#2 ウィレミナ


 「この自動車、どうして買ったのか知ってる?」


 ウィレミナが問うと、運転中のジョンは目線だけを正面に向けて、顔の角度をやや後ろの席に座る彼女の方に向けた。


 「すみません、ちょっと聞こえにくいんです。もう一度言っていただけますか?」


 「どうしてお父様はこの車を買ったの?理由を知ってる?」


 さっきよりもウィレミナは声を高くした。


 「さぁ、知りません。旦那様がお考えになることは図り知れませんから」


 ジョンもウィレミナ以上に声を大きくした。しかし、声高に返した答えに、ウィレミナからなにも反応がないので、ジョンは気になってバックミラーを盗み見た。ウィレミナは赤く染まった赤い唇をさらに結んで、窓越しに風景を眺めていた。


 「すみません。言いすぎました。知りません。突然キャティリィのお屋敷から電話があって車を買ったから運転手をよこして欲しい、と旦那様がおっしゃって僕が選ばれたんです」


 バックミラーを気にしながら、ジョンは話した。


 「えぇ、フィナデレ・カテドラルの中にいる人で、今の産業の発展について行くことが出来ている人はいないわ。あぁ、あなたは違うわ」


 ウィレミナの返答を聞いて、ジョンは少し安心した顔を見せた。もちろん、後部にいるウィレミナはその表情を見ることができない。

 少しの間、沈黙が降りた。先ほどとは違って、心地の良い沈黙だった。


 ジョンの仕草からは、彼の母アン・カーライルの丁寧さと礼儀正しさがよく垣間見えた。確かに、ジョンはアンの息子である、そうウィレミナは思って、ジョンに気づかれないようにジョンをまじまじと良く眺めていた。


 「わたし、あなたが本当にミセス・カーライルの息子であると信じるわ」


 突然、沈黙を破ってウィレミナが言った。


 「え?」


 「『旦那様がお考えになることは計り知れませんから』。これはミセス・カーライルの口癖だわ。あなたが言うってことは、今でも変わっていない口癖なのね」


 バックミラーからウィレミナの姿を覗くと、ウィレミナは口の端をあげて、こちらを見ていた。


 「あぁ、その。えっと…。それはよかった。僕はジョン・カーライルですから」


 ジョンは取り乱して交通事故にならなかったのは、奇跡かもしれない。あるいは、交通事故を避けるために、変なことを口走ってしまったのかもしれない。

 どちらにせよ、彼はウィレミナの笑みひとつで、自動車運転ができる自分を誇らしく思った。 


 「わたしがいなかったこの10年間、何か変わったことはあったのかしら?」


 ウィレミナが続ける。

 ウィレミナは6歳から16歳までの10年間、寄宿制女学校に在校していたために、フィナデレ・カテドラルにはいなかった。学校の規則で、3年に一度だけ許されて、屋敷に帰ってきてはいたが、三週間だけの滞在だった。


 「お嬢様が寄宿学校に入ってから、父と別れてここにきて、母と暮らし始めたんです。だから、変わったこと、はよくわかりません」


 ウィレミナが首都のキャティリィを超えて西海岸付近の学校に入ったのは10年前。ジョンがフィナデレ・カテドラルの階下で暮らし始めたのが5年前のことだ。


 「そう…」


 ウィレミナは残念そうに相槌を打ったが、その息は小さすぎてジョンには聞こえなかった。


 「あぁ、そうだ。セシルとルアという新米メイドが三ヶ月前から階下で働いています。それから、デボラがキッチンメイドから、料理副長に昇進しました。デボラはご存知でしょう?」


 「えぇ、知っているわ。デボラはわたしが生まれた頃にキッチンに来ているから。彼女、よくお菓子をくれたわ。お母様に内緒で」


 「僕も可愛がってもらってます。彼女、僕にもお菓子をくれるんですよ。一度、お菓子をもらったときに旦那さまが現れて変な顔をされましたけど…」


 「お父様は驚いただけよ。きっとね」


 「えぇ僕もそう思います」


 それから、ふたりの談笑は楽しく続いた。

 

 車は村の横を走る土埃が容易にたつ道路をのんびりとしたスピードで走り抜けた。拡がる林を越えればそこには屋敷の入り口があり、その先には広大な侯爵家の領地があり、フィナデレ・カテドラルが顔を出すはずだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る