零漆、信楽教務の未来2/3
「……導士には会ったか」
それは、兄である信楽導士との再会についての質問の為であり、父親らしい振る舞いをしようとした結果なのであろう。僕は少し、答えをじらした。
「相変わらず優秀な兄ではあったよ。少し負担を掛けてしまったかな」
そして答えたタイミング、お茶を淹れ終えた種村さんが父の背後からこちらに向かっている所を確認した折に、感想で以って回答とする。
「そうか。これが、追加の生徒の資料だ」
すると返ってくるのは素っ気ない反応。本当に相変わらずだ、白々しさが僕とは違う意味で漂って。テーブルを滑らせて資料を僕の手元まで押しやり、仕事を始めた。
「ん。大方の察しは着いているんだけどね……」
「お茶です」
資料をテーブルから拾うと、丁度いいタイミングでお茶が配られる。そのまま種村さんは僕の隣に健気に立つ。しかし今は良い——僕の予想と現実の答え合わせをしなければ。
「ありがとう。種村さんと仰いましたか?」
資料の一枚目に目を通す最中、また父が暇潰しのように父親面をし始める。
「はい。青少年特殊犯罪更生学校の執行補佐官の種村早苗です、お世話になります」
「不出来な息子ですが、今後ともよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
数枚の紙切れに目を通しながら聞き耳を立てる僕を尻目に交わされる何の事は無い会話。常識人ぶっては居るし、種村さんもそのように思い、静かな礼節を尊んでいる。
——しかし、それ見た事か。であった。
「ふふ。彼女は今日この後すぐに、辞めるかもしれないですけどね」
「……」
資料に掛かれていた【現実】を嗤い、僕は父に更なる微笑みをぶつけながら隣にいる彼女に【絶望】の記された資料を読むように促すべく片手で差し出して。
——本当に、ロクでもない世の中だ。
「どうぞ。種村さん、腰を落ち着かせて読んでみてください」
「また随分と面白い生徒が追加されていますよ」
「……はい」
僕から資料を手渡され、彼女は表紙を眺めて息をゴクリと飲む。覚悟を決めていたようではあったが、不安を散々煽った僕の様子や言動のせいか、いざとなった時には尻込みしたらしい。
けれど、その前に——昨日みたいなヒステリックになるその前に、ネタバレを避けながら出来る限りの質問はしておこう。
「それで、父さん。これに関して上からの特別な指令はあるの?」
一枚目を開く紙擦れの音。父に質問を投げかけながら無意識に見た彼女は眼鏡越しに真摯に資料を読み始めていた。せいぜい残り時間は数秒だろう。
「無い。判断は担当執行官に委ねるという事だ。ただ、担当官がどういう人間かを把握した上での措置とは個人的に伝えておく」
「因みに、僕を担当執行官に推薦したのは父さんで間違いない?」
一、二、三、四、五……六。
「ああ。私が適任だと判断した」
「ふざけないでください‼」
ほら来た、七秒。感情の底の底に沈殿していた負の感情が、巨岩を投げ込まれて激しく舞い上がるような怒声が応接室に響き渡る。外で待機している父の秘書らしき人も、さぞ驚かれた事だろう。しかし、彼女の気持ちを知ればきっとご容赦願えるはず。
「なんなんですか、この生徒は‼」
「落ち着いてください種村さん、昨日の二の舞いですよ」
僕は非情を装い真面目な顔つきで、今にも父に飛び掛かりかねない種村さんの肩を片手で抑えつける。紐綴じの資料が宙を舞った。
「落ち着いていられるわけないじゃないですか、これは明らかに逸脱している‼」
「確かに。だからこそ僕の所に話が来たんでしょうね」
八つ当たりのように昂った激情を僕にぶつけ、彼女は僕の腕に爪を立てる。
痛みが無いわけじゃない。その痛みすら、愛おしかった。
——父は黙って、僕らの滑稽さを眺めるばかり。
下唇を噛み切りそうな種村さんの怒りを鎮める為にも、説明しなければならないだろう。
テーブルの端に堕ちた紐綴じの資料の中身を。
——一つ一つ整理をしながら。
「数日前、新聞の訃報欄。いわゆるお悔やみ欄に、政府閣僚の御子息と同姓同名の死亡広告が出ていました。それも複数の新聞に、です」
彼女の肩からそっと手を離し、僕は瞼を閉じて語り始める。昨晩から、いやもう少し前から薄々に想像していた最悪の未来を。
「以前、少し縁があり顔や噂の類は知っていましたので気にはなっていたんですが」
「ちょっと待ってください……死亡って……ですが、この資料には——」
サラリと流して欲しかった曖昧なキッカケにも食らいつく種村さん。
愕然とした後、少し慌てて先ほど放り投げかけた資料を拾い、僕に話が二、三段飛んだ場所の説明を求めてくる。
「それを説明するには犯罪歴のご確認を。それから物証になる写真が後のページに載っています」
「……——⁉」
順を追って説明したい僕は彼女に資料の読んでいない箇所を読むように促し、種村さんの留飲を下げる。
彼女は眉根を寄せた鋭い眼差しで再び資料を読み始めると、そこに書かれている凄惨な表現の羅列に対し加減をしつつも資料を握り締めて下唇をまた少し噛む。
「政府閣僚の子息が表沙汰になっていないとはいえ、犯罪三昧だ。明るみになっていないですが証拠がある婦女暴行や殺人が数件、証拠が隠滅された案件も含めれば相当な数になるでしょう。半グレ集団との繋がりもあり薬物にも手を出している。民心も含めて裁判をすれば……どの道、極刑判決は免れない」
彼女の読書の進行度を予測しつつ補助的な意味合いで僕は話を進めた。資料の最後のページに載っている証拠写真には、とても合成とは思えない笑顔の加害者と泣き叫ぶ被害者の写真、ビデオ映像の切り抜き。
「……証拠の映像なら、他の情報と共にこのメモリの中にも入っている。確認したければ後で確認したまえ」
更に、父がポケットから取り出したメモリーカード。これを見れば恐らく確実に本人の犯行が証明される事だろう。資料を見るに性暴力を録画する嗜好があったそうで、それが身内に見つかり犯行が発覚したとの事である。
「ですが‼ 裁判も通さないなんて法治国家のする事じゃない‼」
それは——きっと初めての同意見であった。種村さんの怒りを抑えた怒声が、やけに胸に響いて。しかしながら同時に、僕の性分が父や政府上層部の思考も読み取り、僕は板挟みのような気分。相も変わらず、心も酷く落ち着いてしまっている。
「秩序維持の為、ですか。父さん」
僕の静かな問いに、茶を啜る父は何も答えない。ならば想像で答えを出す他あるまい。黙秘とは、そういう結果も生んでしまう。だから僕は言葉を続けた。
「これが世間に公表されれば現政権へのダメージが計り知れない……当人が余計な罪を重ねたり、被害者から告発される前に自殺したことにして、この閉鎖的な学校で秘密裏に処理をしようと。そういう事ですか」
僕は、想像に疲弊して固まり掛けている気がする脳を揺らすべく、首の骨もついでに鳴らした。本当にロクでも無い、ロクでも無い人たちだ。
「いや……犯罪の公表自体はされる。時期を見て、な。それは約束しよう」
「だが今は重要な法案を通さなければならない為に時期をずらす必要がある。当然、この件が露見した時のリスクも承知の上だ」
「そんな事——‼」
種村さんが怒るのも無理は無い。一見してみれば彼らは保身の為に、法治国家としての尊厳を踏みにじろうとしているのである。
だが——やはり同時に僕には、理解出来てしまう。
何も考えようともしない、考えたとしても一面性だけを見た浅い安易な考えを得意げに披露する国民に罵られ、僕ら公務員がどれだけ妥協案や折衷案を練ろうとも税金を払っているからと理不尽で強欲な身勝手な物言いを続け、責任感の無い野党のパフォーマンスに付き合わされ、無責任な主張に辟易とする気持ちが、
分かって——分かろうとしてしまうのだ。
嫌なら辞めてしまえばいい、と君たちは言うのだろう。
だけど僕らは働いているんだ。国家の為に、国民の為に、国益の為にと。
——様々なリスクと背景に頭を悩ませながら——葛藤して——
「それで既に死亡したという事にして、法案が通った直後に大臣が辞任し、その際にご子息の犯罪事実を公表、被疑者死亡の欠席裁判でお茶を濁そうという事ですか」
「確かに現時点で普通に発表して謝罪するよりは政権へのダメージは少ないのかもしれない……機密中の機密で処理される今回の更生制度は隠れ蓑に丁度いいですし閉鎖的ですから情報漏洩の恐れも低い」
君達は選挙に行っているのか。国家の為に知恵を絞っているのか、僕らを奴隷のように扱って、責任を全部押しつけて、傲慢に怠慢に生きてはいないか。
アホみたいでロクでなしな自己顕示欲の塊の議員に騙されて当選させては居ないか。君たちが騙されたと後悔した時、議員の首を斬って留飲を下げた時、これで社会がまともになると勝どきの声を上げた時。必死に尻拭いをしているのが誰だと思っている?
——僕ら魔法使いが棒切れを振ったらすぐに解決するとでも?
君達は僕らを税金泥棒だと罵り、無能だと嘲り、魔女裁判の如く石を投げつける。
それでも僕らは、彼らは、働いているんだよ。
——多少の無理は通さなきゃ、君らは満足しないだろう?
「それに……人員にも気を遣っている。種村さん以外は、割と脛に傷を持っているような気がしますし」
僕は心の水底でハッと我に返り、話を元に戻す。理性は取り戻した、心も落ち着いている。
「……どういう事ですか」
狂っていると、種村さんを含め、その他大勢は言う事だろう。否定はしないさ。
「僕の班に配属された職員全員に、思想的に犯罪者を憎むだけの過去があるという事です。多少の蛮行を黙認するくらいにはね」
「そんな……嘘、ですよね」
狂っていない人間など——社会には居ないのだから。
「そういう経歴、思想がある人材を選んだと報告は受けている」
「——⁉」
父が語る現実に、種村さんは絶句した。そう昨晩、北崎さんの過去の切れ端を聞いていなかったなら僕も驚いていた。
この班は、この新たな生徒が起こした不祥事が公表されるまでの時間稼ぎと後片付けの為に構成されていたのである。
そして父は——、
「理解して頂きたい。国の為に曲げなければならない正義もある」
「はは、それは欺瞞ですよ、父さん。社会に絶対の正義など無い、正しい行動か否かは人間のそれぞれの感情、恣意的な判断によるものだ」
そして、父は——
「狂ってる……こんなの……ただの国家ぐるみの殺人じゃないですか……」
「分かっているんですか事務次官‼ 貴方はご自分の子供に人を殺せと、人殺しになれと、そう仰っているんですよ⁉」
父は僕ならば躊躇いなく、この計画に賛同し、速やかな任務の達成が出来ると判断したのである。
まるで自分の息子が腕の立つ殺し屋であるかのように。
「……その批判は謹んでお受けします。しかし、私は立場上、様々な観点からそれが一番国益になると判断した人間の内の一人だ。今さら息子の手だけは汚さないでくれなどと言えるはずも無い」
「——中間管理職ですからね、所詮」
僕はそう呟き、深々と大きいソファーにもたれ掛かって目を閉じた。
「教務……お前はやはり何も言わないのか」
その言葉の意味は、分かりたくもない。
種村さんが心底哀しそうで悔しそうな顔で歯を噛んでいる。
——こんな僕にすら彼女は同情してくれるのだろうか。
「僕は僕の仕事をするだけです。これでも、これからも。一応、公務員ですから」
首の骨を鳴らし、思考のギアを一つ下げる。心がガチャリと叫んだ気がした。
「相変わらずだな、お前は。暇が出来たら母さんにも会いに行ってやれ」
父親らしい一言が、とても空虚に感じる日々。
「——人殺しになってから、ですか」
「貴方達は狂ってる。親子みたいに会話をしながら、殺人計画を練って」
「それが人類というものですよ」
お忘れかもしれないが異能力の発現による未成年者の凶悪犯罪の増加に対応し、設立された青少年特殊犯罪更生学校。その中にあって、無能力者でありながら僕は化け物である。
母の子宮から這い出て、父に抱かれたその時には既に化け物だった。
「——私はもう行く。次の予定が詰まっているのでな」
小さく項垂れ、フッと笑った僕を尻目に父さんがソファーから立ち上がり、そう別れを告げる。種村さんは、もう色々な感情が暴れ回り疲れ果てているようで。
「最後に教務。一応念を押しておく、私がお前を推薦した理由は解っているな」
「——⁉」
しかし去り際の父の一言によって、キッと怒りで息を吹き返しそうになり、僕は彼女の肩を掴み止める。
どうせ不毛な言い争い。
「はは、また種村さんが怒り出しそうなことを。止める為の労力を使わせないでください」
愛想笑いで父に嫌味を放ち、僕も後を追うようにソファーから立ち上がって。
「……大丈夫ですよ。零を一に変える事、それが僕の今回の仕事だ」
「キチンと対価を払ってくれるなら、どんな苦行だろうと文句を言うつもりはありません」
「——分かっているなら良い……すまんな」
振り向く父の眼差しを一瞬ジッと見つめ、嘲笑うように僕が答えると父は再び歩き出し応接室の扉前へと辿り着く。
そこで僕は告げ、そして新たな問いを尋ねる。
「帰りは監視室に寄って案内して貰ってください。担当官の指示だと」
「分かった」
「それから、僕からも二つほど」
「……何だ」
「どうして種村さんのような人を僕の補佐官に? 明らかな判断ミスだと思うのですが」
「それは……彼女に直接聞きなさい」
「——では、もう一つの方を。何人ほど想定しているんですか?」
「……少なくとも十二人。いや、十三人は固いだろうな」
「真面目に生きてきた甲斐があったね。父さん」
「……ふっ、確かに。そうかもしれない」
——。
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