零分のゼロ〜%〜

紙季与三郎

零、信楽教務の選択1/3


——ひとえに、僕は悪役だと世間様には訴えよう。


無論、暴力を好み他者様の権益を破壊して回るような極悪非道な振る舞いはするつもりは無く、ただ身勝手に欲情に駆られた振る舞いもする訳でもない。


それでも僕は——悪なのだ。かつて見惚れた液晶越しの英雄など勿論の事、いと素晴らしき民衆にすら僕は成り得ない。


消去法なのさ、いつだって。僕はいつだって消去法でカテゴライズされていく。


——信じ、楽しみ、教え、務める。そんな素晴らしい四文字を名前に戴いて尚、


僕は文字通りの僕には成り得なかった。教育職員免許状なる資格は取得するまでには至ったのだけれど、あんなものを本気で天職と考えて取得しようなんて輩は夢想家か只の変態なだけだとハッキリと反吐の出る保護者様にはお伝えしたい。


取り敢えず、僕の人間性の話はここまでにしよう。全てを一気に記して読み耽らせられるほど僕の人間としての厚みは卑しいばかりで壮大では無いのである。


故に、小出しにしていくことにする。


とはいえ——あの子供たちの話に至るにはまだ早い。

だから、僕の経緯に関する話から始めようと思う。何故僕が、あの異常にして異様な学校に赴任する事になったのか。その経緯を——ここに記す。


アレは、僕がとある公務員になり、新人研修を経て業務とデスクワークに励み、暫くした時の事である——。


「あー、信楽くん。君、教職の免許、持っていたよね」

それは脂汗に照り光る如何にもな中年上司の一言から始まった。


「……持っていますけど、左遷ですか? 契約外の逸脱した命令の場合訴えますが」


「いや。そういう事じゃないんだが……君も大概ハッキリ言うね、ははは」


「あ、いえ……冗談のつもりだったのですが」


僕のウィットに富んだ冗談を苦笑うセンスの無さにはいつだって辟易とするが、別に嫌いな上司と言う訳でも無い。


ごく一般的な小市民と言った雰囲気で特に関心を持つ部類の人間ではない事だけは確かだが。深くこの人について考えた事も無い。


「真顔じゃないか……もう少し表情を緩めたり……いや、ちょっと向こうで話をしようか」

「はい」


なるほど、表情筋が動いていなかったのかと自身を省みて頬を撫でつつ、上司に促されるまま僕はデスクを立ち、応接室へと歩みを始める。


チラリチラリと同僚の視線を感じながら、多少の嫌な予感が胸の中で疼いたのを覚えている。


「さて……取り敢えずこの資料を読んでくれれば話の筋が一目で分かると思う」


そうして上司が腰の落ち着かないフカフカで奥行きのある応接室のとやらに僕の腰を落とさせて手渡したのは薄っぺらな数枚の資料であった。


「……なるほど、この件ですか。そういえば、そんな時期ですね」

上司の言葉通り、最初の題目が掛かれているだけの装丁を見た瞬間に僕は全てを理解する。ここに書かれていたものは、近年、社会に波紋を巻き起こした【とある制度】についてのものであった。


 二枚目の紙を捲ると、制度の理念と目的がつらつらと小難しく分かりにくいように遠回しな、お役所言葉で綴られている。


そして三枚目が、

「うん。単刀直入に言うと君に第二期の取り扱いを頼みたいそうだ」

「……新卒で研修を終えたばかりの私が選ばれる話ではない気がするのですが」


機密事項である理由と重要性と説いた文章の後、名前の記入欄と、この要請があった事自体を機密にする誓約文の傍らで印鑑を欲する記号が僕を物欲しそうに見つめてくる。


「詳細については君が首を縦に振れば、上から更に情報が降りてくるだろう」

「はは、聞いたら最後みたいですね」


上司もそうだった。僕の顔色を伺い、不穏な顔色を僕に見られているとも意識せずにそのまま瞼を閉じ、場を和まそうとする僕の乾いた笑いを聞かなかった振りをしたようだった。


「どうする? じっくり家に持ち帰って考えてみてくれてもいい」

「大丈夫ですよ。この件に関しては、私は賛同しているので」


故に時間の無駄だろう、と僕はその時の上司の気遣いに似た提案に対してそう明確に思い至り言い放ったのである。僕の中では、既に結論付いていた事。あの制度の存在自体に関して言うのならば。


「……そうか。分かった、上の方には私からそう伝えておく」

「お願いします。それから——」

「短い間でしたが、お世話になりました」

「……」


上司は、やはり笑わなかった。とにかく彼はセンスが無いのだ。僕と同様に。



——その数日後、定時上がりで職場の駐車場に居た僕を訪れたのは、綺麗に着飾りつつも見るからに堅物そうな眼鏡の女性。


恐らく二つは年齢が上だろう。スーツ姿がこなれている。



「信楽、教務さんですね? 先日、了承頂いた件で参りました」



一目見た瞬間、『コヤツ、出来る』と時代劇さながら直感した僕は一礼した彼女の横目に、今にも開こうとしていた私有車の運転席を開くのを止め、先制攻撃を仕掛ける事にした。


「ああ、はい。あの……業務時間外なので、話は後日というわけには行きませんか?」

その言葉の後に、改めて車のドアを開き、傍らに持っていた荷物を助手席側に放り投げる。


「——何か急ぐ予定でも?」

別に業務時間外に訪問を受けた事に怒りなどは無かったさ。


「予定が無ければ、事前に約束も無いサービス残業を、快諾しなければならないという法的根拠がありますか?」


これは、攻撃で口撃の威力を上げるためのものだ。僕は助手席の足下に落ちた荷物にそう心の内で言い聞かせつつ、適当に運転席のドアを閉じる。


「……申し訳ありません。ですが、こちらも出来るだけ早く今後についてお伝えした方が良いと判断したものですから。仰る通り、事前にアポイントメントを取るべきでした」

 賢い女性だと、そう思った。予想外であっただろう僕の言動に慌てたり戸惑ったりと動揺することなく、自身の行動を先に省みて、毅然とした対処をしてくる。立場が上だとは思っていない、高圧的でない。言い方は何だっていい。


「ああ、いえ。冗談です……車、乗りますか? ここまで来て職場の応接室に詰め込まれるのは気分的に出来れば避けたいのですが」


ただ何となく気が向いて、僕は彼女の乗ってきたであろう車を探したが耳に入った車の音で彼女がタクシーで来たのだと悟る。


「了解しました。一応、食事が出来る店を予約しておきました、そちらでお話しを」


この展開を予期していたのか、或いは用意周到さ故か。しかし何の一報も無く僕の下に訪れた矛盾する彼女の言動に、僕が魅力的だと思った事は語っておこう。

勿論、彼女の容姿に心惹かれたのだろうと言われても否定はしない。



彼女は、買ったばかりの僕の新車に乗った。



——職場から街までは距離がある。傍から見れば、ドライブデートの様相に見えなくも無いが内情、車内の雰囲気は華も枯れてしまいそうな重く緊迫した空気が流れていた。


「……良いお車を持ってらっしゃるのですね」

暫く路上を走り、詰まっていた会話を彼女がようやく切り裂く。

捻り出したのは他愛もない日常会話。


「つい一年と少し前まで貧乏苦学生だったとは思えませんか? 生意気だと?」

車中流線の景色に意識を集中させながら、僕は攻撃的に自虐する。確かに身の丈に合わないと言われても不思議ではない今現在進行形で高級車に乗っているから。

「いえ、そういう事では……」


僕に気を遣う彼女は、どうやら本当に不本意だったようで思わず一瞬、僕の横顔を見た気配を感じさせた。隙を見て彼女に目を向けた時分、既に車外の景色に顔を向けていた辺り、多少の罪悪感を抱かせてしまったのだろう。僕は性分が作り出してしまった気まずい空気に息を吐く。そして彼女に歩み寄ろうと思った。


「民主主義国家の公務員は、国の基礎である国民に尽くすことが仕事です。それなりの給料は貰っていますので、ある程度の貯蓄はさせて頂きますが過度な節制は経済を停滞させていると指摘されかねません。なので、欲しいものが無くても使う事にしているんですよ」

「……立派な考え方だと思います」


それは——、


「冗談です。ただ、昔テレビで貯金が趣味だと言っている人を見て【気持ち悪い】な、と思ったのが一番の理由です。僕がお金を使うのは」

「……」

自分でも上手に言えたと誇れるくらいの白々しさで。心地いい肩透かしで首を傾げながら視界の端にある斜陽に微笑みかけられたと思う。


「たかが数字に、安堵や性的興奮を覚えるなんて無様で気持ち悪くて仕方ない」


知りもしない、知っても好きになれない人間の為に尽くせる者など、そんな変態が世の中に幾分ほど居るのだろうか。僕は改めて己に問いかける、その価値が世界にあるのかと。

「……そういえば、名前を聞いてもよろしいでしょうか?」


ハンドルが伝える車の鼓動、信号待ちのアイドリングはどこか寂し気で、僕は物欲しそうに彼女に目を向ける。


「あ、これは失礼しました。私は法務省保護局の特殊犯罪対策課、種村早苗です」

「あ、えっと……名刺は後ほど。すみません」

種村早苗。慌てて名刺入れを探す彼女は人間らしく、車中で慌てふためく様を魅せまいとした彼女は大人らしい。内ポケットに入れていた名刺入れから手を離し、僕は車のハンドルへ撫でる様に手を戻す。アクセルは徐々に踏もう。

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