残り物の記憶⑥
二年程前、明虎の弟は夜遅くに家へと帰ることになった。 バイト帰りで身体は疲れているが、勉強も疎かにはできない。 とりあえずシャワーを浴びて、その後寝るまでの予定を考えていた。
―――明日もバイトがあるんだよね。
―――勉強は間に合うかな?
両親は既に寝ているため静かに二階へと上がった。 すると丁度自分の部屋から出てきた兄と遭遇した。 仲が悪いわけではないが、特別にいいわけでもない。
疲れている今はあまり会いたくなかった気もするが、鉢合わせてしまえば仕方がない。
「おぉ、今帰ったのか?」
「うん、バイト帰り」
「真面目だなぁ。 それで人生楽しいか?」
兄である明虎はいつも弟を茶化すよう言ってくる。
「充実しているからいいんだよ。 そういう兄さんこそ、今日は帰ってくるのが早いじゃないか」
「あぁ。 今日は“遊び”に行っていないからな」
普通なら軽く流すような会話だが、明虎の言う遊びは弟からしてみれば聞こえが悪いもの。 そして、聞き流すこともできなかった。
「・・・もしかして、また女性を連れ込んだの?」
「悪いかよ」
兄の部屋へ視線を送る。 兄は女癖が悪く愛人と呼ぶ彼女をたくさん作っているのだ。 もうそのことに関しては諦めている弟は溜め息をついた。
「何度も言わせてもらうけど、彼女は一人にしなよ」
「いいんだよ、たくさんいて。 今が一番楽しいんだから」
「母さんも心配しているぞ?」
「そんなもん知るか。 来年俺はこの家を出て独り立ちする。 これで文句はないだろ? 俺を自由にさせてくれ」
「・・・」
確かに楽しいのが一番というのはいいが、どうも兄のやり方は気に入らなかった。 人の人生に口を挟みたくはない。 だが兄は家族でもあるため放っておく気にもなれなかった。
それにそのやり方は人の恨みを買っても文句を言えないような行為なのだ。
「寝ている子とはどこで出会ったの?」
「合コンだよ」
「既に彼女がたくさんいるんだから、そんなところへ行かなくてもいいだろ」
「誘われるんだから仕方がないだろ? 場を盛り上げる俺がいないと、つまらないんだってさ」
得意気になって兄はそう言った。 寝ている彼女はどこまで知っているのだろうか。 穏やかな顔で恐らくは何も知らないだろうと考える。
「それでまた一人彼女が増えたわけだ?」
「増やす気はなかったんだけどな」
その言葉に違和感を覚えた。
「・・・ならどうして彼女を連れて帰ってきた?」
「アイツ、一人だけ孤立して残っていたんだよ。 可哀想だから仕方なく俺がもらってやった、っていうわけ」
こういう俺様発言も慣れっこのためスルーした。
「その子もたくさんの彼氏持ち?」
「いや?」
「は?」
「今いる女。 美余の彼氏は俺だけだ」
それを聞いた瞬間感情的になった。 寝ている女性が兄の部屋にいるため声を抑えながらも怒鳴り付けた。 付き合っているのがお互いにそう割り切っているのならまだ構わないと弟は思っていた。
付き合っても別れても、深い感動を生むこともなく、強い感情が沸くこともなく、ただあるがままにお互い納得しているのならそれでいい。 ただそうでなくては不幸な人間が増えるだけだ。
「だから! そういう子には手を出すなって何度も言っているだろ!? 彼女にしていいのは、兄さんと同じ立場のたくさんの彼氏持ちだけだ!」
「いや、それは分かっているんだけどさ。 美余はちょっと訳ありなんだよ」
「・・・訳あり?」
聞き返すと兄は楽しそうに笑った。
「そう。 聞いて驚くなよ? 美余は記憶がすぐになくなるんだ」
「ッ・・・」
その言葉を聞いて背筋がぞわりとした。 兄は弟に近付き耳元で囁くように言った。 おそらく美余に聞かれないためなのだろう。
「記憶がなくなるって、都合がいいじゃん? 何でもし放題っていうわけ」
「だから彼女を選んだのか?」
「その通りだ」
弟は一歩後ろへ下がり距離を取った。 拳を硬く握り締める。
「・・・止めろ。 もう彼女には手を出すな」
「は?」
「美余さんは俺がもらう」
弟は自然とそう口にしていた。 それを聞いて呆れるように兄が言う。
「いや、お前何を言ってんの?」
「俺は本気だよ」
「俺の女を奪って何をする気だ?」
「別に何もしない。 美余さんを兄さんから遠ざけるだけ」
本当にそれだけだった。 美余と兄の距離を遠ざけたかったのだ。
「俺の代わりがお前にできると思ってんの?」
「美余さんは記憶がなくなるんだろ? だったら彼氏が変わったって彼氏の年齢が変わったって、気付くはずがない」
「・・・」
「兄さんは美余さんのことを本気で愛していないんだ。 だったらすぐに手放すことができるだろ?」
兄は弟を静かに見据えこう言った。
「お前は好きでもない美余と付き合うことになる。 俺とやっていることがあまり変わらないぞ?」
「それでも兄さんよりかは、俺の方が絶対にマシだから」
そう言うと兄はすんなり美余を渡してくれたのだ。
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