⑥ 男がいるだろ!!!(優大激怒)

 黄色やオレンジの小花が溢れる真夏日、大繁殖をするカモミールを摘んでいると、また背後に優美な笑みのカラク様が訪れた。


「そうなんですか。優大君もここに住むことになったのですね」

「いえ、住むのではなくて、自由に使える彼のお部屋を用意しただけです。実家に帰りたいときにはいつでも、疲れてここに居たいときもそのままでということで」

「住むとは違うのですね……」

「彼の部屋のそばに、彼専用の新しいオーブンを入れる調理場を作ることになったんです。朝早いこともあるので、その部屋で休んでもらったり仮眠してもらったり休憩してもらったりです。元々ペンションだったので、余っている部屋があるんですよ」


 青い空に雲が流れ、丘からの風がまっすぐにガーデンに吹き込んでくる。今日もそこで、夏の日差しの中なのに、涼やかな顔つきのカラク様が、首をかしげてなにかを考えているようだった。


「そういえば、彼女も昔はこの家にもたくさんの客が来ていたのよ、と言っていたような」

「カラク様がオレンジティーをご馳走になった女性の方って、ペンションを経営されていたご夫妻の奥様だったんじゃないですか」

「だと、思います? 僕ではなくて、彼女から話しかけてきたんですよ」


 え、そうなの――と舞はぎょっとする。舞の場合は、声を掛けられて振り向いたら彼がいたから、自分から見つけたわけではないので、彼女から見えていたというのは驚きだった。


「最初からカラク様が見えていたということなんですか」

「そうですね。手招きされて、その時、オレンジティーをご馳走になったのですよ。彼女も美味しいものをたくさん作ってくれました」

「ほんっとうに、カラク様は食いしん坊なお兄様だったんですね」

「大好きです。花とお茶とお菓子が欲しくて来ていますから」


 そんな真顔ではっきりいう麗しい顔の男性がおかしくて、舞もクスクス笑っていた。


 カモミールを摘み終え、土の手入れをする道具を入れている籐かごを手に立ち上がる。そよ風の中、メドウの牧草的な小花のガーデンを歩き始めると、カラク様もついてくる。そのまま森の木立が並ぶ側に作ったローズサークルへ向かう。


「ですが、その彼女がいつの間にか、この家から居なくなってしまいました」


 おそらく、認知症が進んで施設に入れることになった――という頃なのだろう。


 もしかして。舞はふと思いつく。本当はカラク様が見えていること、認知症になって家族に話してしまっていたのではないだろうか? それまでは誰にも言わず、奥様とカラク様だけの密やかなお茶の時間だったはずなのに。奥様は話してしまうようになったから、家族に認知症のせいと言われて……。


「カラク様は、その奥様とお別れが言えなかったんですね」

「そうですね。彼女が僕に気がつかなくなる日が増え、それでも彼女がいるのを確かめるように出向いていましたが、いつの間にかいなくなっていました」


 彼が舞のところに現れるようになってから、そろそろ三ヶ月。まだこうして、知り合ったばかりのご近所のお兄様がちょくちょく訪ねてくる感覚で会えているけれど、こんな不可思議な現象はいつまで続くのだろうか。


 舞も、なにかの、病気……? 会えるのは嬉しいのに、いまの自分の状態がとても不安になることもある。それでも静かにそばにいてくれる、優しく話しかけてくれるその人が来ると、舞は嬉しいし癒やされてる。できればこのまでいいとさえ……。


「夏の盛りになると、強い色の花が盛りになるんですねー」


 森の手前から振り返ると、さらに広くメドウのガーデンが見渡せる。デザインをしたとはいえ、無造作に見えるように植えた花々たち中で、盛夏に目立つのはビビッドで大きめの花。とても目立ちたがり屋で元気な花に見えるが、彩りに活躍してくれる。


 最近は白いシャツの姿がお気に入りのようなカラク様。白が爽やかに似合うのは、品の良い佇まいのおかげなのだろう。いったい、いつの時代を生きていた人なのかわからないが、おそらく現代の男性を見て気に入っているものを『自分の服装』にしている気がしている。


 そうして舞の側で静かに黙って、スミレ・ガーデンカフェとガーデンの向こうに二つ三つ重なっている緑の丘を仰いでいる。今日も白い羊たちがちょこちょこと走り回っているのが見える。丘から降りてくる風が麓にあるガーデンの花々をざっと揺らす。それを今日も彼は幸せそうに目を細めて見つめている。


 なんとなく、口調から、現代のものにいちいち驚いたりする感覚から、古めかしい雰囲気を感じる彼だけれど、黙っていると美麗な大人の男性がそっと風を堪能しているようにしか見えない。


 でも今日は、久しぶりにゆっくり話せていると、舞はほっとしている。

 この人が静かに何も言わず、ただただそこにいてくれるだけでも。ただただ舞の話を聞いてくれるだけでも、他愛もない受け答えをしてくれるのも。


 おおらかで、彼はどこか寛大で、でも不確かなものだった。


「新しいオーブンはいつくるのですか」

「再来月です。スタッフルームにしていた物置部屋をベーカリーの調理場に改装して、最後にオーブンが入るそうです」

「たのしみですね。優大君が焼くお菓子は極上ですから」


 この言葉、優大が聞いたら、また泣いちゃうんだろうなと舞は笑いたくなってきたし、架空のお客様として伝えてみようかなという気持ちになっていた。

 そんな柔らかな気持ちになって、店内を飾るためのバラをひとつふたつ、花鋏で切り落としていたのに。



「誰かそこにいるのか! 誰と喋っているんだ!」



 怒鳴る男の声に、舞は赤いバラ片手に驚きドキリと硬直する。


 いつもの白いコックコート姿の優大が、もの凄い形相でガーデンの片隅で仕事をしている舞へと踏み込んできた。いや、正確にはカラク様とお喋りをしている場に踏み込んで、だ。


「少し前から思っていたんだよ。おまえ、誰かとこそこそ喋っているだろ。庭にいる仕事中に、片手間に、誰かに電話して、密会するみたいに話しているだろ!」


 さらに舞は、驚きおののいた。私とカラク様だけのお喋りを感じ取っている人間がいたということに! しかし、舞のその反応は優大にとっては『確信』となったのだろう。舞が嫌っていたそのまま、彼特有の三白眼の鋭い目つきで、眉間に皺を深く刻んで舞を睨み倒している。


「おまえ、俺に正スタッフを易々譲ったのはそういうことだったのかよ!」

「え、な、なんのことよ?」


 腹立たしさを握った拳に込めているのか震わせて、優大は思わぬ事を叫んだ。


「おまえ、本当は男がいるんだろ! 父ちゃんにも言えない紹介していない男! 父ちゃんのために田舎に着いてきて、父ちゃんの気が済むまで手伝う気があるのも一時だけだとたかがくくっていて、それまで男を待たせているんだろ! そのうちに札幌に帰って、その男のところに戻るつもりなんだろ! そんな軽い気持ちなら、いまから俺が、おまえ以上の職人を見つけて、俺とオーナーでこのカフェとガーデンを守る! 中途半端なヤツはさっさと札幌に帰っちまえ!!」


 唖然とした。いや、舞も既に頭に血が上って、花鋏を握っている手が震えていた。

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