参、種村早苗の進軍2/2
滅裂に振る舞い、真偽を有耶無耶に誤魔化しながら他人の滑稽さと己自身を嘲笑う破壊願望と破滅願望が共存している男。それは間違いない。
「まぁ、その間違いを犯さないようにするのは私の仕事では無いですから、そのような趣味に興じるつもりも有りませんし。義憤や思い入れも無い」
カラカラと笑って置いていた資料を手に取り、ご機嫌な死神のように弄び始める男は社会に何も期待していないかのように紙切れの中に記された結末を眺める。
そしてまた——妖しく優しげに微笑むのである。
未だに熱々の紅茶を平然と猫舌と宣ったその口で啜りながら。
「ただ……そうですね。少なくとも異能力など無ければ、過度に陰湿極まりない事件が複数起きる事は無く、こんな死刑制度は生まれなかったのでは無いかと、無能力者として、ざまあみろ、と思う事はありますね」
嫉妬や傲慢や怠惰や色欲や憤怒や強欲や暴食、七つの大罪の全てを混濁した黒に、白い【何か】を加えたマダラ模様。それが、信楽教務という狂人の色なのかもしれない。
悪でも無く、ましてや正義などであろうはずもない。
——ただの混沌、或いは【絶望】。
「……信楽さん。貴方にとって人間とは何ですか」
私は不意に、先ほどの飲んでいたコーヒーの色と共に眉村警護主任の言葉を思い出す。
人間とは何か。きっと、物ではない劣悪な何かと彼は語るだろう。
「? 突然の哲学ですか、何処かにドキュメンタリー制作のカメラでも?」
「いえ。少し、気になったので」
私のような人間には考えが至らないであろう境地の形容を、彼は語るのだろう。
「……人間とは、ですか。そうですね」
そして彼は少し呆けた後、僅かに考え込み、私を嘲笑う。
「獣である人の形をした生き物、でしょうか。或いは、化け物ですかね」
直感的に、私は無理だと悟った。理解など出来ないと。理解させる気も無いのだと。
「世界の調停者や支配者、地球の守護者。そんなRPGみたいな言い回しの方がお好みならそうしますが? 勿論、雑菌に近いと思っていると指摘されても否定はしませんよ」
「危険な思想を持っていると言われてもね」
「……」
私は——自分で話題を振っておいて彼の答えに対し、なんの言葉も返せやしない。
無能力者、信楽教務。
何も持たずに生まれたものに風当たりの強い世の中で、私は彼の人生を想像する。
他からの卑下、自己による葛藤。想像に難くない彼の苦難に、何も不思議を覚えず能力者として生きてきた私が、どんな言葉を述べるべきなのだろう。
そこにあるのは、とても気持ち悪い白々しさで。
私の拳が無意識に悔しさを握り潰す。
「……建前は言わないんですね」
「——ええ、貴方にはその方が効果的だ。最初に会った時にとても、いと素晴らしい人格者だと思ったもので」
「下手に勘繰られるのも得策では無いですし。それに——」
「貴方と話している時は禅問答をしているようで、とても楽しい。穏やかだ」
この男は狂っている。紛れもなくそう何度でも思う。まるで泥にまみれ、錆びた貴金属のようにザラザラな錆の棘を剥き出しにして。鈍い光を放っている。
それでも、この男と話すと狂っているのは世界も同じではないかとも思ってしまうのだ。
全てが、そう全てが、間違いで、狂っていて、歪で、正しい事など何もなく、なし崩しと妥協で出来上がった頭のおかしい世界なのではないかと感じてしまう。
そう感じてしまう私自身もまた、狂っているのではないかと省みさせられる。
「貴方は能力のある人間だと思いますよ。少なくとも、特殊能力を使わない分野での人間本来の能力において秀でているのは数字が物語っている。知力も体力も」
私は怖い。この男が怖い。何よりも誰よりも気味の悪い【未知】。
いや違う——その先にはきっと何もないのだ。
夜の暗闇の中、断崖の先に立たされた恐怖に似た【何か】。
「ははは、人間のフリをするのには昔から苦労させられていましたので、その評価は大変喜ばしい。これは劣等感の勝利ですね」
「例の三人の件なのですが……」
「はい」
またカラカラと笑い私の足に言葉を絡ませる彼の誘いを、私は恐れ、話を逸らす。
「貴方の言うような展開に本当になるでしょうか。些か疑問です」
「なりますね。ほぼ確実に」
彼らには申し訳ないと思う。私の逃避に利用した。弱さを悟られない為に平静を装いつつ、声を荒げてでも止めなければならない事案を平気で話題にして。
言い訳だ、どう正当化しようとも。
それでも私はまだ、この男に屈する訳には行かない。贖罪は、いつかこの男を論破する事で償おう。今はまだ、整える。自分の倫理を。
「先程も説明しましたが、あの三人は自分の能力を楽しんでいる節が犯行資料から見て取れます。反省などしていないのは誰が見ても明白だ」
「自分の掌の上で他人が踊るのを心から楽しめる、全能感に浸るとでも表現すればいいでしょうか。そういうものが犯行の動機として強くある」
「自分たちを特別な存在と信じて疑わない。アレらは、数年の刑務程度では是正できない歪みですよ。よほど過激な事をしない限りは、ですが」
この【絶望】を乗り越えて、私は言葉でこの男を倒す。一人だって犠牲にしてなるものか。
「……それは、どの生徒にも当てはまる事なのでは?」
歯噛みした衝動を堪え、私は強く決意する。
「まぁ。そうなんですがね、そこは彼らの学力と言いますか、地頭の良さで区別しています」
「地頭の良さ、ですか」
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。私の好きなこの言葉を胸に、私は彼を観察する。
——私は信じよう。貴方すらも暗闇の崖の先にも道があるのだと。
「とはいえ、学力の推移等の数字だけではなく、犯した事件の概要、裁判での供述内容や刑務所内での言動の報告書などを鑑みて出した結論ですので」
「……何といえば良いのですかね。自我に他人が踏み込むのを良しとしているか否か」
「理解力、ですか?」
私は怖い。この人が怖い。だからこそ、知らなければならないのだと込み上がる嫌悪感を必死に抑えつけ、私は演じよう。感情を殺し、鉄面皮と言われようとも無機質な、機械的な、法的な、秩序的な、【希望】という物を探す敵役に徹しよう。
「いいえ、それも少し違いますね。ああ、そうだ……ははは」
「?」
「人間を何だと思っているかの差、です」
「——……」
そんな私の想いを知ってから知らずか、彼は嘲笑い、蹴り飛ばすのだ。
とても楽しげに、あたかも掌の上で死に踊る虫ケラを眺める悪神の如く。
——敵。敵、敵、敵。
「そうですか。でも、それでも私は貴方の思い通りにはならないと具申しておきます」
私は——彼の思想の背後に言葉のナイフを突きつけた。
今はまだ、これが精一杯の宣戦布告。
たった一人の無謀な足音。
「お好きなように。ですが、貴方は誤解している」
それを受け取り、私の意図を汲んだ上で信楽教務は椅子から立ち上がり、固まった背筋を伸ばして解しながら言葉を綴るのだ。
「別に私は、この三人を殺すべきとは考えていません」
「結果として殺すことになるだろう、とそう言っているんですよ」
「順番次第では一人を殺すだけで済みますよ」
「そこだけは、お間違えの無いように」
——淡々と、ただ淡々と。
一人は殺すと、聖者の如く彼はそう、悪魔のように呟くのだった。
殺させるものか——正午の陽光が強く熱く窓から差し込む頃合い、私達は強い信念をもって静かに互いを見つめていた。
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