第34話 いつも無理している

 ボルドの中で湧き上がってくるものは自分の無力さだけだった。他に何もできなかった。何もできないのだ。自分は彼女を送り出すこと以外には何もできないのだ。


「マーク! 司令部とはまだ繋がっているか?」


 ボルドが絞り出すかのような声で通信兵のマークに尋ねるとマークは大きく頷いた。


「イ号作戦を発動する。他の部隊も発動の確認が取れ次第、全部隊で突撃するよう司令部に伝えてくれ。いいか、全部隊で突撃だ!」


 ボルドはそう言うと、顔を伏せて一瞬だけ地を睨む。そして、再び顔を上げる。

 そう、今はこうする他にないのだ。


「マジェス、ホールデン!」


 重装歩兵のマジェスと抜刀兵であるホールデンの名を呼んだ。

 二人が同時に返事をする。


「志願兵を敵陣深くまで案内してやってくれ」

「了解です。何だったらダリスタ基地のど真ん中まで案内しますよ。ホールデン、足を引っ張るなよ」


 マジェスがおどけたようにホールデンに言う。


「足の遅い重装歩兵が何を言ってやがる? あまり遅いと置いていくぜ」


 ホールデンも負けじと言い返す。


「セシリア三等陸兵……」

「はいっ!」

「……出撃を命じる」

「はいっ!」


 返事をするセシリアの横でルーシャの顔が絶望的に歪んだ。セシリアはそんなルーシャの顔を一瞬だけ見ると、再びボルドにその黒色の瞳を向けた。


 ボルドを見つめるセシリアは開きかけた口を一瞬だけ閉じると、意を決したように再び口を開いた。


「少尉、ルーシャちゃん、ルーシャ三等陸兵とラルク三等陸兵のこと、お願いします。ルーシャ三等陸兵、いつも無理しているけど本当は私より泣き虫だから……」


 ひと息でそう言い切るとセシリアが深く頭を下げた。


「わかった。約束しよう。安心してくれ……」


 ボルドの喉がひくつく。頭を下げるセシリアに辛うじてそう言うだけでボルドは精一杯だった。


 何が約束するなのだろうか? 

 何が安心してくれなのだろうか?

 ボルドの中で自身を責めるそんな言葉が渦巻く。


 だがボルドの返答を聞くと、セシリアは顔を上げて安心したようにふにゃっと笑ったのだった。まるで安心しかのたように……。


「よし。じゃあ、そろそろ行くか」


 重装歩兵のマジェスが近くに散歩にでも行くかのようにセシリアへ声をかけた。


「マジェス、ホールデン……」


 ボルドはその先の言うべき言葉を失っていた。そんなボルドに代わってホールデンが口を開いた。


「まあ、何ですかね、少尉……そう、先に地獄で待ってますよ」


 ホールデンがにやりと笑う。


「違いねえ。俺たちは間違いなく地獄行きだ」


 マジェスもそれに同調して笑う。だが、単なる地獄行きでは済まないだろうとボルドは思う。何の責もない子供を自分たちの都合で死地に向かわせるのだ。自分たちには魂にまでその責苦が刻まれるべきなのかもしれなかった。


「ルーシャちゃん、大好きだよ」


 セシリアはもう一度ルーシャに抱きつくと、マジェス、ホールデンに続いて塹壕を後にした。


 あっけない別れにルーシャは呆けたままの顔で、去って行くセシリアの背を見つめていた。

 ルーシャにかける言葉が見つからない。ボルドは自分の無力さや無能さを飲み込みながらラルクに視線を向けた。


「ラルク、ルーシャを屈ませてやってくれ。そのままでは危険だ……。」


 ボルドにそう言われて、先ほどと変わらずに立ち尽くしているルーシャをラルクが塹壕内で屈むよう促した。


「いいか、作戦発動後に再度突撃が始まる。遅れるなよ。俺たちもそれに続くぞ。ダリスタ基地を何としても奪還する!」


 解決できない全ての思いと感情とを飲み込んで、ボルドは残った小隊の皆に命じた。

 セシリア、マジェス、ホールデンたちが犠牲になるのだ。犠牲にするのだ。ダリスタ基地ごときを奪還できなくてどうする。


 銃弾が飛び交うボルドの視界からセシリアたちの背中が消えていく。残されたルーシャたち志願兵がその光景を見ながら何を考えているのだろうかと思うと、怒りや悲しみが入り混じったどうにもならない感情がボルドの中で荒れ狂う。


 それらの感情が何もできないボルド自身をも責め立てる。


 ……この日、多大な犠牲を強いられたものの、ガジール帝国は要塞都市グリビア奪還の足掛かりとなるダリスタ基地の奪取に成功した。

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