零肆、信楽教務の企み2/3
そこからは——やはり甚だ、愚かしい時間だったと言わざるを得ない。車両に乗り込む際の目隠し、
長時間の移動の後、ヘリに乗り込み、恐らく航行中の空母に護送し、
それからまたヘリでの移動。そして再び車両。
仰々しいにも程がある。
これもまた多大な税金の無駄遣いだ。いっそ、どこぞの島の中でやると堂々と公表すれば良いものをとは思いつつ、僕は物も言えず車椅子で運ばれながら半日掛けて、ようやく辿り着いた施設のエレベーターに二度ほど乗せられて。
「目隠しを外して頂いて構いません」
「……」
耳に付く眉村警護主任の声に促されるまま目隠しを外すと、鏡張りのようなエレベーター内、車椅子に座る僕と種村さん。そして背後に二人、眉村警護主任と北崎さんだ。
「長時間の移動、ご苦労様でした。お二人を部屋に案内した後、少し休憩を挟んでから施設の案内等をさせて頂きます」
「本当にここまでやるんですね……もしかして私が週に一度出る時も同じように?」
首の骨を鳴らす僕を尻目に種村さんは車椅子から先に降り、辺りを眺める。その様子から監視カメラは一台天井付近にある事を悟る。
「申し訳ありませんが、詳細は控えさせて頂きます」
「了解しました。ああ、何階かも分からないんですね」
「……」
飲み込みの早い種村さんが次に目を付けたのは、エレベーターに本来あるはずのコントロールパネルだった。これもまた特徴的で、開閉のボタンしかない。
移動の際に掛かった時間や肌感覚で少なくとも数階の階層に別れている事は明白だったが、到着階層は中からは指定できず外部でコントロールする仕組みになっているようだ。
それにしても全く嘆かわしい。僕は、車椅子に座ったまま肘置きに頬杖をついて会話を開始した彼らを観察していた。
すると、ようやくだ。ようやく彼らは異変に気付いた。
「信楽担当官、如何なされましたか? 体調が悪いとか?」
「……信楽さん?」
短い付き合いとはいえ、僕がお喋りなことくらい理解していようものを、移動を開始してここに至るまで一言も声を出していなかった事に気付かないとは改めて嘆かわしい事極まる。
「——ふぁ、もう良いれすかね。よっと……ふぅ、息苦しかった」
「「「「「⁉」」」」」
僕は口を開き、彼らに魅せつけるように指を口の中に突っ込んで事前にビニールで巻き折り畳んでいた紙切れを取り出す。隠し持っていたのだ。
「駄目ですよ、皆さん。ボディチェックはしっかりとやって頂かないと」
「口の中、服の袖、襟の裏、靴の裏」
更に服の袖に刺していた四本の裁縫針、襟の裏に仕込んでいた剃刀の替え刃数枚を次々にエレベーター内に落として見せて。
洒落で靴裏に仕込んだ未開封のガムを外した後で車椅子から降りて立ち上がり、ネクタイから口に入れていたのとは別の資料を披露する。
特に面白おかしい意味はない。
「何処に何を隠し持つか解りませんよ、彼らは。アナタ達が目を離したその油断が他の誰かの命取りになりかねません」
彼らの実力を測る為の細やかな嫌がらせだ。注意喚起になるだろうからね。
「裁縫針一本でも、凶器にし得るのが犯罪者と心がけてくださいね」
「どうりで……喋らないと思いました……」
唖然とする種村さんが口からのお漏らしをするのを尻目に、口に入れていたビニールに巻かれた資料を広げてベチャリと唾液まみれのビニールを床に叩きつける僕。
「流石に緊張していると思いましたか? そこで疑わない時点で、貴方たちは僕が信頼を寄せるに当たらない根拠になりえる」
「以後、気を付けてください。次は全力で小馬鹿にしますよ」
「は、はい! 了解しました‼」
嘲笑ものだ。これで警護などと、刑務作業を馬鹿にしているのだろうか。人権に配慮しながら抑止する為に僕らが日々、どれだけ神経を使って疲弊しているかも知らずに。
——と、悪態を吐くことも出来たが、今は辞めておこう。
どうやら、目的地にエレベーターが辿り着くらしい。
「しかし、口の中がビニールの味で苦かった……頼んでおいた歯磨き粉と歯ブラシは直ぐに使えますか?」
床に捨てた唾液まみれのビニールを拾いつつ、僕は何の感慨も無く開いたエレベーターの扉を越えて施設に踏み入る。施設内は、とても声が響く静けさであったが、これまで沈黙を貫き耐えに耐え抜いた己を止める術を残念な事に僕は知らない。
吐く訳にも行かない唾液も心なしか苦く、手の中には我ながら汚らしいビニール。気分は悪かったが、饒舌で心を紛らわすという意味合いもあった。
「荷物はまだ上階に有りますが、直ぐに運んでこさせます」
「お願いします」
「ずっと口の中に?」
「ええ。種村さんにお茶を頼んだ時に暇だったので用意しておいて、移動の前に」
「……ただの図面ですよね。本当に警鐘の為ですか」
後から着いてくる面々を尻目に、三区画へと続く三本の道の目視し隠し持ってきた図面と照らし合わせる。ああ——、ここにゴミ箱はやはり無いか。
「でも脱獄を計画する為には重要なアイテムです。流石に唾液まみれのコレを処理してもらうのは憚られるので、先にゴミ捨て場かゴミ箱の所に案内して頂いても? うがいもしたいですし」
自業自得ではあるものの、未だ片手に存在するヌメリが不愉快だ。僕は眉村警護主任に苦笑いを浮かべ、チラリと職員用の区画の道に視線を流す。
「了解しました。では、厨房施設に向かいましょう。北崎は補佐官をお部屋へ」
「了解しました」
さてと、まずは下調べを始めるとしよう。
——。
黙々と長い通路を進む。待合所を抜け監視室の扉の前を通り過ぎ、居住区に入ると僕と種村さんは道を分かたれた。
こんな仰々しい施設を作るのにどれ程の予算が掛かった事か、と思われるかもしれないが土地さえ何とかすれば割とシンプルな作りである。
何処かの天下り官僚や政治家が予算の中抜きでもしているのだろうか。いつか業者の社名を確認する事にしておこう。
しかし別にメロスのように愚かに憤慨する気も無いよ、ただ軽蔑するばかりさ。
それに、あの本の教訓はやり抜く美学では無く、綺麗事をほざく奴は直情的な思慮の浅い愚かな行動で友達を平気で巻き込むから近づくなという事だし。
君らだって貰えるものなら過剰な支援金だとしても何ら違法性が無い場合、黙って貰おうとするだろう?
政府に自分こそを優遇せよと宣う様を見れば明白だ。
公平など、誰も求めては居ない。
まぁ僕から言わせれば、金なんて紙切れの本質も忘れて群がり、後生大事にしている時点で、救いようのない只の阿呆なのだけれど。
「すみませんでした。恥をかかせる格好になりまして」
さて、僕の歪み偏り切った知性と偏見についての余談はそこそこに、通路を歩きながら厨房を目指す僕らの話に戻るとしよう。因みに、待合室を通り抜ける際に唾液まみれのビニールは捨て、トイレで簡単に手は洗っている。けれど、うがいはまだだった。
「いえ。自分たちの認識の甘さによる不手際でした、忠告していただき感謝しています」
僕の心こもらぬ謝罪を受け、先導する眉村警護主任は言葉を返す。優秀な対応だ。
「若いとはいえ流石は本職の刑務官と言った所でしょうか。御見それしました」
更に彼は僕の地位や名誉欲をくすぐり、称賛で持ち上げる。褒められて嬉しくない訳も無いが、ここで調子に乗るのは二流三流の上司だろう。
「緊迫した戦場で働く事もある自衛官に褒められる程の事では。それにこういう事に関していえば僕の性分がそうさせるんですよね。ご存じの通り性格が悪いもので」
僕は緩んでいたネクタイを整え、コミュニケーションを本格的に開始する。
謙遜自虐とは、防御的な攻撃である。と名言風に書き綴る。
皆の尊敬を集める海外とやらではそうは思われないが、日本人にとってのそれは、受けた相手がどういう反応を示すかで性格や間合いを把握するボクシングで言えばジャブのような基本技術である。
「疑り深くて執念深い。潔癖という方ほどでは無いと自分では思っているんですが、まぁ自己評価など往々にして過大なものですから」
冗談めかして明るく言う事が重要だ。相手の嗜虐心をくすぐる、決して世を悲観しての発言だと思わせない事、向上心の表れだと感じさせる事、円滑なコミュニケーションに根暗な表情はご法度。
下手くそでも一瞬、笑みを見せる必要はある。
「自分は、それくらいで良いと思いますが。そういう担当官殿だからこそ今回の任務は適任なのだと思います」
そして次に重要なのは、引き際であろうか。他人に同情を強要されていると感じるのは基本的にストレスの元だ。まぁたまにそれを好む一部の変態も居るが、
——眉村警護主任、眉村圭吾はそうではない。
「どうですかね。適正なんて、ないような気もしますが。年齢が幾つも下の小僧に生意気を言われることに関して不満は無いのですか? 種村さんも含め皆さんは年上ですから、その点が不確定要素になりそうで不安なのですが」
相手に対して自分が不安に思っている事を一つ解決させるだけで良いと明確にする。
それもイエスかノーで答えられる答えのある質問形式で、だ。
すると、
「……少なくとも私は任務に私情を挟みません。が、防衛省には、いわゆる制服組も居ますのでその辺りの事は各人が仕事ぶりで判断するものかと」
こうやって答えは返ってくる。それに納得したフリをすれば一段落、完了だ。
「ははは。いやはや、大変危険な発言で素晴らしい激励ですね。僕も記憶に新しい弁護士や検察の佇まいを思い浮かべて頑張らなければ。異常に偉そうにしている人いますしね」
「権限がある事が、振りかざしていい理由にはならないというのに」
「……お互いに聞かなかったという事で」
「何の話でしたっけ?」
これで多少なりとも話の出来る人物へと変わる。勿論、表向きの話だ。裏向きまで求めるのは欲張りというものだろう。
手当たり次第に酒飲みにでも歩けばそのうちそんな人とも出会えるかもしれないが、僕にはそんな人間は未だ居ないので語れるわけもない。
「はは、ここが調理室という話です」
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