零弐、信楽教務の会合2/3
「さて、出発まで少し時間がありますね。施設内で必要な生活用品を揃える時間を差し引いても、かなり余りそうです」
いよいよ真剣に班の職員たちが僕の考案で種村さんが機械に打ち込み印刷した、初めての共同作業の結晶であるアンケート用紙に頭を悩まし始めた頃合い、僕らは暇を持て余していた。
時計を見ながら呟いた独り言は、我ながら物欲しそうである。
「ひと月分の買い物ですよ。運搬等、それなりの時間になると思うのですが」
そんな中、一応お相手をしてくれた種村さんは暇潰しがてらに生徒の資料に目を通していた。前髪をサラリと流し、眼鏡を掛け直す仕草は艶やか。
「種村さんは用意できているんですか?」
「私は週に一度、報告や手続きの為に外に出ますので。その分は既に用意しています」
僕の問いには何時だって無機質に返事をするイケズな様相。
「それなら僕にも一言くらい欲しかった所です」
「個人での身辺整理や大量の買い物等は関係者を特定される恐れがありますから」
「まぁそうなんでしょうが」
嫌味も皮肉も軽くあしらわれて退屈が増すばかり。まぁ他の職員の手前、まだ全力を披露するのは時期尚早だろう。僕は思考を切り替えた。
「取り敢えず僕は基本的に無趣味で物欲に乏しいですし、喫緊で必要な生活用品となると、まぁ歯磨き粉と歯ブラシくらいですかね」
指で音が出ない程度に机を軽く叩き、必要な物資の案を積み上げる。青少年特殊犯罪更生学校の職員……とはいっても他の職員は自衛官なので僕らのような担当官の話に概ねなるが、どうやら外出は基本的に一か月前に申請しておかなければならないらしい。
その上、残念な事に有給休暇等の待遇は無いようだ。
故に実質、赴任直後の喫緊一か月は少なくとも絶対に休めない。下手をすれば二か月は施設内での監禁状態が続く恐れも。よって施設に移動する前に生活必需品、普段から使い慣れたお気に入りの物資や好きな食べ物等を各自用意するように通達されている訳である。
けれど——、
「特に食事にはこだわりもありませんし、ああ風呂上がりにアイスは食べますが護送中に溶けないよう冷却ボックスを買わなきゃいけませんから経費節約、後日注文という事で」
「はぁ」
そう嘯く僕にとっては、余計なお世話という物である。というか事前に注意込々で伝えておいてくれさえすれば手間もかからず済むのにと思うばかりだ。まぁ、今回の買い出しは経費扱いになるのでその点は喜ばしいと言えば喜ばしい事か。経費というものの厳しさを知っている方々ならば、さぞ驚けると思う。
特に、税金を取り扱う行政職員なら、ば——……うん。
「後は……下着と白シャツ、適当なズボン……そうですね、予備に三枚か四枚」
「少なすぎませんか?」
「国民様の税金ですよ。基本的にスーツで応対しますし……ああ、消臭剤は必須でした。失念していましたよ、密室空間での生活ですので香りが少ないもの選ぶべきでしょうか」
僕は僕の物欲の低さに驚く種村さんに白々しい言葉を交えつつ、更に探究を深める。
欲しい物が沸き立たないのは本当なんだ。昔から、そうだった。
いや——本当に欲しい物は手に入らない事を知っていたのである。
あたかも完璧を求めた潔癖な人間が頓挫し、挫折し、堕ち果てて、完全にして完璧な不完全を求めるような滑稽で歪な与太話。近い内に語れる機会もあればいいが。
「いえ……そういう事では無く。好みの別れるシャンプーやリンス、石鹸、洗濯洗剤とか、先ほどの衣服や予備のスーツやネクタイの量も含めて、もっと多い方が宜しいのでは?」
「じゃあ、それとかを適当な感じで諸々お任せします」
しかしながら、である。今は今の僕の話をしなければならない。というよりも、探究の中で僕はまた種村さんへの嫌がらせを思いついたので、そちらを優先したかったのだ。
「……分かりました。そのように」
乏しい物欲について種村さんに認識させた僕は、
「ああ、最初に話した歯ブラシと歯磨き粉の事もお願いしても?」
悪戯心を持って彼女へ依頼した——無論、罠である。
「はい。適当に、ですね」
僕は前述の通り、僕の物欲が乏しくこだわりが無いと彼女に認識させていた。故に、彼女がそう思い、疑いなくそう頷くのは実に自然な事であろう。怠慢、傲慢。とまでは言わないが、察しの良い思考回路を持っている方なら引っ掛かりやすい落とし穴。
「いえ——歯磨き粉も歯ブラシには曜日ごとにお気に入りと磨き方が違うので、後で指定するブランドの物を各十本ほどお願いします」
「昔、色々と試している内に習慣がついてブラシの毛先とか歯磨き粉の量が変わると一日中それが気になって仕方なくなったもので」
「…………」
「種村さん?」
彼女は、さぞ面倒くさい男だと思った事であろう。空々しく、そこに有るようで無いように無為を装い、首を傾げた僕の視界の中で彼女は固まった。
「了承しました。そのように手配しておきます」
笑ってはいけない、意図が暴かれてしまう。ハッと我に返り資料を閉じた種村さんから顔を逸らし、僕は口に手を当てた。今、彼女と目が合ってしまえば悪意ある笑みが止まらなくなるであろうと直感していたからである。
「全員が書き終わったようです。早く話を済ませて日用品の調達の手続きに行きましょう」
「……そうですね。それでは皆さんの回答を見ながら、初めての班会議とさせて頂きます」
まったく、とてもいいタイミングで仕事を終えてくれる人ばかりで助かる。心を整える息を吐き、僕は背筋を伸ばして椅子に座り直して。
種村さんを経由し、僕に集う紙の群れ。数枚を捲り、不備が無い事を確認しつつ、集められていく過程で定まった紙の重なっていく順番から逆算し名前と顔の照合もした。
特に問題は無さそうだ。
「名前等は記入して頂いていますし、僕以外は仲良しのようですから自己紹介等は話の流れの中でという方向で進ませて頂きます」
「冗談は笑顔で」
どうやら些か顔を作りすぎていたようだが、心は酷く落ち着いている。それにしても、彼女は僕の補佐には余りある適任者ではないか。人事がこれを見越していたというなら、僕が神と崇め奉っても良い程の有能ぶりで。
「ああ、そうでした。今のは冗談です、拗ねているかと思わせる、仲良しという嫌味っぽい表現の辺りが。話は本当に進めます」
そういった感心を抱きつつ僕は小さく微笑み、アンケート用紙を脇に置きながら班の職員に告げた。愛想笑いが返ってこない所を見ると、それなりに僕を警戒し緊張しているようだ。中々に好ましい、アンケートの効果があったのかもしれない。
「えっと、それでは班の警護責任者は……眉村さんですね」
「はい。眉村です」
脇に置いたアンケート用紙の一枚目を確認し、名前を呼ぶと一人の男性自衛官が手を挙げる。この人は先ほど部屋に入る際にノックをした人で、或いはアンケートに対して質問をした人で、間違いなく班内のリーダー的な立ち位置を勝ち取っている人物である。
「皆さんとの認識に齟齬が無いよう警備計画の大まかな説明をお願いします。皆さんは手元に置いている資料の収容施設の図面のページを開いてください」
眉村圭吾。彼がどういう人物であるかを知ることは、今後を大きく左右する。
——かの皇帝ナポレオンも言っていた。
真に恐れるべきは有能な敵ではなく、無能な味方なのだと。
だが僕は彼の言葉にこう反論しよう。
いいや、真に恐れるべきは、味方か疑わしい味方に信頼を委ねてしまう『己自身』だと。
「了解しました。我々を含め、対象生徒の収容されるのは防衛省所有地の地下にある施設になります。地上階も地下同様、絶えず警戒状態で警護統括主任の下で二十四時間の監視体制が敷かれています。無断で外に出ようとすると誤射の恐れがありますから十分にお気を付けてください」
どこまで行っても僕らの絆は言ってみれば紙切れ一枚の契約で、金銭的な打算で、お上からの気まぐれな【お達し】でしかない。
信頼を置くにはあまりに早計が過ぎる。
そもそも血筋すら信じぬ僕に、それを求めるのは些か無理筋で。僕は眉村警護主任が資料片手に粛々と説明する姿を肌で観察しつつ、視線を図面へと落とした。
まぁ、信頼云々に関してはお互い様であるのだけれど。それより、だ。
「肝心の施設内部にも関する話ですが、出入り口はエレベーターの一つのみとなっています。そこから上階に上がり、階段を登るか別のエレベーターで外に出る仕組みとなっておりますので余程の事態に陥らなければ脱獄は、ほぼ不可能と思って頂いて構いません」
僕よりもはるかに疑心に満ち満ちている措置。しかしやはり何度見ても僕を納得させる事に関して、この資料にある建物の図面では些か不十分と言わざるを得ない。
図面に描かれているのは僕らがこれから過ごす何階かも分からぬ階層のみで、周囲の状況はおろか、建物の全体像すら守秘されている。
これで何か問題が起きた時には責任を取れだなどと良く言えたものだ。先の稲田統括主任か、もしくは関係する自衛隊員は知っているに違いない。
——正直、不快である。
少しだけ揺さぶりをかけてみるか、と僕は思った。
「周囲の壁は? 穴を掘って脱出する事は可能ですか?」
「無理ですね。相当の厚みがある外壁となっています。今回の対象生徒の中に壁を潜れる能力者が居ない事は確認済みですし、そういう能力者用の仕掛けも施されていますから」
「……今回の施設は前回と同じ場所ですか?」
「それは、お答えしかねます。基本的に施設の場所は機密事項ですので知らない自衛官も多いですから。しかし状況から考えて、そうではないかと」
けれど、彼らもまた深く事情を聞かされては居ない事は直ぐに分かった。ならば理路整然と利用していくしかあるまいと、僕は顎に手を当てて少し考える素振りを仕立てる。
「以前——私が勤めていた刑務所での話ですが、能力で弁護士に変装し所内に入り込んだ人物がトイレに行ったフリをして脱獄ほう助をしようと試みた事例がありました。警備をする自衛官の中に地面を潜れるような能力者や変装できる能力者が含まれる可能性は」
なに——気にすることも無い作り話。噓つきは泥棒の始まりとはよく言ったもので、
「……無い、とは言えません。しかし、そんな万が一は無いと信じたいと思っています。私の方から統括主任に確認を取っておきますので」
僕は彼らを利用し彼らから情報を盗んでいくことに何ら躊躇いも罪悪感も無い。
ただ——、
「ありがとうございます。不快にさせてしまい申し訳なかったです。追跡の際には重要になる人材でもありますから、私はそこまで口を出すつもりは無いと統括主任には合わせてお伝えください」
「笑顔」
種村早苗、彼女はそんな僕を知り過ぎる存在になり得るかもしれない。
「あっ、お願いします」
僕は、ほんのりと湧いたこれまでの失態と危機感を誤魔化す為に二本の指で無理やり口角を持ち上げる。
「……話を続けます」
眉村圭吾は、そんな僕らに一瞬、怪訝な表情を浮かべていた。
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