零壱、信楽教務の提言2/3


「早坂法務大臣、最後に到着しておいて早々、大変失礼な話なのですが、その前に一つ提案をしてもよろしいでしょうか」


僕は更に遅れてひっそりと会議室に入った兄に気付きつつ、手を挙げ、一度は座っていた椅子から立ち上がって声を上げる。パイプ椅子が馴染まなかった訳では無い。


「……どうぞ」

僕の要求に対し、訝しげな反応を見せる早坂法務大臣閣下。肝臓でも悪そうな顔色だ。


さぞ、日々がお忙しい事なのだろう。けれど業務は業務、言う事は言うべきだ。


「前期の担当刑務官は基本的に自衛官数人の補助を受けながら一人で対応する形だったと記憶していますが、この今の現状を察するに入学する生徒の増加か、或いは職員体制の増員等を検討した結果だと推察できます」



種村さんに対しての僕の諸対応を知る人ならば意外なことかもしれないが、実は僕だって生真面目で忠実かつプレゼンテーション慣れした部下風の口調くらいなら短い時間保つことが出来る。普段というか親しみを持つ人には、どうしても気の抜けているような小生意気に小馬鹿にした性格の悪い達観した偉そうな喋り方になってしまうのだけれど。


「あー。その話なら、これから——」

「いえ。機密性のある話をする前に全ての生徒の受け持ちを私に任せて頂き、私以外の刑務官の罷免をお願いしたいのです」


「今後、致命的なほど邪魔になると思うので」

「「……⁉」」


まぁ、あくまでも口調だけで無神経な物言いや底意地の悪さを隠せる訳ではない。だから出世は諦めているよ。早坂大臣閣下の言葉を遮り、放たれた提言に少なくとも二名、強烈に驚いた視線を僕に向け、厳粛だった会議室が一転ざわめきを淀ませる。


因みに、この時の二名というのは僕の横に並立して座っている二人の男女の事だ。


察するに、僕と同じ任を拝命する事になる職員で、一人は三十歳間近くらいの体育会系そうな男と、もう一人は何というか……特有の香ばしい雰囲気を漂わせるマダムである。


「……なるほど君の父から聞いていた通りのようだ。しかし、その提案は必要ないと思う。確かに対象となった生徒の人数は増加しており職員も増員する予定だが、君たち三人が共同で刑務をするという事は殆んど無いと判断してくれて構わないという話だ」


「それに、これは既に内閣で閣議決定された変更だ。一個人の君の意見でおいそれとは変わらないのは理解できると思うが」


自業自得な剣呑な雰囲気の中で、やはり流石というべきか真っ先に呆れた笑顔を見せたのは早坂法務大臣閣下であった。その後の真面目な顔つきに変わって放たれる答弁も予定調和の域を出ない。直ぐに感情を露呈しない所を含めて教科書通りの理想の駒である。


「つまり、刑務官一人に付き数人を専任で担当するという解釈でよろしいのですね」

「うん」


これ以上は支障が出るな。そう、あらかた欲しい情報を得た僕は引き際を見定め、


「了解しました。それならば異論ありません、他の方の成功もお祈りさせていただきます」

「「……」」


集まる視線を浴びながら満足げに尻の馴染まないパイプ椅子に再び座った。


「では、説明会を始めさせて頂きたいと思います。あー、稲田くん。お願いします」


そして始まるのは——早坂大臣閣下からの丁寧な直々のご説明ではなく、

会議室の端に控えていた自衛官服を着た男性の説明である。制服組のようだ。


「……私は、今期青少年特殊犯罪更生学校の警護統括主任の自衛官。稲田であります」


見るからに現役で一部隊の統率指揮を執っている風格の稲田さんは、年齢は四十代といった所だろうか。皮肉が過ぎる気がするが、遥かに実力があり、頼りになりそうな人物である。誰と比べてなど、口が裂けても言えないよ。


印象第一である民主主義の弊害であるかもしれない。とは、投石しておこう。


「えー、自衛官の階級等、解からない方も居るかと思いますが、説明は省かせて頂きます」


——まぁ個人的な見解を述べさせてもらえば、もう少し硬くても良い。


自虐的なトークで場の緊張を少しでも解き解そうとしたのだろうが、階級の明確化は時間が掛かろうと必要な事だと思う。誰に責任の所在があるか、下が誰の指示に従うか、混乱を防ぐ為にも必要だ。他を虐げる為だけに階級があるのではないのだから。


とはいえ、警護の主任という事で偉い事はおおよその検討は着くし、これから組織図の説明もあるのだろうから特に不快感も無い。


「今回の我々の任務は、説明会後の皆様の護送及び施設の案内、その後はそのまま施設周辺の警備と担当刑務執行官殿を全面的にバックアップする態勢を整える事が主になります」


恐らく語るべき事柄が適当に記された資料を片手に、稲田統括主任は語り始めた。


「警護に当たる人数に関しましては危機管理の観点から詳細は省きますが、ここに居る者だけではなく既に施設で待機している者もおり、十分な体制が整っているので安心して頂きたい」


 そうして始まった説明会、長くなりそうな話の中で僕の横に座っていた三十間近の男性がメモを取り始める。さりげに更に奥を覗いてみるとマダムもメモの用意をしていて。


ああ、しまったと心内で僕は嘆いた。新卒したばかりの僕と、経歴の長い社会人との差か。


否、真面目で几帳面な新卒者たちに申し訳が立たない。


罪悪感を紛らわす為、僕も一応スーツの胸ポケットに差していたボールペンを場当たり的に目の前の長机に取り敢えず置いてみたりした。


「今からお配りする幾つかの承諾書にサインをお願いしますが、これにサインすると任期中の身柄は国家公安局の管轄で拘束扱いとなり、一定の自由が制限されます。更に情報漏洩等の誓約を含め、その後も監視対象となる恐れがある旨、しっかりと確認して一考の後に各々に判断をして頂きたい」


この時、心底助かったと思った事は墓場まで持って行こう。その台詞を機に、後方に多少のざわめき。後ろに控えていた職員が僕ら三人に幾つかの書類の配布を始める。


今度の書類は紙切れではなく、キチンとしたものなのだろう。

紙束が些か分厚かったのである。刷りたての紙の薫りや感触も豪華な物のようであった。


「「「……」」」

数枚、書類の種類に応じてクリップで区分けされており、僕、僕らはその区分けごとの表題をざっと確認。とりわけ僕が気になったものには速読で目を通し、中身の確認まで行う。


そして——肝心なものが無い事に気付いた。

これは、手を挙げなければならないだろう。



「すみません。質問いいですか?」

「……どうぞ」


不快感を隠そうとする訝しげな雰囲気。手を挙げた僕に対して、周りの反応は実に冷ややかだった。たぶん、空気を読んで欲しいという事なのだろう。という空気くらいなら読める。


——読まないだけで。


「給与についての契約等を先に見せて頂きたいのですが、見た限りだと承諾書にはそのような数字が見当たらないもので」


僕は真っ当な要求をしたつもりだが、どうだろうか。内心では挑発めいていても、年功序列には些かの配慮を示した口調だったように思う。因みに、年功序列について僕は大それた悪感情は抱いていない。彼らは僕らよりも先に社会に出て社会を構成している、それを突然現れた新参に奪われ壊される事を危惧する気持ちは理解出来ているつもりだ。


「……どうなっていますか?」


そんな僕の俯瞰的な想いを他所に、話を中断された稲田統括主任は少しというか、かなり怪訝な様子で後方に控えている職員たちに確認を取った。面倒臭いのは重々承知している、この臭いを消す香水を発明したならば世界的な医学賞に自信を持って発明者を推薦しよう。


「すみません! 給与等の説明や手続きについてはこちらに‼」

「ほら、お配りして‼」

後方から飛ぶ、聞くからに中間管理職、課長風な声色。気苦労をかけてしまい申し訳ないとは思いつつ、僕は届けられる資料を振り向かずに待つ。


すると、資料を持ってこさせられたのは種村さんだったようだ。


「——どうぞ (あまり冷や冷やさせないで)」


慌てふためく僅かな喧騒の隙を突き、彼女は僕にだけ聞こえるように小さな声で耳を打つ。


「はは、給与に関する事は最重要事項といっても良い。苛烈な労働にはそれに見合う対価があって然るべきで、ボランティア精神は美徳ですが、善意や大義に甘えて、それを多く強いるのは極悪非道な振る舞いですよ」


彼女のこれまでの心情を瞬間的に悟り、僕は思わず笑ってしまった。別に悪意は無いとは思う。心配してくれていたことが素直に嬉しかった。勿論、この場の空気が険悪になりすぎるのを憂いてのことかもしれない。


けれど、そう思ってくれたのではないかと淡い期待をしてしまった自分が、いと可笑しかった。


溜息を吐いた種村さんが後方へと戻る足音を聴きながら、僕はゴキゲンに金銭契約に関する書類の一枚目を開く。


そんな僕に好意的に接してくれる者は、そう居ないだろう。


「担当刑務官は凶悪事件を引き起こした精神的にも不安定で危険度の高い対象生徒と長期間接触する最も生命が脅かされる危険な任務と言って良い。よって基本給の他、諸々の特別手当等は充実したものになっていると思いますが」


数字の数を目線で数え始めた僕に、稲田警護主任は自分を押し殺している雰囲気の敬意を払ってくれる。今後、失態を犯さないように気を付けておこう。



「確かに……就労祝い金と年三回の賞与は大変魅力的な数字ですね。社会保障、保険等々も当然のように充実しています」


「僕らや彼らの値段としては、些か評価額が過ぎるとは思いますが」


まぁ余計な口を挟むのは癖だから、その時はその時だ。


「ゴホン‼ あー、申し訳ありません。少し喉の調子が悪くて」

「……そろそろ話を進めても?」


といった具合で、種村さんの機転と深々とした謝意が無ければ穏便には済まなかっただろう事態は据え置きされ、


「はい。遮ってしまい、申し訳ありませんでした」


僕はニコリと金銭契約の書類を長机の上に置いた。ついでにメモ用紙の代わりも手に入ったので傍らのボールペンを手に取り、かちりと尖端をカラクリ仕掛けに尖らせる。


「とは言いましても、書類の数も多いので給与等、誓約書の確認をする時間を取りたいと思います。サインをしたくなくなった場合は早めの申告を。承諾書の提出ならびに書類の確認後、施設や生徒の詳細の情報を開示し、後に説明する担当班に別れて更生の方針やそれぞれの情報共有に移りたいと思います」


しかし、長々と話された内容の肩透かしたるや、である。行き場を失ったペン先は力を持て余し、僕の悪癖を再び呼び起こすのである。



「……信楽、教務。っと」

「直ぐに記入欄を埋めるので、僕の担当班の方は今の内にトイレ等を済ませて資料の整理をしていて頂けますか」


使い慣れたペンで書き慣れた名前を書く事は特段難しい事では無い。


「一度決めたことは死ぬまでやり切るというのが僕の信条なもので」


不愉快な世の中に唾を吐く事にも躊躇いは無い。不敬な物言いを続けて不興を買い、この制度に僕が就任する事に反対な種村さんがお喜びになるならそれはそれで本望であろう。


彼女に見透かされた破滅願望、ここに極まれり、といった具合だ。


「ああ種村さん、時間があれば紅茶を自動販売機で買って来ておいて頂けると助かります」

「三百円程度のおやつは用意していますので」


僕は、彼女に最後のお願いをした。

転校前の最後の遠足で思い出作りを決めた子供のように。


そんな心温まるエピソードが描写された小説を、子供心を知る勉強がてら読んだものでね。

「……了解しました」

「……では、一時解散という事で」


けれど、もし——その遠足後に転校する事が無くなった場合、あの子供と周囲はどのように変化するのだろう。僕はふと、書類にペンを走らせながらそんな事を夢想した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る