第33話 セシリア・アリシャス

 塹壕の中にいるイスダリア教国の兵士が恐怖で目を見開きながら、宙を飛ぶボルドを追って必死に小銃を向ける姿が見える。


 二十歳前後だろうか。まだ若い兵士だった。恐怖で目を見開き、顔を歪ませている。


 怖いだろうなとボルドは思う。鬼気迫る顔の敵兵が迫っているのだ。死ぬかもしれないのだ。死ぬかもしれないと思うと襲いかかるボルド自身も怖い。根源的な恐怖を覚える。


 だが、志願兵たちは、ルーシャたちはこれらを乗り越えて自死しなければならないのだ……。


 ボルドが塹壕に飛び込むのと敵兵の小銃が火を吹くのは同時だった。ボルドは片頬に焼けつく熱さを感じた。弾丸が掠ったのだろうか。


 ボルドはそれを気にすることはなく、敵兵の喉元に長剣の切先を突き入れた。鮮血を撒き散らしながら敵兵が崩れ落ちる。


 塹壕内に目を向けると、自分たち以外に立っているイスダリア教国の兵士はいないようだった。


 後方に目を向けると、ジェロムを先頭にハンナや志願兵が転がるようにして塹壕内に入ってくる。


「頭を低くしろ! 負傷した者は?」

「ダネルが肩をやられました!」


 タダイの声が塹壕内の左手から聞こえてきた。


「ハンナ、看てやってくれ! 志願兵は無事か?」


 ボルドの問いに返事をするルーシャたちの声が聞こえてくる。


 塹壕の外を見ると、味方は一番外側に設置された塹壕の三分の一程度を占拠できたようだった。


 この塹壕は何重に設置されているのだろうか? 四重か、五重か。いずれにしてもこの無謀な突撃だけでは味方の被害が大きくなる一方であるように思えた。


 自分の小隊にしても重装歩兵がいるとはいえ突撃を繰り返せば、いずれは大きな被害が出ることは明白だった。


 塹壕から頭を出して前方を覗こうとしている志願兵がボルドの視界に入った。


「セシリア! 頭を下げろ。頭を持っていかれるぞ」

「は、はいっ!」


 ボルドに怒鳴られてセシリアが慌てて頭を塹壕内に引っ込める。


 ここにきて予想以上に、イスダリア教国の長距離攻撃が激しくなってきたようだった。ガジール帝国から受けた長距離攻撃の混乱から、敵の長距離攻撃部隊が立ち直りつつあるのかもしれない。戦況は悪くなる一方に思えた。


 ボルドたちに続いて突撃してくる味方のガジール帝国兵が長距離砲や長距離魔法によって、味方が占拠している塹壕に辿り着けずに倒れていく者たちが目立ってきている。


 次の塹壕を目指してもう一度突撃を行うべきなのだろうか。いや不味いなとボルドは思う。突撃によって被るかもしれない被害もそうだが、何よりも自分たちだけが突出してしまう可能性がある。


 ならばどうする。戦況が再度好転するまでこの塹壕を死守するか。それとも……。


「通電! 通電!」


 通信兵のマークが転がるかのように、上半身をかがめてボルドの下へと来る。

どうやら後方の司令部と有線が繋がったようだった。


「司令部は何と?」


 雑音だらけの会話を司令部と終えたボルドにタダイが訊いてくる。


「状況に応じて随時、出撃させろとのことだ」


 ボルドの言葉にタダイが顔を大きく歪ませた。気安く言ってくれるとボルドは思うが、司令部の判断としては当然なのだろうとも思う。そもそも、そのためにボルドの小隊がこの戦闘に加わっているのだ。

 だが……。


「タダイ、志願兵たちを呼んでくれ……」


 発した自分の声が掠れていることをボルドは感じていた。


 ルーシャ、セシリア、ラルクの志願兵三人がボルドの前へと進み出てきた。誰もが青ざめた顔をしているが、人族特有の黒い瞳には覚悟の色がそれぞれに窺えた。


「俺が行きます、少尉」


 ラルクが静かに淡々とした口調で言う。ルーシャとセシリアが即座に反応して弾かれたようにラルクの顔を見る。


「駄目! 私が行く」


 ルーシャはラルクに詰め寄って短く叫ぶように言った。ラルクはそんなルーシャの両肩に自分の両手を静かに置く。


「駄目だ、ルーシャ。ここは俺が行く」


 ラルクの言葉にルーシャは嫌々と言うように首を左右に振ってみせた。


 ボルドは自分が彼らに何を言わせ、させているのだろうと思う。こんなことを彼らに決めさせ、言わせるべきではないのだ。


 決めるのも言うのも自分でなければならない。そうでなくては何のために自分が今ここにいるのだ。片腕を失って戦闘においては大した役に立てない兵士の自分が、何のためにこの戦場に立っているというのか。


 だが、ボルドは喉がひりついて言葉が出なかった。彼らにかけるべき言葉も見つけられない。


「ラルク、ルーシャちゃん……」


 セシリアがそんな二人を押し留めるように、二人の手を握った。


「私に行かせて……」

「セシリア、駄目!」

「駄目だ!」


 ルーシャとラルクが鋭く叫ぶ。そんな二人にセシリアが、ふにゃっと笑って見せた。


「ごめんね、ルーシャちゃん、ラルク。泣いてばかりの弱虫だから私、本当はね、毎日が怖いの。今日死ぬのかな、明日死ぬのかな……って毎日、そう思うのが怖いの。怖くてもう嫌になっちゃったの」

「嫌、嫌だよ、セシリア……。そんなこと、そんなこと言っちゃ嫌だよ」


 嫌々をする子供のように首を左右に振るルーシャの両手をセシリアは自分の両手で、そっと包み込んだ。


 ルーシャもセシリアにも涙はなかった。たが、涙を見せないだけで、二人とも全身で泣いているようにボルドには感じられた。


「ルーシャちゃん。私、忘れないんだよ。ルーシャちゃんのこと。ルーシャちゃんだけじゃないよ。ラルクもルイスのことだって……」

「嫌だよ、止めてよ、セシリア。そんなこと言っちゃ嫌だ……」


 セシリアが両腕をセルーシャの首に回して自分の頬をルーシャの頬に寄せた。


「ごめんね、ルーシャちゃん。私、本当に弱虫なんだ。だからもう楽にさせて。お願い……」


 それはセシリアの切なる願いなのだろうか。ボルドの喉奥で急速に何かが閉まっていくかのような感覚がある。


「セシリア……」


 ルーシャが呆然とした顔で呟く。

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