いつも物静かで、それでいて周囲から一線を引いている印象の強い芽衣。必要以上にクラスメイトとの関わりを持たないため、当然ながらクラスの中で自分の意見を主張することもない。だからこそ、彼女が手を挙げて発言したことには驚いた。安藤だけではなく、クラスの全員がそう思ったことであろう。それほどまでに、芽衣は徹底して周囲と関わろうとしないのだ。


「確かにぃ、ごもっともですねぇ。今日はこれで終わりにしましょう。それではぁ、号令を――」


 号令はクラス委員長の小宮山大輔こみやまだいすけの仕事だ。いまだに実感がないものの、どうやら今日はふざけた法案から解放されるらしい。いたるところで安堵の溜め息が漏れ出していた。今後どうなるのか、何が起きるのかは分からないが、とりあえず家に帰れる。普段は用意されていて当たり前の夕食も、沸かしてあって当然の風呂も、そして出迎えてくれる両親も、さぞありがたく感じることであろう。


「起立! 礼――」


 誰もが問題を先延ばしにしていた。この困惑するしかない状況に、頭の中には帰宅の二文字しかなかったに違いない。明日はどうなるか分からぬが、明日の朝まで安息の時間が訪れる――。その考えが甘いと思い知らされたのは、クラス委員長の小宮山が号令をかけたときのことだった。


 椅子が倒れる音がして、そのまま男子生徒が床に倒れ込んだ。続いて、女子生徒が机の上に崩れ落ち、激しく痙攣を始める。近くにいた生徒は、心配して駆け寄るどころか、むしろ後退あとじさった。


 まるで連鎖。負の連鎖だった。次々とクラスメイトが床に倒れ込み、そして苦しそうな声を漏らし、嘔吐をし、体を痙攣させて白い泡を吹く。いつもは清楚でおっとりとしている女子生徒が、スカートはめくれてパンツ丸出しで、苦しみもがいている姿は恐怖以外の何でもなかった。


 阿鼻叫喚の地獄絵図。誰も何もできなかった――。何が起きたのかさえ理解できなかった。苦しむクラスメイトに駆け寄って救護することもできず、ただただ傍観することしかできなかった。誰が苦しんでいるのかさえ分からず、突如として起こったパンデミック現象に、立ち尽くすことしかできなかった。


 女子の悲鳴ともつかぬ悲鳴や、男子の怒号のようなものが飛び交いはしたが、けれどもじきに教室は静かになった。激しく痙攣していたクラスメイトがピクリとも動かなくなり、そして誰もが状況を徐々に把握し始めたからなのかもしれない。


「くくっ――くっくっくっくっくっ」


 その静けさを切り裂くようにして、低くて野太い声が響く。その声の主が誰なのかなんて考えるまでもなかった。


「あーはっはっはっはっはっ! 諸君ぅん! こいつは一大事だぁ! なんとぉ、今をもってして復讐が果たされましたぁ! 繰り返しますぅ! 復讐が果たされましたぁ! これは予想以上の大虐殺ぅぅ!」


 まだ全てを受け入れられていない頭に、姫乙の笑い声が飛び込んでくる。復讐が果たされた――ということは、この状況そのものがアベンジャーの仕業だということなのか。


「ただいまより、諸君らは超法規措置『正当復讐法』のルールに則りぃ、大日本帝国政府の管理下に置かれますぅ! つーまーりぃ……【糾弾ホームルーム】を行い、アベンジャーが誰なのかを議論することになるのですぅぅぅぅ!」


 本当に楽しそうだった。本当に愉快そうだった。床に倒れ込んだまま動かなくなってしまったクラスメイトの数は、1人や2人ではない。姫乙が大虐殺なんて言葉を使ったくらいだから、当然すでに死んでいるのだろう。


「さてぇ、それではぁ【糾弾ホームルーム】を公平に行なうためにぃ、これより現場にはエキスパートの方々に入っていただきまぁぁす。はりきってどうぞぉぉぉ!」


 相変わらず姫乙のペースだった。安藤達はいまだに状況が飲み込めずに立ち尽くすばかり。そんな混乱だらけの教室に、紺の制服を着た人達が、足並みを揃えて入ってきた。背中には『鑑識係』の文字が入っており、どういうわけだか顔はガスマスクで隠されている。察するに鑑識官なのであろうが、なんだか不気味だ。


「こちらの方々はぁ、専属で結成された鑑識のエキスパートですぅ。復讐が果たされた後に現場入りし、公平性を保つために必要な情報を、諸君らに提供してくれるのですぅ。もちろん、大日本帝国政府の人間ではありますがぁ、諸君らと敵対するようなことはありません。まぁ、そんなことを言ったらぁ、私も諸君らの味方というかぁ、マスコットみたいなものですがぁ」


 ガスマスクをした鑑識官達は、まるでその場に安藤達などいないかのように、さっさと現場の調査を始める。クラスメイトがバッタバッタと倒れ、いまだに混乱冷めやらぬ状態で騒然としているのにだ。その淡々とした姿勢もまた不気味だった。


「これもデスゲームあるあるですよねぇ。なんだか不気味さを出すためにぃ、ファンシーで可愛らしいマスコットを出しとけぇ――みたいなぁ。そういった意味ではぁ、デスゲームあるあるに逆らえませんでしたよぉ。なんせぇ、姫乙というマスコットがいるのですからぁ。姫乙という癒しがありますからぁ」


 その一方で絶好調なのが姫乙だ。水を得た魚のように饒舌で、楽しくて仕方がないといった様子だ。これだけの人数が死んだというのに、なんとも思わないのだろうか。――まだまだ続く。妙に間延びした口調のくせに、姫乙のマシンガントークは続く。


「そうそう……どうしてアベンジャーをホームルームで暴く必要があるの? なんて質問もありましたねぇ。あれですよ。私が小学生の頃――帰る前に【帰りの会】というのがありましてねぇ。まぁ、簡単に言えばホームルームなわけなんですが、そこがまぁ糾弾の場だったんですよぉ。もうね、担任の教師が明らかに生徒のことを依怙贔屓えこひいきするような女教師でしてねぇ、みんな気に入られようとね、その会でお互いを糾弾するんですよぉ」


 姫乙が喋っている間も、ガスマスク鑑識官達は黙々と動き続けている。遺体を調べる者、教室の写真を撮る者――それぞれが役割をしっかりと決め、効率よく調べているようだった。


「やれ、誰々さんが何々をしたから悪かったと思いますぅ。誰々くんが何々をしてたのはぁ、いけないことだと思いますぅ。それをねぇ、担任は楽しそうに眺めていましたよぉ。生徒同士が、お互いに糾弾し合うのを――醜く告げ口し合うのをねぇ。今の時代では考えられないかもしれませんけどぉ、当時の【帰りの会】というのは、その日の犯罪者をでっち上げ、そして吊し上げる会だったのですよぉ。ある意味、人間の本性が出る場――とでも言いますか。強き者が弱き者を狩り、弱き者は抗う術もなくぅ、それが事実かどうかも分からぬままぁ、クラスの中で淘汰されるぅ。ですからぁ、今回はホームルームを採用したのですぅ」


 今この場で、冷静に姫乙の話を聞けている人間は、果たしてどれだけいるのだろうか。クラスメイトが数人倒れ、ガスマスクを被った鑑識官が右往左往するなかで、冷静に話を聞けというほうが難しい。しかし、どうやらいたようだ。冷静に現実と向き合えている者が。


「ちょっといいですか?」


 誰もが混乱している中で、さっきと全く変わらぬ口振りで手を挙げたのは――芽衣だった。そんな芽衣の冷静な姿に、姫乙はいやらしい笑みを浮かべる。

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