#1 毒殺における最低限の憶測【糾弾ホームルーム篇】1

【1】


 姫乙がごまかすかのように小さく咳払いをした。これからホームルームが開かれるという場面になり、誰よりも姫乙が盛り上がっていた直後のことだった。テレビクルーは教室の後ろのほうへとさがり、管理委員会の兵隊達と並ぶようにして状況を見守る。アナウンサーは姫乙に言われた通り、今のところ黙っているようだった。


「いやぁ、さすがに全国放送ということもあり、私も緊張してしまったようですぅ。諸君らに大切なものをお配りするのを忘れていましたぁ。出席番号順にお呼びしますのでぇ、前まで取りに来て下さい」


 姫乙はそう言うと、あらかじめ教壇の中に用意しておいたのであろう。プリント用紙の束を取り出した。そして、何事もなかったかのようにクラスメイトの名前を呼び始めた。もちろん、最初に呼ばれるのは安藤である。


「……どうやら、何かが生徒達に配布されるようです。その厚さからして、資料でしょうか? 次々と呼ばれた生徒達に資料らしきものが手渡されています」


 声を潜めていながらも、その通る声は天性のものなのであろう。アンジョリーヌがカメラに向かって語りかけた声は、ひっそりとしながら教壇の辺りでもしっかりと聞こえた。安藤が受け取ったものは、プリント用紙を何枚か重ね、左上をステープラー……俗称ホチキスで留めたものだった。表紙にあたる部分には【鑑識の結果】と書かれており、わざわざ下に名前を書く欄まで設けられていた。


「ちょっと失礼します――。お手元、よろしいですか?」


 席に戻ると、教室の後ろのほうの席という立地条件も重なったのであろう。アンジョリーヌ含むテレビクルーが安藤の席へとやってきて、こちらの返答すら待たずに安藤の手元――資料を映し出す。


「察するに、すでに起きてしまった復讐に関する資料なのでしょう。これらを参考にして、恐らく【糾弾ホームルーム】が進められると思われます。――すいません。ご協力いただき、ありがとうございました」


 カメラの向こう側の人達へと語りかけた後、安藤に形式じみた礼をして、テレビクルー達は元の位置へと戻った。そうこうしている間に、資料の配布も終わったようだった。


「――はい、資料は行き渡りましたかぁ? まだ姫乙のところに資料がありますのでぇ、まだお名前を呼ばれていなかったりぃ、呼ばれたのに取りに来ていない方がいたらぁ、遠慮なくおっしゃって下さい」


 姫乙はそう言って資料を掲げてみせるが、しかし誰も名乗り上げはしなかったし、ぱっと見た限り、全員に資料が行き届いているように思える。単純に予備か何かで多めに作ってあっただけなのだろう。


「ではぁ、大丈夫ということで話を進めまぁす。もう全国放送も始まっていますしぃ、お茶の間のみなさんをお待たせするにも限界がありますのでぇ、資料にざっと目を通して下さい。お察しの通りぃ、昨日起きた復讐についての鑑識の結果になりますぅ。そうですねぇ、5分ほど時間を差し上げますぅ。その時間で資料を確認した後、即座に【糾弾ホームルーム】を行うとしましょう」


 姫乙はそう言うと、テレビクルー達に向かって「ちょっと私のことをアップで映して下さい」と、注文をつける。それを受けてか、カメラマンが一歩前に出て、姫乙へとレンズを向けた。


「全国のお茶の間のみなさま。いよいよ始まる【糾弾ホームルーム】は、CMの後で!」


 なんだか良く分からない前振りを見せつつ、カメラに向かってポーズまで決めた姫乙。ニヤリと笑みを漏らし「はい、CM行って下さい」とテレビクルーへと要求。テレビクルー達はお互いの顔を見合わせ、アンジョリーヌが代表して口を開いた。わざわざマイクを通して――である。


「あの、うちは国営ですので……基本的にCMは入りません。このままぶっ通しで生放送ということになっていますし」


 ポーズを決めたまま固まった姫乙は「あの、番組の良いところになると必ず入る邪魔な感じの5分ばかりのニュースは?」と別の道を模索する。


「まだ、その時間ではないので――」


 またしてもアンジョリーヌのマイクを通した一言に否定され、なんだか姫乙が全国区レベルで滑ったみたいな形になってしまった。


 姫乙がわざとらしく咳払いをする。その様子をカメラが無言のまま映し出していた。もちろん、アンジョリーヌも余計なところでは喋らない。


「え、えぇと諸君らは資料へと早急に目を通すように。そ、そうだ! この大日本帝国政府革命省の姫乙南大臣が、わざと失態を晒すような振りをして、諸君らが資料に目を通すための時間稼ぎをしているのです。本当ならば、こんなことをする必要もないのに、わざと醜態を晒すことにより、時間稼ぎをしている心優しき姫乙の心遣いを――無駄になさらぬよう、資料に目を通すのです! さぁ、今のうちに!」


 ちらちらとカメラのほうに視線を向けている上に、その口調もやけに説明口調。盛大に滑ったことを認めれば良いのに、プライドが許さなかったようだ。あまりにも白々しい。しかし、資料に目を通す時間が延長されるのは助かる。情報だけを与えられて即座に本番となるよりも、ある程度情報を整理した上での本番のほうが良いに決まっており、同じ一発勝負でも全く性質は異なってくるだろう。


 とにもかくにも、これ幸いと資料に視線を落とす安藤。1枚目をめくると、復讐の……いいや、事件の概要が記されていた。パソコンで打って出力したものであろう。


【事件概要。発生時刻、昨日午後6時半前後。突然、生徒数名が苦しみ出し、痙攣、嘔吐などを伴って死亡。死因は低血圧などによる不整脈からの心室細動及び心停止だと推定される】

 

 紙の擦れるような音が辺りから聞こえる。姫乙はどう考えても自爆しただけだろうが、今のうちに資料に目を通しておいて損はないと、誰もが考えたのであろう。それを見た姫乙は、妙なポーズをカメラに向かって決めて「――計算通り!」とやってみせるが、もはや彼が滑ったことは無かったことにはならない。むしろ、恥に恥を塗り重ねるような感じになっている。そんな姫乙を尻目に、教室と一丸となって資料をめくる安藤。


【死亡が確認されたのは、磯部舞友、片桐政武、曽根崎結城、田中伊乃理、津幡央、中山春人、沼田友希(敬称略)の7名。全員からトリカブトの成分であるアコニチンが検出された。体に不自然な注射痕はなし。経口摂取された可能性が極めて高く、アコニチンの中毒症状で死亡したと断定される】


 片桐の名前を見たせいか、はたと顔を上げた安藤。片桐の机のほうに視線を移したが、そこにあったのは片桐の後ろ姿ではなく、しおらしく咲いている菊の花だった。あぁ、何度確認しても間違いないのだ。安藤が親友と呼べる男――片桐政武は死んだのだ。あまりにも現実感が伴わなくて、涙すら出なかった。それはきっと、安藤だけに限ったことではないだろう。連続する非現実的なできごとを処理することが精一杯で、現実を受け入れる暇がないのだ。


【凶器となったアコニチンは、特殊な技術で牛乳の中に溶け込ませてあった。これらはアベンジャーの依頼で大日本帝国政府が用意したものである。飲み物を牛乳に指定したのもアベンジャーである。用意した25パックの牛乳のうち、アコニチンが混入されていたのは7パックのみ。なお、どの牛乳パックにアコニチンが混入されていたのかは、アベンジャーでさえ知り得ないし、 判別するすべもなかった。これらもアベンジャーが望んだ仕様である】


 大体の予想はできていたが、あの牛乳が凶器となったようだ。あれにアコニチンとやらが混入されており、それを飲んでしまった7人が死んでしまったわけか。でも、どの牛乳パックにアコニチン――すなわち毒が混入されているかはアベンジャーですら知り得なかった。となると……これは無差別の復讐ということになるのか。いや、もはや復讐などという言葉には包まずに、無差別殺人と呼ぶべきだ。

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