零弐、信楽教務の会合1/3
任命式を終えた僕らは、それぞれの担当班に別れ、任務の詳細を詰めるべく各個別に班ごとに別々の会議室をあてがわれていた。
しかし今、僕が担当する班の会議室には僕と彼女しかいない。
「さっきは堅苦しいかったですね、必要か否かも賛否が分かれるところです」
青少年特殊犯罪更生学校にて僕が受け持つ生徒が犯した犯罪の犯行資料や裁判等での証言や一般的な更生施設での態度や精神科の医師による精神分析、
通っていた学校職員からの聞き取り調査、家庭環境、能力の詳細、趣味嗜好に至るまで厄介で膨大な資料を確認する為の時間を要し、他の班員が邪魔にならぬよう遠慮して頂いているからである。
「……貴方がそれを法務大臣に直接言わなかった事を感謝したいくらいです」
資料を次々に読み耽りつつ、僕が同調を求めた感想に彼女は訝しげに返事をする。
少し、嬉しかった。
「と、いう事は種村さんも少しはそう思っているという事になりますが」
「……どういうロジックか理解に苦しみます」
「僕は任命式という言葉を使っていませんから」
「……」
決して、種村早苗という人間と存分に語り合う為に私情を挟んで権力を行使した訳では無い旨、お伝えしておこう。パソコンでの作業を続け、少し冷たさを感じる種村さんの応対を横目に僕は新たな資料を一ページ捲り上げる。ロクでも無い言い訳か。
「まぁ法務大臣が責任をもって判断したという形式的な意味合いがありますからね。法務大臣としては死刑執行よりも遥かに負荷が高い。貧乏クジ以外の何物でも無い可哀想な案件なので、これ以上の議論は避けましょう。僕らはお気楽なマスコミ様でも無いですし」
生徒に関する資料の中身は、正直ヘドが出るような事柄しか書かれていない。極論に到りがちな世論が彼らの死刑を望むことに共感を覚えるにやぶさかでは無い程の。
——とても身勝手で、自分本位で、悦楽に溺れ、惨めに、みっともない。理不尽。
擁護する声が、改めて異様に聞こえる程の事実がそこにはある。
「聞かれたら地獄に落とされますよ。色々な方面を敵に回す発言ばかり」
「ここよりも下の地獄があると知って、凄く驚きました」
種村さんの忠言に、僕は皮肉で言葉を返す。
「僕らが担当する生徒の情報開示後すぐに身柄を拘束されるのも、マスコミ等へのリークを未然に防ぎ、被害者及び加害者の関係者に多大な心労を掛けない為の配慮ですしね」
世の中というものこそが伝え聞く【地獄】という呼び名に相応しいと心から思う日々。
「去年は……まぁ去年も、ですか。酷く飾られた祭囃子だと思ったものです」
阿鼻叫喚と無情が叫ばれ、畜生道を歩み行く。卑しき餓鬼が跋扈する中、我が物顔の百鬼夜行。金綺羅飾りの醜態行脚、閻魔の居ぬ間に私刑や私判の繰り返し。
魔女狩り真っ青、拙速用紙が舞い踊る。嗚呼、連日連夜、馬鹿騒ぎ。
「……」
出来れば共感を頂きたかったが、どうやら種村さんはこの話題が気に召さなかったようだ。だから気まずくなった雰囲気を変えるべく、僕は話題を変えることにした。
「受け持ち人数は十人。男女比が示し合わせたかのように均等で賞賛すべき平等さだ」
「……皮肉ですか。それともまた私を試しているので?」
すると彼女は少し、うんざりしたと息を漏らす。
「はは、平等を追求するあまり不平等を強いるようなタイプでは無かったようですね」
「不快です。謝罪は求めませんが」
僕は生憎これが僕の性分だと改めて笑った。彼女はそれを知っていると呆れ返す。
「とても好感が持てる。今回の件が終わったら結婚を前提にお付き合いしませんか?」
「……お断りします。私は貴方に不快感しかありませんので」
ここで彼女が頷いてくれたなら、ここは丁度の法務省。本音を言えば今すぐにでも法的手続きを済ませに行っても良かったのだけれど、断固断る可能性がこれでまた濃厚になった。
とても残念でならない。僕は次のページを開きつつ、紅茶を啜る。
そして——、
「俗に死亡フラグというそうですよ。戦争映画等で戦争が終わったら結婚するんだとか、それに類する台詞を吐く役柄のキャラクターが往々にして殉職する事が由来だそうで」
話し掛けるなという雰囲気を醸し出し始めた種村さんへ、余談を続ける僕。
「自殺は推奨しませんので、有力な病院のリストアップは進めておきます」
「それから余談のお相手をすると、フラグとはゲーム等の鍵などの道具の入手や人物などとの出会い等によって起きるイベントのキッカケ、条件分岐を意味するコンピュータ用語の事で、英語に訳すと死神に目を付けられたくらいの意味らしいです」
嫌われる理由に心当たりは多過ぎるものの、それでも僕の相手を丁寧にしようという種村さんには実に舌を巻いた。本当に仕事が出来る人だ。
「気が利きますね。それに見識が深まりました」
読み終えた資料のページを閉じて他の資料が積み重なる机へ雑に戻す僕は、そのまま徒労に首の骨を鳴らす仕草。骨は、鳴らなかった。
「……それで、担当する生徒の情報の方は頭に入っているのですか?」
心地の悪い感覚を紛らわすために、今度は指の骨を鳴らす。ポキパキ、パキポキ。傍ら、種村さんが僕に尋ねる。彼女もそれなりに暇を持て余したのだろう。
「ええ。資料にある分は問題ありません。そちらは?」
「指示された通り、人数分の用意が……出来た所です」
尋ね返した直後とは言えないが、見計らったように会議室の脇に置かれていた印刷機の駆動音が止まる。とてもいいタイミングだ、僕は時計の針を見た。
「失礼します。要請された時間になりましたので戻らせていただきました」
種村さんが椅子から立ち上がると共に、会議室の入り口からノックの音が響き、声を出した男性自衛官を筆頭に数人の男女が部屋へと入ってくる。
時間通りというのが如何に気分の良い事か。
「ありがとうございます。これから会議をする前に皆様にお願いしたい事があるのでそれぞれ好きな席に着いて頂けますか?」
辟易とする作業の終わりに付随して清々しく高揚する機嫌。僕は椅子に座り直し、小さく微笑んだ。そして、種村さんが印刷機から人数分の紙切れを取り出して整えるのを待ち、
「……では、種村さん。自己紹介と例の物をお願いします」
席に着いた自衛官たちへ用意させていた紙を思わせぶりに配らせようとした。が、
「いえ。私は班の皆さんには既に挨拶は済ませていますので」
挫かれる出鼻。どうやら仲良し学級会の様相は不要らしい。
「ああ、僕だけ仲間外れだったんですね」
「——今から、こちらのアンケートを配らせていただきます」
人並みに疎外感を感じつつも、それはそれで無駄が省けると素っ気なく述べた嫌味。それを種村さんは無視したが、声を放った間を鑑みて嫌味である事には気付いたようだ。後でからかってみよう。そう思った。
「アンケート、ですか?」
「簡単な物です。幾つか問題が書いてありますので、ご自分の言葉で答えて頂ければ」
「職歴、病歴……最後のこの三つの問題は?」
配られた紙切れに対し、人の反応とは実に様々である。率直に尋ねる者、先を考え読み耽る者、紙を脇に置き率直に尋ねた物の陰に隠れる者。ペンを用意する者だって居る。
「只の心理テストです。別に結果がどうあれ、あまり今後に関係ありませんのでリラックスして深く考えずに。答えたくない方は答えたくないと書いておいてください」
既にそれが会議室の戸を叩いた瞬間から始まっているとも知らず呑気なものである。
皆様の暇つぶしになればと思い、その心理テストの一例を一応開示しておこう。
【問い③:『あ』の次の文字は? 『』を埋めてください】
『あ 』
【問い④:あなたの前に捨てられた動物が居ました。それはどういう動物で、何処に捨てられており、貴方はどういう事を想い、どういう判断をしますか? 出来る限り具体的にお答えください】
『
』
【問い⑤:このアンケートを受けて、どういう感想を抱きましたか?】
『
』
「因みに、問い③の種村さんの答えは『い』だそうです。とてもシンプルに『愛』だなんて、とても暖かい情熱を胸に秘めていそうですよね」
それぞれが答えを書き込み始めた会議室の静けさに、僕は何の気なしにアンケートを作る際に交わした会話の事を語った。特に意味はない、意義も無い。
「……信楽刑務官殿は『悪』だそうです。如何にも中学生が考えそうな答えですよね」
「生徒と心の距離が近くて、やはり適任者なのでしょうか」
「「「「「ははは……」」」」」」
すると種村さんもそれに乗っかり、淡々と返事をして室内の笑いを誘う。まぁ愛想笑いだろう。彼らもまた、見ず知らない僕を秤に掛けているのだろうから。
「褒めて頂いて光栄です。ああ、種村さん。皆様も、今後は僕の事を刑務官ではなく担当官と呼んでください。子供たちへの細やかな配慮という事で」
出来得る限り穏やかに振る舞い、僕は僕を演じる。班内の職員全員を見渡し、自己紹介とばかりに認識を改めさせて。
「——了解しました。以後、気を付けます」
それには内情を知る彼女も少し、意外そうな顔をした。それくらいの神経は僕にだってあるさ。とは思いつつも、当然目論見としてはそれが全てではない。
僕だって、基本的には人に良い人と思われたいのである。
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