それを見ていた坂崎が、安藤のことを指差して大爆笑。それにつられて本田も笑い、なんとなく雰囲気だけで便乗したクラスメイトまでもが笑う。穴があったら入りたい思いだった。とりあえず波風立てないように、もう一度ボールを投げ返したところでチャイムが鳴った。このチャイムは予鈴であり、午後の授業開始5分前に鳴る。恥ずかしい思いをしていた安藤からすれば、助け舟のようなものだった。


 午後の1発目の授業は、確か英語だったはず――。そんなことを考えつつ、授業の準備をした。正直なところ食後で眠くなる時間帯であるし、気だるくて仕方がないのであるが、勉強こそが学生の本分である。乗り気ではないが、英語の先生が教室に入ってくるのを待つ。


 ――そして、チャイムが辺りに鳴り響き、教室の入り口の引き戸が開いた。


「グッドアフタヌーン、エブリィワン」


 そう言いながら教室に入ってきたのは、妙に海外かぶれで意識高い系女子――そんな、いつもの先生ではなく、見知らぬ坊ちゃん刈りの男だった。


 ――誰だあいつ。教室を間違っているのではないか。そんな言葉が方々から上がる。けれども、そんなものは聞こえないと言った様子で、男は教壇の上に立つと「号令!」と手を叩く。それに圧倒されたのか、クラス委員長こと小宮山大輔こみやまだいすけが立ち上がり、眼鏡のブリッジを指で押し上げると号令をかけた。


「起立! 礼! 着席!」


 明らかな戸惑いが混じりつつも、流れで号令に従う教室。もはや、号令なんてものは一種の洗脳だとさえ思う。困惑の視線が集まる中、坊ちゃん刈りの男は口を開く。


「さて、諸君。本来ならばぁ、次の授業は英語とのことですがぁ、やや予定が変更になりましたぁ。私の名前は姫乙南ひめつばみなみ。大日本帝国政府革命省の大臣をやっておりますぅ。あぁ、あくまでもであってではありませんからねぇ。その辺りは間違えないようにぃ」


 困惑が広がるばかり。いつもの英語教師ではなく見知らぬ男が入って来て、しかも大日本帝国政府の人間だという。そこの大臣様が一体何の用なのであろうか。


「まずは諸君らにおめでとうと伝えたい。諸君ら大日本帝国大学附属高等学校2年4組はぁ、とある法案の施行モデルケースの記念すべき第1号として選ばれましたぁ。ゆえに、詳細をお話しするために個別面談を隣の2年3組の教室にて行いたいと思いますぅ」


 何が起きたのか分からないが、男が支離滅裂なことを言っていることは確実だった。もしかすると不審者かもしれない。そんなことを思いつつも、しかし異様な雰囲気に口を開けずにいる安藤を尻目に、教室の一角から声が上がった。


「はい! 質問がある!」


 教室全体を揺るがすかのような声を上げたのは、超体育会系でスポーツ万能の熱血漢。根津善ねづぜんであった。このクラスにはカーストによってある程度の壁があるのだが、彼ばかりはカーストの壁など気にせずに、誰とも対等に接してくれる。彼のことを悪く思う人間は、きっとクラスにはいないだろう。それだけ信頼が厚く、情深い男だった。


「なんでしょうかぁ?」


 姫乙は首を傾げただけのつもりなのだろうが、なんてことない仕草こそが不気味に見えた。


「隣の教室では授業を行っておる。個別面談などできる状態ではないはずだ」


 根津の言葉に、なぜだか姫乙は笑みを浮かべた。まるで、それを問われるのを待っていたかのように。


「隣の教室では授業など行われない。他の学年、他のクラスの生徒はもちろん、ここの教師の方々をはじめとする学校関係者にも、これから帰宅していただくからねぇ。つーまーりー、この学校に残るのは2年4組の諸君らだけなのだよぉ。つい先ほど、この学校は大日本帝国政府の支配下に置かれたのだよぉ。そして、誰も政府には逆らえない。逆らえば反逆罪だからねぇ」


 姫乙がそう言っている間に、廊下の辺りが騒がしくなる。挙げ句の果てには、校内放送で早急な帰宅が促された。大日本帝国において、政府は絶対的な存在。下手なことをすれば反逆罪に問われてしまうだろうから、先生方も必死なのだろう。


 学校が静かになるのには、そこまで時間がかからなかった。その頃合いを見計らっていたのか、姫乙はポケットから金色の何かを取り出した。どうやら懐中時計のようだ。時間を確認した後に懐中時計をポケットに戻し、その代わりに手帳を取り出した。


「ではぁ、これより個別に面談を行いまぁす。そこで法案の詳細及び、一部の方には大事なお話をさせていただく予定になっていますぅ。出席番号順に面談を行いますので、最初は安藤奏多君――ですねぇ」


 姫乙は手帳をめくりながら呟いた。得てして出席番号1番というものは損するポジションである。もちろん、得をすることだってあるのだが、何が何だか分かっていない状況で、個人面談の1発目というのは嫌だった。


「さて、私はここから離れますがぁ、まだまだ諸君らとの信頼関係を築けていませぇぇん。もしかすると、これ幸いと逃げ出す方もいるかもしれませんねぇ。まぁ、この時点で反逆罪を問えるわけですがぁ、それでは我々の趣旨に反します。よってぇ、不本意ではありますがぁ、牽制させていただきますぅ」


 姫乙が手をパンパンと叩く。すると、教室の入り口から奇妙な格好をした連中が入ってきた。迷彩服にアーミーブーツ、黒の目出し帽に白いヘルメット――。その腕には小銃らしきものが抱えられていた。入ってきた人数は3人。同じような格好をした兵隊みたいな連中が、まるで授業参観の親であるかのごとく、教室の後ろに並んだ。


「彼らは今回の法案の管理委員会メンバーです。法案のモデルケースとなる今回の全てを、円滑に進めるための役割を担っていますぅ。現状においては、個別面談を円滑に行うことが最優先の目的になりますからぁ、変な動きを諸君らにされては困るのです」


 これは現実なのだろうか。ふとそんなことを思ったが、理不尽なことを強要する大日本帝国政府は今に始まったことではないし、むしろ現実味のある話だ。ただ、自分達が理不尽に扱われることはないと思っていたからなのか、なんだか実感が希薄だった。


「管理委員会のみなさん。変な動きをした生徒がいたらねぇ――急所を外して撃ってください。死なれたら本末転倒ですが、死なない程度に痛めつけても問題ない。むしろ、ちょっと痛い思いをしてもらったほうがいい」


 教室の中に渦巻くは、未知なるものに遭遇した不安なのか。それとも、自分のペースを丸無視して押し付けられる理不尽に対する怒りか。はたまた、わけの分からぬことに巻き込まれてしまった悲しみか。ただ確実に言えることは、教室を取り巻いている空気はネガティブなものであって、決してポジティブなものではないということ。


「さっきから黙って聞いてりゃ、好き勝手なことを言ってくれやがって!」


 悪い空気を払拭しようとしたのか、この異様な状況の中で、ようやく我に返ったのか。2年4組の暴君こと本田が、勢い良く立ち上がった。それとほぼ同時に姫乙が手を高々と上げ、それが恐らく合図だったのであろう。教室の後ろで待機していた管理委員会が、息をつく暇もないほどの速さで本田を取り囲んだ。そして、教室に響くは銃声音。パン――パン――パン――パン。女子の誰かが悲鳴を上げ、そして安藤は思わず目を強く閉じた。


 静寂――。静寂の中、恐る恐ると目を開ける。

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