第16話 敵兵

 体の細部までに響き渡るかのような衝撃があり、派手な水飛沫を上げてルーシャの体は水中に飲み込まれた。瞬時には自分が水中にいることが理解できなかった。幾度となく水を飲んで、むせ返りながらルーシャは自分が水中にいることを理解する。


 自分が水中にいることは理解したルーシャだったが、今度はどちらが上で、どちらが下なのかがわからない。息苦しさも手伝って闇雲に手足を動かしていると、運よく何とか顔を水面から出すことができた。


 激しくむせ返りながらも何とか新鮮な空気を肺に入れ、気力を振り絞ってルーシャは川岸を目指した。幸いにも水の流れが速くはなく、ルーシャは辛うじて川岸に手をかけた。

 最後の力を振り絞ってその身を持ち上げると、そのまま川辺で大の字に寝転がる。そして暫くの間、ルーシャは荒い息を吐き続けた。


 呼吸が落ち着いてくると、上空の彼方に切り立った崖があることに気がついた。爆風に煽られてあの上から放り出されたのだと思うと、今更のように恐ろしくなる。


 遠くで爆発音が二回聞こえた。まだ戦闘は続いている。そう、ここは戦場なのだ。


 両手両足を動かしてみる。大丈夫そうだった。骨が折れたりなどの大きな怪我はないように思える。あるのはかすり傷だけだ。

 あの高さから落ちて無事だったことは俄かに信じられないが、これも母神クロネルの思し召しなのだろうか。自分はまだ死ぬ時ではないと。


 そうだとすれば、やることは一つしかなかった。


 ルーシャは大きく息を吸い込んで上半身を起こした。そして、下半身に力を込めてゆっくりと立ち上がる。


 少しだけよろめいたが大丈夫だ。ルーシャは一人で頷くと、一歩、二歩とゆっくりと歩いてみた。大丈夫。問題ない。ルーシャは心の中でそう呟いた。


 ルーシャは再び地面にしゃがみこんで、持ち物の確認を行った。小銃はどこかに行ってしまったが、背中の鞄は無事だった。腰には小型の軍刀もある。


 ルーシャは背中の鞄から地図と包囲磁石を取り出した。ここがどこだか正確には分からないが、凡その位置はわかる。今の場所がこの辺りだとすると、小隊との合流場所は北北西となる。


 よし。行こう。とにかく進まなければ事態は好転しない。ここで待っていても助けなどはこないだろうし、イスダリア教国の兵士に見つかる可能性だってある。ならば進むだけなのだとルーシャは思った。


 長距離砲で吹き飛ばされた時、ルーシャは間違いなく死を覚悟した。でも次の瞬間、投げ出された水飛沫の中では、死にたくなくて必死に手足を動かしていた。


 人は最後の、本当に最後の時まで生を求めて足掻くものなのだ。ならば行こう。そうルーシャは決意するのだった。





 遠くでの爆発音は散発的に聞こえ続けていた。

 セシリアやラルクは無事だろうか。彼らだけではない。ジェロム軍曹や、ゴーダやハンナも大丈夫だろうか。そして、自分たちを逃すためにあの場に残ってくれた第四特別小隊の皆。そして、ボルド少尉。皆、無事であってほしい。ルーシャはそう思いながら歩みを進めていた。


 小高い薮の中を進んでいると、急に一人でいることが不安になってくる。武器らしい武器は小型の軍刀のみ。軍刀の扱い方は教わったが、実戦でどこまで使えるのかと考えると不安しか浮かんでこなかった。


 今にもそこの薮から敵兵が出てくる気がして、胸の鼓動が早まるのを感じていた。先ほどまでの最後の最後まで足掻いてみせると思った決意はどこに行ってしまったのだろうかとルーシャは思う。


 緊張の連続で喉が乾いていることに気がついて、休憩も兼ねてルーシャはたまたま目にした大きな木の根元に座り込んだ。木の周囲は少しだけ開けており、休憩にはもってこいだとルーシャは思ったのだった。


 背中の鞄から水筒を取り出して、水を少しだけ口にした。

 地図を見る限りでは、小隊との合流地点までそんなには離れていないはずだった。水筒の水も残り少なくなっていたが、小隊の皆と合流ができればそれも問題ないはずだった。


 ルーシャがそこまで考えた時、左手の薮から薮を掻き分けるような音が聞こえてきた。僅かに人の声も聞こえた気がする。


 ルーシャは即座に軍刀を握って中腰となった。イスダリア教国の兵だろうか。一瞬で血の気が引く。一方で、もしかすると味方の兵かもしれないとの淡い期待もある。


 いずれにしてもこのような開けた場所にいるのは不味いとルーシャは判断した。軍刀を持ったままでうつ伏せになると、音を立てないようにしてゆっくりと後方へ移動し始めた。このまま後ろの薮の奥へ入っていけば、見つかりにくくなると思ったのだった。

 胸の動悸がいつにも増して早くなっているのを感じる。


 ルーシャが身を隠すために、うつ伏せのままで後退して後方の薮の中へ移動したのと、イスダリア教国の五人の兵が少しだけ開けた木の根元に姿を現したのはほぼ同時だった。

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