零、信楽教務の選択2/3

「いえ……僕も名刺交換は忘れていたので。次の道はどちらでしょうか」


やがて見えてくる街。信号が青に変わると同時に僕は彼女に尋ね、


「あ、はい。次は右折をお願いします。丸々ホテルの地下駐車場に」


ようやく彼女は目的地を語った。夕方の混み具合を加味すると、十五分ほどか。


「ああ。如何にも政治的な密会という趣ですね」

「今日は私の他には誰も居ませんので、気楽な食事を楽しみにして頂ければ」

「……セクハラはしないように気を付けますよ」


 他愛無い話は暫く続く。嬉しくない訳では無かったが、仕事とあればやはり気だるくもあり、そこまで話が盛り上がる事も無い。そうこうしている内にホテルへと辿り着き、レストランの個室でメインディッシュが食べ終わる頃まで僕らは深く話をしなかった。


せいぜい天気とホテルの内装の話くらいだった。料理の話も勿論したが失礼な話、味は特に覚えていない。もう一度、機会があれば来ることにしよう。

そして——料理を食べ終え、フォークとナイフを置いた頃合いに彼女は重い口を開いた。



「——それでは本題の今後について、改めて説明させて頂きます」


緊張に息を飲んだのを感じていた。故にナプキンで口周りを細やかに拭き、口直しにワイングラスの水を飲んで空気を整える。えちけっと、というものだろう。



「はい。【処刑学園】の話ですね」

「ゴホン……青少年特殊犯罪更生学校高等部です。俗称は止めて頂きたい」


僕らは話を始める。僕が選ばれ、種村さんが報せに来た制度の内容についての詳細。

出鼻を挫く為に僕がわざと放った一言に、彼女はやはり怪訝な顔色を魅せて。


「すみません。どんな顔をするのか、気になったものですから」

「……」

彼女には、僕の言動が嘲笑に映っただろうか。僕はキチンと笑えていただろうか。バツの悪い振りをして頬を撫でても、既に次の表情に移り変わっていて答え合わせは出来ない。



「資料を頂けますか?」

「こちらです……そこに記述してある日付けに法務省庁内で行われる詳細な説明会が開催されますが、その時点で身柄は拘束され学校まで護送された後、数日後には教師として赴任となります」


更に空気と心持ちを整えるべく瞼を閉じ、僕は彼女から資料を受け取る。相変わらずペラペラな数枚の紙に違和感を抱きつつ資料に目を落とすと、飛び込んでくるのは制度の名称。



青少年特殊犯罪更生学校について説明会。の文字。



「言うなれば、今日が……安全に拒否できる最後の機会という事ですね」


彼女の説明に言葉を返しながら一枚目を開くと、またも制度の理念や経緯、そして説明会を開催する意義や理由。実際に行われる日付と場所、用意しておくべきものの説明等々。


税金と労力を無駄に垂れ流していた。


「——はい。仰る通りです」

まるで遠足の栞のよう。僕は辟易とした心内を溜息として吐露しつつ、資料を閉じて傍らのテーブルに置く。こんなものを隅から隅まで読み込むより人間と話した方が幾分か早い。


「種村さんは、私……僕がどういう人間かご存じなのでしょうか? 例えば、こういう場合、今回の件を拒否すると思われますか?」


降下する気分を損切りし、僕は意味深く話題を振る。


「信楽さんの内定調査は済んでいるか、という話であるなら肯定します。が、それを踏まえた上で貴方という人となりを理解出来ているかと言えば否定します」


種村早苗という人間は恐らく正直な人である。いや或いは、虚言は僕に対して無意味であり不必要と考えているのか。それとも言葉の意味から察するに探究心の裏返しか。


「僕は、とても短絡的な人間で分かり易いと思うのですが」



「——学術優秀、運動神経も他より相当に秀でており文武両道の秀才。しかし性格に難がありと判断、友人は過去を遡っても一人もおらず、恋人も居ない」



「はは、酷いですね……まるで孤独である事を悪の所業であるかのように」


眼鏡越しに真っすぐ見つめてくる瞳に対し、徐に外の景色を眺める僕。夜の帳が降り始めた紺色の世界は、御しきれぬほどに闇深く愛おしい。永遠に始まりのない終わりが、このような光景ならば、僕はそれを甘受しよう。


「貴方の資料を見た時、失礼ながら血の通っていない機械のような人だと思いました。理解しがたいと、それでも——貴方の犯罪歴を確認した時に、もしかしたら、と」


「ああ、僕は大枠で言えば前科持ちですからね。そういう事ですか」




世界の最後のひと時に、このような人と語らいながら、というのもさして悪くない。そう思いながら僕は僕を嗤った。



「貴方が起こした暴行事件、結果は示談で成立したものの貴方は一貫して正当防衛を主張していた。虐めを受けていた他生徒を助ける為だったとも」


言葉にすれば、なんと美しい美談だろうか。記憶にない他人事が鼓膜を揺らす。


「認められなかった事実ですよ。そんな他生徒は存在しなかったらしいです。あの頃は見えていたんですが大人になった所為か、もう幽霊を観る力も失われたようで」


「? 貴方にそのような能力があるとは資料には無かったのですが」


これで大方の予想は着いた。自嘲しながらの僕の言動を僕の想いも気に留めず、首を傾げる糞を出すくらい当たり前に真面目に問うてくる種村早苗に悪意も敵意も無い。


彼女は知りたいのだ、ただ純粋に。


「硬いですね……皮肉ですよ。冗談。僕は恐らく資料通りの無能力者ですから」

「そうですか……すみません」


「種村さん。このタイミングで不躾ですが貴女の話の本題は、僕が学校へ赴任する事を止めに来たという理解で正しいでしょうか?」

「……」


そう——僕という人間が、自分の願望に沿う人物であるか。ただ、それだけを。

沈黙は、答えと受け取っても良いだろう。僕は白々しくレストランの内装を眺める。


「このレストランの経費は自費ですか……貴女は尊敬すべき公務員だと思います」


「一身上の私見、思想の為ですから……褒めて頂けるような振る舞いではありません」


皮肉交じりに呆れの吐息を吐くように糾弾する僕の言葉に、静かに瞼を閉じる彼女。

報告のついでか。報告がついでか。テーブルに置いていた資料を改めて手に取り、それが公式のものであるかを確かめるために僕は表題を指で撫でて確かめるフリをする。

「成人であれば死刑確実の重罪を犯した未成年を更生という機会を与えつつも処する制度」

「当然、賛否はあるでしょう。それにこの国の憲法は思想信条の自由を認めている。何一つ負い目を感じる事はありませんよ」


「……」


青少年特殊犯罪更生学校。特殊な力を持つようになった人類が、進化の過程で真価を問われることになった事案。道徳や人権意識が未発達の未成年が次々に犯してしまう凶悪な事件に耐えかねた世論に押され、その制度は施行された。いや、或いは能力など無くても遅かれ早かれ作られた制度なのかもしれないと僕は想像する。


——彼女に述べたように賛否も思想信条の自由も、当然あるとは思いつつ。


「けれどね、行き過ぎた思想行動を罰する法も存在しています。これも純然たる事実です」


歴史が作る秩序が、矛と盾の狭間で歪に笑う。いつだって。


「理由はどうあれ他人の自由を、権利を身勝手な理由かつ残忍な手段で侵害した人間に人間として人権を主張する権利が果たしてあるでしょうか」

「世間一般ではよく囁かれている事ですが、加害者当人がこんな学校に送られる原因になった行為、その被害に会われた被害者は人間ではなかったとでも?」


はてさてこれは正論か、或いは詭弁か。幼く言い訳か。

「……」

貴方はどう答えますか、種村早苗さん。その真っ直ぐな瞳に僕がどのように映るかを想定しながら、沈黙を貫き品定めをしているような彼女へ僕は更に言葉を突き付ける。

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