家族のいる場所

尾八原ジュージ

家族のいる場所

 高いブロック塀に囲まれた私の家の庭には、コンクリートを固めただけのごく低い台のようなものがある。幅1メートル、長さ1.8メートルほどのそれに、私は花を植えたプランターを並べている。

 今日初めてそれを見た母は、ソファに腰かけながら「あんな変な台壊して、きちんとした花壇にすればいいのに」と言った。

「お金がかかるもの」

 キッチンで用意したお茶と茶菓子をリビングのテーブルに並べながら、私はそっけなさを装って返した。

「もしかして、お母さんがお金出してくれるの?」

「あら、いやらしいこと言わないでよ」

 母は自分で始めた話を、さも私が悪いことを言ったかのようにはぐらかした。その様子はどこか気まずそうに見え、やっぱりこの人にもいくらか罪悪感があるのだろうかと私は考える。

 お茶も飲まずにどら焼きのパッケージを開け、お腹を空かせた子供みたいな勢いでどんどん口に入れていく母は、ひどく太ったようだ。それだけでなく、加齢を差し引いてもずいぶん醜くなった気がする。もっとも私の記憶の中にある若い母の姿が、美しく修正されすぎてしまっただけかもしれないが。

 私はテーブルを挟んで、母の向かい側に座った。手元にある大きめのクッションをずらして位置を整えながら尋ねる。

「何で今頃訪ねてきたの? お母さん」

「何でって、気になったからよ。こないだお父さんのお葬式でひさしぶりに会ったから」

 二十年以上もの月日を、「ひさしぶり」なんて何気ない言葉で片付けていいものなのだろうか。大人になった私が半ば怒り、半ば呆れる一方で、心の中に隠れている子供の私は、「お母さん! お母さん!」と叫びながら、喜びのあまりぴょんぴょん飛び跳ねている。

 やっぱりいくつになっても、私の中からは家族への渇望が消えない。


 子供の頃、夜をひとりで過ごすのが怖かった。

 母が夜に家を空けるようになったのは、確か私が六歳のときだったと思う。私がどんなに泣いて引き止めても、「お仕事だから」と言って出かけてしまい、一晩中帰ってこなかった。父は元から家を空けることが多く、私はだだっ広い家にたったひとりで残されることになる。それは幼心にとても怖ろしいことだった。

 のちに、母が行っていたのは仕事などではなく、不倫相手のところだったことがわかって両親は離婚するのだが、父にしたって当時は愛人のところに入り浸っていたのだから、お互い様というものだった。

 この家に私とふたりきりになった後も、父は私にほとんどかまわなかった。離婚前と変わらず、私を家にひとりで残して一晩中帰らないことが度々あった。頼れる親戚や近所の人などもおらず、私は震えながらひとりぼっちの夜を過ごした。

 幼かった私は、一緒に過ごすことのできる存在――つまり家族というものを切望していた。

 小学生の頃の自由画帳は、架空の一家団欒の絵でいっぱいだ。親子三人でのピクニック、海水浴、みんなで浴衣を着て花火大会。図画工作の大会で賞をもらったこともある。その賞状を見せたとき父はどんな顔をしたか、よく覚えていない。見せる機会すらなかったのかもしれない。

 私は少しずつ成長し、孤独に慣れていった。学校や職場で色んな人たちと関わるにつれ、父も母も家庭を持つべき人間ではなかったのかもしれない、と考えるようにもなった。

 それでも夜、眠りについた私の夢に出てくるのは、決まって優しい笑顔の父と母だった。私はいつでも六歳前後の幼い姿で、ふたりの手を握ってはしゃぐのだ。


 私をひとりぼっちでほうっておいたり、置き去りにしてどこかに出ていったりしない。

 家族というのはそういうもので、そして私がずっとそれに餓えていたことに、母はたぶん気づいていない。

 おそらく、父も知らないままだっただろう。


「お父さん、どこかで生きてたりしないかしらね」

 ふいに母がそうつぶやいた。物思いにふけっていた私は、はっと現実に引き戻された。

「まさか」

「だって、亡くなってるところを見たわけじゃないもの」

 父の葬儀は遺体のないものだった。行方不明になってから七年が経ち、失踪宣告を受けたので、形だけの葬式をあげたのだ。その際、母にも連絡をとった。

 これまで一度も会いに来なかったばかりか、連絡すら寄こさなかった母が、このときになってようやく私の前に姿を現した。

 黒色の褪せた、サイズの合わない喪服を着た母の姿を一瞥した私は、不倫相手との生活はうまくいかなかったのだと悟った。そうでなければ、これほど厭な顔立ちにはなるまいと思った。

 一度も私に会いにこなかった母は、妙になれなれしかった。とっくに成人している娘を捕まえて「大きくなったね」と言ったり、喪主としての私をとってつけたように褒めたりした。おそらく現在の母は困窮しており、大人になった私を見て、「金銭的に頼れそうだ」と踏んだのだろう。わかっていても心の中の小さな私は「お母さん!」と連呼し、私はもう少しで泣きそうになるのを何度もこらえた。

 今もリビングのソファに腰かけ、膝の上にどら焼きのかけらをぽろぽろこぼしながら、母は「きれいにしてるのね」などとわざとらしい誉め言葉を並べ始める。もうお父さんは本当に死んだのかだの、庭を直せばいいのにだのと言うのはやめたらしい。

「ずっとこの家にひとりで住んでたのね」

「うん、そう」

「寂しくない?」

「今はもう、別に」

「でも、一人暮らしには広すぎるんじゃない? よかったらお母さん、こっちに……」

 戻ってこようか、と母が言いかけるのを遮って、私は言った。

「一人暮らしじゃないよ」

「えっ」

 母はよほど驚いたらしく、口元から少し大きめのお菓子のかけらがぽろりと落ちた。

「ああ……そうか、もういい大人だもんね。どんな人か聞いていい?」

「お父さんが一緒なの」

 そう教えてあげると、母の表情が急に固まった。

「どういうこと? だってお父さんは」

「お父さん、この家にいるよ」

 私は立ち上がり、窓の外を指さした。「そこにいるじゃない」

「どこ?」

「ほら、そこだってば」

 母は掃き出し窓に取りつき、庭を舐めるように見回している。そこから目を離さないようにしながら、私はクッションの下に隠しておいた金槌をそっと取り出した。


・ ・ ・ ・ ・


 予め掘って、シートをかけておいた穴の中に、血まみれになった母を横たえた。ホームセンターで買ってきたコンクリートを練り、その上に流し込む。母がどこにいるかわからなくなってしまわないよう、木の型枠を使って少し高さを作った。

 よく似たコンクリートの台が、庭にふたつ並んだ。

 汚れた軍手と防塵マスクを外し、額に浮かぶ汗をぬぐって、私はほっと一息ついた。重労働だったが、太った分を差し引いても母の方が小柄なので、父のときに比べたらいくらかマシだった。まったく同じことを一度やったことがあるおかげで、心なしか手際がよくなったような気もする。

 コンクリートが乾いたら母の上に何を置こう。思案しながら、私は幸福感に満たされていた。

「ひさしぶりに家族三人揃ったね。お父さん、お母さん」

 もうふたりとも、私をひとりぼっちでほうっておいたり、置き去りにしてどこかに出ていったりしない。

 私がほしかった家族というのは、そういうものだ。


 私たちずうっと一緒だよ。私はふたりにそう囁いた。

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