零弐、信楽教務の会合3/3
——。
そしてそれから話は着々とつつがなく進み、
「次は、食事に関する話ですかね。これは北崎さんですね、濁音は要りますか?」
彼女の番が訪れた。彼女もまた、ある意味、重要な人物である。
「あ、はい。北ザキです、私も自衛官ですが管理栄養士として対象生徒を含め班内の職員の食事バランスを考慮します。看護士の資格も持っていますので、ある程度の治療行為も担当させていただきます」
「地味に……とは失礼な言い方ですね。根本を支える一番優秀で重要な人材です。有難いです」
「恐縮です」
北崎聡里、後方支援の要である。更生に際しては、僕とは違う角度で生徒と接する事も多くなるだろう。敵に回すのは避けた方が良い。
第一印象としては声色明るい楽天的なタイプのようだが、看護士という資格を鑑みるに人当たりの良さは技術として習得している恐れもある。気を付けなければならないだろう。更に厄介な事に、
「カウンセリング担当の種村さんとは連携を取って、彼女が僕の食事に嫌がらせをしないように目を光らせてください」
彼女は今後、制度に対して慎重派の種村さんと女性同士の友情等、深い関係を築きやすい立場にある。歳も近い。当社比二割増で、仲良くしておこう。
「……面白そうな話です。嫌いなものがあるなら、今の内に聞いておきますが」
僕の危機感や憂いも知らず、冷徹無比な表情で冗談を語る種村さん。僕の冗談に笑顔が足りないというのにそのザマである。いや、私情を挟まないように尽力しているのかも知れない。
瞼を閉じて呆れた様子にも見えて、そう思えば可愛げのある表情か。
「はは……食事を外部からではなく班ごとに用意する事になった経緯は、ご存じの通り情報漏洩を防ぐ為と昨年の毒物混入事件があった為です」
——時に、僕と種村さんの会話は聞き手にはどう響いているのだろうか。
北崎さんの愛想笑いにふと思い馳せる。
夫婦漫才か、或いは棘のある嫌み合戦か。大穴で、ノロケカモシレナイ。
まさかまさか、羨ましいと思っている人は居ないと思ってはいる。
自己評価としては。
「アレは失態でしたよね。刑務官としても、影響があったので印象に残っています」
さて、余談もそこそこに僕らは去年、世間を騒がせた事件を思い出していた。
無論、青少年特殊犯罪更生学校に関する話である。華やかりし第一期目の開校、ただでさえ賛否が別れ、議論が白熱する中で、その事件は起きた。
行政と給食契約していた委託業者の従業員が、
とある日、マスコミに駆け込み、こう証言する。
【私は、娘の無念を晴らした。娘を殺した相手が平然と生きているなんて許せなかった】
【生かそうとしている社会も同罪だと思った】
実に不快でイカれた証言だった。その従業員が犯した犯罪被害は二次被害も含めると凄まじく、更生学校に勤めていた職員と受刑生徒が数人、更には巻き込まれた他の刑務所の受刑者、そして業者と契約していた小学校や中学校の生徒の多くが毒殺されたのである。
まだ裁判中ではあるが、死刑は確定したようなものであろう。
そんな気持ちの悪い事件が、昔々に——あったのである。
「お二方も、僕を殺したくなったらどうぞ遠慮なく」
「……やりませんよ」
気が晴れるなら、それも良いだろう。僕は彼女らに告げる。自然と持ち上がる口角に嘘は無いはずだ。気が、晴れるなら。忌々しいと嫌悪を示す種村さんは恨めしそうに僕を見て、そして癇癪を起したかのようにフイッと小さく顔を逸らした。
「基本的に食事は私が用意しますが持ち回りでお手伝い頂く事にもなるので、全員に機会があると思いますよ」
「では、皆さんの機嫌を損ねないようにしないと行けませんね。業務内容の中で一番の課題になりそうです」
対照的に、苦笑いで話題の茶を濁す北崎さん。他の班職員も似たような反応。実に当たり障りのない社交辞令な空気である。
嫌いなんだ、安易に自分の狂気を娘の所為にする事も、周りに何となく合わせておこうという空気も。
けれど——哀しいかな、必要な事だとも思ってしまうのさ。
「ああ、それから対象生徒にも、彼らは刑事罰中とはいえ一日に数時間の労働を行います。罰である為にほとんど無賃金に近い労働ですが、労働には必ず対価があるべきだ。彼らにも最低限で構いませんので美味しい食事の提供を心掛けてください」
込み上がる反吐を抑えに抑え、僕は積み重なって崩れそうになっていた資料の束を抑えつけながら告げた。そこから北崎さんへ向け、静かに笑む。
「……了解しました」
意外そうな顔色、幾度も見たその表情。誰も彼もが心から僕を冷血漢だと認識しているらしい。とても不本意ではあるが、まぁ仕方のない事なのだろう。
「——施設の説明、生活概要は済みました。そろそろ更生計画についてお話を」
資料が崩れないように整える最中、僅かに淀んだ空気に気を利かせたのか本来は僕がしなければならない議事進行を種村さんが肩代わりする。いや、彼女らは僕の真意が早く知りたかったのかもしれない。班職員が息を飲む気配も強く感じるから。
何の事も無い事なのに、期待と疑義の重圧が重い。
「……そうですね。生徒数は十人、場合によっては前後するらしいですが皆さんも、彼らの情報は頭の中にありますか?」
ご期待に応え、何か面白おかしく語ってみた方が良いだろうか。少し思考を巡らした。
しかし、必要なのはやはり舐められない事だろう。タカを括られない事なのだろう。
「では、僕の方から前提となる注意事項を幾つか。この制度は死刑相当の罪を犯した未成年者に与えられた最後の更生の機会となります。僕に与えられた超法規的措置、特別な自由裁量権の下で労働や勉学等の生活をして頂き、更生の余地があるかを判断していきます」
十分な理解、認識を持っている事を印象に叩き込む。人間性への信頼を勝ち取るのではなく、あくまでも秩序の下でルールを守り、行動し、機能するという信頼。
「警護班の皆様は基本的に生徒の監視業務と移送に専念して頂き、その間の会話等の人的接触は極力避けて頂きたい」
「刑務において、過度な同情や感情移入は大変に危険な事態を引き起こしかねません」
「まず彼らが凶悪な犯罪行為をし、他人の人権を踏みにじった挙句に刑罰を受けているという前提だけは揺らぐことが無いようお願いします」
自立した一個の社会人として、明確な意識を持って動いている事を相手に刻み込み、敬意と覚悟を以って相対するように釘を刺す。
生半可な態度や上から目線の忠言では揺らがぬ事を示すべく。
「そして、超法規的自由裁量権は担当刑務執行官である僕だけが持っています。僕以外の職員が刑務の枠を超えた暴力を行うと罪となりますので絶対に暴行等は振るわないよう重ねてお願いします」
威厳と能力を見せつけ、上下関係と領分の線引きをハッキリと匂わせる。
今後、互いの仕事の邪魔をされないように。
人間は基本的に、群れを成すケダモノだ。日頃は平等など愛しかりし概念を振りかざしながら、いざとなればリーダーシップとやらの名の下に責任を押し付け生け贄を吊るし上げる様を見れば、それは顕著である。
故に僕は、この時——自らの首に縄を括って魅せたのだ。
——理解できたか、些か不安は残るものの。
「ご自分だけが、生徒を弄びたいと?」
「……その冗談は、あまり面白くないですね。種村さん」
けれど、種村さんはそういう反応を示すだろう。彼女は否定するだろうが、本来の彼女も僕と似たネガティブな人種である。小さな微笑みで僕は彼女を見つめる。違うのは性別と歩んできた人生と、人を信じたいと思うかどうかの差。些細な差。
「私は生徒の精神状態を観察するカウンセラーとして、いいえ人間として過度な処置には口を出すという意味です」
「我々の仕事は、あくまでも更生。暴力は極力避けるのが理想です」
凛々しく毅然とした眼差しで僕を睨み返す彼女は僕に釘を刺す。ぬかである事を知りながら。
「必要な暴力の存在を認識していると捉えても?」
「言うと思いました。あくまでも理想の話ですので。ここで言い争いをする気はありません。致し方ない場合には……何も言いません。それだけご理解いただければ」
「ストレスを抱えると病気になりますよ。どうぞ、ご遠慮なく」
対立という構造は、時として実に都合が良い。往々にして明確で強烈な二極の構図は第三者の思考を滞らせ、どちら側に自分が位置するのかの選択を迫れる。自らが第三の勢力に名乗りを上げる者など、そうは居ないからである。
僕と、種村さんの判断を軸にした勢力争い。一見すると人望の薄い僕に分が悪いようにも見えるが、逆説的に種村さんを抑えておけば、いわゆる今後現れるであろう種村一派の行動を自然に抑える事が出来る。というよりも、勝手に自制してくれるというものだ。
「……あの、話の続きを」
幾度も重ねるが人間は群れを成すケダモノだ。僕らの対立に心配げな表情で止めに入った眉村警護主任は恐らく物の見事にそれを証明してくれるだろう。中立者を気取りながら。
「あ、はい。では、対象生徒の能力説明と危険度の認識共有を始めたいと思います」
「生徒の資料の用意を。ホワイトボードも使って説明していきますね」
無意識にリーダーなどという物を求める脆弱で身勝手な心は、利用されて然るべき。
——さて、それでは独りで立ち上がって更に話を進めよう。ご期待通りに。
「……ああ、そうだ。えっと武石宗太、村上矢継と……名波香奈の三人は後ほど詳細を詳細に語りますので。そのつもりで」
「理由は?」
「これから説明しますが、恐らく彼らは一日目で処刑する事になると思います」
「折角なので他の生徒たちの、いわゆる見せしめに使う可能性もありますから、その理由と僕が想定している経緯、手順を予め説明し心の準備をして頂かないといけないので、多少の時間が掛かってしまいますから」
「——……何を、言っているか解りませんのですが」
とても可愛らしい貴方とソナタを歌うように。
「だから後で説明すると言っています。とても刺激が強い話でしょうから、その後の思考の気が散って他の生徒の情報が頭に入らない可能性もありますので」
ホワイトボードに貼っていた三枚の写真を、これ見よがしに捨て、彼女に見えるように——
——そっと、踏んだ。
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