最初から事態はよろしくないと思っていたが、それは予想以上に深刻のようだった。事件の情報は鑑識官が公平に調べるとして、それが手に入るのは【糾弾ホームルーム】の直前。確か、姫乙の話だと1時間のタイムリミットが設けられていたはずだから、情報を手に入れてから答えを出すまでの猶予が極端に短いということになる。


 安藤が読み漁った小説の主人公達は、じっくりと現場を調べ、一度で納得できなければ二度、三度と何度も現場に足を運ぶ。関係者にもしつこいくらいに話を聞き、そして情報を整理しながら事件の真相を暴く。それがミステリの在り方であると安藤も思っているのだが、しかし安藤達が挑む【糾弾ホームルーム】は、それと真逆のことをする。予め用意された材料を参考にして、たった1時間で結論を出さねばならない。もちろん、複数人で議論するわけだから、意見が割れることだってあるだろう。思っていた以上に厳しいものになりそうだ。


「それだとあまりにも時間がないと思うのは私だけ? 答えを導き出せなかった時のペナルティーも明らかにされていないけど、ペナルティーって言う以上、決して私達にとってプラスになるものじゃないと思う。それに、クラスメイトが7人も殺されたんだから、私個人としてはアベンジャーの正体を暴いてあげたいと思ってる。例え関わり合いがなくてもクラスメイトはクラスメイトだから」


 安藤の言いたいことを代弁してくれる芽衣。明らかに時間が足りないこと。そして、答えを導き出せなかった時に課せられるペナルティーのことだって気掛かりである。7人ものクラスメイトが死んでも、さも当然のようにしている姫乙が相手なのだ。どんなことをされるか分かったものじゃない。


 ただ、安藤はペナルティーを回避するためにアベンジャーの正体を暴きたいとは思っても、死んだ7人のためにアベンジャーを暴いてやりたいとは思わなかった。残念なことに芽衣のように秘めた正義感のようなものは持ち合わせていない。むしろ、芽衣がそんなことを言い出したことに驚いたくらいだ。


 誰も寄せ付けず、誰とも関わらず、ある意味では孤独で――いいや、孤高で。同じクラスメイトであるにも関わらず、誰も大槻芽衣おおつきめいという人間の本質は知らないだろう。正直、声を聞くこと自体が珍しいくらいなのだ。普段は教室の片隅で、誰も寄せ付けぬ空気を発しながら、本を読んでいることがほとんどなのだから。


「クラスメイトのためにアベンジャーの正体を暴いてあげたい――なんて、芽衣ちゃんの優しさは痛いほど分かりますぅ。しかしぃ、あまり時間を与えてしまうと話し合う必要がなくなるじゃないですかぁ。それこそ、芽衣ちゃん辺りが【糾弾ホームルーム】が始まる前に真相にたどり着いてしまうかもしれません。それでは駄目なんですぅ。あくまでも答えを出すのは【糾弾ホームルーム】でなければならないのですぅ。クラスの問題はクラスで取り組むべきなんですぅ」


 そもそもホームルームを開いてアベンジャーを特定するというルールは誰が定めたものなのだろうか。確信はないが、なんとなく姫乙なのではないかと思ってしまう。なぜだか妙に【糾弾ホームルーム】にこだわっているように見えるのは気のせいなのだろうか。


「分かった。それなら仕方ないわ――」


 姫乙を相手に押し問答をしても無駄だと思ったか、あっさりと引き下がる芽衣。特に【糾弾ホームルーム】に対するこだわりは、姫乙の言動の端々から垣間見えるし、根本的なルールブックは、今のところ姫乙自身である。何を言っても譲りそうもないし、ただただ時間の無駄であろう。


 実際に現場を調べるのは鑑識官で、安藤達は現場を調べるのことができない。そして、事件の情報が提供されるのは【糾弾ホームルーム】の直前であり、その【糾弾ホームルーム】自体には制限時間が設けられている。この辺りはなにを言っても揺るがないような気がする。


「ご理解いただけてなにより……。さてぇ、他にも質問があれば可能な範囲でお答えしますが――」


 姫乙が辺りをぐるりと見回し、それこそほんの数秒だけ待った後に、手をパンと叩いた。もう質問を受け付ける気など、さらさらないといった具合に。


「はいぃ、質問はないですねぇ? 今日は諸君らにお泊まり会の説明もしなければなりませんのでぇ、ここからちょっと急ぎ足でやりますぅ。えーっと、それぞれが宿泊する場所やら、ある程度のルールを説明しておかねばなりませんからねぇ。とりあえず日本人は礼に始まり礼に終わりますぅ。現場の捜査は優秀な鑑識官にお任せしてぇ、先ほど中途半端だった号令を今一度……」


 姫乙はそこで小宮山のほうへと視線を移し「委員長、お願いできますかなぁ?」と笑みを浮かべた。起立――はすでに全員しているから、省いた感じになる。クラスメイトは死んでいるわ、ガスマスク鑑識官は辺りを調べ回っているしで着席どころでもない。小宮山は困ったような表情を浮かべつつ、しかし眼鏡のブリッジを指で押し上げると号令をかけた。


「礼っ!」


 もはや号令と呼んでいいのだろうか。普段から真面目に頭を下げないやつもいるが、今回ばかりは誰も頭を下げない。号令をかけた小宮山本人でさえ、周囲の空気に合わせて頭を下げなかった。


 ――そこからは文字通り、本当に駆け足だった。


 まず、寝泊まりする場所の確認。男子生徒は柔道部や剣道部などが共通で使う道場に寝泊まりするらしい。体育館に向かう連絡通路の途中を曲がると道場があり、そこまで部活動に力を入れている学校ではないが、道場にはシャワー室があり、またしっかりトイレも完備されていた。


 女子生徒は体育館にて寝泊まりするらしい。理由はいたってシンプル。これまた部活動関係の都合になるが、道場に比べて利用する部活の数が多いため、シャワー室が広く、またトイレの設置数も多い。男子はカラスの行水でも構わないだろうが、女子はそういうわけにもいかない――という、姫乙の妙に紳士的な見解から体育館に決まったらしい。


 先におおまかな説明を女子にしてくるとのことで、道場にて待たされる。管理委員会の兵隊は、1人が道場の外で、そしてもう1人がわざわざ道場の中にて待機する。どうせ逆らったところで反逆罪になるのだから、そこまで目くじらを立てて見張る必要もなさそうなのにだ。


 何事もない――少なくとも、誰かの死体があるわけではない道場にいると、なんだか全てが嘘なのではないかと思ってしまう。クラスメイト揃って悪い夢でも見たのではないかとも思いたくなる。でも、夢ではない。実際に、ここにいないクラスメイトがいるのだから。少しくらい混乱してもおかしくはないのに、みんなで素直に姫乙を待っている絵がシュールだった。きっと、誰もが現実を飲み込めていなかったのであろう。


「お待たせしましたぁ」


 姫乙が戻ってきて、そこで簡単な説明を受ける。下着や寝間着に関しては、希望者に支給するとのこと。姫乙がその場で希望者を募ったが、しかし誰も手を挙げなかった。後になって、せめて下着くらいは――と後悔することになるのだが、その時はそんなことを考えもせず、ただただ姫乙に対して、そして大日本帝国政府に対して否定的になっていた。


 続いて、寝るための布団の支給となったわけだが、これまた男子は酷い待遇だった。体育館は床が固いため、女子には簡易マットレスと掛け布団を支給したらしいのだが、男子が寝泊まりするのは道場であり、下が畳であるという理由から、掛け布団のみの支給のようだ。

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