零漆、信楽教務の未来1/3


 翌日、再会した種村さんが僕と口を聞いてくれるまでに要した時間は二時間弱である。


「数日前の新聞とかは直ぐに手に入りませんかね?」


正確に言えば、僕から話しかけるまでに掛かった時間であったが細かい事は気にしないでおこう。


地下施設の陽光差さない食堂の朝、朝食を終えた僕は今朝届いたばかりの新聞を暇潰しに読み耽りながら、近くに座って食事を続けている彼女に尋ねる。


もちろん、それなりの意味や理由付けはあるさ。


「頼めば届けて頂けるかと。というか担当官の部屋もネット環境は整っているのでしょうしネット記事でも見れば宜しいのでは?」


お茶を啜り、彼女はそう普通の声色で答えたが、心なしか普段より三割増しで無機質な気がする。まぁ仕方ないと言えば仕方ない事なのだが。


「いえ、ネットの記事には乗っていないことを確認しておきたくて」


「……何か気になる事でもあるんですか?」


「どうでしょう。気になるというよりも病的な妄想の域についての知識欲ですかね」


「意味が分かりません」


それでも、昨晩が最後の会話だと覚悟していた僕から言わせれば、彼女の返答は冷たいものとはいえ些か嬉しくもあって。


「ふふ。僕にも良く分かりません、しかし覚悟はしておくべきかと」


それは、大して役に立たない古臭い自称社会資本の媒体をテーブルに放り捨てるには十分な理由だとも思う。


そしてゴキゲンな僕が遠回しに、意味深に、含みを持たせた言葉の解説をしようと思ったのも無理からぬ事なのだ。


「例えば……そうですね。近く、ここに僕の父親が来るような、そんな予感」


いいや、さもすれば『昨日の今日でそんな事は有り得ない事』なのだと否定して欲しかったのかもしれない。否、確実にそうである。


しかし時に、現実とは残酷だ。


楽しい夢想に浸れる宝くじが最終的には単なる地方自治体の収益になるばかりなのに対し、一方の最悪の予感というのは度々当たってしまうのである。


鳥のさえずりが聞こえぬ地下施設に咲く細やかな幸福の時にヒビを入れる、無神経に開かれた扉の音。あーあ、と直感した。


「信楽担当官、それから種村補佐官。電報です」


おはよう眉村警護主任、不純異性交遊の警護ご苦労様です。


「本日、これより一時間後に来客がある為、応接室の用意をしておくようにと」


「来客……ですか」


食堂の入り口で敬礼をした眉村警護主任が口頭で伝えた電報に対し、僕は少し戸惑ったように反応を示したが、その実、来客の用件と来客者の姿は八割方の確信を持って既に想像が付いていた。


前述したとおりである。僕の父親だ。


「——予想より早いな。まったく」


「どなたか見当が付いているのですか? まさか本当に貴方の?」


嘆くような独り言に冷静に食事を続けながら興味を示す種村早苗。本当にお気楽だ。自分でも精神病を疑う程の猜疑心を常に躍らせている僕には、あまりにも羨ましい信心である。


「いえいえ、物の例えですよ。なんにせよ、良からぬ話ではあるのでしょうが」

「……」


しかし所詮は八割方しかない根拠なき確信。僕は知らぬ存ぜぬを通し、一縷の望みとやらに賭けることにした。


沈黙で僕の言動を疑う種村さんの眼差しは、とても痛かったが、ここは我慢する他ない。もし仮に口にしてしまったら、確実に現実になるような気がして。



偶像崇拝を信じて見たくなる。

——だが、仮にそうなら、と考えてしまうのだ。僕の性は。無情にも。


「種村さんは、立ち会わない方が宜しいかと。きっと、貴方には耐えられない内容です」


僕は僕が予期している最悪を種村さんにも予感させる一言を放つ。確証を持って中身はまだ言えないが、それは本当にロクでも無い内容なのだ、何にせよ。


しかし——、


「……行きますよ。どうせ嫌でも知ることになるのでしょう?」


人は不確かな警告には耳を傾けない。己を過信しているからか、己を侮辱される事を許せないから。


このように理由は幾つかある。それを確信してしまう程に逆効果だった——昨晩、散々に僕の凝り固まった思想に叩きのめされ、僕の事を未来予知が出来る能力者なのではと誤認しかけている種村さんならば、ここはすんなり引いてくれるのではないかと淡い期待していたのだ。


が——矛盾するように、やはり、無理だったかと吐息を漏らす僕。


「眉村さんと北崎さんは、二人で大変だとは思いますが引き続き施設の点検と地上から連絡がないか監視部屋での待機をお願いします。僕らは応接室で来客に備えておきますので」


ならば好きにしろと彼女からそっと視線を逸らし、眉村警護主任に指示を出すと、彼は実に愚直に敬礼で返す。


「了解しました。何かありましたらいつでもお呼びください」


年下の僕に対してまで躊躇いなく、本当にこちらが申し訳なくなる程の徹底した仕事人だ。抱かれてもいい男一位に暫定しておこう。

これくらいに忠実に振る舞ってくれるなら、気苦労も無いのだが。


「さて——じゃあ先に行って掃除を始めておきます。どうせ暇でしたしね」


そして僕は食堂のテーブルに放り投げていた新聞紙を畳み、細やかに心の端に沸いた気遣いを切り捨てて応接室へと来客を向かい入れる準備をする事にしたのだった。




——。


そして、時は流れ一時間。先方は、どうやら手間が掛かってしまったようだ。五分以上遅れるなら、一報を出すのが社会人としての最低限の礼儀では無かろうか。執行担当官の業務スペースでもある応接室は、大臣執務室かと勘違いしてしまう程に校長室っぽい。


そんな場所に独り——待たされる。


権力とは、虚しいものだ。などと心の中で嘯いた。


そんな折、ようやく待ちかねたノック音。

他の部屋より一層分厚そうな木製の両扉の片側が開き、種浦さんの姿が少し見える。


「——……信楽担当官、法務省の信楽事務次官をお連れ致しました」


「どうぞ」


僕の父、信楽進歩は法務局の事務次官。国会議員が着任する大臣等を除けば事務次官という役職は各省庁随一の偉い人と言って間違いは無い。




こうむいん、あこがれの、かたがきである。



「お久しぶりです事務次官。此度、青少年特殊犯罪更生学校の執行担当官に任命されました信楽教務です」


僕は学校長の椅子の如きフカフカから立ち上がり、種村さんに連れられて応接室に入ってきた初老の男性に近づいて手を差し出しながら挨拶をした。


父は、絵に描いたように厳格で真面目な堅物の公務員といった佇まい。


「堅苦しい挨拶は良い。元気ではいたようだな、教務」


見た目通りと言えば語弊があるが、仕事に人生を尽くす人物で、家庭人では決して無い。本当に久方ぶりに見た父は少し昔より小さくなって見えたが、その雰囲気は変わらない。


圧倒的な偉人感がある。事務次官という立場に立つ男の自信なのだろう。


「……母さんが丈夫に生んで父さんが育ててくれたおかげでね」


本当に外面が良い事だ。実家で父と最後に目を合わせたのは何時だっただろうか。

昔から、本当に忙しそうな人だったから。定時に帰れない公務員も居ると訴えておこう。


——そんな事を想いつつ、握った父の手は握手の技術のせいかとても力強く感じて。



「今日はお前が担当する対象生徒の追加を伝えに来た。ただ、かなり問題がある子供だ」


「資料を。それから君は席を外しておいてくれたまえ」


そんな握手の感覚も長くは無い。久しぶりの再会の余韻も薄く事務次官殿は、わざわざこんな地下の穴蔵に足を運んだ理由を語り始め、引き連れていた秘書のような人物に平気な面をして指示を出す。



……相変わらずだ。


「はい、かしこまりました」


この秘書のような男性に、休憩時間はあるのだろうか。少し気になる。身内には悉く厳しかったりするからな、お偉いさんっていう奴は。


「お茶ぐらい飲ませて上げればいいのにさ。移動が大変だったろうに」


「相変わらず忙しそうだね」


とはいえ社交辞令を述べながら本気でお茶を飲ませようなんて思っていない僕も同類かと、肩を軽くしながら事務次官たちより先に応接室の席へと近づいていく。ふと種村さんの姿を探すと、彼女は粗茶の用意をしているようだ。


本当に補佐としての能力だけなら申し分が無いのだけれど。



「そちらも……席を外して頂けるかな」


それを見越してか、或いは警戒してか。父は僕の後に彼女に目線を流し目配せをする。


やはり、よほど常軌を逸した機密案件なのだろう。



だが——、

「種村さんは同席させる。生徒の追加という事ならメンタルケアが仕事である彼女もそのうち嫌でも知ることになりますからね」



一人の上司として強い覚悟と意志を持っている部下を尊重するべきだ。例え、それで彼女が壊れてしまおうと、彼女がそれを望んだのだから。


新卒の社会人が上司になって、まだ二日目。


この判断が間違っていそうな気もしないでもないが、正直、彼女をここで無理やり退かせて後で説明して雷を喰らうよりも父に面倒事を擦り付けたいという思惑もある。


——雷は、避雷針の置いてある高い場所に降りるのが科学的に自然な事だし。


「……良いだろう」


余談は置いておいて、僕が父に返した面差しは、いつになく真剣なものだったように思う。父が少し、表情を固まらせ思考が停止した程度の意外性は少なくともあったはずだ。



「所で——僕はこういう時、下座に座った方が良いのかな」


「当たり前だ。来客は上座にお通しするのが基本だ」


まぁ、でも重い話を重々しくするのは、あまり好みでは無い。僕は普段通りに装いつつ父に尋ねる。


すると、父は呆れ果てたように吹き溜息を吐いて答えた。


「この場では僕が一番偉いんだし、堂々とした方が良いのかなと思って」


「子供みたいな理屈をこねるな。いい加減、そういう挑発めいた物言いは辞めておけ」


父は僕を何だかんだと良く知っている。


仮にも父親、と評すべきか疑問が残るが、一応僕を育ててくれただけの事はあるのだ。


父に教えられた通り、上座に事務次官を身振り手振りで案内し、父の後に僕も下座のソファーに座る。この手のソファーは昔から好きじゃない。


くつろぐ分には問題ないが来客対応になると椅子の広さが大きすぎて背もたれに背中を預けられないのだ、ソファーの前面だけに座り前屈み猫背になる格好、逆に疲れるんだよ。落ち着かないし。


さりげなくモサモサとするソファーで落ち着かない腰の置き場を探していると、新たな生徒の追加に関する資料の束をひとまず机に置き、父が徐に僕を見た。

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