねー」
ヴァネッサさんとナグーニャのやり取りを見ていた周囲の人からドッと笑い声が上がった。
「ナグーニャちゃん、ママが寂しがってるらしいから、ちゃんと慰めてやってくれなー」
「うん、任せてー」
「ナグーニャちゃんと喋ってると楽しくて、気持ちが上向く。休憩の時にまた喋りにきてくれよ」
「あーい、また来るねー」
飲み終わったコップの回収を終えたナグーニャが、リズィーと一緒に、ヴァネッサさんのご機嫌取りに馬車の中に戻っていく。
ナグーニャという名前は、本当の名前ではないらしく、精霊樹の森の奥で囚われていた人たちが、いつも明るい彼女にピッタリだと言って付けてくれた名前らしい。
本人もその名前をいたく気に入っているため、今も使用しているのだと言っていた。
「さすが、冒険商人のメンバーで二人の養女殿ってところか。癖の強い冒険者たちの心をもう掴んでるらしい。不思議な子だな」
ナグーニャの様子を見ていたドレッドさんが、納得したような顔で頷いていた。
たしかにナグーニャは何事にも一生懸命に取り組むし、真面目だけど、それだけじゃない部分で不思議な魅力を感じる。一緒に居ると、温かい日向で日光浴をしてるような空気感に包まれるってエルサさんも言ってたし、僕も同意見だった。
「人懐っこいのはよいことであるが、ナグーニャには、自分が女性であるという自覚を持ってもらわねばならん」
ベルンハルトさんは、相変わらずナグーニャに関して色々と心配してて、過保護だった。
でも、僕もエルサさんと結婚して娘ができたら、ベルンハルトさんと同じように過保護になるかもなぁ。子供にはどうしたって甘くなっちゃうよね。
「冒険商人のリーダーである高名なベルンハルト殿も、オレと同じように人の親としての行動は普通だったか」
「みたいです」
「オレもベリアに残してる子供たちに早いところ会いたいぜ」
父さんも母さんも、今のベルンハルトさんやトレッドさんみたいに、僕を心配して五年もいろいろと世界各地を巡ってたのかな。会った時にそのことを聞いてみたい気がする。
「んんっ! さて、小休止は終わりにして、日が暮れる前にもう少し進むとしよう!」
ベルンハルトさんは、恥ずかしいのか咳ばらいして出発を告げると、そのままそそくさと御者席に座る。
「了解! 出発ですね!」
「おーい、みんな出発すっぞ」
小休止中だった冒険者たちが、すぐさまベルンハルトさんの指示を伝えに走り出した。そして、ベルンハルトさんの馬車を先頭に動き出した輸送隊は、再び街道を北に向かって進み始めた。
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