② 娘とカフェをやります
公園の丘陵斜面には、青紫の小さな蕾をつけたばかりのラベンター。その丘の散策道を登りきると、カントリーハウスと呼ばれるログハウス造りの施設に辿り着く。『花のコタン』運営事務所がそこにある。
来園客用のカフェやレストランなども入っていて、ファミリー休憩所も併設されている。
ローズガーデンの手入れを終え、平日で人もまばらな散策道を歩いて事務所へ帰る時、カントリーハウスのカフェで、ひとりくつろいでいる父を見つけてしまった。
窓際席で、野鳥が戯れる木立に父は目を細めていた。コーヒーカップ片手に、ひとくち飲もうと視線を外したそこで、舞と目が合う。父の口元が『舞!』と動き、嬉しそうに手を振っている。
しかしこちらは仕事中、父といえども来園者として接しようと、舞は会釈をしてそこをやり過ごした。のだが、事務所の入り口で、園芸部の上司である高橋幸生チーフが舞の帰りを待ち構えていた。
「上川、お父さんが来られているぞ」
「はい。そこで、ローズガーデンからの帰り道で見かけました。ですけど、仕事中ですから、放っておいて下さい」
『いや、それが……』と、高橋チーフが口ごもるので、舞は首をかしげる。
「どうかしましたか」
「娘のことで、チーフの俺と一緒に相談したいことがあると言うんだよ」
舞は顔をしかめる。時に父は娘には過保護で、きちんとしたビジネスマンで部長まで勤めたはずなのに、親バカ丸出しにすることがある。
「私、なにかしましたか?」
「いや? よくやっているよ。離職率高い中、愚痴ひとつ言わず、きちんと仕事をする。チーフとして、または職人の先輩として、言いたいことがあるとすれば、上川は『植物に愛情も情熱も持ってはいないが、誠実だ』ということだ。……と、以前もお父さんにそう伝えたら、娘がきちんと評価されていると、あんなに嬉しそうなパパの顔をしていたの、覚えているだろ」
そのときのことも思い出し、舞はいまでも恥ずかしくなって頬が熱くなる。
この職場で父を知らない者はいない。娘を男手一つで育てた立派なシングルファザーで、道産子ならよく知っている『エルム珈琲』で開発部の部長、なおかつ、娘を溺愛している良きパパで……、ちょっとそこがまたやり過ぎでも憎めないと言われている。
しかも『花のコタン』のレストランカフェは『エルム珈琲』が経営で入っているため、この公園らしいメニュー考案をしたのも、父のチームだったという繋がりまである。
だから父が当たり前のように娘の職場に訪れて、珈琲一杯片手にくつろいでいても、誰も違和感を持たないのだった。
しかし父は部長になってから、少し愚痴が多くなった。
課長のほうがよかったよ。現場感があって。部下と後輩とあれこれと議論をして開発をして。お客様の反応も声もこの目この耳で肌で感じられたのに。いまは上がってきた『企画』とか『プラン』に、良いか悪いか採決するだけの役割だ。つまらない、つまらない。偉くなるつもりなんてこれっぽっちもなかったのになあ――と、こぼしている。
今日もそんな『エルム珈琲』のメニュー開発部長さんが、視察に来たのか娘に会いに来たのか、よくわからない曖昧さで父は職場の先輩を惑わす。
「わかりました。私だけ行きます。会いに来るなら勤務時間外にするようにと、ビシッと言っておきますから」
「いやいや。別にいいんだって。あ、お父さんが子供用に開発してくれた『森のごちそうシリーズ』のメニュー、ずっと売れ行きがいいだろ。うちの下の子も大好きなんだよ。野菜もちゃんと入っていて、家で食べなくても、ここでは食べてしまう不思議。さすがだよ。子育ての苦労もわかっているし、どうすれば売れるか魅せられるかもプロだもんな。そういう話もしてみたい」
チーフまで……。こうして父の朗らかな愛嬌と手腕に魅せられる人は多数、子供の頃から舞は見てきた。女性だけではない。父は男性からも慕われる。もちろん、舞はそんな父を尊敬しているし、大好きだ。
だが、娘の舞……。父のような愛嬌や愛想がない。父のような温和な雰囲気ゼロ。どうしてあんな爽やかなお父さんが育てた娘がおまえ? と、よく言われる。
そう、愛想がないから『毎日、狭い場所で顔を合わせる窮屈な室内業務は嫌だ』だったのだ。舞の素っ気ない態度が、ただの性質で、人を傷つけるような性格ではないと理解してくれる友人に先輩がいるから、特に悩みでもなんでもない。
ただ、それが『悩み』にならないよう、適性を考えて選んだ職が、この外で身体を動かしたり、専門知識を駆使して働く園芸仕事になったのだ。
愛嬌も愛想もないが、生真面目に、これと決めたらきちんとやりこなすヤツだと、高橋チーフは特に認めてくれ、素っ気ない部下でも邪険にはせず、信頼して仕事を任せてくれるようになった。
理解者はそれなりにいる。でも、最大の理解者はやっぱり『父』だった。
『舞はな。死んだママにそっくりだ。顔も、勝ち気で真面目な性格も。声も……』
舞に亡き妻を思い、大事に必死に育ててくれた父は、まるで母が残した母そのものも、娘もろとも守るかのように愛してくれた。
舞も、自分の側に母がいるように感じることできた。父が型どおりの女の子にこだわらず、舞を舞のまま育てくれたのも、きっと舞のように気難しかっただろう母を愛していたからなのだろう。
平日の公園は、仕事や学業が休みでデートをしている若いカップルが目立つ。そして、穏やかに散策する高齢の夫妻に、仲のよい友人同士のハイキングパーティーも見られる。
昼下がりの優しい空気が漂うカントリーハウスのカフェ。欅のテーブルに椅子、そしてフローリングというナチュラルな内装と、大きなガラス窓から見える緑と花々は森の中でお茶をするような雰囲気を味わえる。そんな店内の窓席にいる父のところへ、作業用のエプロンと、腰に道具を収めるツールベルトも外した姿で舞は向かう。
「お父さん、なあに。高橋チーフにまで声をかけて。仕事中だってわかっているよね」
「うん。申し訳ない。わかっている」
悪びれないその笑顔が、また魅惑的で、娘の舞でもかっこいいなと思ってしまうから始末が悪い。ここ数年で、父の頭は白髪交じりの灰色になった。しかし、ブルーストライプのシャツに白いスラックスをオシャレに着こなしているその爽やかさ、まだまだ男盛りの若々しさを醸し出している。
「私についてチーフに相談ってなに。仕事が終わってからにしてよ」
「仕事が終わったら、ご家族のもとへまっすぐに帰ってほしいだろう。お父さんのことで、仕事以外のことで時間を取ってほしくないんだよ」
「勤務時間内に、私的な用事を挟むほうがルール違反なんじゃないの」
「ちょっと聞きたいことがあるだけだよ。あ、それから。おまえの仕事にも関係することだから、仕事の相談というのはルール違反じゃないよな」
絶対に娘には勝たせない時に見せるにやっとした余裕の笑みを父が見せる。舞はその笑みには弱く、絶対にやりこめられると構える。
そんな舞と父が案の定、一言二言では話がまとまらなかったと悟ったのか、控えていた高橋チーフが父娘の席に近づいてきた。
一度は声をかけただろう娘の上司が再度やってきて、父が椅子から立ち上がる。
「高橋チーフ、お忙しい中、私事で呼び止めまして、本当に申し訳ありません」
「いいえ。上川のこと、お嬢様のことにも関わるご相談とあれば、上司としてお聞きするのは当たり前ですから」
父とチーフの間では互いに了承できている様子なので、娘であって部下でもある舞はこれ以上の抵抗は無駄に思え従うことにした。
父を向かいに、舞は高橋チーフと並んでカフェの椅子に座った。
「勤務中であることは重々承知です。お時間をくださってありがとうございます」
今度の父は、娘の上司へと恭しく頭を下げた。
どこか父を尊敬しているふうの高橋チーフは、とんでもないと謙る。
「実は、園芸のプロで尚且つベテランでもある高橋さんに、見ていただきたいものがあるのです。そこでご相談を」
隣の椅子に上着と一緒に置いていた父愛用の革鞄から、ひとつのクリアファイルを取り出した。すかさず、その中にまとめている用紙を引き抜き、開き、向かいにいる高橋チーフと舞に見えるように置いた。
その用紙には、写真を印刷したものが数点。鬱蒼とした森とぼうぼうに緑の草と野生の花が生い茂る土地、その中に二階建ての小さなペンション風の古い建物があった。
北国らしく石造りの煙突がある昔ながらの佇まい、しかしどうみても荒れ地にある古い建物だった。
「この土地をご覧になられて、園芸をされている職人さんはどう思われますか」
何のために見せているのかの趣旨も言わず、父、剛は高橋チーフに真顔で問う。
その笑みをなくした顔と、少し鋭くなっている父の目は、仕事をする男の目になっていて、舞は戸惑った。娘についての相談だったのでは? 父の仕事の相談に見えるのだけれど?
高橋チーフも、その写真が印刷されている用紙を手に取って戸惑っていたが、やがてこちらも園芸職人の目で父に伝える。
「随分と荒れていますね。建物の様子と庭の様子をみても、もう何年も、いえ、十年以上は手入れをしていませんね」
「あ、元は庭だったとはおわかりになるのですね」
「そうですね。これとこれ、野生化しておりますが元は園芸種の花ですね。この土地の持ち主が手入れをされていた時期もあったのでしょうね」
「こちら、ペンションだったそうです。夏は丘陵の緑と花の庭を楽しみ、冬はスキー客で賑わい、夜は満天の星が名物だったそうです」
「エルム珈琲さんで、なにか始められるのですか?」
チーフは娘の相談という内容は別件と思ったのか、この手の話はエルム珈琲の部長として相談していると思ったようだったし、舞も『私についての話はどうなった』と気が急くばかり。そんな時、父が言い放った。
「ここでカフェを経営したいと思っていまして、この庭のことなのですが、舞がプロの園芸職人として一人で手入れをできるかどうかを、上司であるチーフさんにお聞きしたかったのです」
『え?』――。舞と高橋チーフのほうが、まるで意思疎通をしている親子のように、揃って目を丸くし、言葉を失っていた。
お父さん、いまなんて言ったの? この古いペンションをカフェにする? この荒れた土地を娘が庭師として手入れできるかとか?
父がやりたいことを見つけた。
『娘と一緒に、ガーデンカフェを開きたい』という夢へと走り出していた。
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