零陸、信楽教務の就寝2/3
「……それで、種村さんの御用件というのは?」
「まさか、夜這いではありませんよね」
「セクハラです」
北崎さんが出ていった後で扉が閉まり、僕ら二人は話を始める。今日、幾度も交わされた会話の締め括りなのだろうという予感を胸に。いつもに成り掛けるいつもの調子で。
「細やかな冗談ですよ。嫌われるのは覚悟の上だ、セクハラしていい理由にはなりませんが」
「北崎さんも一緒にいて頂いた方が良かったのでは? 一応、夜の密室に男女二人というのは緊張しそうなのですが」
——楽しもう。彼女との会話を、出来るだけ長く。
「貴方を投獄できるなら構いませんよ、ここには監視カメラもありますし」
「ははは、確かに安心安全だ。貴方は、ね」
「……それじゃあ、社会的に僕を殺しに来たので?」
少し高い天井の電灯が明滅する——これも確認していなかったのかと僕はまた思った。
「貴方の冗談は本当に面白くありません。これからの方針と明日の予定でも伺おうかと」
真剣な雰囲気、正座している僕らの緊張感は、カメラの向こうに伝わるだろうか。どちらが先に居合を抜くか——そんな月並みな例えの雰囲気で。
「ああ、そういえば、その話は中断されていましたからね」
何時だって僕は隙を見せて相手を誘い、
種村さんは何時だって隙を極限まで隠そうとする。
「そうですね……明日からは本格的に更生プログラムについて考えていこうかと思っていますが、移動の疲れ等もありますし朝の九時か十時くらいに就業を開始しようかと」
「今しがた北崎さんに聞いた話では朝食は予定通り七時過ぎには食べられるように用意して頂けるとの事ですからね」
他愛無い会話にすら気を配り、彼女が僕を探ってくるのが分かるのだ。一挙手一投足、目を逸らしていても意識は僕に向けられて、
肌を突いてくる感覚が僕の神経を心地よく逆撫でする。
初めて会った時からそうだった。明確な敵意——戦いを予感させる警戒心。
「そうですか。こちらも眉村警護主任から聞いた話ですが、荷物を輸送している他の班員も昼過ぎには到着する予定だそうです」
きっと、この人は僕を楽しませてくれる。鋭い何かを僕の心臓に突き立てて止まっているようにさえ感じていた血液を循環させてくれる、そんな予感があったのだ。
「……なら、班会議は夜か夕方前にしておきましょうか。荷物整理をして少し休憩を挟んでから会議をして夕食……いや、やっぱり会議前が良いですかね」
過去を思い返し、感慨に更けながら僕は一言、一言を大切に——他愛のない言葉を交わしていく。前菜は、これでもう充分だろう。
「食事をすると血糖値も上がりますし、会議前の方が良いのでは?」
「血糖値。なるほど……しかし疲れもあるでしょうし昼過ぎに到着なら昼食を採っていない可能性もある……いっそ翌日の朝に会議をする形ではどうですか?」
最後のような気がしていた。いつだって人との会話は一期一会だったけれども、こんなに名残惜しい会話は久しぶりであるような気もしていたから。
「……良いと思います。担当官の判断で決めてください」
「了解しました……——まぁ僕も貴方も、明日は恐らくそんな気分になれないでしょうし」
ボソリ、ボソリと呟いた根拠の切れ端。
「なんですか?」
「ああ、いえ。今はハッキリと言える事は無いので」
首を傾げた彼女に僕は誤魔化しの笑いを浮かべて——ありきたりな質問、最後の晩餐は何を食べたいか。そう聞かれたら、僕は恐らく君と食べたいと答えるだろう。
「……それで、更生プログラムに関してなんですが」
さぁ始めよう。彼女が緊張感を持ち、小さく息を飲んでから放った問いに僕は答えなければならない。僕自身の為にも。
「そうですね……では、気になっているのは授業方針ですか? それともやはり処刑判断の線引きですか?」
「どちらもです」
やはりもう時間稼ぎは効かないらしい、即断で僕の二択を潰して見せた種村さんの瞳は輝かしく僕を見つめていた。瞼を閉じる。
「欲張りな事だ。授業方針については、今作り始めたばかりですが……コレですね」
「……コレは——‼」
僕は覚悟を決め、先ほど書き記したばかりの小難しい数式を書いた紙を種村さんに手渡した。都合の良い話だ——丁度良く、分かり易く説明する為の一例を自分自身で用意してしまっていたなど神と運命、どちらを恨めばいいだろうか。
「はは、解けますか?」
その内容に予想通りに驚く種村さんを目撃してしまったら最早、笑う他なかった。
「逸脱しています‼ こんな問題、高校一、二年生が解ける問題じゃない‼」
種村早苗は激怒した。この悪逆非道な僕を許しておくものか、と。
「まぁ一般的な学力なら不可能でしょうね」
「大学入試どころの騒ぎではありません、貴方は一体何を考えているんですか」
「冗談ですかね」
怒り心頭なのも無理は無い。僕が手早く作った問題は大学一年生程度で学ぶ教養数学系の問題を基にしている。国の定める学習指導要領に則した教育を受けているだけの高校生レベルでは解ける問題では無いのだ。
しかし——僕はとある理由から敢えてその問題を出すことにしていた。
「ふざけないで‼」
その理由も聞かずに決めつけて掛かり、感情的かつ一方的に僕を非難する種村さんの罵声に苛立たない訳でも無いが、ここで僕が感情的になっても話の埒が明かない。
たまには、真剣に怒ってみようか。
反比例して酷く冷静になるばかりの思考を諫め、種村さんと人間として向き合ってみようと気まぐれを起こし、怒ってみようと、そう決めた。
「……では、僕が何を考えているか。当ててみろ」
溜息を一息履いてから声の抑揚を一段下に落とす調整をして、真っすぐに三白眼で睨みつける。全く以ってらしくない。威圧的なのは、やはりどうにも性分に合わないな。
「——⁉ 本当に殺す気……なんですか。初日で、全員‼」
「……」
けれど結果として威圧は成功し、種村さんは普段とは全く違う僕に戸惑い、少し落ち着きを取り戻す。別に怒っては居ないんだよ。最初から期待していないだけで。
「……答えて」
少し顔を逸らして黙って時を過ごすと、紙が潰される音と共に小さく弱々しい歯を噛んだままに放たれた声が部屋に響いた。顔を上げて種村さんに視線を送る——そこには顔を俯かせ、悔しそうに紙切れを握り締める様があって。
嗜虐心をくすぐられ、感情が昂るかとも思ったが、実際は酷い呆れの感情が先に込み上がっている。自分の中では自分はマゾヒストでは無いと思っていたのだが——。
「はぁ……殺す気なんてありませんよ」
何となく、いや理由は分かり切っているが何となく吐き出してしまった溜息のついでに僕は彼女の勘違いを否定する。
「だったら‼ だったら……また本当に冗談ですか、だとしたら悪質過ぎる‼」
それでも未だ残る怒りの余韻が小部屋に満たされ周りの空気が黙り込んで。
どうしたものか……嘘を吐く事も嘘にする事も容易だ。冗談で済ませてしまって薄ら笑いを続けてしまえばいい。
どちらにせよ、軽蔑されるのだから、後々邪魔されない方が良いか。
とも、思ったがやはり下手な勘繰りや先送りはロクな事にならないだろう。
それは、彼女の眉をひそめながらも真っすぐに僕を見つめる瞳がそれを物語る。
「冗談でもありません。その問題は最初の授業で出す問題の一つです」
「ただし、次の授業でも出す問題でもある」
僕は真意を語り始めた。遠回しに、近道を選んで。
「……どういうこと、ですか」
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