第50話 魔法のパン屋さん

 メレンゲやホイップクリームとは何だ、と聞かれたものの、旦那さんはあんまり興味を示してくれなかった。

 ちぇー、なんでだよう。

 甘くて、ふんわりしてて、口に入れると溶けていくの。って説明したんだけど、この世界で口に入れると溶けるものって、それこそ獣脂ぐらいしか想像がつかなかったらしくて、なんだか可哀そうなものを見る目で見られてしまった。

 ちくせう。

 ま、食べたことないんだもんね。

 想像がつかなくても不思議はないか。


 泡だて器よりもずっと旦那さんが興味を持ったのは、すり鉢やマッシャーで、さっそくお日様が昇ったらガヴァスさんの店に見に行くと張り切っていた。


 これで、この世界の食事に革命が起きる!


 ……と、いいな。


 朝いただいた山猫亭の朝ご飯で出されたフェクタは、私が想像していた卵料理とちょっと違った。

 朝食の卵料理って言ったら、目玉焼きとか茹で卵とか、もう少し手を掛けてもスクランブルエッグかオムレツってところだけど、もっと具沢山だった。

 細かく切ったお野菜と溶き卵をポロポロになるまで炒め合わせてあって、炒り卵とも卵そぼろとも違った。

 美味しかったけど、これが卵料理か、と目からうろこだった。

 もちろん目玉焼きなんかになることもあるけど、段違いにひと手間かかったそれは、山猫亭で出す朝食の一番人気らしい。

 野菜を細かく切るのが大変だから、たまにしか出さないのを、私が泊まったからわざわざ作ってくれたんだって。

 フードカッターとかの導入でもっと頻繁に出せるようになるかな?


 飯テロは今のところ起こせていないけれど、便利な調理器具が広まってお料理の時の手間が減らせるといい。

 一つ一つは些細なことでも、そのほんの少しの余裕が気持ちの余裕に繋がったり……するといいなー。


 うん、現状では何もかもが希望的観測だ。


「お、屋台が出てる。ハムショ・ナジェ食おうぜ! 今並んでないぞ」

「……あんなにあさごはんたべたのに」


 市場に入るなり、アレンが喜々として振り返る。

 アレン、お代わりしたんだよ。

 今日はお買い物をいっぱいする予定なので、ロイに抱っこしてもらい、お買い物の交渉とかはアレンにお任せする予定だ。

 市場は活気づいていて、さすがに小柄な4歳児がふらふら出歩くには不向きなんだもん。

 地元民らしきチビっこはちょろちょろしてるんだけどね。


「ナジェで食うなら、やっぱり焼き立てのハムショが美味いよな」


 ナジェで食う、ということは、ナジェ以外の物で食べることもあるのか?

 語感ではさっぱり正体のわからないそれに、興味津々で屋台を覗き込む。


「お、いらっしゃいお嬢ちゃん。可愛いね、いくつだい?」

「よんさいです」

「なんだ、四つって言ってくれたら、4枚売りつけてやろうと思ってたのに」


 冗談を言いながら、案外若い屋台のおじさんは練り粉をピンポン玉くらいに千切って、ぽんぽんぽん、と丸めて並べていく。並べた練り粉はおじさんがさっと手を振ると、平べったく潰れた。

 まるで見えない麺棒かパスタマシンで伸ばしたみたいだ。


「ぺっちゃんこになっちゃった……」

「手慣れてんなー」


 感心した様子でアレンが声を上げる。

 今の、魔法だよね?

 こういう作業にも魔法を使うんだなぁ。

 そりゃ調理器具が発達しないはずだよ……。


「へへ、ハムショ売りになって長いからね。ナジェでいいのかい?」

「あぁ、3つ頼む」

「あいよ」


 鉄板の上に並べられた3枚分の生地はすぐにぷくっと膨らんだ。

 焼き目が付いたところでひっくり返して、裏面にも焼き色が付いたところで再びひっくり返され、まんべんなく琥珀色の蜜が振り掛けられた。

 途端にふわん、と、甘いような爽やかなような香りが強くなる。


「はわー、いいにおいー……」

「ナジェが焼けるときの匂いっていい匂いだよな」


 今掛けたのがナジェ、か。

 メープルシロップみたいなものかな。

 確か、ロイの薬草ストックにもあったけど、そっちはシナモンスティックみたいな感じだった。

 匂いは似てるけど、どんな関連性があるんだろう。


「すーぐできるからな」


 おじさんはそう言いながら、手際よくナジェの上から砕いたナッツを振り掛けて、細身の春巻きみたいな感じにクルクル巻いて、銅貨3枚と引き換えにアレンへ手渡した。

 ふむふむ、そうすると一個あたり銅貨1枚か。


「まいど」

「どーも」


 ハムショ・ナジェを手渡したおじさんは、すぐに生地作りに戻って次々に丸い薄焼きパンを仕上げていく。


「いっぱいやくねえ……」

「あぁ、これから昼に向けて仕入れに来る連中も多いからな」

「仕入れ?」

「昨日マグナッドスーナ食ったろ? あぁいう屋台は大体仕入れたハムショで作るんだよ」

「へぇー」


 この屋台はハムショ・ナジェ売りなのと同時にハムショの卸売店みたいなものなのか。

 そして、この薄焼きパンがハムショなのね。

 なるほど、なるほど。


 感心しながら焼きたてのハムショにぱくつく。

 甘くておいしい……けど、まだそんなにおなかは空いてない。

 一本食べちゃったら苦しくなりそうだな、と持て余し気味にクルクルと巻かれた断面を眺めていると、ロイが声を掛けてきた。


「もういらないの?」

「んー、あさごはんいっぱいたべたからねえ」

「じゃあ、ちょうだい」


 自分の分を食べてしまったらしいロイが、ストールを下げてあーんと口を開けた。


「え、たべるの?」

「温かいうちのほうが美味しいからね」


 そうなんだけど! そうだろうけど!

 ひょっとしてロイって甘党……?

 食に対してとにかく興味の薄いロイに言われたのが意外だと思いつつ、まだ温かいハムショ・ナジェをロイの口に入れてあげた。

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