④ 優大君とカラク様に挟まれる

 北海道の夏休みは、本州に比べると少し遅く入り、期間も短い。その代わり雪が深くなる冬休みが一ヶ月もあり長くなる。

 だから七月の下旬にさしかかっても平日はまだ人も少ない。

 それでも誰も来なかった頃に比べたら、花畑にはいつも人がいて撮影を楽しむ人々がいる。


 SNSの影響は無視はできないご時世か。または雑誌に常に掲載されるようになり、情報番組からの取材も相次いだ。SNSで一般のお客様が綺麗に撮影した画像がアップされると、もうそれだけで宣伝になり、SNSからの問い合わせも多かった。



 夏の日差しが降り注ぐガーデンでの仕事は徐々に過酷を極めるが、体調管理も怠らず、気をつけて舞は日陰に非難をして水分補給をする。

 だいたいは納屋で休憩をする。森の入り口にあり、夏になって背が高く育った白や蘇芳色のホリホック(タチアオイ)が納屋の周りを覆い始め、蔓バラのマダムハーディやクレマチス(鉄仙)もまだまだ盛りで、この納屋の周りだけ影が出来てひんやりしている。


 ここまで入ってくる人も平日は滅多にいないため、舞はいつも納屋に置いた椅子に座って休憩を取っている。


「今日の休憩はまだですか」


 先日、いきなり消えてしまったその人の声がした。

 今日は納屋の軒先、ドアの影からだった。


「暑くなりましたね。水分補給中です」


 誰かわかって声をかけると、ドアの影からひょいと不思議な彼が現れた。


 この日の彼は初めて、夏らしい白シャツに紺の綿パンツという、またシンプルな姿でそこにいた。


「カラク様、この前、急にいなくなってしまわれたから」

「そうなんですよね。僕も、あれと思ったら、舞の側から離れていました」


 彼の意思ではなかったような言い方に、不可思議なことだと彼も口元を曲げて首をかしげている。


「おや、ここにも舞はお花を飾っているのですね」


 薄暗い納屋は、舞の作業小屋でもあったが、咲き終わりの摘んだ花をまとめて大きなバケツにざっくりと無造作に飾って、ひとりで楽しんだりはしている。


「花盛りの季節ですから、終わりかけの花摘みも多くて、最後は私が楽しんでいます」

「いいですね。作り手である、あなただけのお楽しみということですか」

「もちろん、お店にもたくさん飾っていますよ。ですけれど、これはほんとうにお店にも飾れない終わりかけなんです」


 それでも水色のデルフィニウム、ピンクのカンパニュラ、白いデイジーに、たくさん生えすぎた紫のネペタや、マダムハーディに紫のクレマチスもざっと活けている。


 その銀色のバケツへと、カラク様が歩み寄る。


「素晴らしいですね。僕は、舞がこうしてまとめたお花も好きですよ」


 鼻先を近づけて香りを楽しんでいるようだった。久しぶりの麗しいお兄様のような落ち着いた彼を眺めて、舞はほっとしている。


「いま、私、お水しか持っていなくて。そろそろ父もランチの支度で忙しくなる頃なので、最近はゆっくりとお茶ができませんね。よろしければ、私のランチタイムに来ていただければ……」

「かまいませんよ。いままでたくさんのお茶に、優大君の焼き菓子を楽しみました。いまがきっと、このカフェにとっていちばん忙しい季節なのでしょう。また落ち着いたら、その時、楽しみにしています」


 オレンジティーをきっかけに、舞の休憩時間に現れては一緒にお茶をして焼き菓子を挟んで、他愛もないいままでの話を聞いてもらってきた。


 店が繁盛したのはカラク様が現れて、オレンジの連鎖を生んでくれたからなのに、繁盛しはじめると、彼が姿を現さなくなったことに舞は気がついていた。

 もしかして、美味しくお茶が飲めないともう来てくれないのでは? そう思うと今度は妙に不安になり心許ない気持ちになるのは何故なのだろう。


「舞、ちょっといいか」


 またドキリとする。久しぶりのカラク様と向き合っていたら、また背後から今度は優大の声。また逆方向へと舞は振り返る。


 カラク様と同じように、納屋入り口のドアに、背が高いコックコートの男が立っている。


「なに、優大君」

「ちょっとさ、話がある」


 いつになく神妙な硬い表情で入ってきた。


 舞はドキドキしている。優大とカラク様が近距離で揃っているからだ。しかも狭い納屋の中で。


 当然だが、優大はまったく気がついていない。納屋の奥に飾っているバケツの花束を楽しんでいる男性がいることなど。

 そしてカラク様も、ちらりと肩越しに優大を見ただけで、いつも通り我関せず、まるで自分は空気だから気にしないようにとばかりに、舞が活けている花をずっと眺めている。


「あのさ、昨日の正式雇用の話なんだけどよ」

「ああ、うん。どうしたの。すぐに受けてくれるとお父さんは思っていたみたいだから、ちょっとがっかりしていたよ。もちろん、私たち親子は、優大君の好きにしてほしいから押しつけるつもりもないよ」

「そこ、隣に座っていいか」


 三つほど置いている木製の丸椅子を、優大が指さした。そのうちのひとつは既に舞が座っている。


「どうぞ」


 隣の椅子を少しだけ押し出すと、そこに背が高い彼がどっかりと座った。


 元々ヤンキーぽい気質な彼だから、豪快に座わると両膝を大きく開く。爽やかで品の良い父とはまったく異なる雰囲気なので、舞はいまでもちょっと戸惑うことが多い。そんな優大は、大きく開いた膝頭に両手をついて俯き、なにか言いあぐねる様子を見せていた。まったく話が始まらない。


 水をもう一口、マグボトルから飲んでいると、優大が腰エプロンのポケットからなにかを取り出した。


「これ。焼いたから」


 クッキーと、今度はマドレーヌだった。


「え、またなにかの試食?」

「違う。舞のおやつだ」


 少し驚いて『ありがとう』と受け取った。そして、思わず頬が緩んだ。


「嬉しい。この前のクッキー、すごく美味しかったもの。あれも商品にすることにしたんでしょう。カモミールティーにもすっごく合っていたもの」

「また、ありがとな。オーナーに、すげえプッシュしてくれてさ」

「だって。美味しかったんだもの。今日のこれ、すっごい大きなチョコチップクッキーだね。ありがとう」


 美味しそうな焼き菓子が突如として手元にやってきたからなのか、カラク様がバケツの花束から離れ、嬉しそうに近寄ってきた。しかも、舞の隣の、もう一つの椅子に座った。


 舞ははっとする。木製の椅子みっつ、真ん中に舞、両脇に優大とカラク様と男性ふたりに初めて挟まれる形になっている!


 カラク様がなにも言い出さないうちに、舞は手のひらよりも大きいチョコチップクッキーの袋を開ける。チョコチップもチップどころか、角切りの小さなキューブチョコで食べ応えがありそうだった。それを少し割って口に頬張る。


「やっぱり、美味しい~。本当に、パン屋さんの釜で焼いたクッキーは香ばしさが違う!」


 舞もすっかり気に入ってしまったのだ。カモミールミルクティーに合わせて優大が作ったハーブクッキーは食べた次の日に、『数枚のセット売りにしたらいい。ドライブ中でも車の中でかじれる』と推しに推したのは舞だった。舞のあまりの勢いに、父はもちろん、推して欲しいと頼んできた優大でさえ驚きおののいていたほどだった。


「うーん、これも美味しいですね!」


 いつの間にか、隣に座ったカラク様も舞と一緒にチョコチップクッキーをかじっている。舞はヒヤヒヤしながら、反対の隣いる優大を見たが彼はクッキーを味わう舞をじっと見つめているだけ。やっぱり隣の麗しい不思議な男性の気配すら感じていない。


 そんな優大がまたなにか言いにくそうに唸って、両膝に手をついて俯いている。カラク様までクッキーを囓りながら、舞の向こうにいる優大をじっと見つめて覗き込んでいる。まったく異なる男性ふたりに挟まれているこの空気に耐えられず、舞から口火を切る。


「なに、優大君、言いたいことあるなら、はっきり言ってよ。お父さんに断りづらいなら、私が間に入るよ」


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