第十三話 横澤家のクリスマス・イブ
六
お茶会が終わり、僕は次の予定……ヒマリさんとのクリスマスのことで頭がいっぱいだったが、そんな僕にも気になることがあった。
学校の教室につき、鞄の中身を整理している最中、ふと小さな違和感を覚える。椅子に座り本を読んでいるうち、中ほどまで来てようやくその正体に思い至った。
慎二がからかいに来ない。
いつもなら教室に入るやいなや「ケンジャ!」と呼びかけ、難癖をつけては本を取り上げたり鞄を奪ったりしてくるのに今日は不気味なほど静かだった。
目を上げ、窓際に視線を移す。慎二は机に頬杖をつき、窓の外へぼんやりと顔を向けていた。取り巻きの男子たちも周囲にいて、おとなしくスマホをいじっている。僕の気配に気づかないはずはないのに。
体調でも悪いのだろうか。気にはなるけど、放っておくことにした。どのみち彼とは関わりたくない。そんなことよりクリスマスだ。お小遣いを貯めた缶にはまだ少し余裕がある。立派なケーキは買えないけれど、小さなケーキ二つくらいなら……
僕の頭の中には、二人のロリィタ娘が豪奢な部屋でケーキを囲み、談笑するきらきらしい光景が広がっていた。はやく二十五日になってほしくて、待ちきれなくて、胸の中がうずうずと焦がれていた。
ヒマリさんと約束して、二十五日はいつも通りの時間に会うことになっていた。
「いろいろ準備しておくから、楽しみにしていてね」と言う悪戯っぽい表情のヒマリさんを思いだし、期待に胸が膨らんだ。やはり、僕も何か買っていかなくちゃ。絶対、館に行く前にケーキ屋さんに立ち寄ろう。
日にちが経っても慎二は相変わらず窓辺で黄昏れていて、男子たちも心配しはじめていた。ここで「慎二のやつ、つまんねえの」などと言い出さないあたり、彼らはただつるんでいるわけではなく、彼らなりの友情で結ばれているのだろうと思う。
二十四日の昼から、僕と兄は母の宣言どおり家の手伝いへ駆り出されることとなった。
「私は夜の仕込みで忙しいから、二人ともまずリビングとダイニングの掃除をして。それが済んだら、賢人は駅前の三輪屋でチキンを受け取って。賢嗣は青十字でケーキをお願いね」
と、僕らに予約の伝票を手渡す。僕の行く青十字は地元で有名なケーキ屋の一つで、イベントシーズンになるとみんな利用するのでかなり混み合うのだ。三輪屋は母御用達の肉屋で、両方駅前だけど方向は違う。でも兄は途中まで一緒に行こうと言い出した。
「いいよ」――仕方ないので了承する。
真冬だというのに太陽が溌剌としていて、冷たい風さえなければ暖かそうな良い天気だった。その下を、僕と兄は微妙な距離を保ったまま並んで歩く。
「最近、どうだ」
唐突に兄が訊ねてきた。
「どうって」
「何か、変わったことはないか」
「別に、なにも」
兄は、そうか、とうなずいた。だけどなんとなく、何か言いたげな雰囲気を感じる。
「どうかしたの」
「……いや」
兄はそれきり黙りこくってしまった。妙な胸騒ぎを覚えたものの、僕もそれ以上口を開かなかった。
僕らは駅前広場で別れ、互いの用事を済ませにかかった。帰り道は別々だ。
その夜、父も無事に帰ってきて、一緒にクリスマスの食卓を囲った。それぞれの席の前に兄の買って来たチキンが置かれていて、母が昼間から仕込んでいた気合のこもった料理がテーブルいっぱいに並んでいる。
「昼から賢人が三輪屋に行ってくれたのよ!」
誇らしげな母の声。兄が照れたように肩をすくめる横で、父は「そりゃご苦労さん」と満足そうに席につく。
当然だけど、僕のケーキについては一言も触れられない。この後ケーキがテーブルに登場しても何も言われなかった。
父は家族三人にプレゼントを用意してくれていた。
「いつもなかなか話せないからな。せめてお詫びにだ」
と、僕たちそれぞれに箱を渡してくれる。
「うわ、父さん」兄が驚いた声を上げた。「これ、すごくいいやつじゃないの」
兄は部活用のスニーカーだった。スポーツブランドの洒落たロゴが入っていて、ぴかぴかだ。母も横から覗き込み、「まあ! かっこいいわあ、さっそく後で履いてみてちょうだい」などとはしゃいでいる。
僕の箱には、分厚い本が三冊も入っていた。三巻完結の、海外作者の冒険物語だ。どれも凝った絵のわくわくするような表紙をしている。
「ありがとう、父さん。すごく面白そうだよ」
「よかった。おまえ、今でもそういうのが好きなんだな。安心したよ」
「ちょっと、あなた」僕の箱を覗き込んだ母が咎めるような声を上げた。「もう、あまりこういうのを与えないでちょうだい。この子ったらいつまでも幼い子みたいな趣味をして……」
「男の子なんてそんなもんだ。いつまでも夢見てるよ、俺だって」
僕は改めて、父の懐の大きさに感謝した。母や兄にはちっとも理解されない僕の趣味が少なからず認めてもらえた気がして、いくらか気持ちが楽になる。
明日は、ずっと前から楽しみにしていたヒマリさんとのクリスマス。今日はその前日で、正直に言えば鬱陶しくて、焦れったい日だった。今日が早く終わればいいと、そればかり思っていたのに。
気づけば口元がほころんでいた。兄の買ったチキンも、母の料理も、クリスマスケーキも、何もかもが色鮮やかで、特別で、温かかった。
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